169.
今宵一夜の逗留地にと選んだ場所、そこはかつて林があったと思われる場所だった。
なぜ、そこが林だったのかは、見れば一目瞭然だろう。五十個ほどの木の切株が密集していたからだった。
その多数の切株は、そこがかつて林だった事を現わしており、何者かがその林を伐採してしまったのだろうとあたし達は判断したのだった。
あたし達の空飛ぶ船は、原理はわからないのだが、アンジェラさんによってコントロールされて飛行している。
アンジェラさんが寝てしまうと、船はコントロールを失ってしまいどこに飛んで行ってしまうのか分らなくなる。
なので、夜間は基本水のある所に停泊して、ロープで船体を固定するのが常だった。
水場を確保出来ない時は、大きな木のてっぺんにロープで固定していた。平らな場所に降りると、必然的に横転してしまうので宿営地には苦労しているのだった。
だが、今居る場所は水場も係留すべき木も見つからない見渡す限りの草原だった。
我らが知恵袋であるアドが係留地に選んだのは、今眼下に広がって居るかつて林であったであろうこの場所だったのだ。
切株があるって事は、何者かが居るって事になる。それが敵だった場合の襲撃を防ぐ為に、長めにしたロープで船体を切株に括り付けて、あたし達は見張り番を立て、暫しの眠りについたのだった。
そこまでは、何も問題はなかったのだが、いや、全く問題が無かった訳ではなかった。
なぜか、ミリーだけがこの場所は気持ちが悪いと主張していたのだった。
だが、その主張も根拠がある訳ではなく、「何となく」というものだったので、ここは長時間船をコントロールしてくれたアンジェラさんを休ませることを優先して、敢えてこの場所に係留する事にしたのだった。厳重に見張りを立てる事を前提に。
そして、暫くは何事も起こらなかった。事態が動いたのは夜半過ぎだった。
いや、正確には何も起こってはいないのだ。起こってはいないのだが、みんなが起き出して来たのだった。
なぜ起き出してきたのか。誰も把握出来ていなかった。
それこそ、「なんとなく」だったのだ。
何となく目覚めて、何となく変な感じがして、何となく怯えているのだった。
こんな不安な時は、いつも冷静なアドに不安を解消して欲しいものなのだが、何故かそのアドが起きて来て居ない事が、みんなの不安を更に煽り立てていたのだった。
「こんな時にアドが起きて来ないってどういう事なのかしら?」
不安に耐え切れず、あたしが呟くと、みんなも集まって来てやはり不安そうにしていた。
「みなさん、どうして起きてこられたのです?」アウラが誰に聞くでも無くそう呟いた。
「なんやよう分らへんけどな、なんや気持ち悪かったんや」自分の剣を握りしめながらポーリンが訴えてくる。
「うんうん、この不規則な船の揺れが気になって目が醒めちゃった」
クレアも、両手で自分の肩を抱きながら、不安そうだ。
「不規則な揺れもそうですが、停泊しているはずなのに、時々わずかに横方向に力が加わっている感覚がありますねぇ」
ジェームズさんが、舷側から下を見下ろしながらそう続けた。
「だがなぁ、何かがやって来たような気配も感じられねーぞ?」
お頭も地表を見下ろしたままそう呟いた。
「とにかく、アドを起こして・・・」そう言いかけた時だった。
「私は寝ていませんよ」
みんなの視線が声のした方、船室に続く階段に注がれた。
そこには、なにやら分厚い本を抱え、階段を登って来る渋い顔のアドが居た。
普段あまり感情を表さないアドが渋い顔を隠そうともせずに上がってきた為、みんなも緊張して注目していた。
そして、みんなの視線は彼女が抱えている分厚い本にも注がれていた。
あの本は何?初めて見るんだけど、ひょっとしてアドの底知れない知識の源ってあの本なのかしら?
にしても、あの渋い顔の原因はなんなの?
