165.
あたしたちは思い掛けず船旅をする事となった。
本当に想定外の事だった。だって、唯一この船を操れるアンジェラさんが大暴走した挙句、死んだ様に寝てしまったんだもん。
彼女が起きる迄は、川下りをするしかなかった。
だけど、そんな不幸なあたし達を蛮族共が見逃してくれるはずもなく、流れに身を任せて漂流するあたしたちの船めがけて、無数の蛮族が追い掛けて来た。
・・・泳いで。
川岸を見ると、続々と川に飛び込む蛮族の立てた水しぶきがあちこちで見られた。
「ばんぞくさん・・・泳げるのね・・・すごおい。わたし、泳げないもん」
ミリーが妙な所に感心していた。
「あんた、気にするところって、そこなん?」
ポーリンはあきれ顔だ。
川幅は徐々に広がってきていて、現在は三百メートルはあるだろうか?それに伴い流れの速度も遅くなり、ヒトの早歩き程度の速度だろうか。
深さも、船底を擦らない程度には深くなってきている。
蛮族共はそんな川を泳いで渡って来ているのだ。あたしたちの船を目指して。なんで、そんなにあたしたちに絡んできたいのだろうか?よっぽど娯楽がないのだろうか?
そんな事を考えていたらアドと目が合ってしまった。やばっ、あたしは反射的に慌てて目を逸らしてしまったのだ。
よおく考えればあたしが何考えていたかなんて彼女にはわからないはずなのに、なんであんなに慌ててしまったのだろう。
船は幅の広くなった海水の川を右に左へとふらつきながら下っている。時々くるっと回転して進行方向が逆転したりもした。
なぜなら、この船には舵がなかったのだ。どうせ空を飛ぶのだから舵なんか必要ないだろうと、壊れたまま修理してなかったのだ。
まさか使う事になろうとは・・・。
基本、進行方向右側に蛮族が泳ぎ着くので、追い落とし班は長槍を持って右舷に展開している。
反対の左舷側には蛮族は来ないので、もっぱら手の空いた者が釣りをしている。食料調達である。
この辺りの魚は人慣れしていないのだろう、ほとんど入れ食い状態だった。
全身が虹色で両手を広げたほどの大きさの魚が次々と上がってくるのだが、この魚はアドによると食べられる所は背びれだけだそうなので、背びれを切り取るとリリースされていた。
これじゃあいくら釣れてもテンションは上がらないだろう。
だが、午後になると、それすらも釣れなくなってきた。全く魚影が消えてしまったのだ。
「どういう事?魚がいなくなったの?」
アドを見ると、難しい顔で腕を組んで居る。
「アド?」
水面をじっと見つめて居たアドが、恐ろしい事を言い出した。
「想像の域を脱しませんが・・・居ますね、何かが」
「え?何かって?」
「ですから、あくまで可能性の話しなので、なにが居るかはわかりませんよ。姐さんの不幸を呼び込む効果がまだ健在なのであるならば、有り得るって話しです」
「なによっ、その意味の分からない効果はっ!」
「そうだな。俺もこれまでおめーと一緒に居て、その効果は薄々感じていたぜ」
おかしらまでアドに乗っかってきた。失礼な事はなはだしいわ。あたしのどこを見たら・・・
「お嬢、大丈夫ですよ。そんな体質があっても、見捨てたりしませんから」
んが・・・アウラ、あんたまで肯定するんかい・・・
「そやでぇ。不幸体質、上等やん。退屈せんでえーやん。気にせーへんでぇww」
ぽ ポーリン。フォローになってないから。
その時だ。船が周囲の水面ごとゆっくりと持ち上げられる感覚にとらわれた。
おかしな感覚に思わず周りをみて見ると、船を中心とした一帯が川の水面よりも一メートル以上盛り上がっていた。
不思議な現象に驚いていると、今度はゆっくりと周囲の水面もろとも降下を始め、周囲の水面よりも低いところまで下がると、再びその反動で上昇を始めた。
船は木の葉みたいに翻弄され、あたし達は甲板上で必死に近くにある物にしがみついていた。
「何か大きなものが船の下を通り過ぎましたね」
アドは自分の推察が的中したので満足げな表情だが、それどころじゃあないだろう。大きなもの?どんだけ大きいの?襲って来たらどう対処すればいいの?
