166.
「誰か、落ちたぞおぉぉっ!!」
得体の知れない巨大生物が近くにいるので、音を立てない様にと言ったばかりだったのに、言ったそばからこれだ。
いったいどこのバカだ、こんな時に。
なんて考えるまでもなかった。はるか下の水面から聞こえて来る叫び声は・・・間違えようのないものだった。
「たすけてえぇ~っ!たすけてえぇ~っ!おぼれるう~っ!!」
今、どんな状況かわかっているのだろうか。音を立てるなって言ったばかりなのに、力の限りに叫び声を上げているのは、食いしん坊ミリーだった。
「ミリー、今助けるから静かにしてちょうだい。あいつに気づかれたら大変な事、わかるわよね?」
だが、川に落ちてパニックになっているのだろうか、一向に叫ぶのをやめない。
「たすけてえぇ~っ!たすけてえぇ~っ!」
助けるって言っているのに、声が聞こえないのだろうか?
「姐さん、もうええから止めを刺しちゃいまひょ。このままじゃあ、全員を危険に曝してまうよ」
こんな時のポーリンは情け容赦がない。
「そもそも、自分でしでかした失態だしね、しょうがないわね」
メイも情け容赦がなかった。まあ、一人のミスが全員の命に係わる、そんな世界で生きて来たんだから、仕方が無いのかもしれないのだけれど・・・。
誰かがロープを降ろしてくれたんだけど、相変わらずミリーは泣き叫ぶだけで、目の前に垂れ下がっているロープに自分から掴まろうともしなかった。
全員の身の安全を考えると、ここは早急に判断を下さなければならないのはわかっている。でも、一緒に苦労をしてきた仲間を見捨てることは・・・。
みんなを守りたい、でも仲間を見捨てる事は・・・・。
そんなあたしに業を煮やしたのだろう。おかしらが身につけていた武装を外し始めた。
「ふんっ、相変わらず甘っちょろい考えだな。おめーはリーダーにはむいてねーよ」
そう一言叫ぶと、さっと欄干を乗り越え、巨体を翻して川に向かってダイブして行った。
一瞬あっけに取られてしまったあたし達は、大急ぎで舷側に駆け寄り、欄干より眼下を見下ろした。
そこには、大急ぎで暴れるミリーに寄って行くお頭の姿が確認出来た。
ハラハラしながら見ていると、手際よくミリーをロープに括り付けたおかしらがあたし達に向かって片手を振って来た。
甲板上を見ると、間髪を入れずロープを握っていた男衆が、それっとばかりにロープに取り付き遮二無二引き上げ始めている。
みんなは歓声をあげながら周囲で応援している。声を出すなって言ったばかりなのに、あたしの言った事なんて、すっかり頭から抜けているみたいだった。
勢いよくミリーを甲板に引き上げた男衆は、結んであったロープをせわしなく外すと、再び舷側から投げおろそうとしていたが、おかしらの一言で動きを止めてしまった。
「俺はいいっ!!どうせそんなロープじゃあ切れちまう!そんな事よりも、武器を取れっ!奴はすぐにくるぞっ!!」
ハッとして奴が居たであろう方向を見ると、ちょうど どっぷん と言う水音と同時に奴の姿が水中に没する所だった。
「来るっ!!」
急いで迎撃態勢を・・・って、あの巨大な奴をどうやって迎え撃てばいいっていうの?こっちにはろくな武器もないのに。
「アドぉ~」
何かって言うといつもアドに頼りっきりで申し訳ないんとは思うのだけど、ここは頼るしかなかった。
それに、なんとかしておかしらを回収しないと・・・。
「あど? あどさん? あどさ~ん?」
腕組みしたまま目を閉じて固まっちゃったよ。
「お~い!」
困ったなぁ。応答なしだぁ。どうしよう。
肩をゆすってみたが、反応がない。どうしたんだろう?
すると、不意に目を開けるやすたすたと舷側まで歩いて行き欄干から身を乗り出して眼下で浮かんでいるお頭に声をかけた。
「おかしら、このまま蛮族がいない方の岸に向かって泳いでもらえますか?」
「おっ!?船の防衛はどうするんだ?」
うん、当然とも思える返事が下から返って来た。それに対するアドの返事にたまげてしまった。
「ああ、船の事はいいですから、お気になさらす。どうせ、手のほどこしようもないですから」
「本当にいいんか?退避しちまうぞ?」
「ええ、どうぞどうぞ、巻き込まれない内に退避しちゃってください」
「ちょっ、な なんでそんなに他人事なの?船がやられればあなたも巻き込まれるのよ?」
思わずそう反応してしまった。
だが、アドの反応は、意外な事を聞いたかのような感じだった。
「??? では、何か対応策・・・ありますか?こちらには、剣と槍、わずかばかりの弓しか無いんですよ?あの巨体に対して何が出来ると?」
「うっ・・・」
はいもっともなご意見でございます。確かにあの巨体に対して、なにも出来ませんよ。だからこそ、あなたに何かいい案を・・・。
「出来る事と言ったら、全員を大急ぎで船内に避難させるくらいしか・・・ああ、もう手遅れですね、来ますよ。早く何かに掴まる事をお勧めします」
「なっ・・・」
その瞬間、船は再びあの浮遊感と共に、ぐいーと船ごと持ち上げられてしまった。
反射的に近くにあった欄干にしがみつき、周囲を見回すと・・・・みんなも同じように周囲にある物にしがみついて居た。
驚いた事に、今、たった今ここに居たはずのアドは、駆け足で上甲板を駆け抜けて、今まさに階段を降りて行くところだった。はやっ!
