134.
こんな場所で場違いな酔っ払いの臭いがしたら、気になるのも無理は無いだろう。
それも、なんとなく覚えのあるお頭であるムスケルの酔っ払った時の臭いに似ているとなれば、なおさらだろう。
「姐さん、あのやかましかった奴はどないしますん?」
ポーリンが、今は哀れにも地面に半分めり込んだ、目も鼻も無く、大きな口しかない異形のものを見ながら問うて来た。
「あれは、もう死んでいるでしょ?放っておいていいわ」
「はいな」
そう言うと、ぽーりんは、黙ってあたしの後ろをついて来た。
住居と思われる建物に沿って姿勢を低くしながら、あたし達は臭いの元に向かって音をたてずに静かに進んで行った。
あの騒々しい奴は、まだ複数いるみたいで、四方の上空から得体の知れない音楽のようなものを大きな声でがなり立てている。
「しかし、あの変な奴の鳴き声って、まるでなんぞの楽曲みたいやね。おまけにみんな、一糸乱れんと歌ぉてるやん」
「ほんと、不思議よねぇ。帰ったらアドに聞いてみましょ。知って居るかもしれないわよ」
その後あたし達は、姿勢を低くしたまま匂いの元に向けて進んで行ったのだが、周囲にはまるで人の気配は感じられなかった。
幸いな事に霧はまだ濃く、見つかる心配はなさそうだったのが唯一の救いだった。
「姐さん、あれっ、あそこ」
ポーリンが指差す方を見ると、小さな家?いや、二メートル程しか横幅のない小さな屋台みたいなものがずらっと並んでいる場所があった。二十軒ほどはあるだろうか。
どうやら、あの匂いはあの屋台の集まりの方から流れて来るみたいだった。
「行くわよ」
そうポーリンに声を掛け、少し歩を速めて屋台の並ぶ所に向かった。
近づくにつれ、その全容がはっきりと見えてきた。やはり何かを売る屋台のようだった。
どの屋台も、なにやら派手な色合いの暖簾の様なものが掛けられていた。
暖簾には赤い果物の絵だとか、何やら脚が八本とか十本もある魔物の絵が描かれていた。だが、そこに書かれていた文字は見た事のないものだった。
こりゃあ、アドが目を輝かせるだろうなぁ、などと思いつつ、敵の不意打ちに備え静かに剣を抜き、屋台と思われるものの裏側に回ってみた。
だが、そこもやはり無人で、何が入って居るのか見当もつかない大きな一抱えもある紙の袋が何個も積んであった。
「なんやろ、この袋?」
そう言うと、ポーリンは腰に付けていた短剣をその大きな紙袋に当て、そっと横に薙いだ。
すると、中からは白い粉が溢れる様にこぼれ出て来て、たちまちその場に山を築き上げた。
「なんや、この粉は?」
純白の色と今まで見た事も無い細かい粉に驚愕したあたし達は、粉の山に両手を差し入れ、すくい上げて臭いを嗅いでみたのだが、更に驚愕の表情になってしまった。
「あ 姐さん。これ、あれや、あれやねん」
「そ、そうね。間違いないわ、これは小麦よ。でも、こんな真っ白で、風に舞うほど細かい小麦なんて見た事ないわよ。あたしの家にだってこんな上等な物なんて無かったはずよ」
「そやけどさぁ、小麦って、あの硬いパンを作る奴やろ?そんならもっと黄色くない?それに、普通もっと殻が混じってるし粗いやん」
「確かにねぇ・・・こんな綺麗なの王宮でも見た事ないわ」
それにしても、こんな細かくて高級そうな小麦を屋台で使うなんて、どういう事なのだろう?おまけに、こんな貴重品を無防備に置いておくなんて、信じられない。
もしかして、とてつもない豪族の屋台だったりするんだろうか?
あたしは立ち上がって売り物を置くであろう屋台の天板の上を見たのだが、そこでまた固まってしまった。
そこには売り物は一切なく、なにやら同じ大きさで半球型に窪んだへこみが規則正しく並んだ金属の黒くて分厚い板が一面に並んで居るだけだった。
「なんやあれ?」
ポーリンは剣の柄でその金属板をこつこつ叩いていたが、驚いた表情でこちらに振り返ってきた。
「姐さん・・・・これ、硬いで、むっちゃ硬いで。鎧や盾よりも遥かに固いで。調理器具言うより装甲板や」
あたしも叩いてみたが、音からして金属なのは間違いないと思われるのだが、触った感じ表面のなめらかさはとても鉄とは思えないようだ。おまけに半端なく重い。
「姐さん、これなんやろ?」
振り向くと、ポーリンがなにやら四十センチ程の壺を持っている。
「これ、おかしいで?壺言うたら、土を焼いた物やん。これ、透明やで?土とちゃう」
やはりこれもこんこんと剣の柄で叩いて居るが。土の鈍い音でなく、澄んだ高い音がしている。
「こいつも、なんやごっつう硬いで?どの位硬いんやろ?」
そう言うと、力を込めて剣の柄をその壺に打ち付けた。
その瞬間、ガシャーンと言う派手な音と共にその透明な壺は砕け散ってしまった。
「うわあああぁっ!!」
叫び声と共に飛び退ったポーリンだったが、中身の液体を下半身に浴びてしまった。
「変な臭いがするぅ~っ!!なによこれぇ~」
見るとポーリンの服がかかった液体で汚れてしまっていた。
「黒い・・・液体?飲み物・・・ではなさそうね」
「そんなんありえへんわ。こんな変な臭いのする飲み物なんてありえへんわ。おまけに、少しとろとろしてるわ、これ」
ポーリンの反射神経が良かったせいか、頭からかぶるのは免れたが、腰から下はけっこうかぶってしまっていた。
「どうする?そのまま行ける?それとも、一旦川まで戻って汚れを落とす?」
考えるまでもないらしく、返事は即答だった。
「落とすっ!!絶対落とすで!こないな変な臭いをさせたままなんていやや!」
「了解よ。じゃあ、真っ直ぐ戻ろうね。今の音に誰かが気がついたかもしれないから、周囲の警戒は厳重にね」
「うーん、待ってや?直ぐにでも川に飛び込みたい所やけど、ウェイドさんの事も心配。どこか近くで水を探すわ」
あんた、意外と優しい所があるんだね、見直したわ。
その後、幸いにも物音に気がついて出て来る人はおらず、あたし達は水を探して屋台を一軒づつ見て回った。
だが、そうそうこちらの思う通りに事が進むはずもなく、屋台の半分程は何も無く空振りに終わった。
中腰で歩き回るのは、思ったよりもきつかったが、時間も無いので泣き言は言えなかった。
もうこれ以上見つかる危険は冒したくないので、極力静かに探索を行った。
腰が悲鳴を上げ始めた頃、ポーリンがぴょんぴょん飛び跳ねているのに気がついた。
もう、そんなに目立つ事してて見つかったらどうするのよと思いつつ、彼女の元へ近寄って行くと、満面の笑みでおいでおいでをしている。
水が見つかったのか?
