148.
夜が明けて船はいつもの通り北に向かい、重たいその船体を震わす様にゆっくりと夜明けの空に飛び立った。
あたしは飛び立ってからも、剣の収納の特訓をさせられ・・・でなく、していた。
どうも、これが上手くいかない。クレアがやるときちんと柄から出て来るので直ぐに剣を抜いて斬りかかる事が出来るのだが、あたしがやると鞘から出て来たり、いきなり刃がむき身で出てきたりして安定しない。
もし、咄嗟の時に刃が出て来たら危ない事この上ない。大怪我してしまうじゃないか。
クレアは簡単にやって見せるのに、あたしがやると三回に一回くらいしか上手くいかない。あたしの剣のはずなのになぁ。
上手く行かなくてあくせくしているあたしを見ているアドの視線が・・・痛かった。
何だこいつって、使えねーなーって、感じありありの視線でひとしきり眺めたのち、興味無くなったとばかりに船内に入って行った。
はあーっ、なんでこんなんばかりなんだ。屋敷に居た頃は良かったなぁ。これでもお嬢様だったのになぁ。
あたしは盛大にため息を吐いてしまった。
そんなあたしの悩みなど知らないかのように、お頭が巨大な独り言を言い始めた。
「しかしよお、何で希少種であるワイバーンがこんなに集まって来たんだ?なぁ、何でだ?」
独り言を言うだけならまだいい、何であたしの方を見ながらこれ見よがしに言うのよ。失礼しちゃうわ。
「知らないわよ!そんなの知る訳ないでしょ」
あたしはお頭を放置して舳先の方に歩き出した。
どうせ、退屈しのぎにあたしをからかってるだけなんだから、いちいち相手してられないわ。早くこの剣の収納をマスターしなくちゃならないんだからね。
右手の袖を見ると、剣の切っ先がきらりと鋭く光って自己主張をしていた。
その日は、朝飛び立ってから一日順調に飛行を重ねた。
全体的には平和で問題の無い一日だったのだが、あたし個人の事で言うと問題しかなかった。
剣の収納が全然上手くいかなかったのだ。成功の確率は相変わらず調子の良い時でも三回に一回がせいぜいだった。
まったく上達しないので、精神的に折れてしまい、剣を甲板上に投げ出したまま突っ伏してしまった。
するとポーリン達がやって来て、恐る恐る話し掛けて来た。
「姐さん、うちらも試してみてもええんか?」
あたしがこんなに悪戦苦闘しているのに、自分は出来ると思ってるの?怖いもの知らずよねぇ。
「いいよ、怪我しないようにね」
どうせ出来っこないんだからと思いながら、あたしは横目でその様子を見ていた。
最初の挑戦者は自信家で怖いもの知らずのポーリンだった。
一生懸命に剣を鞘の方から袖に突っ込んでいたのだったが、ある程度まで差し込んだ所でにっちもさっちも行かなくなっていた。
鞘が彼女の肩の所まで入った所で、それ以上は入らなくなっていた。そりゃあそうだろう、どう見たって剣の方が長いんだから。
それでも、甲板に寝っ転がってまで一生懸命に剣を押し込もうとしている姿に、あたしはとうとう我慢が出来ずに吹き出してしまった。
「ぶふぁっ」
「あ、姐さんひどおい。そないに笑わなくたってええやん」
口をとんがらして抗議する姿が、これ又可愛くて吹き出してしまった。
「もおおおお」
あ、牛になったww
その後も、みんなで入れ代わり立ち代わり挑戦をしていたが、出来たのはクレアだけだった。
だったらクレアがこの剣で戦ってもいいのか?とも思ったのだが、クレアが出来るのは剣の出し入れだけで、剣術の方はさっぱりだった。
木の枝すら切れないんだから、戦力にはなれそうもなかった。
「不思議ですねぇ、お嬢とクレアにだけ反応するなんて。何か意味があるんですかね?」
本当に不思議そうにアウラが言って来るが、あたしだってそんな事知らないわよ。
まず、お頭のバカ力でも切れないって事は力で斬る訳では無いって事よね。だったら何で斬るって言うんだ?