そして、階段の所からひょいと顔を出し一言。
「この船は、船体の強度は物凄いですからね、船内が一番安全なんですよ。あいつに呑み込まれでもしない限りはね」
「呑み込まれたら?」
「呑み込まれたら・・・祈るしかないですね」
そんな会話をしている間も、船は木の葉のように奴によって起こされた荒波に揉まれていた。
不思議な事に、船はもみくちゃにされてはいるが、直接の攻撃はまだなかった。
奴は船の下を何度も何度もゆっくりと行ったり来たりを繰り返すのみだった。いったい何がしたいのだろう?
そうこうしている内に、手がしびれて来た。いい加減にして欲しいものだが、あたしの心の声が奴に届くはずもなく、延々と行ったり来たりを繰り返している。
本当になんなんだろう?襲い掛かるチャンスを窺ってでもいるのか?それともあたしたちの船が餌になるのかどうかを見定めているのか。奴が飽きてくれるのを待つしかないのだろうか。
「ねぇ、あのでっかい奴、もしかして味方なんじゃないのかなぁ?」
のんびりとした声でとんでもない事をいいだしたのは、まだずぶ濡れのミリーだった。
そして、間髪を入れずに突っ込んでくるのは、ポーリンだった。
「なにアホな事言うてんのや!あんなんが味方のわけあるかいっ!!頭んネジゆるんどんのかいっ!!」
「そんなに怒らなくたって・・・」
拗ねぎみのミリーに対しポーリンの追撃は止まらなかった。
「だいたいなぁ、あんなんにうちらみたいな知能がある訳あらへんやろうが!そないなこと考えんくてもわかるやろが。それにな、うちらに味方する理由、どこにあるゆうんや?」
「蛮族、食べてくれてる。それに、襲って来てないよ?」
「そんなんたまたま腹がへってるだけやろが。今、船ん周りぐるぐるしてるんはな、襲うタイミングを窺ってるだけや」
「ポーリンちゃんは、そんなに襲って欲しいの?ねえ、襲って欲しいの?」
「んな訳あるかあああかかかぁっ!!」
とうとうポーリンが切れた・・・。
「おまぁ、こないな危機的状況でようもまぁそげな戯言いえるなぁ。こっちには姐さんがおるんやど。この先どれだけ苦難が待ってるかわからへんのやど。くだらんこと言うなや!」
げっ、こっちに飛び火したぁ。あたしは関係ないじゃないのよぉ。
ふたりが不毛な言い合いをしている間に、いつの間にか船内に退避していたアドが階段から顔を覗かして居た。
「おそらくさ・・・この船を飲み込めるか、大きさを確認しているんだと思う」
「「「「「!!!」」」」」
「ほら、言うた通りやんか。なぁ、アド。どないしたらええんや?どないして迎え撃ったらええん?」
「んー、相手が水中にいる内はどうしようもないわね。マルティシオン様にお祈りするしかないですわね」
「アドでもあかんかぁ。ここは姐さんの悪魔の様な悪運に期待するっきゃないんかぁ」
なんなん?いったい。なんであたしがそんな悪魔みたいなことになっているのよ。失礼しちゃうわ、もうっ!
周りを見ると、甲板のあちこちから祈りの言葉が聞こえてきてるし・・・。
あたしが何したっていうのよ!こんないたいけな少女が、なんでこんなに酷い扱いされなきゃならないのよお。
いたいけな少女?いたいけなの意味を理解しろよな。
不意に、そんな声が聞こえて来た気がした。だが、おかしらはいまは川の中のはず。いったい・・・
思わず周りを見回して、お頭の不在を確認してしまった。
当然、おかしらが居るはずもなかった。その時あたしは有る事に気が付いた。
船は木の葉のように、ゆっくりと回転しながら川を流されていたはずだったのだが・・・なんだろう、今は回転が収まっていて、ぴたりと真っ直ぐに川下に舳先を向けている。
うまく流れにでも乗ったのだろうか?
気のせいか、速度も上がってきている気がする?
ハッとしてアドを見ると、彼女も訝し気な顔で周囲を見回している。
あたしと同じ事を考えているのだろうか?
