142.
ほんの一瞬しか見えなかったが、確かにあの後ろ姿は紫色だった・・・気がした。
紫の後ろ姿・・・まさか、まさか違うわよね。
紫の後ろ姿に、あの最悪の異能者軍団、ディープパープルを思い出してしまった。
「姐さん・・・まさかあれって噂の?」
「いや、気のせいよ。きっと気のせい。うん、気のせいだよ」
「そやろか?」
「うーん、一瞬だったからなぁ、確信は持てないんだけどね・・・」
「うち、初めてみたんやけど、あの噂のディープパープルって、意外と小っさいんやな」
あ、ポーリンもそう思ったんだ。あたしも、妙に小さいなとは思ったんだけど。
「とにかく追いかけよう。考えるのはそれからよ」
謎の後ろ姿が消えて行った背の高い草むらに、あたしとポーリンは借りた剣を手に突っ込んで行った。
集合してもらった偵察隊の六人にはその場で待機してもらうことにした。
ポーリンの誘導であたし達は背の高い草むらの中を疾走していたのだけど、何故か追い付かないというか追い付ける気がしなかった。
あたし達はけっして足が遅いわけではない・・・つもりだった。だけど、なんだろうね、まったく距離が詰まらない。
連中は何を考えているのか池から離れる事もなく、池の周囲をぐるぐると走っている。
まあ、それならそれで残して来た留守番の偵察隊と挟み撃ちに出来るから問題はないだろう。
問題はあたしの体力だ。体力に自信はあったのだが徐々にポーリンとの距離が開いていってるのは紛れもない事実だ。
「姐さん、先に行ってるでぇ」
そう一言残してポーリンは更に速度を上げ視界から草むらの中に消えて行った。
そんな時だった。
突然あたりに少女の叫び声が響き渡った。
「矢を撃ちなさーい!姿が見えたらかまわないから撃ちなさーいっ!!」
それを聞いてあたしはギョッとした。
なに?あたし、なにも指示出してナイヨ?
仰天したあたしは、思わず前方を走って居るポーリンに声を掛けた。
「ポーリンっ!何言ってるのよおっ、見えたら撃てって、そんなの危ないじゃないのよお!」
だが、返って来た返事に再度驚いた。
「うち、なーんも言うとらへんでぇ~、姐さんが言うたんとちゃうのん?」
えっ!?どういう事?じゃあ誰が言ったの?って、考えるまでもなかったし、考える暇もなかった。
なぜなら、謎の声の直後から矢がばんばんと周りに飛んで来たからだ。危ないったらありゃしないわ。
「ポーリン、矢が飛んで来るから姿勢を低くして頂戴!姿を見せちゃだめよ!」
まさか、味方から矢の集中攻撃を浴びるとは思わなかったわ。
姿勢を低くして走る事で速度が低下してしまったので、更に奴らとの距離が離れてしまった・・・と思ったのだが、そうでは無かったようだった。
見えなくなっていたポーリンの姿が見えて来て、やがて横に並ぶことになった。
「姐さん、なんか変やで?あいつら、うちらに合わして速度を落としとる感じがするで。うちら速度が落ちてるはずやのに距離が変わってへんねん」
「どういう事?」
「そんなん、わからへんわよ」
逃げるのが目的じゃあないって事?
「ポーリン、一旦止まって」
「へ?」
とまどいながらも、ポーリンは速度を落とし始め、やがて二人して立ち止まった。
「どう?あいつらの様子は?」
「どないなってん?あいつらも止まったで?」
「やっぱりねぇ、そうじゃないかと思ったわ」
「どういう事?」
ポーリンは不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あたしだってわからないわ。でもね、逃げるにしてはなんか変なのよ」
「変って?」
「逃げるだけだったら池から離れればいいのに、ずっと池の周りから離れないし、走る速度だって向こうの方が早いだろうに、振り切ろうとしている感じがしないのよ」
「それって?」
「取り敢えず、船から離れよう。危ないし、矢ももったいない」
あたしたちは、ゆっくりと姿勢を低くしたまま池の畔からゆっくりと矢の届かない距離まで離れた。
「姐さん、あいつらもついてきてるで。なんでや?」
「何故か知らないけど、戦う意志はないって事なのかもね」
あたしは、意を決して草むらから立ち上がった、
「あ 姐さん危ないでぇ」
「大丈夫、たぶん攻撃はして来ない」
「たぶんって・・・」
「なんとなくそんな感じがするのよ」
あたしは、大きく深呼吸をすると腹の底から声を出した。
「あたし達に戦う意志はないわ。どうかな、話しをしてもらえないだろうか?」
しばらく静寂な時間があって、駄目かなと諦めようとした頃、返事が返って来た。
「戦う意志の無い者が、なぜ我が聖地を荒らす」
「聖地?あたし達はあなた方の聖地がここだなんて知らなかったし、荒らすつもりも一切ないわ。ただ、雨から避難してきただけなの、信じて!」
「ふっ、侵略者の常套句じゃな。侵略者はみなそうやって笑顔で近づいてきては、多くの同胞を殺してきた。信じられるものか。さっさと出て行け、小娘が!」
ん?なんか違和感が?小娘?向こうの声も少女の声のようなのだが・・・。
「あたし達は、ここに長居するつもりはないわ。仲間を休ませたらすぐに出て行くわ。だから、そっとしておいてくれないかしら?」
しばらく沈黙が続いた。相談しているのだろうか?
