153.
あーあ、ポーリンはっちゃけちゃってるわ。
暗くて良く分らないんだけど、なんか叫びながら走り回っているわあ。楽しくてしょうがないのかしら。
あたしは呆然とその姿を見つめるばかりだったのだが、そこに油断があったのだろう。いや、完全に油断していた。
暗闇から突然矢が飛んで来て、足元の地面にポスっと刺さった。
いっけねぇ、いつの間にか接近されちゃったよ。やばいやばい。呆然と立ち尽くして居たのがいけなかったんだな。
あたしは、姿勢を低くして草むらの中に後退した。
だが、姿を隠したはずなんだが、確実に包囲されつつある感じがする。矢による攻撃は無くなったのは助かるんだけど、良くこんな夜間にあたしの事追えるなぁと感心してしまった。
そういえば、アドが奴らは我々よりも鼻が利くって言ってたなぁ。もしかして、あたしの臭いを追って来たとか?
わあぁ、なんか変質者みたいで気持ち悪いわぁ。
とにかく、接近して来る奴にだけ致命傷にならない程度に剣を振るいつつ、姿勢を低くしたまま後方に下がって行った。
ポーリンは相変わらず派手に暴れ回って居るようだった。お頭の方も元気に暴れているようで、その賑やかな様子から楽しんでやっているであろう事が窺い知れる。
みんな頑張ってるわね。深入りしても面倒だから、ここが引き際かな。
とは思うんだけどなぁ、どうせみんな引いてはくれないわよねぇ。どうしよう。
「そんなの構わないで引けば宜しいんですよ」
ぎくうううっ!!!
あたしは心臓が止まるんじゃあないかと思った。いや、確実に一瞬止まっていた。天国の扉、見えていた気がする。
「あ あんた、いつの間に・・・」
あたしの後ろにはニコニコと微笑むアウラがしゃがんで居たのだった。
なんで、みんなしてこうも簡単にあたしの後ろをとれるのぉ?
「それはお嬢が隙だらけだからですよ。なんてことは思っても言いませんがね」
「言ってるじゃないのよ、しっかりと」
「そんな事よりも、今は引き時ですよ。もうすぐここは蛮族で溢れ返るはずですから」
「えっ?それってどういう・・・ふんっ」
話の最中でもお構いなしに槍が伸びて来るので、それを掃いながら話を続けるのだから、鬱陶しい事おびただしい。
「もう、既に第二弾の作戦が発動しておりまして・・・」
「第二弾?じゃあ、あたし達がやっているこれはいったい何?」
「まぁ、ありていに言えば・・・おとり・・・ですかね。ははは」
なんか、物凄い事をさらっと言うアウラに、あたしの思考は追い付いていけなかったが、辛うじて一言だけ発した。
「おとりって・・・・・・・なに?」
思考が半分停止しかかっているあたしには、それだけ聞くのが精一杯だった。
そんなあたしの事に気が付いたのか、いないのか、アウラは淡々と話し始めた。
「ええとですね、お嬢達が出発されてから少しして、アドさんがふと言い出したんですよ。もっと簡単でいい方法があるって。」
「いい方法?簡単?」
「はい、船で直接奴らの立て籠もっている山まで飛んで行き、山頂に肉をばらまいてくれば良いって」
「ええーっ!?直接乗り込むって事?敵のアジトに?それって、危険なんじゃ・・・」
「それが、アドさんが言うにはそうでもないみたいでして。船の護りは完璧なので心配はないそうです」
「でも、こんな夜間に山の頂上に接近するなんて危ないじゃない。山肌にぶつかったらどうするのよ」
「アンジェラさんも微妙な操船を安心して任せられるくらい操船が上達したので、大丈夫だそうですよ」
「でもさぁ、そんな山頂に肉をばらまいても、草原の奴らまで匂いが届くの?それに肉に気が付いた山に籠っている方の奴らに食べられちゃったら、癪じゃない」
「その点も大丈夫だそうです。実は、あの巨大魚の肝は物凄く匂いが強烈なんだそうでして、食べようにも苦くて食べられないとか。その肝を山頂に投げつけてやるんだそうです。そんな物なら惜しくないでしょ?」
「うううう、確かにそう言われればそうかもなんだけど・・・」
「あの巨大魚を解体する時に、何かに使えるかもって、アドさんが確保しておいたんだそうです。あの歳でなかなか先見の明がありますよね」
「そうなんだけど、だったら一言言ってくれればこんな無駄な事しないで済んだのに・・・」
「彼女が思いついた時には、もうお嬢達は出発した後でした。お嬢達は大丈夫だから無理して呼び戻さなくても良いと言っていました。信頼されているのですね」
うーん、何を聞いても言い淀む事もなくするすると返事が返って来る。それはそれで、何か向こうの手の上で転がされている感じがして悶々とするのだけど。
彼女が言うには、今頃我々の船はアドの指揮で例の伯爵の残党の立て籠もる山の山頂に巨大魚の内臓をプレゼントしに向かって居るらしい。
あの慎重なアドがなんで突然こんなに積極的になったの?
