133.
あたしは、全身の痛みに目が醒めた。体中が激しく痛む。
目が醒めてしばらくは、今の自分の置かれている状況が理解できなかった。
あたしは、少し離れた筏の上ではしゃぐポーリン達をぼんやり見ながら、周囲にその視線を向けてみた。
次第に視界が鮮明になってきているので、今は朝なのだろうとわかる。
川幅がずいぶんと広くなってきている感じがする。二十メートルはあるだろうか。
流れはそれほど早く無く、とても穏やかだったが、時折大きな揺れが来る時があった。
その時は、全身が捻られて、思わず悲鳴をあげのたうち回った。
「あ、姐さん起きたん?水でも飲みまっか?」
のたうち回っているあたしに気がついたポーリンがすかさず竹筒を持ってやって来てくれた。
あの巨大な『ほおじろ』との死闘の後、近くに自生していた竹を切って、その節を利用した水筒を沢山用意してくれたらしかった。
あたしは体中痛くて動かせなかったので、ポーリンに飲ませてもらっていたのだが、その姿を見たウェイドさんに又突っかかられてしまった。
「おやおや、お姫様はやっとお目覚めか。平和でいいですなぁ」
いつもにも増して毒舌だが、今のあたしには反応する気力がなかった。
代わりにポーリンが叱ってくれた。
「ちょっと、あんさん。言い方ってもんがあるでっしゃろが。こっちは病人やでぇ」
「へっ、なにが病人なんだか・・・」
嫌味にも、わざと聞こえる様に言って来るのが憎らしい。が、今は我慢だ。
「おいおい、いい加減にせんか。申し訳ありませんシャルロッテ殿、こいつは昔から口が悪くて」
ジェームスさんが割って入って頭を下げてくるが、当の本人は「へっ」と一言吐き捨てて離れて行ってしまった。
「本当に、いつまでたっても子供で困ります」
ジェームスさんは深々と頭を下げてくれるのだが、この話はクレアの声で中断する事になった。
「なんか、、、聞こえる。これは、、、なに?」
みんなで耳をそばだて意識を集中する。
「何にも聞こえませんが?」
ジェームズさんが、真っ先に反応した。
「あ、本当だ。なんか微かに聞こえる、、、、これは、、、なに?」
「うん、確かに途切れ途切れだけど聞こえるねぇ」
クレアとメイには聞こえたらしい。
アドとアウラは筏の後方で見張りをしているので、まだなんの反応もして来ない。
「ああ、ほんまやぁ。なんだか分らへんが、聞こえるわ」
立ち上がって、耳をそばだてたポーリンにも聞こえたらしい。
どうやら、あたしとジェームズさんには聞こえていないようだった。
「この音程は、若い方が聞き取り易いようですね。おそらくですが、何らかの楽曲ではないかと思われます」
後方に居たアドとアウラが、こちらの騒ぎを聞きつけてやって来た。
「俺はじじいだから聞こえないって事か・・・」
ジェームズさんが拗ねた様にそう呟くがアドはさして気にした風でもなく受け答えしている。
「そんな事は、、、思っても言いませんよ。ご心配なく」
「しっかり言ってるじゃないですかぁ」
「こんな時に漫才なんかやってないで、今後の方針を決めないと」
焦ったようにアウラが二人に割って入った。
「大丈夫、ちゃんと心得ていますから」
相変わらずアドは冷静だった。
「恐らく聞こえてきたのは、何らかの楽曲と考えていいでしょう。つまり、この先に人が居ると言う事です。ただし、それが敵なのか味方なのかは現在のところ不明なので、まずは敵味方の確認が最優先事項となります」
それを聞いたウェイドさんが身を乗り出して来た。
「そんなの簡単じゃねーかよ。俺が偵察に行けば、万事解決じゃねぇえかよ。違うか?」
物凄く自信満々なような感じだった。
「そうですね、じゃあウェイドさんに偵察をお願いしましょう」
「ふんっ、やったぜぇ。まぁ、当然の判断って事だろう」
「ええ、そうですね。ですが、向こうとの直接の接触は極力避けて下さい。戦闘も禁止です」
「ええーっ!!見つかったら戦闘だろうがよぉ」
「その際は、逃げて下さい」
「そりゃあ、ねえだろうが」
「逃げて下さい」
「でもよお」
「約束出来ないのでしたら、行かせられません」
アドは意外と頑固だからなぁ、言い出したら聞かないぞぉ。
「ああ、わかったよ。逃げて来ればいいんだろ、逃げてくるよ」
「お願いします。この筏は、岸に寄せて暫くこの場所で固定して偵察の結果を待ちます。必ず帰って来て下さい」
「ああ、わかったわかった。じゃあ、直ぐに出るから岸に寄せてくれや」
こうして、筏を岸に寄せて固定し、ウェイドさんの帰りを待つ事になった。
