159.
幕舎の外に出てみると、周囲を警戒していた兵達が一様に上空を見ながらパニックになって居た。
空に向かって槍を構える者、なにやら叫びながら走り回る者、一様にみんな顔面蒼白だった。
当然、女性たちに槍を構える者はいなかったが、甲高い悲鳴を上げて逃げ惑う者と腰を抜かして泣き叫ぶ者がほとんどだった。
目を凝らして上空を見ると、見た事のある物が視界に飛び込んで来た。
ああ、そういう事ね。あたしは今の状況に納得した。
「シャルロッテ殿!ここは危険ですっ、直ぐに安全な所に避難を・・・」
あたしの後を追って幕舎から飛び出して来たリュッケンさんも空を見上げたとたん完全にパニック状態になってしまっていた。
「まあまあ落ち着いて下さい」
アウラがリュッケンさんを落ち着かせようと声を掛けるが、なんか化け物を見るような目で見られてしまっている。まあ、無理もないが。
「な なにを落ち着いているんですかっ!?あ あれわっ、あれは、精鋭の兵士百人以上で向かわなければ対処する事ができない上に参加した兵士の半数は死傷すると言われているワイバーンですよ!?大至急全員を退避させねば!」
そう、巨大なワイバーンが三匹、我が物顔で夜空に舞っていたので、恐怖におののくのも無理はないだろう。
魚の燻製の臭いに引き寄せられて、山賊のアジトに集まったワイバーンの一部が焚火の炎に誘われてやって来たのだろう。
「シャルロッテ殿っ!急いで避難をっ!!」
あまりの必死さに、可笑しくなったのは内緒だ。
「大丈夫ですよ。ワイバーンごとき、お嬢の敵ではありません。リュッケン殿は女性達を焚火から離れた所に集めてくださいな。後はお嬢が対処しますので」
「対処って・・・あれは人間が一人でどうにかなるものでは・・・」
「大丈夫ですよ、あたし、人間だけど今までにも何匹も始末して来ましたから。ヤマザルの力を信じなさいってww」
あたしはそう言うと、後をアウラに任せて焚火の方に走り出した。
背中でガチャガチャと音をたてている我が愛刀が心強かった。
「みんなー、ここから離れて暗闇の方に避難してちょうだーい。急いでぇ!」
悲鳴をあげながら逃げ惑う女性達を尻目にあたしは上空を睨みながら、背中の剣をすらりと抜き去った。
我が愛刀に寄せる信頼のせいか、まったく恐怖はなかった。むしろ早くかかって来いという気持ちの方が強かった。
焚火の脇で仁王立ちするあたしの姿は、上空からはいい目標だろう。
奴らはだいぶ低く迄降りて来てあたしの上をぐるぐると旋回しだした。
周囲を見ると、避難民の女性達は無事避難出来たみたいで、焚火の周りにはあたし一人だけになった。
よし、いつでもいいぞ。と思っていると、ポーリンの声がかかった。
「姐さんっ、後ろやっ!!」
なにっ!?生意気に死角を突いて来たかっ!