みんなの好奇の視線に曝されながらも、渋い顔を維持しつつ、アドはあたしの元にやって来た。
いったい何を言うのかドキドキしていたのだが、アドは渋い顔のままいつもと変わらない様子で話しはじめた。
「やっとそれらしいものを見付けましたよ。いったいこの大地はどうなっているんですかねぇ」
アドからため息交じりに吐き出された言葉がこれだった。
「ああぁっ?なんだぁ、それらしいものってのはよお」
おかしらが苛立つ気持ちも、妙に納得できる。
「ミリーが気持ち悪がっていた原因ですよ」
苛立つお頭にも怯えることなく、平然と言い返すアドにも関心してしまう。
「そんなもん、どこにもいねーだろうがよ。どこに居るっていうんだ?ああ?」
苛立ちのせいか、次第に大ききなって来るおかしらの怒声に怯える事も無く、アドは盛大にため息を吐いた。
「はあぁ、おかしらのその目は・・・節穴ですか?よおおっく下界を見てくださいよ、たくさん居るでしょうに」
「なにいいっ!?」
アドに言われて、上甲板に居た全員が一斉に下界を見下ろした。
無言のまま、下界を見下ろした全員だったが、誰も何も見付ける事が出来ず、再び視線がおかしらとアドに集中した。
「なんにもいねーじゃねーか!あるのは木の切株だけじゃね・・・え・・・か? って、えっ!? おいっ、まさか・・・」
そこまで言ったおかしらの言葉は、ボッシュさんの声で遮られてしまった。
「おい、あの切株・・・微妙に動いてないか?」
「「「「「!!!」」」」」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に全員の視線が再び下界に降り注いだ。
もちろん、あたしも舷側から身を乗り出して視界一面に広がって居る多数の切株に注目した。
「ん・・・・・・ん!?確かに、微妙に動いて・・・いる?」
「あ お嬢。ほらっ、あそこ。あそこの奴」
アウラの指し示す方を見ると、一個の小さな切株が大きな切株の上に乗ろうと蠢いていた。
乗って? うん、確かにあれは乗っているとしか表現の仕様がなかった。
沢山生えている根っこ?をゆっくりではあるが器用に足のように動かして、隣にあった大きな切株の上に登っていた。
「あ あ あれ、あれ」
それしか言葉が出てこなかった。
周囲でも、次第に確認が出来てきたのだろう、そこかしこから驚きの声が上がりだし、その声は次第に大きくなってきていた。
「あ アド、どういう事?あれって・・・なに?あの切株って生き物だったの?」
慌ててアドに詰め寄ったものの、アドは相変わらず落ち着いていた。
「普通、木は生き物ですよ?もっとも、あれは木じゃありませんけど」
「えっ?どういう事?あれって、木の切株じゃあないの?」
きょとんとしたアドに思わず絶句してしまった。
「なあ、アド、あれって魔物なんか?このままここにおったらあかんとちゃうんか?」
堪り兼ねて、ポーリンが会話に割って入って来た。
「そうですね、大きな括りで言えば魔物と言えない事もありませんが、あれは我々には害が無い存在とは言えますね」
「やはり魔物なんだ。でも、害がないって・・・」
「あれは『キリカブ』って言って植物ではなく動物なのですよ、たぶん」
「動物?あれが?それで、たぶんって言うのは?」
「雑食性の動物らしいですね、死体漁り系の・・・。文献に載っていたのを見付けただけでして、私も見るのは初めてですからね」
「で?あいつらの名前は何て言うん?」
「だから『キリカブ』だと・・・」
「へ?それが名前なん?マジ?」
「そう文献に載っていたんだからしょうがないでしょ」
「ねぇ、アドちゃん。あれは魔物でいいとして、なんでこんな場所に固まっていたのかしら?」
なんで、ここに?そんな事考えもしなかったわ。さすがアウラって事なのかしら。
「そうですね、彼らが死体漁り系な事を考えると、ここに何か大きな生き物の死体でもあったのではないでしょうかね」