ウェイドさんが帰って来る間に、筏は目立ってしまうので、総出で近くから木の枝などを集めて来てカモフラージュをする事になった。
その頃には、あたしもなんとか動けるようになってきたので、足を引きずりながらも木の枝集めに参加した。
いつまでも、足手纏いは嫌だからね。
その後、見張りを厳重にしたあたし達は、ひたすらウェイドさんが戻って来るのを待った。
アドが言うには、最低でも丸一日は待たないといけないとの事だった。
一日中息を潜めてじっと待つのは、なかなかにしんどいものだった。
だが、丸一日待ったが、ウェイドさんは戻って来なかった。
前方、すなわち川下の方角を凝視してウェイドさんを探してみたものの、何故かもやっていて一面真っ白で何も見えなかった。
「ねぇ、アド。川ってこんなに霧みたいに真っ白になるものなの?」
「そうですね、川霧は暖かい水面上に冷たい空気が流れこむと、水面からの水蒸気が冷やされて川霧になると言われています。ですので、一面真っ白は珍しい事ではないのですが・・・」
「何か気になることでも?」
「おかしくないですか?朝番、冷えた空気が流れ込んで川霧が発生するのなら分ります。ですが、あれから丸々一日、昼間もまったく霧が晴れません。これは異常です、有り得ません」
みんな、このタイミングで一斉にあたしを見るが、あたしは知らん!!あたしは、なにーもしていません。
「アド嬢、それはどういう事なのでしょう?」
ジェームズさんが恐る恐る聞いて来た。そりゃあ、憎まれ口をきく奴であっても、紛れもなく弟なのだ、無関心で居られる訳が無い。
「そうですね。私にも何が何だか分からない所ですが、言える事は、、、、」
「言えることは?」
「この霧は、不自然 って事ですね」
「不自然?」
「ええ、理由はわかりませんが、作為的なものを感じます」
「作為的とは?」
「あくまで想像ですが、、、人為的に作られた・・・とか」
「こんなもの、作れるものなのですか?」
「ですから、これは私の想像ですって。なんの根拠もありません」
「自然であらへんのなら、人工的って事やんな?」
「そうですね、削除法で導き出した答えって事ですね」
「それでは、弟はやられた可能性があると・・・」
ジェームズさんの顔色が心なしか青いが、アドは答えを出さなかった。いや、出せなかったのか?
アドがすっくと立ちあがった。
「さて、姐さん。決断の時ですよ。偵察の第二陣を出すか、このまま筏のまま全員で殴り込みをかけるか。どうしますか?」
なんで、そんな大事な決断ばっかあたしに回って来るんだよぉ。
みんなの視線が身体中に刺さって、痛い。
アドって、意外と性格悪い?あたしが他人に丸投げして後方に居られないの知っていて、こんな決断をさせるんだから。
もう、答えは一択じゃないのよ。
「いいわよ。あたしが行くわ。みんなは、ここを死守。それでいいわね?アド」
やっぱり最初からあたしの答えが解っていたのか、アドはニヤニヤしている。
「ええ、お願いしますね。姐さんが行ってくれるのが、一番事態が動くものですから。せいぜい引っ掻き回して来て下さい」
もうっ、なんて言い草なのかしら。どうせ、あたしは疫病神ですよーだ。
「姐さんの不幸体質は、定評がありますからね。頼りにしてますよ」
なんか、褒められている気がしないんだけど、どうせ言い返したって、上手くかわされてしまうのが目に見えてるから反論はやめておこう。
「よっこらしょ、と」
あたしは痛む身体に鞭打って、よろよろと立ち上がった。
すぐ、ポーリンが支えてくれた。
「姐さん、いける?うちも一緒に行くよって安心してや」
「ありがとう、大丈夫よ。さくっと偵察して帰ってこようね」
「うん」
「シャルロッテ殿、弟の事宜しくお願い致します。無理そうでしたら、ご自身の身の安全を優先して下さい」
ジェームズさん、本当は自分が行きたいんだろうなぁ。目がうるうるして悲しそう。
「ちゃんと連れ帰って来ますから、みんなの事宜しくお願いしますね」
そう言うと、あたしはポーリンを連れて筏を降り、霧に向かって歩き出した。
川岸を濃霧に向かって下っていったのだが、しばらくは何も変化はなかった。
だが、霧が濃くなるにつれ次第に地面が見えなくなり、やがて自分の足さえも霧に霞み、途切れ途切れにしか見えなくなってきた。
自分の手の平がぼんやりしてくるに至って、さすがのポーリンも不安になって来たのだろうか、近づいて来たと思ったらあたしの左肘につかまってきた。
剣を抜く際に邪魔にならないように左手につかまってきたのはさすがだった。
