121.
真っ暗な森の中は不気味だった。
叫びながら逃げて行く敵兵の声だけを頼りに夜の森を疾走しているのだが、どういう訳か巨木にぶつかる事はなかった。
周囲は真っ暗ではあるのだが、巨木の表面にはところどころなにやらうっすらと発光している場所があったので、すんでのところで激突は回避できていた。
次第に敵兵の叫び声が小さくなっていき、やがてまったく聞こえなくなった。
前を走って居たポーリンが走る速度を落としてあたしの横に並んできた。
「姐さん。叫び声、聞こえへん様になったやん。恐怖から立ち直ったんかな?」
「なによ、恐怖って!失礼ねぇ。とにかく、待ち伏せされていると厄介だから、速度を落とすわよ」
「はいな」
その後、周囲に気を配りながらそろそろと進んで行ったが、待ち伏せはおろか敵兵の姿すらなかった。
「なんやねん。こんなんおかしいわ。姐さんが出張って来とるのに何もおこらんなんて、ありえへんわあ」
「をいっ、なんなのよそれ。その言い方、まるでいつもあたしがトラブル起こしてるみたいな言い方やめてよ。知らない人が聞いたら本気にされるじゃないのよ」
「えっ?なにかまちごた事言いましたん?」
「だからねぇ・・・・」
「しっ」
急にポーリンが姿勢を低くして立ち止まったので、あたしもそれにならった。
「なんや、音が聞こえるで?そう、金属の触れ合うみたいな音?」
あたしも息を潜め、前方の音に集中したのだが、聞き分ける事ができなかった。
「左の方から草を踏み分ける音がしますやん。ああ、右手からも草のガサガサいう音がしまんな」
「それって・・・」
「囲まれたってことやな。無視されてのうてよかったやんww」
「そういう問題?」
「目的は果たせたんやし、ええやんかぁww」
ま、そうなんだけどね。腑に落ちないのはなぜだろう。
「そないなことよりも、お客さんのお出迎えせえへんとあかんやろ。どないします?」
そうねぇ、なにも考えず敵の罠に突っ込んでみたんだけど・・・・どうしようかな。
なんて考えていると、正面の闇の中に、ぽぽぽと灯りが灯った。
それを合図に周囲でもあたし達を取り巻く様に一定の距離を空けて灯りが灯り出した。おそらく持っていた松明に火を点けたのだろう。
周囲を取り巻く松明からは、絶対に逃がさんぞという圧がかんじられた。
さあ、どうしよう。逃げ道はなさそうだけど・・・。
「どないしたん、ちゃっちゃと突っ込もうや。姐さんが動いたら、事態はいやでも動きますよって」
「なんでやねん! じゃなかった、なんでよお」
「だってぇ、不幸体質の姐さんやもんな。姐さんが動けばなんとかなるんとちゃいまっか?」
「そんな無茶なぁ~」
「ほらほら、ちゃっちゃと動かんと包囲網が狭まってきまっせぇ」
確かに、ここでポーリンと言い合って居てもしょうがないわね。そもそも最初から逃げるつもりはないんだから、逃げ道がなくったって関係ないもんね。ちゃっちゃと動くとしますかねぇ。
「木を倒す方向のコントロールはマスター出来たわね?」
「まかしといてーな。又自然破壊するんでっか?」
「自然破壊言わんでよ、仕方が無いじゃないのよ。手当たり次第に切り倒して、敵の混乱に乗じて脱出するわよ」
「へーい」
そこからの行動は早かった。
あたし達は下草の中を這いながら移動しては、敵の包囲網に向かって次から次へと巨木を倒していった。
おそらく相手からしてみたら、目の前で何が起きているのかさっぱりわからなかったのではないだろうか。
突然目の前の巨木が自分達に向かって倒れて来るのだから、さぞや驚いた事と思う。まあ、それが目的だったんだけどね。
次々に倒れて来る巨木に、敵兵は悲鳴をあげて逃げ回るばかりだったのだが、ポーリンの想像通り事態は良くない方向へ・・・というか悪い方向へと進んでいた。
慌てふためいた敵兵は、身の安全、つまり逃げる事を最優先したのだった。
本当に恐怖に出くわした人間は、持っている物を投げ捨てて、身一つで逃げを打つのだという事を、そしてそれが更なる災いを呼び込むと言う事を、その時のあたしは全くわかっていなかった。
敵兵はみんな持っていた松明を投げ棄てて、真っ暗な森の中を逃げ出したのだ。
まあ、どうせ松明を投げ捨てたところで生の下草が燃える事はないだろうとたかをくくっていたのだったが、これが想定外と言うか、燃えたのだ。
それも、激しく。
足元の下草の葉をちぎって見ると、なんと葉の裏には胞子なのだろうか、なにやら黄色い粉が一面についているのだった。
まさか、これが燃えているの?
