158.
出産という生命の誕生の瞬間に立ち会ったのは、産まれて初めてだった。
お母さんのお腹から産まれて来る事は知識として知ってはいた。
でも、知っているのと実際に立ち会うのとでは天と地ほど違っていた。
何と言ったらいいのだろう、言葉では表せられない熱い感情が爆発するかのようにブワーっと心の中に溢れて涙が止まらなかった。
そして、この新しい命はこの身を挺してでも守らなければと言う思いで心が一杯になった。こんな感情は初めてだった。
そんな時だった、暗闇から敵兵が大挙して現れたのは。
守らなければ、何が何でも生れ出た小さな命を守らなければ、そんな感情に支配されたあたしは、気が付いたら剣を振りかぶったまま目の前の敵に向かってしゃにむに突っ込んでいた。
「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ!」まさに、そんな気持ちだった。(何を言っているのかちょっとわからなかったのだが)
冷静に考えれば、圧倒的に不利、と言うか絶望的な状況だったのだが、そんな事を考えるゆとりは無かった・・・と思う。
突っ込んだ後の事など考えていなかった。ただ、ひたすらに小さな命を守らなければ・・・そんな気持ちだけで動いていた。
だから、いつも考え無しだってお頭に言われるんだな。
でも、これがあたしなんだから仕方が無い。これで今までやって来たんだから。
とにかく、今は一人でも多くの敵兵をなぎ倒して・・・後の事は・・・後で考えればいい!
そんな考え無しで無鉄砲なあたしだったのだが、今回に限ってはいつもとは様相が違って居た。
気まぐれな女神様が、こちらに振り向いて微笑んでくれたと言ったらいいのだろうか。
突然正面の敵兵が立ち止まり叫び出した。両手を横に何度も振りながら。
「ちょっ!!待った!待った!待ってくださーいっ!!」
今まさに斬りかかろうとしているその瞬間に待ったは無いだろう。だが、反射的にあたしも立ち止まってしまった。
なんなんだ?いったい。
次に敵兵の放った言葉で状況が一転する事になった。
「もしや、もしや、あなた様は、ヤマザル いえっ、元侯爵家のシャルロッテ殿ではありませんかっ!!」
一瞬、あたしはその言葉の意味が理解できずに立ちすくんでしまった。
な なにを言ってるの?元侯爵家?え?え?
その敵兵の指揮官とおぼしき男は両腕をだらんと下げた状態でさらに続けた。
「小官は、大陸消失前はお父上の元で聖騎士団の中隊長をしておりましたリュッケンであります。現在はリンクシュタット王国におきまして、第二武装強行偵察部隊の指揮官をしております。階級は少佐であります」
あたしは、口をぽかーんと開けたまま呆然としていた。頭の中が完全にフリーズしてしまっていたのだ。
「姐さん、姐さん」
駆け寄って来たポーリンに腕を掴まれハッと正気に戻った。
「ええっと、聞きたい事はたくさんあるんだけど、取り敢えずは敵ではないのね?」
この事の確認は一番大事な事だった。
「はい、もちろんです。ご安心下さい。おいっ!」
そう叫ぶと、彼の配下の兵達は森と女性達の間へと展開していった。
「周囲の警戒と護衛はお任せ下さい。みな手練れ揃いですので」
あたしは、焚火の炎に照らし出されたリュッケンさんの部下がテキパキと動くのを呆然と見ていたのだが、突如夜空に響き渡った産声に思考が中断された。
「ああ、無事産まれたんだ。良かった」
自然と涙が流れてくるのが恥ずかしくて、慌てて袖で涙を拭っていた。
「大変でしたね。もう安全ですので状況の説明をお願いしても?」
リュッケンさんが優しい口調で聞いてくれたので、あたしも次第に冷静になりつつあった。
リュッケンさんの部下が臨時の幕舎を設営してくれたので、あたしとアウラはそこで状況の説明をする事になった。
「今、配下の五十名が周囲を守っておりますので安心なさってください。更に増援も要請しました。その際、妊婦さんや出産後の方。歩けない方の為に大型の馬車も手配済みです。到着次第王国に送り届けます」
出して貰った暖かいお茶を飲みながらリュッケンさんの説明を聞いて居ると、アウラがおもむろに話し始めた。
「色々なご手配感謝致します。我々は、新大陸の東部におられると思われるマイヤー様の元へ向かう途中だったのです」
「おおっ、マイヤー様はご健在なのですね?わたくし共も心配ではあったのですが、領民の生活を守る事で手一杯でして・・・国王様もお聞きになったらさぞやお喜びになる事でしょう。それであなた様は?」
「申し遅れました。わたしは旧大陸からシャルロッテ殿のお供をしておりますアウラと申します。下賤の平民ではありますが、貴族様に直接話をする事、お許し下さい」
そう言うと、立ち上がったアウラは深々と頭を下げた。
「まあまあまあ、頭を上げて下さい。今までシャルロッテ殿の面倒を見て頂けていたのですね、それはそれはご苦労をなさったことでしょう。本当にありがとうございました。ここでは身分の事は忘れて自由に発言なさってください」
をいをい、どういう意味だ?
