141.
肉をもぐもぐしながら放ったミリーの緊張感の無い一言で、事態は動いた。
「矢?」
「なんで矢?」
「どこに矢?」
甲板上では、まだざわついてはいたものの、それほどの緊張感はなかった。
あたしも手摺りから乗り出して、舷側を見下ろして見た。
あった。手摺りから一メートルほど下に見慣れない矢が一本。そのやや下にさらに一本刺さっていた。
「これは、どういう事?」
ぼーっと謎の矢に見入って居ると、アドに注意されてしまった。
「姐さん、そうやってぼーっと見ていると、頭に矢が刺さりますよ」
あたしは慌てて頭を引っ込めて甲板上に座り込んだ。
アドは当然のように身を乗り出さず、手摺りの陰にしゃがんでいる。
「えっ?どういう・・・?」
「見てわかりません?敵か味方かわかりませんけど、矢が飛んで来ているんですよ?何者かが攻撃をしてきていると思いませんか?」
「た たしかに・・・」
「この辺りですと、王国というよりはカーン伯爵派の可能性が高いと思った方が良いかもしれませんね。偵察隊が捕虜でも捕まえてきてくれれば確実にわかるのですがねぇ」
「そうねぇ・・・って、それじゃあ偵察隊の隙間を突いて敵に接近されたって事?油断してたって事?」
「そうではないでしょう。奴らがそれなりの腕っ利きだと思っていた方が、今後の展開を考える上では良いかと思いますよ」
「伯爵配下の手練れかぁ。やだなぁ、又そんなのとやり合うのは・・・」
「とにかく、今最優先でしなくてはならない事が何なのかを把握する事ですね」
「そんなの、把握するまでもなくここから早く飛び立って変な奴らから逃げる事が最優先でしょうに」
「そうでしょうか?では、偵察に出ている者はどうしますか?」
「え?」
「飛び立ったとして、アンジェラさんは、飛行を継続できるほど回復出来ているのですか?」
「う・・・」
「もう雨雲はすぐ近くまで迫って来ていますが、雨対策は終わっているのですか?」
「・・・そ、それは」
そこまで言うと、アドは大きく息を吐いた。あ、呆れている?
「今、最優先に考えなくてはならない事、それはアンジェラさんの休養ですよ。彼女の疲労回復が出来なくては、私達はどうする事も出来ないんです。逃げる事もね」
「そ その位はあたしだって・・・」
「今、無理して飛び立っても、すぐに墜落してしまいますよ。だったら、ここは覚悟を決めてここで踏ん張るしかないでしょう。空飛ぶ木の実の防水をしつつ、攻撃してきている者の正体を急いで解明する、それしかないでしょうね」
「はい」
いったい指揮官は誰なんだって感じだが、しょうがない。アドは一番の知恵者なのだから、ここは従うしかないわ。
防水処理をしながら、しばらくは様子見かなと思っていると、誰かが叫びながら階段を駆け上って来た。また不幸体質のフラグが立ったのかと声の方を見るとアウラとクレアだった。
「お嬢っ、大変だよーっ!!」
「姐さんっ、大変だよーっ!!」
あ、かぶった。
「矢が、矢が、あの飛んで来た矢が、貫通してるっ!舷側のあの分厚い板を貫通して船倉内に頭をだしてるんだよっ!」
「なんだってぇ?そんな馬鹿な、どんだけ至近距離で撃ったっていうの?」
「とにかく、見てよ。直接見てよっ!」
慌てふためいて居る二人の後を追って、あたし達も船倉に急ぎ向かった。
急な階段をほとんど落下するように飛び降りると、壁際に大勢集まっていたので、問題の場所はすぐに分かった。
「どいて、どいて、どいて」
アウラが見物人を掻き分け矢が頭を出しているという場所に案内してくれた。
確かに、完全に貫通しているわけではないが、矢が三分の一ほど分厚い舷側の板を突き抜けて頭を出していた。
「なに、これ?たかが矢がこんなに貫通するものなの?」
あたしは叫びながらアドを見たが、アドは例によって驚いた風もなく矢の刺さり具合を色んな角度から観察している。
「まあ、なんで刺さったのかは後でいいでしょう。問題はこのまま放置しておくと雨がしみ込んで来るって事ですね。お頭さん、この矢を引き抜く事って可能ですか?」
後ろも見ずにアドはそう言うが、お頭が来ているのかと後ろを見る前にお頭の声が聞こえた。
「おう、こんなのたやすいぜ」