「姐さん、これこれ、これ水とちゃう?」
見ると、そこには銀色に輝く一抱えもある円筒形のものがあった。かなり大きいぞ?
ポーリンは、平らな蓋を持ち上げて、中を見ろと指差している。
おそるおそる覗き込んでみると、確かに中には液体が入っていた。それも口っきりに。
「どない思います?」
「うーん、水みたいだけど、この水、魚の臭い・・・しない?色も、透明でなく茶色?」
「確かにそうやけど、べとべとしとらんし、そないに変な臭いやないで?どちらかと言うと、美味しそうな臭いやね。これなら暫くは我慢出来るかも」
「そう?あんたがいいって言うなら、さっさとべとべとを落としましょ。いつ人が来るかわからないからね」
ポーリンは、近くにあったひしゃくのようなもので液体をすくい下半身にかけた。
かけると同時に目を爛々と輝かせてあたしを見て来た。
「あ あねさーん。これ、この水、ぬく~い。ぬくいよぉ~」
「え?どういう事?」
「ああ、温くて気持ちええわぁ。この際、臭いは関係あらへんわぁ」
あたしも水が口っきりに張られた銀色に輝く円筒形の入れ物に手を入れてみたが、確かに暖かい。なんなんだこれは?何故暖かいんだ?
ポーリンはすっかりご満悦で、次から次へと水を掛けている。臭いはするが、さっきのべとべとの液体よりは遥かにいい、と言うか逆に食欲をそそる良い匂い?そんな感じだった。
すると突然、ポーリンが柄杓を足元に放り投げ、懐から短剣を抜き出し身構えた。
「なんや、気配がするでっ!」
その様子に、あたしも短剣を構え、彼女が睨む方向を見た。
一瞬であたりに緊張が張り詰めた。
ほんの一瞬の事だったと思うのだが、あたしには永遠にも感じた。
そして、建物の陰から現れたものは・・・・。
「「へっ!?」」
あたしとポーリンは、同時に変な声を出してしまった。
「ね こ ?」
「ねこ・・・やね それも 子供?」
そう、現れたのは、いち に さん し ご ろく 六匹の子猫だった。
だが、普通の子猫と違っていたのは、全身が基本白で、頭には兜の様な茶色の縞々模様があり、背中としっぽにも茶色の縞々模様があった。
「姐さん・・・猫やね?これ・・・」
「そ そうね・・・」
「そやかて、普通猫って、全身茶色とちゃうのん?」
「そ そうね・・・」
「それに、なんか顔がやけにしゅっとしてへん?」
「そ そうね・・・」
「こいつら、毛並みが異様に綺麗すぎるやん」
「そ そうね・・・」
「ほんまに、これ・・・猫なん?」
子猫・・と思われる一行は、よそ見もせずに、真っ直ぐポーリンの元に向かって、よちよちと歩いて行った。
「なんや、こいつら。なんでうちの方に向かって来るんや?」
ポーリン、ちょっとビビって居るみたいで、なんかおかしい。
「姐さぁ~ん・・・」
ビビるポーリンとフニフニ言いながら迫って行く子猫軍団・・・もう、笑いを堪えるので精一杯だった。
「姐さん、笑っとらんで、何とかしてやあ」
涙目になってる・・・ぷっ もうあかん。限界。
「ぷはああぁぁっ!!」
あたしは、地面に這いつくばって、地面を両手で叩きながら笑う事しかできなかった。ww
「あははははははははっ」
その時、先頭の子猫が丁度ポーリンの足元に到達した。
そして、想像の斜め上を行く行動を始め、あたしはその様子に只々釘付けになってしまっていた。
子猫たちは、ポーリンの足元に到達すると、何故かみんなポーリンの足を舐め始めたのだった。
みんな一心不乱に舐めているその光景は、可愛いやら、不思議やら、固まって居るポーリンの姿と相まって、この世の景色とは思えなかった。
あたしは、一体どうしたらいいのだろうか?なにが出来ただろうか?その時のあたしは思考が完全に停止していたのだろうと思う。
その後に起こる更なる驚きに反応が出来なかったのだ。
「そいつら、腹が減ってんだよ」
建物の陰から、のそっと人影が現れたのだった。