四方から突き出される槍を無意識にいなしながらそんな事を考えていたんだけど、段々と鬱陶しくなってきた。
「なに?なんか蛮族の数が増えてきてない?」
あらためて四方を見回すと、いつの間にかお頭達の居る場所があたしよりも後方になっていた。
「えっ?他のみんなは?」
なんてことはなかった。みんなお頭に合わせて後方に下がっているではないか。
「えっ?どういう事?ポーリンは?」
勢いよく突出していたポーリンもいつのまにか後方で戦っている。
これって・・・・。
「今、お嬢が最前線なんですよ。急いで下がりませんと、孤立してしまいますが?」
「んが。なんて冷たい奴らなんだ、か弱い乙女を残してさっさと後退するなんて・・・」
「えっ?かよわい?」
「なによお、そうでしょうが」
そう話している間にも、次々と突き出されてくる槍の数が増えて来る。
「何を言っておられるのかちょっと分りませんが、皆さんはお嬢の事を信頼されているのだと思いますよ。さあ、引きますよ」
そう言うと、アウラは後ずさりを始めた。
不思議な事に、誰もアウラを狙っていない?みんなあたしに向かって来ているって・・どうして?どういう事?
あたし、なんかこいつらの恨みでも買っているっているの?
「お嬢、行きますよ」
そう言うと、アウラはさっと後ろに振り返ると走り出した。
「あ!待ってよおおぉ」
あたしもアウラを追って走り出したかったんだけど・・・。
「ああっ、邪魔っ!!」ちっこい蛮族が前方を覆いつくしていて、なかなか前に進めない。
不思議な事にこれだけ囲まれて四方からの槍の攻撃を受けているんだけど、大きな痛手は受けていない。
あたし・・・運がいい?
「違いますよ。良く見てくださいよ、みんな自滅しているんですよ」
いつの間にか戻って来てくれたアウラがそう説明してくれた。
「どういう事?」
「お嬢に刃を向けると、不思議な事にみんな不幸になるって言えばいいんですかね?」
「なんなの?なんなの?なんか、あたしが疫病神だって言われているみたいに聞こえるんだけれど?」
「そうは申してはおりませんが・・・」
「そう思っているんでしょう?」
「そんな。そんな事は思っても言いませんよって」
「思ってるんじゃないのよ!」
「まあ、いいじゃないですか、そんな事。それよりも、連中の意識が山の方に向きだしたみたいですよ?アドさんの方は上手くいったのではないでしょうかね」
そう言われて、周りを見ると、なにやら山の方を指差して喚いて居る奴がいる。こいつら言葉を持っていたんだ。
騒ぐたびに、連中の中の動揺が広がっているようにも見える。
何人かが山に向かって走り出したなと思っていると、次第にその数が増えて行って、いつの間にか大きな流れになって行った。
もう、あたしの事など誰も見向きもし無くなって、みんな我先にと山に向かって走り出している。
あたしは、呆然とその成り行きを見ていたが、ふと人の気配に振り返ると、そこにはアウラだけでなく、お頭やポーリンをはじめとした攪乱に出たみんなが集まって来ていた。
みんな大した怪我も無くて大したものだと安心したのだけど、発した言葉が良くない。
「疫病神伝説は本当だったんだな。はっはっはっ」
なんなの、それ。あたしは少しむっとしたんだけど、誰もそんな事は気にしていないようだった。
お頭はさらに続ける。
「まさに地獄の悪魔に守られていると言われているだけはあるわな。はっはっはっ」
なにが、はっはっはっよ。
「誰が地獄の悪魔に守られているってぇ?」
あたしは、思いっ切りお頭をにらんでやった。無駄だとは思ったんだけどねぇ。
思った通り無駄だった。あたしの心の方が先に折れちゃった。
「お前、自覚ねーんか?今戦ってて何もわかんなかったんか?。お前に向かって行った奴はよ、みんな自滅してただろうが」
「ああー、そうでしたね。大半の奴らは後ろから仲間に刺されたり蹴倒されてましたね」
アウラさん、そんなにじっくり見ていたんだったら助けてよぉ。
「兄貴、本当に居るんだなぁ、疫病神って・・・」
聞こえてるよ、ボッシュさん。そういうのは聞こえないように言った方がいいわよ。
「姐さん、疫病神やって事、ばれちゃったねぇ」
「誰が疫病神やねん!」
ポーリンまで変な事をいいだす始末。誰がそんな変な変な変な噂を撒き散らしてるんだか。失礼極まりないよ。
「お嬢、船もそろそろ戻って来る頃でしょうから私達も戻りましょう。連中は完全に山の臭いに気が付いたみたいですね、作戦成功です。後は、つぶし合いをするのを待つだけです」
アウラの言う通りだと思う。もうあたし達に出来る事はないから、ここは戻る一手だろう。
「うん、分った。引き上げようね」
こうして、あたし達は船が戻って来るであろう池に引き返して行った。