「でしたら、最下層の船倉にワイバーンの爪を保管してあります、あれを加工して矢を抜いた穴に埋め込んで貰えますか?出来るだけ速やかに」
「わかったあぁっ!!」
そういうとお頭は駆け出して行った。
本当になんなんだろう、あたしが何か言うとなんだかんだ文句を言うのに、アドが言うと、疑いも無く従っている。何か弱みでも掴まれているのかしら。
不思議だ。
その後も矢は撃ち込まれ続け、応急修理班は大忙しだった。だが、依然として矢を撃って来ている奴は見付からなかった。
そんな時だった。上甲板の方でポーリンの叫び声が聞こえて来た。あたしは反射的に急な階段を駆け上って上甲板に上がった。
ポーリンはどこ?周りを見回すと、舳先にはバウスプリットと呼ばれる斜めマストが突き出しているのだが、ポーリンはその上に登っていて、なにやらしきりに前方を指差している。
「ポーリンっ、危ないからすぐに降りなさいっ!!」
叫びながら駆け寄ったのだけど、間に合わなかった。
「姐さん、見つけたっ!見つけたよおぉ、この先に・・・・あっ」
思わず手を伸ばしたのだったが、間に合うはずも無く、ポーリンは足を滑らせ、真っ逆さまに池に落ちてしまった。
その後の事はあんまり覚えていないのだが、あたしは手摺りを乗り越えて飛び出してしまっていた。考え無しと言われる所以だ。
池に飛び込んでしまったあたしは、水面に出ると急いでポーリンを探したが、思ったよりも近くにいたので、急いで近寄って、彼女と一緒に岸を目指した。
幸いな事に、矢で狙われる事がなかったのは幸いだったが、なぜ船の方に戻らないで岸を目指したのだろう。とっさの事だったので、あたしにも判断理由がわからなかった。
岸にたどり着いたあたし達は、しばらくそのままじっとして周囲の気配に集中していた。
おそらく安全だと確信したあたしはポーリンに話し掛けた。もちろん囁く程度の小声で。
「あんた、なに危ない事やってるのよ」
「ごめんよぉ、せやけどな、あいつらの気配捕まえてん。位置がわかったんよ」
「気配?」
「そうや、ふたりおったで」
「あんた、そんなスキルよく持ってたんだ」
「うちも知らんかってんで、びっくりしてるわ」
「それで?ふたり居るのね?」
「そうや、確かに二か所から気配を感じたわ。二人とも船の舳先の方におったわ」
「舳先?側面じゃあないの?舳先じゃ、矢で狙いにくいじゃない」
「うちにそんな事いわれてもなぁ、矢でも尽きたんとちゃう?」
「矢がないのなら、あたしらでも対処が出来る・・・か」
「せやけど、うちら武器ないで?素手で立ち向かうん?」
「うーん、なんとか味方の偵察隊と合流できればなぁ」
「うち、やってみるわ。味方の気配探してみる」
そう言うと、ポーリンは目をつぶって精神統一を始めた。
しばらく精神を統一していたポーリンがおもむろに右手を上げて、右の方向に向けた。それは、矢を撃ち込まれた船の舷側の方向だった。
「あっち。あっちの方向に四人。二組が合流したようやね」
なるほど、矢を撃ち込んできたと思われる場所に集まって来たって事ね。そして、矢を撃った犯人は、安全な場所に避難したと・・・。なるほどね。
「わかったわ。みんなに合流しましょう」
「うん、行こか、行こか」
あたし達は敵に見付からないように姿勢を低くして、その場から移動を開始した。
ポーリンの誘導が正確で、味方にはすぐに遭遇する事が出来た。
遭遇した時、みんなは敵が見つからなくて右往左往しているところだった。
人数も増え、気が大きくなったあたし達は敵が居ると思われる方向に向けてこそこそっと移動を開始した。
ポーリンの正確な誘導があるので、すぐに接敵出来ると思っていたのに、雨が降り出してもなお距離が詰まる事はなかった。
一歩近寄ると、一歩遠ざかる、そんな感じだった。
一進一退を続け、やがて下草の少ない場所に差し掛かったおかげで、賊の後ろ姿が一瞬だけ見えた。
「見た?」
「見た」
「何色だった?」
「うーん、なんか濃い色やったような・・・」
「だよねぇ、一緒に言ってみる?」
「ええよ」
「一斉に言ってみよう」
「うん」
「いっせいのぉ・・・」
「「む・ら・さ・き!」」