おかしらを見るが、彼も硬直した表情で欄干にしがみついたままだ。
どうしたらいい?頼みの綱のアンジェラさんはまだ起きて来る気配はない。無理やり叩き起こすべきか?
「姐さん、あれ見てや」
ポーリンに言われて彼女の指差す方を見てみる。
さっきまで水面を埋め尽くす勢いで船に向かって来ていた蛮族が、半数以下に減っているではないか。
「な なにがあったの?蛮族…すごく減ってる」
「そやろ?なんやでかいもんに喰われたんとちゃうん?あ、あそこ、あれや!」
ポーリンが指差す先を見ると、なにやら黒っぽい物が水面に現れた。
そして二つに割れたとたん、周囲の水をがぶがぶと飲み込み始めたではないか。当然、周囲の蛮族も次々に吸い込まれていっている。
「なんや、蛮族減ったんはあいつのせいやったんかぁ。味方やったんやなぁ」
お気楽ポーリンとは正反対の慎重派アドは、まだ難しい顔のままだ。
「今は蛮族が大勢いますが、もし食べ尽してしまった場合、こちらに来ないという保証はありませんから」
「ねぇ、船を捨てて陸上に避難するのって駄目?」
珍しくメイが発言したのだが、あまりいい案ではなかった。
「そうね、そういう選択肢も無い事は無いけど無いわね。だいたい岸までかなり距離があるわ。あなた、泳げる?」
「ううう・・・」
「それに、陸上での移動になったら、たちまち蛮族に取り囲まれる事は必至よ。寝る事すら出来なくなるわね。それでもいいかしら?」
「えーっ、嫌っ!却下!」
自分で言いだして、自分で速攻却下かい。
「お頭、何かいい案ない?」
ダメもとで聞くだけは聞いて見たんだけど・・・
「ない事もないが・・・ない!」
「なんやねんっ!結局ないんかいっ!」
ポーリンでなくても突っ込みたくなる返事だった。
「自慢じゃないが、俺は山賊だ。山の中ならともかく、船の上じゃあいかんともしがたいんだよ」
「だよねぇ」
「逃げるも地獄。このまま居るのも地獄かぁ。船が又飛べればいいのになぁ」
ミリーの呟きは、みんなの共通の思いだった。
知らず知らずみんなの視線は船倉に続く階段に集中していた。
ここは気の毒ではあるが、強制的に起きて貰うしかないのかなぁ。
しかたがない。あたしが起こしに行くしかないか。と立ち上がろうとしたその時だ。
階段から叫び声が・・・そして駆け上がって来たのは、焦ったようなボッシュさんだった。
「起きない。アンジェラさん、声掛けても、揺すっても起きないぜ。どうなってるんだ?」
そっか、一足先に起こしに行ってくれてたんだ。
でも、起きないって?大丈夫なの?
アドを見ても驚いた感じは見られない。想定内なんだろうな。
「彼女はかなり消耗していましたからね、しばらくは起きないでしょうね」
はい、わかりました。で、どうしたらいいのでしょう?
と聞きたかったけど、実際には、返って来る返事が怖くて聞けなかった。
すると、さっきまで船縁から水面を見ていたミリーが恐ろしい事を言いだした。
「あのね、さっきね、船の下をおっきな影が通り過ぎたのが見えたの。横幅がこの船よりもおっきかったんよ」
「!!!」
一瞬でみんなの表情が固まったのがわかった。
いけない。ミリーは夢を見ていたに違いない。そうさ、そうでなくてはいけない。そんな飛常識な事などあってはいけないのだ。そうよね、アド?