「いえいえ、もう慣れましたし、ほほほほ」
おいっ!
「それで、状況説明の前に一つ確認しておきたいのですが、シャルロッテ殿は小官よりも六つほど年下のはずでしたが、なぜにあの頃のままなのでしょう?女性の年齢の話しはタブーである事は承知の上でお聞きしたいのですが、本当ならもう六十過ぎなのでは?なぜ、あの当時のままなのでしょうか?」
ああ、そこからの話しになるのか。そうだよね、転移門を使った人は過去に飛ばされたって実感は無いはずだもんね。不思議なのは当然か。
そうよね、六つほどの歳の差の妹的な存在だったのが、いきなりおじいちゃんと孫の年齢差だもんね、そりゃあ不思議よね。
それから時間を掛け、現在の状況をかいつまんで説明した。当然、弁が立つアウラがね。
「そ そんな事になっていたとは、五十年も・・・・」
リュッケンさんは、呆然自失といった感じだった。
「エレノア様もアナ様もご健在であらせられたというニュースは、きっと国民も喜ぶでしょう。本当に良かった」
心底嬉しかったのだろう、目に涙を浮かべている。背後に控えている護衛の兵士達からも「おおー」と声が漏れている。
でも、状況を知りたいのはあたし達も同じだ。
「それで、あたしも質問して良いかしら?」
「あ ええ ええ もちろんで御座います」
「あなた達はどうしてここに居たの?こんなに大勢」
「はい、カーン伯爵の残党、私どもは『山賊』と称しておりますが、彼らから日常的に攻撃を受けております。残念な事に毎回多くの女性や大量の食料を奪われてしまっておりました。その対応策としまして奴らが山を降りるのをいち早く察知してその動きに備える為、常に我々のような武装強行偵察部隊をいくつも配置して奴らの動きに備えているのです」
「奴らが自由に略奪出来ているのは何故ですか?王国にも軍隊は存在するのでしょう?」
お?なんかいけない事聞いちゃった?表情が曇った感じがするんだけど。
「山賊どもは、ほぼ全員が軍隊経験者なのに対して、王国の人口は一般市民が大半で戦力になる軍隊経験者は圧倒的に少ないのです。転移後、領民達はこの広大な大地に散らばってしまい思い思いの場所で集落を形成してしまいました。国として領民を守らなくてはなりません、ですがあまりにも国境線が広がってしまったので、少ない軍隊をまんべんなく配置するとどうしても防衛線が薄くなってしまったのです」
「その薄くなった所を山賊に襲われた と」
それまで難しい顔をして黙って聞いていたアウラが話に入って来た。
「お恥ずかしい話しなのですが、まさにその通りなのです。どうしても戦いになる場所は、襲う側が決めるのでこちらは毎回毎回後手後手になってしまい、結果的に簒奪を許す事になってそまっております」
「それで、自由に動ける武装強行偵察部隊を配置して襲撃に備えている訳なのですね」
「はい、その通りです」
「ひとつ疑問があるのですが?」
「なんでしょうか?」
「そんなに広範囲に領民が広がる前に、王国として統制する事が出来なかったのですか?」
ん?アウラの質問はごく当たり前の内容だと思うのだけど、なんだろうリュッケンさんは下を向き目をつぶってしまった。握りしめた両手がぶるぶると小刻みに震えているのも気になる。
「どうやら言い難い事なのですね、おそらく王室もしくは議会がなんらかの事情で機能しなくなったのでしょうかね」
その瞬間、リュッケンさんはビクっと身体を震わせ、ゆっくりと顔を上げ、意を決したように話し始めた。
「お察しの通りです。転移の当時、王国は完全に瓦解しておりまして、王宮どころか王都すらありませんでした。王族の方々も貴族の方々もみな臨時に設営された幕舎暮らしをしていました。そんな中最初に立ち直ったのは、金を持った一部の貴族達でした。多くの使用人と建築資材を持ち込んでいたので、思い思いの場所で屋敷を建築し始めたのでした」
「王宮を再建する方が優先なのでは?」