「根性の悪さで斬るんですかねぇ?おっと、独り言が漏れました。お気になさらず」
気にするわよお。そんなにあからさまに面と向かってディスッてくるんだから。最近アドの口が悪くなってきているのって、気のせいじゃないわよね。
そんなこんなで、夕方までわきあいあいと?そんな時間は過ぎ去って行き、その日野営する沼に無事着水した。
アンジェラさんもかなり慣れて来たみたいで、当初の様な疲労感はないようで一日飛んでもそれほど疲れた様子は無くなっていた。
飛行も安定して居て、飛行高度も当初の倍以上の高度まで上がれる様になっていた。着水も静かで、コップの水もこぼれないレベルにまで上達していた。
無事一日の飛行を終えて、欄干にもたれながら水分補給をしていたアンジェラさんの元に行き、労いの言葉をかけた。
「お疲れ様。どう?調子は」
「はい、かなり慣れてきたので今は楽に飛ばせますね。でも・・・」
「ん?何かあった?」
「ええ、大した事じゃあないんですが・・・」
そこまで言うと、アンジェラさんは押し黙り静かに暮れて行く夕空に視線を移した。
あたしは、再び彼女が離し始めるまで辛抱強く黙って待つ事にした。
やがてアンジェラさんは静かに話し始めた。
「あの、これは確信を持って言っている訳ではないのです。私の勘と言いますか、不思議な感覚と言いますか・・・」
「感覚?」
「はい、この船を飛ばし始めた頃にはこんな感覚はなかったのですが、最近飛行中に感じるんです、この船と自分の身体が一体化した様な感覚を」
「一体化?この船と?」
「はい。こんな事言ってもなかなか理解出来ないとは思うのですが、この船べりが自分の皮膚の一部の様に感じる事があるんです」
「そう言えば、あなた方情報部の方は、個人の感想を入れず物事をそのまま報告する様に教育されているんだっけ?」
「はい、そうです」
「うん、そんなあなたがそう感じたと言うのなら、あたしは信じるわよ。それで、何か感じた事があったの?」
「はい、まだ自分でも何と言っていいのかわからないのですが、何て言いますかこう皮膚に妙な疲労感と言うか張りみたいなのを感じるんです」
「うーん、疲労感かぁ。それって・・・」
「船体外板の疲労と言う事でしょうかね?一度船体の点検をするべき時が来たと考えた方が良いのかも知れませんね」
そう、アドです。いつの間にか背後に現れました。
「もし、船体が痛んでおったらどないすんのや?板を張り替えるにしても、このへんに板が採れる様なおっきな木なんてあらへんで?」
「そうね、ポーリンの言う通りこの辺りに大きな木は無いわね。大きな木の生えている処まで移動すると、水場が無くて降りられない心配もあるわね」
さすがのアドも弱り顔をしている。
「をいをい、まさか俺達に木を切ってここまで引きずって持って来いとか思っていないだろうな。この辺りは草原ばかりで、そんな大きな木なんてないんだぞ、わかっているのか?」
みんなの視線が一手に集まるのを感じて、お頭が慌てている。
だが、みんなは黙ったままお頭をじっと見ている。
「手が無いでもありませんよ」
なんだろう、アドが不敵な笑みでこちらを見ているんだけど。
「おい、お前なに考えてるんだ?なんでそいつを見ているんだ?最悪な未来しか見えないんだが」
そいつって、それあたしの事なの?そうなの?
「あらぁ、そんなに最悪でもないですわよ。なあに簡単な事ですよ、姐さんにもう一度邪悪な念でワイバーンを呼んでもらうだけですよ」
「「「「「「!!!!」」」」」」
「なっ、なにを・・・」
だが、あせったあたしよりも、周りのみんなの方が絶賛拒否反応を起こしている。あたしよりも拒絶するなんて、なんか複雑。
あたしだって、又あんなのと戦うなんてごめんだよ。でも、あんなにあからさまに嫌な顔されると、それはそれでもやもやするなぁ。
それよりも、なんで又ワイバーン?
「ねぇ、アド?なんで又ワイバーンを?必要なのは木材なんじゃ?」
あたしの質問は至極真っ当なはず。
それなのに、アドは不思議なものを見たような顔をしているんだけど、なぜ?