「ならば、なぜ船から攻撃隊が出て来た?侵略するつもりで上陸して来たのであろうが」
「あ。あれは船の安全を確認する為の偵察隊であって、攻撃する意図は一切ないの、信じて」
「口先でならなんとでも言えるわい。お前らもあいつらと一緒じゃわい。出て行かなければ皆殺しじゃ」
「姐さん、なんや子供の癖に口調が婆さんじみてへんか?それに、あいつらって?」
ポーリンの疑問も尤もだった。あたしもすごく違和感を感じてた。だけど、今はそんな事言っている時じゃなかった。
「どうしたら信じてくれるの?」
また短い沈黙が訪れた。
「それなら、一切の武器を捨てて、わしらの前に立てるか?自身の身をもって侵略の意思は無いと証明できるか?」
「いいわ、武器を置いてこれからあなた達の元に行きます」
「あっ、危ないですって。そないな事したらだめですよお」
「大丈夫、話せばわかる。みんなを危険に晒す訳にはいかないわ。危険なのはあたしだけで充分よ」
「でも・・・」
「さあ、武器は置いたわ。これからそちらに向かいます。いいですね」
だが、返事は無かった。
あたしはさっとポーリンに振り返った。ポーリンは驚きの表情で顔を左右に振っている。
「気配があらへん。あいつらの気配が突然消えてもた」
「えっ?どういう事?」
逃げたって事なの?あたしはもう一度呟いた。
「どういう事?」
だが、次の瞬間、あたしは全身が凍り付いた。
あたしのすぐ後ろで声がしたからだ。さっきの少女の声だ。
「こういう事じゃよ」
完全に不意を突かれてしまったせいで全身が硬直してしまっていて、振り返る事すらできなかった。
背中になにか硬くて尖った物が押し当てられているのがわかったので、尚更動く事が出来なかった。
果てしなく長い時間が経った感じがしたが、背後からの言葉で事態は進展した。
「ゆっくり振り返るんじゃ。変な事は考えん方が身のためじゃ」
指示されたとおりゆっくりとふりかえったあたしは、声の主の姿を見て更に硬直してしまった。驚愕と言っても良かった。
背の丈はポーリン達よりも小さく、ぱっと見十歳にも満たない感じなの少女なのだが、問題はその全身を覆う皮膚だった。
本来であればすべすべの瑞々しい肌なのだろう年齢であろうに、その肌はどこもかしこもカサカサとしており顔なんかはまるで年寄りのように深い皺だらけだった。
若いのか年寄りなのか判断に苦しんだ。
目を見開いて硬直しているあたしを見て、正面の少女?は大きく溜息を吐いた。
「やれやれ、お前もあいつらと同じ外見で判断をする人種かい。がっかりしたぞ」
「あ、いえ、そんな事は・・・」
「もうええ、わしらを迫害してこの様な地へ追いやったあの人の皮を被ったケモノと同じ連中と話す事などなにもないわい。さっさと船に戻り早急に立ち去れ。次に上陸してきたら問答無用でその首を切り落とすと理解せい」
「あ、まって!」
「この容姿が不思議か?そうじゃろうな、みんな最初は不思議がって、やがて嫌悪しだす。もう慣れたもんじゃよ。お主、わしの年齢が分るか?」
「えっ?年齢?」
姿は若いはずだが、その肌は老女のそれだった。返事に窮していると、その少女?はおもむろに話し出した。
「最後に教えてやる。わしの年齢はもう直ぐ九十じゃ。こいつの年齢もゆうに八十を超えておる。どうじゃ、驚いたか。わしらはこの人の理解の及ばない醜い外見のせいで王国から迫害され追放されて、ここに隠れ住んでおるんじゃ。わかったらさっさと出て行きんさい」
その言葉は物凄くショックだった。お父様が人種差別をなさっていた?まさか、そんな事、ありえないわ。
「どうして、そんな・・・」
かろうじてそれだけを口に出すのが精一杯だった。
「どうしてじゃと?そんな事わかったとてなんの解決にもならんわ。わかったからって八歳から歳を取らなくなったこの呪われた身体が元に戻る訳じゃなし、考えるだけ無駄じゃ」
「他にも同じ様な人がいらっしゃるの?」
「小娘、そんな事聞いてなんになる。見世物にでもするつもりか?えっ?」
「そんな・・・ただ、専門に研究する機関を作って研究したら元に戻す方法が見つかるのではないかと・・・」
「ふん、わしらを迫害して追放した連中の力など借りるもんかよ。わしらはわしらだけで生きて行く。もう二度と関わるでない」
そう言い残すと、彼女達は草むらの中に消えて行った。
あたし達は、その後ろ姿を呆然と見送るだけだった。
彼女達が消えて行った草むらから視線を外さずポーリンが話し掛けて来た。
「姐さん、気ぃ付いてましたん?あの連中、矢は持ってはりましたが、弓は持っていまへんでしたで」
「ああ、そう言えばそうだったわね」
「それにあの矢、妙に太うなかったです?」
「うん、確かに妙に太かったわね。あんなに太くて弓で撃ちだせるものなのかな?」
「無理やろな。せやけど、あれが矢でなくて槍やとしたら有り得るのかも」
「槍?」
「ええ、手槍やったら有り得るんとちゃいまっか?」
「でも、それだったら熊みたいな怪力でもない限り船まで飛んで行って、あの分厚い舷側の板に刺さったりしないわよ。常識で考えても有り得ない事だわ」
「常識で考えたら、九十過ぎの少女なんてありえまへんで。うちが全力で走っても追い付けへん老婆なんて考えたくもないわ」
「確かにねぇ。考えれば考えるほど頭が痛くなってくるわ。もう船に戻りましょ。雨も本降りになって来たしね」
その後、あたし達は偵察隊を集めて、みんなで船に戻った。
その道すがら、ディープパープルでなくて良かったと安堵しているあたしが居た。