おそらくポーリンも不安そうな顔をしているのだろうが、その顔はすでにぼやけてよく見えなかった。
得体の知れない音楽は、相変わらず聞こえて来ている。歩くにつれその音ははっきりとしてきてはいるのだが、こんな楽曲は聞いた事がなかった。使われているであろう楽器にも思い当たる節はなく、不思議な音色だった。
あたし達は、聞こえて来る楽曲の方向にひたすら歩いた。
足元がおぼつかないので、その速度は赤子の歩みにも似ていた。
それでも、少しづつ接近しているはずなのだが、不思議な事に音楽を奏でているであろう人間の気配は全く感じられなかった。
音楽だけがどんどん大きくなってきている。それも、、、変な方向からだ、
訝しんでいると、ポーリンも同じことを感じたのだろう、しがみついていたあたしの左の肘を引っ張って来た。
「あ 姐さん、なんか変やない?けったいな方向から音楽が聞こえてへんか?」
「あんたも気がついた?そうなのよ、なんか上の方から聞こえてくるのよ」
「樹上生活している民族なんでっかね?」
「それも考えられない事じゃないわね。でも、樹上民族なんて聞いた事ないわよ?」
「ほんまやねぇ」
あたしは、その時不覚にもポーリンの方を向いて話しながら歩いていた。
それが失敗だった。
「あいたあぁっ!!」
目の前で火花が散ったと思ったら顔面に激痛が走り、あたしは地面に投げ出された。
その瞬間、ポーリンは反射的に手を離したのだろう、地面に転がったのはあたしだけだった。
あたしは顔面を押さえながら少しの間のたうち回ってしまった。
頭の上からポーリンの声が降って来た。
「姐さん、大丈夫でっか?」
「ええ、大丈夫。何かに顔をぶつけただけだから」
「なんか変や。姐さんが顔面強打してはるのに、だれも出てきぃへん。まるで無人みたいや」
「でも、音楽は変わらず続いているわ」
「それも変や。なんで中断したりせえへんのや?まるであたし達に気がついとらへんみたいや」
「そんな事ってある?」
やっと最初の衝撃から立ち直ってきたあたしは、よろよろと立ち上がった。
「うーん、やっぱりこの上や。姐さんが顔面強打したこの柱の上から聞こえて来ているんや」
あの・・・ポーさんや。何度も顔面強打って言わないでくれるかなぁ・・・。
「ちょっと登ってみるわ。姐さんは下を警戒しててや」
言うが早く、ポーリンはまるでサルみたいにするすると登って行き、やがてその姿は見えなくなった。
あたしは、痛む鼻をさすっていた。
すると、上空から『ガンガンガン』と激しい金属音がしてきた。何かを叩いて居るのだろうか?
訝しんでいると、不意に上空からの音楽が止まり、目の前になにやら硬そうな金属?の塊が派手な音をたてて落ちて来た。
ビックリして落ちて来た塊を見ていると、するするとポーリンが降りて来た。
「姐さん、上には誰もいなかったで?上におったんは、こいつだけやった。あまりにもやかましいから黙らせたったわ」
意気揚々と話すポーリンだったが、あたしの目は落ちて来た物体に釘付けだった。
「これは、、、生命体、、、なの?」
ひしゃげて地面に半分めり込んだその物体は、ピクリとも動いてはいなかった。うるさい音楽も既に奏でてはいなかった。
その物体には細長いしっぽが付いて居た。
そして、時折ジジジジ・・・と断末魔のうめき声を発していた。
仲間がこんなになっているっていうのに。周囲にはまだ仲間がいるはずなのに、何事もなかったかのように、音楽を奏でていた。
なんなの?なんか、とっても違和感というか、不快感がこみ上げて来た。
「なんかわからないんだけど、危険を感じるわ。ここを離れましょう」
あたしは、ポーリンの手を引いてその場から離れた。
今まで居た場所は広場のように広い空間みたいだったが、しばらく行くと民家のようなものが見えて来たので、その陰に潜みしばらく様子を見る事にした。
「なんだったのかしら、あの物体。いきものには見えなかったわ」
「せやけど、あいつがあの音楽をがなり立てとったんよ。確かや。静かにしてってお願いしたのにシカトするから、叩き落としたんや」
「でも、周りの連中には一切動揺は見えないわ。何も無かったみたいに演奏続けてるわ」
「なんなん?さっぱりわからへんわ」
「あたしも、何が何だか分からないわよ。あ、ちょっと待って?この臭い・・・そう、この臭いは・・・お頭のにおい・・・」
「お頭の?」
「そう・・・酔っ払いの臭いだわ。近いわ」
「どないします?」
「そりゃああ、ねぇww」
そうしてあたし達は、物陰に隠れながら、低い姿勢のまま濃霧の中を移動し始めた。