「確かに必要な物は木材ですが、無いものは仕方が無いでしょう。今は、有る物で代用するしかないのでは?」
「それが、わいばー ん?」
「ええ、骨は軽くて頑丈。皮はしなやかで丈夫。補強にはまたとない素材でしょう」
「おまけに、呼べばすぐに来るしねー」
クレアぁ、余計な事言っちゃ駄目だよおぉ。あんたってば、こんな時に限って頭の回転が速くなるんだからぁ。
キッと睨め付けたが、えへへと首をすくめるばかりで、まったく悪いとは思っていないようだった。
「さ、姐さん。船に損害が出たらいけません。なるべく船から離れてから呼んでくださいね、あの地獄の底から来たような凶悪な邪念で」
んが・・・まだ言うか。
周りを見回したが、拒否反応を起こしても、アドの案に異を唱える者は誰一人としていなかった。
あたしは、孤独だ・・・。
ひとりトボトボと船を降り、沼の畔に広がる草原を歩くあたし。
空は雲に覆われていて視界が良くなかった。だけど、ワイバーンはデカイからそんなに障害にはならないだろう。
あーあ、まだ剣の出し入れ上手くいってないんだけどなぁ。
なんてぼやいたら、すぐ後ろから声が掛かった。
「ワイバーンが来る前に剣を出しておけばいいんとちゃう?」
振り返るまでもなかった。ポーリンだ、心配で付いて来てくれたんだろう。
「どうせ、姐さんがみんな倒してくれるよって、うちは見とるだけでええやろ?」
・・・違うみたいだ。
どうせみんなあたしが倒せばいいんでしょ。この剣があればワイバーンだって怖くないんだからさっさとやっちゃおう。
あたしは剣を両手で握りしめ、目をつぶり精神を集中した。
さぁ、来いっ!みんな片っ端から切り刻んでやるんだからね。
しばらくは、何も起こらなかった。ま、ワイバーンも遠くから飛んで来るんだから時間がかかるのは仕方がないわね。でも、レディを待たせたら駄目よ、さっさといらっしゃい。
・・・。
・・・来ない。
・・・なぜ来ない?
・・・どうしたんだ?
その時だった。ポーリンが叫んだ。
「姐さーんっ!!」
来たか、待ちくたびれたぞワイバーン。あたしは、くわっと目を開いた。
だが、夜空を見上げてもワイバーンの姿は一頭も見えなかった。
「えっ?いない?どこ?」
周囲の空をぐるっと見回したが・・・居ない。
どうなっている?あたしはポーリンに目で訴えかけた。どうなってる?と。
「姐さんっ、下やっ!下っ!」
下?どういう事?ワイバーンなら上でしょうに。
「岸やっ!沼から何かが這い上がって来るでえ!!気ぃつけやあ!」
沼っ!?何が来たって言うのよ。
視線を空から岸辺に降ろし、目を凝らした。確かに、草が擦れる音が聞こえる。
何か・・・居る。その時一瞬だが何かが草むらの中で光った。目なのか?
目なのか?
・・・だけど、目だったら二個のはず。光って見えたのは四個。多くないか?
今夜のあたしは運が良かった。大事なこの時、雲が切れて月が出て来てくれた。一瞬で辺りを優しい月の光が包み込んだ。
これで相手がしっかり見えるわ。見えさえすれば負けないわ。
その時だった。正面の草むらから牛くらいの大きさの塊が飛び出して来た。
「うおおっ!!」
反射的に倒れながら、辛うじてその突撃をかわして地面に転がった。
そんなあたしの上を物凄い速度で何かが通り過ぎたのを目の端に捉えたのだが、なんだあの速度は。
恐らくあたしの後方の草むらにでも突っ込んで行ったのだろうか、相手の状況が分からない。でもきっと音をたてたら又突っ込んでくるであろう。
持久戦の様相を呈して来た。音はたてられない。じっと待機だ。
だが、そんな時に限ってお頭は容赦がない。
「おーい!無事かあぁ?」
「おーい、くたばっちまったかぁ!?返事くらいしろやあっ!!」
むり言わんでくれ、今は声なんか出せないってわかれよぉっ!
再び静かになった、まさに嵐の前の静けさだ。
いったいあいつは何だったんだ?ワイバーンにしたらかなり小さかったな。でも、あの速度はワイバーンの比じゃなかったぞ。
「おーい!無事かあぁ?」
それに、相手は何頭いるんだ?
「おーい!無事かあぁ?」
このままいつまで睨み合いしていればいいんだ?
「おーい、くたばっちまったかぁ!?返事くらいしろやあっ!!」
まったくの想定外だった。どうしよう、あの速さの敵に身を晒すのは不利だ。敵が一頭ならまだしも、複数いたらお手上げだ。
「おーい、くたばっちまったかぁ!?返事くらいしろやあっ!!」
ああ、うるさい。少しは黙っていて欲しいわ。
ポーリンもこの状況を良く理解しているのだろう、気配を消したままだ。
さて、困った。
そんな時、あたしの指先に何やら硬い物が触れた。
それは、握り拳大の石だった。これだっ!
あたしはそっとその石を握り、手首の力だけであたしの居るすぐ脇二メートル位の所に投げた。
石が地面に落下したその瞬間だった。
あたしの居る後方から、物凄い鼻息と地面を蹴る地響きとこちらを圧倒しようとする圧が沸き上がって来たのだった。
計算通りっ!
あたしは、剣を抜くと近づく地響きに合わせて、横に薙ぎ払った。地面と平行に。
次の瞬間、あたしは空中に居た。