やがて、みるみる速度が上がっていき、甲板上のみんながその事を実感し始めた時、ぐらりと足元が揺れたと同時に、船の後部から叫び声があがった。
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
みんなの視線が、船尾後方の水面に集中した。
そこには、巨大な それはもう巨大な 見上げるほどの真っ赤な洞穴が口を開けていた。
その洞穴が巨大な口だと認識出来た時には、その口は上昇をやめ、のしかかるように降下を始め、あたし達の上空に覆いかぶさってきた。
だが、あたしたちに出来る事は、ただ口を大きく開けて叫ぶだけだった。
無数の歯が幾重にも並んで居る巨大な口が視界いっぱいに広がった時、もう駄目だと観念するのではなく、「ああ、おかしらの方が正解だったか」とふと思った自分に驚いたのは、後の事だった。
無数の歯が船に届くその瞬間、船は弾けるようにダッシュをして、空に飛び上っていた。
あたし達は事態が把握できずに、ただただ口をあんぐりと開けて、近くにある物にしがみつき呆然とするだけだった。
巨大な何かは、たった今あたしたちの船が居た水面に盛大な水柱をあげながら水中に消えていった。
あたし達は急上昇をしつつ大空に昇って行く船の甲板から、その様子を声も無く見下ろしているだけだった。
「助かった・・・・のかな?」
「どうなっているんだ?」
「アンジェラさん、目を覚ましたの?」
「お腹・・・すいた」
みんな思い思いの事を口に出し始めてはいるが、意外な事に歓声は上がらなかった。
それだけみんな疲弊していたのだろうか?
やがて、船が水平飛行に移行する頃になって、精神的に落ち着いて来たので立ち上がって舷側の欄干にもたれかかり今まで船が居た川を見下ろしてみた。
そこで初めて巨大な何かの全身像を見る事ができた。そいつはグルグルと水中を泳いでいたが、まるでひし形の巨大な座布団みたいで、長い尾を持っていた。
「あんなんに追いかけられてたんかぁ、たまらんわなぁ」
心底疲れた感じのポーリンだった。
「ホント、生きた心地がしませんでしたよ」アウラもやれやれという顔をしている。
「もう、大丈夫なんですよね?」真っ青の顔のメイもやって来た。
「あれは、過去の文献によると、デビル・マンタの一種ではないかと思われます」さすがアド、こんな奴の情報まで押さえてあるんだ。
「ねぇ、あんなおっきいの、海にはうようよいるの?おいしい?」
ミりー、うようよって・・・あんたはあんなのでも、食べる対象としてみるんかい。
「いえ、さすがにデビル・マンタはせいぜい五メートル程度らしいですよ」
「五メートル?あれって、どう見たって百メートルはありますわよ?」
アウラの言う通り、五メートルなんて可愛いものじゃあない。うんうん。
「そやそや、全然大きさちゃうやん。他に特徴はあらへんの?」
「炎吐くとか?ww」
おいおい・・・。
「そうですねぇ、しっぽで水面を叩いて二・三メートルジャンプする事があるみたいですけど、他にこれといった特徴は・・・」
「ジャンプ?」
「二・三メートル?」
「五メートルで二・三メートルのジャンプですって?」
「五十メートルで二・三十メートルってことは・・・」
「その倍は優に有るから・・・」
「ま さ か ねぇww」
「そうよね、まさかそんな ねぇww」
「「「あはははははは」」」
「あのお、そんな心配よりも、今はアンジェラさんの様子を見に行く事の方が大事では?」
「さすが、アド。誰か、アンジェラさんの様子見に行って来てちょうだい」
「はーい、私が行ってきまーす」
珍しくミリーが積極的に手を挙げて階段に向かって走り出した。
「へぇ、あの子もやる気を出したのかしらね、感心感心」
だが、みんなの見方は違って居た。あたしが甘いのかな?
「あの子は、食糧庫へ行くのが目的やで。アンジェラさんの様子を見に行くんは、 つ い でww」
「な なるほど・・・」
みんな、達観しているのね。
「ミリーに任せて居たら、いつになるかわからないよ。うちがひとっ走り行ってくるわ」
そう言うと、ポーリンは駆け出して行った。
だが、やれやれと思う間もなくポーリンが階段を駆け上がって来たが、その表情を見た瞬間、非常事態を悟ってしまった。
「大変、大変、大変やでぇ!アンジェラはん・・・起きてへんでぇ。まだグースカピー寝てまんのや」
「「「「「えええーっ!!」」」」」
「どういう事?寝てる?寝たままなの?」
「そや、ぐっすりやで」
「それじゃあ、今飛んでいるのは?」
「居眠り運転ですかねぇ?」
「いや、熟睡運転やね」
「無意識に飛んでるって事は、突然墜落する事もありって事なの?」
これは大変な事になってしまった。危機を脱したと思ったのに、又ピンチ?
あ、なんでみんなあたしの事を見る訳?あたし、なーんも関与してないわよ。絶対に関係ない!
だが、悪い事は続くもので、更なる報告が上がって来た。
「おーい、あいつ、こっちに向かって物凄い勢いで泳いで来てるぞーっ!」
それって・・・・まさか