さすがのアウラも驚きが隠せない感じだった。あたしも驚いたよ。
「そうなのですが、貴族達はまずは自分優先だったのです。競うように屋敷を造成すると屋敷を自前の兵で囲い要塞化としました。そして、次にした事は王族の囲い込み・・・と言ったら聞こえはいいのですがあ、実際には王族の奪い合いだったのです」
「・・・!!」
あまりの驚愕の事実に、一瞬事何を言っているのか理解が追い付かなかったが
「宰相達は何をしていたの?そんな無法な行いを黙って見ていたっていうの?」
あたしは思わず立ち上がってテーブルを叩きながら叫んでしまった。
だが、リュッケンさんは悲しそうな眼をしていた。
「宰相様を始め、王族を御守りしていた一部の真っ当な貴族は・・・みな粛清されてしまい、王族の方々は連れ去られてしまったそうです。小官はまだ若造でしたので何も出来なくて悔しい限りでした」
「それで?それで、王族の方々は?父様達は?」
「はい、貴族達は連日王族を巡り戦いの日々でした。そりゃあ気合も入るっていうものですよ、王族を押さえておけば自分が宰相になれるのですから」
「なんて醜い・・・」
「次第に生き残った貴族の数も減って行き、最後に王族を抱えていたフェーレン伯爵は王族を連れて逃げ出したと聞き及んでおります」
「逃げ出したぁ!?」
「ええ、小官も現場に居た訳ではないので聞き及んだ話しなのですが、そうらしいです。その後追撃をかけた複数の貴族達と死闘を繰り広げたそうなのですが、そこから一切消息を絶ってしまったそうなのです。追われた方も追った方も・・・です」
「そうなんだ・・・それで父様は?」
「はい、お父上様は聖騎士団を連れラング様と共に領民がどこまで広がってしまったのか、視察の為辺境にまで足を運んでおられましたので、そんな争いには巻き込まれないで済んだのです」
「はあぁぁ、良かった」
あたしは、心からの安堵のため息を漏らしてしまったが、話しはまだ続いた。
「その後、お戻りになられたお父上様は、周囲の勧めもあって新生王国の初代国王となられたのです。その際、それまであった身分制度を無くし領民はみな平等となされました。それからは一日も早く国内を安定させて領民に落ち着いた生活を送る事が出来るようにと寝る間も惜しんで王国設立に尽力なされ三十余年を掛けて現在の王国の基礎を造られたのです。ですが、その時の貴族同士の争いで多くの兵士が失われ、その影響で現在も戦力が足りないのです」
「父様、頑張ったんだ、良かった」
知らず知らず涙が頬を伝ってテーブルに落ちたが、袖で拭うとリュッケンさんに向き直った。
「父様、いえ国王様にはシャルロッテは元気でいますと伝えて頂戴」
あたしは、頑張って明るく言ったつもりだったのだけど、リュッケンさんの表情がまたもや曇ってしまった。
「初代国王様は長く続いた無理がたたり四年前にご逝去され、現在は長男のラング様が二代目国王として政務を執り行っております」
「・・・・・!! 父様が・・・そう、わかったわ。報告ありがとう」
あたしは、深々と頭を下げた。
「あ シャルロッテ殿頭を上げて下さい。畏れ多いです」
面白いくらい慌てているその姿に思わず笑いがこぼれてしまった。
「身分制度は無くなったのでしょ?みんな平民、一緒よww」
「お おそれいります」
和やかな雰囲気になった所でアウラが口を開いた。
「それで、山賊の様子を探っていたら、妙な動きが見られたので状況を確認する為に出張って来た・・・で宜しいのでしょうか?」
「あ、そうです。山の方が妙に騒がしいと見張りからの報告があり前進して来たのですが、遠くから焚火のようなものが見え、罠かと訝しんでおりましたら赤ん坊の泣き声がするではないですか。訳がわからないのでもう少し接近して見ようって事になって前進していたら、シャルロッテ殿が突っ込んでこられたのです。いやあびっくりしましたよ、最後に見たままのお姿でしたので」