サッと振り返ると、一匹のワイバーンが翼を大きく開いて一気に降下してくるのが視界に入った。周囲からは悲鳴のような悲鳴が聞こえてきたが、あたしはひるまない。
「こしゃくなっ!!」
あたしは、右足を後ろに引くと同時に剣を右脇に切っ先を下げて構えた。上半身は斜め右を向いて居る。
今までの経験から、上からの攻撃に備えるにはこの構えが一番しっくりくると思っている。
左側ががら空きになるが、人間相手でなければ問題はないだろう。それに、この構えの方が攻撃力を目の前の一点に集中できる気がしたのだ。上から来るワイバーンを迎え撃つには最適だと思い、この型で迎え撃った。
「いやああああぁぁぁっ!!!」
叫び声と共に目の前に迫って来るワイバーンの脚に向かって渾身の一撃をみまった。
手ごたえはそれほどなかったのだが、さっと振り返って飛び去って行くワイバーンを見ると、なにやら撒き散らしながら飛び去って行く姿が見えた。
どどーんという地響きに振り返ると、前方に巨大なワイバーンの脚が二本、落ちて来ていた。
周囲からの歓声に再び振り返ると、先程のワイバーンが旋回して戻って・・・こようとしたその瞬間、ぐらりと姿勢を崩すと、そのまま間真っ直ぐに降下を始め森の中に墜落して行った。
再び周囲からは大歓声が上がったのだが、喜んでいる暇はなかった。
もう一匹のワイバーンが両足の指を開いたまま暖降下して来たのだ。あたしを目指して。
懲りない奴だ。あたしは再び脇に剣を構えると奴を待った。
だが、何故か後少しって所で急上昇して行ったのだった。ん?なんだ?どうした?と飛び去って行くその姿を見ていると再びポーリンに怒鳴られた。
「姐さーん、後ろやてぇぇぇ!!」
反射的に剣を構えたまま振り向くと、上空から翼を閉じてまるで一本の槍のように頭から一直線に高速で突っ込んでくる一匹のワイバーンの事が視界に入った。
「そう来たかあぁぁっ!!」
あたしはぐっと腰を落とし、急降下してくるワイバーンにタイミングを合わせた。
そして、地面すれすれにまで下げた剣を真上に一気に振り上げた。そう、格好良く振り上げたつもりだったんだけど・・・。
詰めが甘いと言われるあたしだけの事はあって、やはり詰めが甘かった。
格好良くワイバーンを下から斬りつけたところまでは良かった。
あたしの愛剣は見事な切れ味でワイバーンの頭部を一刀両断した。
だけど、あたしは失念していたんだ。頭を斬り落としても急速降下してくる胴体の速度は変わらないという事を・・・。
斬り飛ばした頭部は、くるくると宙を舞って飛んで行った。問題はその後だった。
頭を失った胴体が、降下速度そのままにあたしに向かって突っ込んできたのだ。
剣を最上段に振り上げきった無防備な状態で、大質量の体当たりをまともに受けてしまったのだ、耐えられる訳も無かった。
気が付いた時には、あたしはくるくると回転しながら空中にあった。
どう飛ばされたのかはわからない。でも、あたしの眼下には小さくなっていく焚火が見え隠れていたのを覚えていた。
次の瞬間、あたしは水の中だった。
運よくすぐ脇を流れていた例の海水の川に頭から飛び込んでしまっていたのだ。ほんとうにラッキーだった。その時はそう思った。
水の中でくるくると何回も回転しながらも、必死で足掻きなんとか水面に顔を出した時、あたしは足に鋭い痛みを感じた。
それも一か所で無く何か所も。ワイバーンと戦った際、あちこちぶつけたのかとも思ったのだが、痛いだけでなくなにやら足が重たい。
「なんだあぁ?」と足を水面近くまで上げて見てギョッとした。あたしの足にこぶし大の色鮮やかな魚が何匹も喰らい付いて居たのだ。
あたしは無我夢中で剣を振るい、その魚たちを薙ぎ払った。
驚いた事に、その魚たちは剣で体が真っ二つにされて頭部だけになってもなお鋭い牙で足に喰らい付いたままだった。
良く見ると、その魚たちの口には鋭い牙が無数に生えており、頭だけになってもなおしっかりと足に噛みついたままだったのには驚いた。
だが、驚いても居られなかった。足に喰らい付いて来る魚の数はどんどん増えてきているのだ、あたしは重たくなった足をばたつかせ必死で岸を目指した。
両足に無数の魚に喰らい付かれ、次第に泳ぐというより溺れている感じになってきた頃、ふいに声が降って来た。
「姐さん、そんな所でなにをされているので?」