だが、じっくりと検証をしている暇はなかった。
周囲が一面火の海になりつつあったからだ。
まずい、逃げなきゃ炎に巻かれる。
「ポーリンっ!まずいっ!逃げるわよーっ!!」
炎の勢いに負けない様に大きな声で叫ぶと、すぐに近くから返事が返って来た。
「こっちはあかんよ!既に火がまわっとるで」
周りを見回すと、確かに周囲は火の海になっていた。どうしようか。
「ほな、うちがこれから一本倒すよって、その倒れよる時の風圧で一瞬火が収まるやろ、その間に逃げればええやん」
ナイスアイデアだった。
「いいねー、頼むわ」
倒す巨木に近づき、一旦しゃがんだ。だいぶ炎の海が迫って来ていて、一刻の猶予もない感じだった。
「ほな、いくでー。倒れたら走ってやあ」
「了解っ!頼んだわよ」
ポーリンはさっと走り出すと、持っていた短剣に気を込め、えいやーっと剣を振るった。
もう、何本も切り倒していたので加減はばっちりだった。
メキメキメキと目の前の巨木は敵兵が居るであろう方向に倒れていき、地響きと共に物凄い土煙が巻き上がった。
「今やっ!」
一瞬火の勢いが収まった隙を突いて、あたしたちは無我夢中で走った。ひたすら走った。
どこをどう走ったのかわからなかったが、取り合えず炎の海からは逃れて、安全な場所に辿り着いた。
息も絶え絶えだったのと安心したせいで倒れ込む様に地面に転がってしまった。
しばらくは、ぜいぜいと大きく息をしていて、しゃべる事もできなかった。
どの位たっただろうか、ポーリンが話し掛けて来た。回復が早いのは若いせいなのだろうか。
「ほら、うちの言うたとおりやろ?姐さんが動いたから騒ぎがおおきゅうなったやんww」
うー、言い返したいけど、息がまだ整わないからしゃべれんわ。
なんて思っていたら、突然聞き覚えのない声が会話に入って来た。
「おう、姉ちゃん達。なんでこんな所に居るんだ?さっきの火事に巻き込まれたんか?早く帰らないと親御さんが心配するぞ?」
どうやら迷子の一般人が火事に巻き込まれたと勘違いしているみたいだった。
見た感じ、ロングソードを背中にしょっているので、兵士なのだろう。気のいいおっちゃんって感じだった。
返事に困っていると、更に別のおっさんが会話に入って来た。
「なにやってんだぁ?」
今度のおっさんは最初のおっちゃんよりやや年長そうで白髪が目立っていた。
このおっちゃんも、背中に斧をしょっているので仲間の兵士なのだろう。
やばっ、逃げだしずらくなったぞ。なんて誤魔化そうかと頭の中はプチパニック状態だった。
いっそのこと、斬りつけてひるんだところで逃げ出すか?などとかんがえはじめていたが。
「あ、隊長。子供が火に巻き込まれて避難してきたみたいなんすよ。早く帰れって言ってた所でして」
あ、良い感じの展開になってきたか?しめしめと腰を上げて逃げようとした時、この隊長と呼ばれたおっさんが余計な事を言って来た。
「そうか、それは災難だったな。それなら直ぐに帰りなさい。この先にはな、魔女の化身と言われている恐ろしい女がいるらしいから、呪われない内に帰る事をお勧めするよ」
なっ!!
反射的に反論しようと口を開こうとしたが、ポーリンに口を塞がれてしまった。
なにやら意味ありげにウインクしながら、ポーリンはあたしを制してその年配の兵士の前に出た。
「そないにおっかない魔女がおるんか?」
「ああ、口は耳まで裂けていて、その姿を見た者はみんな呪われるそうだぞ。それに、行く先々で天災級の大災害を起こして回って居るらしいぞ」
「そうそう、山が一瞬で消えたり、北部地方で起こった火山の連続噴火や、今回の大地の沈下も奴のせいらしいぞ。悪い事は言わん、早く帰りなさい」
な なんでそんな事になっているのよ。誰の口が耳まで裂けてるですってぇっ!
だけど、ポーリンは全く意に介せずな感じで、おっちゃん達に話を合わせている。
"「
へぇぇぇぇ、おとろしいわぁ。呪われへん内に家に帰る事にするわ。おっちゃん達、おおきにな」"
ポーリンは驚きと怒りで口をパクパクしているあたしの手を取って歩き出す。
「ほな、お姉ちゃん、家に帰るで」
しぶしぶ手を引かれるままに歩き出したが、まだ怒りが収まらなかった。
「なんで、なんで、あんな言われ方をされなきゃいけないのよ。あたしが何したっていうのよ」
歩きながらぶつぶつ言うあたしに対して、ポーリンはニコニコだった。
「しかし、うまく逃げおおせたもんやなぁ。うちの強運はまだまだ健在やなww」
あたし達はその後しばらくは、森の奥に急ぐ兵士達を避けながら北に向けて歩いていた。
途中何度も声を掛けられたが、ポーリンの機転で上手くかわし、だいぶ火災現場から離れる事が出来たのだが、振り返ると火の勢いはすさまじく、この距離からでも夜空を染め上げ天に昇る炎が見えていた。これなら、かなりの敵兵をこっちに集められた事だろう。アウラ達の方も動きやすくなっていると思いたい。さすがあたし。
おかげで、夜の森でも楽に歩く事ができていたのだが、あたしの不幸体質はポーリンの強運を上回っていたみたいで、後にこの炎の明かりが災いとなってしまった。