「あははは、そうよね、驚くわよね。でも、五十年ぶりなのに良く分ったわね?」
「そりゃあ、団長の邸宅で山猿のように駆け巡っておられたのをいつも見ていましたからねぇww あ、いけね」
「山猿はひどいじゃない?ぷー」
あたし達のじゃれ合いには参加せず、アウラは淡々と話し始めた。
「我々は、マイヤー様と合流する為に北上しておりました。その途中で山賊達のアジトに女性が大勢囚われている話を聞き開放すべくアジトに強襲をかけて囚われの女性達を助け出してここまで逃げて来た所でした。迎えに来て頂き本当に助かりました。この後の事はお任せしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、ええ、もちろんです。後の事はこちらにお任せ頂きたい。それにしても、我々では手が出せなかった山賊のアジトからこれだけの女性を救い出すとは驚きです。いったい何万の兵を動員されたのでしょうか?やはりアナ様の兵をお借りなされたのでしょうか?」
「んー、二十人位かなぁ?アナ様からは三人借りたわ」
あたしがそう答えると、リュッケンさんの目が点になった。口もポカンと開いたままだ。
「ま・・・」
「ま?」
「まさ か、そんな少数で?」
「そのまさか よ。こっちにはムスケルさんもいるしねww」
「ムスケル?ムスケルって、あの『うさぎの手』のムスケルなんてことは・・・」
「そうよ、絶望のムスケルだっけ?」
「盗賊がなんで・・・」
「今は盗賊は休業中よ。あたしの力になってくれてるのよ」
「ううむ、今日は驚く事ばかりだ」
腕組みをしたまま固まってしまったリュッケンさんだったが、気を取り直したのか急に顔を上げた。
「ところで、シャルロッテ殿、山の方が依然騒がしいのですが山賊の方は今どうなっているのでしょうか?迎え撃つ用意はしなくても?」
ひとしきり話し終えたリュッケンさんは、山にある山賊のアジトの事を思い出したらしい。
あたしは思わずアウラと顔を見合わせて、クスっと笑ってしまった。
「シャルロッテ 殿?」
「ああ、ごめんなさい。山賊 ね。今、蛮族の襲撃を受けて激戦中だと思うわ」
「おおっ、それでは、じきにこちら側に逃げ出して来るのでは? って言うか、蛮族とはあの蛮族の事で?」
ああ、そうね、あいつらがこの大陸にまで進出しているとは普通思わないわよね。
「ええ、あの蛮族よ。どうやって辿り着いたのかはわからないけど、住み着いているのよ、あの山の向こう側にね。きっとマイヤー兄様も苦労しているだろうから、これから支援に行く所だったのよ」
「そうだったのですね。して、蛮族の数はどれほど居るのでしょう?」
アウラを見ると、彼女も首を傾げている。そりゃあそうだ、あたし達だって奴らの数は把握していないのだから。
「残念ながらあたし達も蛮族の勢力は把握していないのです。ですが、あの物凄い繁殖力ですから、山の東側には相当数が居るのは確実でしょう」
聞いた瞬間リュッケンさんの顔色は真っ青になっていた。
「た 大変だ、万が一そんなのがこっちに雪崩れ込んできたら、我々の戦力では防ぎきれません。いったいどうしたら・・・」
「そうですね、今までは山賊連中が奴らと対峙していたからこっちにはこなかったんでしょうけど、今は山賊も蛮族との戦いで消耗しているでしょうから、蛮族が雪崩れ込んで来るのも、有り得ない事ではないでしょうね」
アウラさん?それってあたし達が山賊を減らしたせいで、王国が蛮族の脅威に晒されているって言っているようなものでは?
もしかして、余計な事をしてしまったって事?でも、でも、囚われになっていた女性達を救い出すのも大事な事だし・・・ええ、どうしよう。どうしよう、アウラ。
リュッケンさんの部下が幕舎の外で騒ぎ出したのは、アウラに話し掛けようとした時だった。
「空から何か来ますーっ!」
「なにか巨大な物が空から迫って来ますーっ!」