一時的に言葉を発する事が出来なくなったあたしは、否定してもらおうとアドにアイコンタクトをとろうとした・・・が。
「なるほど。なんとなくわかってきましたね、ミリーの見たものが」
「そ そんな馬鹿な事あっかよ!ここの水深を考えてみろや。仮に幅がこの船くらいあったとしても、やっこさんの体高もこの船位なきゃだめってこったろ?そんな体高の魚がよ、この浅い水の中に隠れられるわきゃあねーだろうがよ!」
ふむ・・・確かにそうだわ。横幅がそんなにあるんなら、高さだってそれなりに無きゃおかしいわね。
「おかしら?こんな非常識な土地で常識を語ってはいけませんね。見た事が無いからって、頭から居ないって決め付けてはいけませんよ?横幅が広くてぺったんこの魚・・・どこかに居ませんでした? ww」
「え? それって・・・・まさか、いや、それにしたって横幅がこの船みたいだなんて、それだけだってどう考えたってありえん。そんな与太話、認める事などできない相談だ」
「頑固やなぁ。せやかて、むっちゃうちらの親と同世代とは思えへんわ。認めへんでも、今目の前で起きとる事実は変わらへんでぇ」
ポーリンに呆れたように返されて、おかしらは うっと 一言唸ると黙り込んでしまった。
「今は、あいつの正体が何であるかはどうでも宜しい事です。大事なのは、あいつが次向かって来たらどうするかではないのですか?」
あまりにもど正論なアドの答えに、おやかたは撃沈したのだった。
よしっ、あたしは小さくガッツポーズをしたが、目ざとくアドに見られてしまった。
「喜んでいる場合でしょうか?今、奴がこっちに向かって来たら、姐さんが先頭切って奴に特攻をかけないといけない状況なのですよ?」
あ・・・。わすれてた・・・。
「た 戦えない、もしくは勝ち目がないのだったら・・・逃げるしか・・・ない?」
「どこへ逃げると?」
「う・・・・えーと、陸地に?」
「それではメイと一緒の考えですね。ここから岸まで、だいぶ距離がありますよね。無事、全員岸まで泳げるのでしょうか?奴に追い付かれる可能性の方が多いかと思えるのですが?それに上陸した後、どうするので?」
「そ それは・・・」
ここで、アドは大きく溜息を吐いた。
「はあぁ、まあ手が無いので、ここは大人しく奴が飽きて立ち去ってくれる事を祈るだけですね」
「ですよねぇ・・・」
「とにかく、音を立てずに静かに奴が通り過ぎるのが早いか、アンジェラさんが目を覚ますのが早いか、 どちらかを待つ以外に打つ手が無いのが現状です。どうするのかを決めるのは・・・あなたです。以上」
それだけ言うと、アドはさっさと階段を降りて行ってしまい、みんなの視線があたしに容赦なく突き刺さる地獄の時間が訪れた。
「あ そ そうね。他に手立てがないのだったら、じっと待つしかないものね。音を出さないように静かにして、奴をやり過ごしましょう。全員にその点を徹底させましょう」
あたしは、しどろもどろになりつつも、みんなにそう指示を出した時だった。
あたしの不幸体質が目を覚ましてしまった?
いや、決してあたしのせいじゃあない。うん、絶対に違う。あたしは被害者なのだ。あたしは悪く無い。悪い所があるとしたら、運 がわるいのだ。
あたしがみんなに物音を出さない様に、静かにする様にと指示をだしたとたん、そう、まさにその瞬間だった。
あたしの後ろの方で、叫び声が・・・。
「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
そして、一瞬の間をおいて
どっぽおおおぉんんんっっ!!!!
そして、誰かの叫び声が・・・。
「誰か、落ちたぞおぉぉっ!!」
静かにと言ったそばから、ちっとも守られない約束って・・・なんなの?
「なんてこった・・・」
右手で顔を覆い点を見上げるおかしら・・・。
なんてこったは、あたしのセリフだよ。
誰だい、言ったそばから指示を破るバカモンはさぁ。