足元にまとわりつく凶暴な魚たちに気を取られて居て、上空にまで気が回らなかったのか、接近して来た船にまったく気が付かなかった。声の主はアドだった。
器用にもあたしの上空数メートルの地点をキープさせているアンジェラさんの技量の上達に舌を巻きながらも、投げられてきたロープに必死にしがみついたあたしは、自力ではよじ登れずにみんなに引き上げて貰う事となった。
甲板上によじ登ったあたしを見たみんなの目は・・・うん、そうだよね。そうなるよね、みんな点になっていた。
血まみれのあたしの足からは無数のなにやら派手な色彩の魚の頭の部分が生えていたんだからね。無理も無い。
その後、みんなに手伝って貰って苦労しながら魚の頭を外していったが、これがまた大変だった。
もうすでに死んで頭だけしかないはずなのに、そのびっしりと生えている細かい歯でガッツリと喰らい付いたままだったのだ。なんて強い顎の力なんだ。
痛くてしかたがないので、みんなに手伝ってもらいながらひたすら外しているとアドが上から見下ろすように報告をしてきた。
あたしゃあ足が痛くてそれどころじゃあないの見たらわかるよね。無理かぁ。
・・・・・・・無理でした。
「連れ攫われた女性たちの無事奪還、お疲れ様でした。姐さんならやり遂げると信じていました。彼女たちの今後の事は、王国から来た兵士たちにお願いしてきましたので心配はないでしょう」
「はぁ」
「山賊の方も蛮族の大活躍のおかげで、もう陥落するのも時間の問題でしょう。先ほど最後の砦が突破されまして、現在蛮族の集団が雪崩れ込んでいる最中です」
「はぁ」
うまくいっているんなら、何も今報告でなくても良くない?
こっちはさぁ あ゛!!
「痛い!痛いっ!!もっと優しくやってええぇぇぇぇっ!!!」
ああ、痛みと恐怖で冷や汗が出てきたわよぉ。
「それでですね」
アドの攻撃?はまだまだ止まらなかった。
「凄い魚ですね。わたしも見たのは初めてなんですが、恐らく古代の書物に記載のあるゴライアス=マンイーターではないかと思われますね。ただ、文献では淡水性で一メートルは超えるとありましたが、こいつはまだまだ大きくなるのでしょうか?怖いですねぇ」
「それで・・・はどうなったの?」
「ああ、そうそう、それでですね。残る脅威は蛮族のみになりますので、我々はもうここを離れても良いかと思います。ただ、食料が心許ないので、手の空いた者にワイバーンの肉で干し肉を造ってもらっていますので、それが出来次第出発されるのがよろしいかと」
「そうなのね、わかったわ。準備が出来次第出発するとしましょう。で?今この船はどこに向かっているの?」
あたしを引き上げた後、どこかに向かって居るであろう事はなんとなく感じてはいたが、行き先を聞いて居なかった事に気が付いたのだった。
「あの焚火をしてらした場所から少し上流に登った所に池がありましたので飲料水の確保を兼ねまして向かっています」
「うん、そうなのね、わかったわ。後の指揮はアドに任せるわ。あたしは少し休む事にする」
足に喰らい付いていた不気味な魚は全部取り外され、あたしのそんなに細くも無く長くも無い足は包帯でグルグル巻きにされていて歩くのにも難儀しそうだったので、このまま甲板でまどろむ事にした。
「ねえねえ、クレアちゃん、姐さんの包帯まみれの足、真っ白でさ・・・ダイコンみたいねぇww」
・・・・・!!悪気はないんだろうけどさあ、ミリーの思った事をすぐに口に出してしまう性格、なんとかならないもんかなぁ。
「こらっ、ミリー!そないな事は思 てもええけど、口には出さへんもんやで。気い付けや」
「はぁ~い」
をいをい、ポーリンさんよ、フォローになってないよお。
本当にみんなあたしの事なんだとおもってるのかしら。
そういえば、一匹残ったワイバーンは無理をせずに山に帰っていったらしい。どうやら頭のいい奴だったらしい。
命拾いしたな、うんうん。
「たかがワイバーン風情で姐さんに刃向うなんて、命知らずよねぇ いたああい」
頭を両手で押さえてしゃがみ込んだミリーの隣でアウラが握り拳を振り上げて立って居た。
「だからさっきも言われてたでしょ?そういう事は思っても口に出して言ったら駄目よ!みんなだって言わないで我慢しているんだから」
「おいっ!」
「そやでぇ、いくら本当の事やて言ったらあかんで。気ぃつけやぁ」
「おいっ!」