「なるほどねぇ。餌場だったって事ね。それで、あいつらはこのまま退治しなくても大丈夫かしら?それとも退治した方がよかったりする?」
「文献によると、死体には群れますが、基本襲って来る事はないそうなので敢えてこちらから仕掛ける事もないでしょう。見張りを立てるだけで良いと思いますよ」
「だそうですよ。部下への徹底お願いしますね、おかしら」
「ああ、わかってるぜ。余計なちょっかい出さねーように言っておくぜ、じゃあな」
そう言うと、おかしらは右手をひらひらと振りながら離れて行った。
あたしが言うと、必ず一言二言嫌味を言って来るのに、なんでアウラが言うと素直に言う事を聞くんだろう。
なんか面白くないぞ。ぶー。
なんとなくもやもやしたのだが、寝ている所を起こされたので、安心したら眠くなってきた。
くそうと思いながら、船室に降りて再び寝る事にした。 が、事はそんなに簡単には済まなかった。
何度も言うが、あたしの不幸体質のせいじゃあ無いんだから。
三時間ほど寝た頃だったろうか、なんとなく周囲のざわつく声に目が醒めてしまった。
騒いでいる訳ではなさそうなので、問題が起きた訳ではなさそうだったのだが、なんか気になってしまい起き出して上甲板に上がってみた。
「あ、お嬢起きちゃいました?」
声を掛けてきたのは、アウラだった。
「なにかあったの?」
眠い目を擦りながら何気なく聞いたのだったが、その答えに目がパッチリ醒めてしまった。
「まだ確証がとれた訳ではないのですが、もしかしてどこかに運ばれているのではないかっていうんですよ」
「害はないんじゃなかったの?」
「それは・・・わたしに言われても・・・ねぇ」
確かにそうなんだけど。
「これは不可抗力ですね」
振り向くと舷側の手摺りから下を見ながら渋い顔をしたアドが居た。
「不可抗力?」
「ええ、魔物だとは知らず切株だと思って『キリカブ』にロープを括りつけたので、彼らの移動に巻き込まれたのですよ。彼らは夜行性の様ですからね」
「それで、あいつらはどこに行こうとしているの?」
「それは彼らに聞いてみませんとわかりませんね。ただ、推測はできますよ」
「それでいいわよ、どこに行こうとしているのよ」
目じりを右手の指で押さえながらアドは、左てを船首の方に指し示した。
「え?マイヤー兄様の東部要塞に向かっているの?」
「ちゃうよ姐さん、ロープは船首に付いとるやん、せやさかい引っ張られた時点で方向が逆転したんや。今向こぉておんのは、元おった方向や」
「元いたところ?それって・・・」
「そや、蛮族がおった所や」
「なんで・・・・」
「あくまでも推測ですよ。あそこでは今蛮族がデビル・マンタと戦っているでしょう?恐らく大勢の犠牲者が出ているはずです」
「まさか・・・・」
「推測、可能性ですって。まさかこの距離で死臭を感じ取れるとは思いたくはありませんがね。でも・・・」
「未知の魔物だから何があってもおかしくはない って事だろ?」
おかしらも起き出してきたようだ。
「ええ、その通りです」
「で?どうするんだ?キリカブ連中の食事に付き合ってやるつもりはねーんだろ?」
「もちろんですよ。アンジェラさんには申し訳ありませんがここはロープを切り離して夜間飛行をお願いしたいですね。そのぶん、後でどこかでお昼寝をしてもらいましょう」
「大丈夫ですよ。少し寝れましたからすぐにでも飛び立てます」
アンジェラさんも既に起きて来て待機しているようだった。
「では、おかしら。ロープを切り離して下さい」
アドの号令で、船上はにわかに賑やかになった。
ロープの呪縛から放たれた船は、軽やかに船首を振って元の進路に戻っていった。
あたし・・・なにもしていない。
何もしていないのに、粛々と事態は進んで行く。
あたし、いなくてもいいのかな?
でも、ここに居ないと兄様の元へ行けない。
うーん
ま、考えてもしょうがないか。
取り敢えず、寝よっと。
あたしは三度寝る為に船室へと降りて行った。