113.
撤収する事を決断し撤収の為の脱出船の準備の整うのを待つ間、城外での戦いの様子を観察していたのだが、明らかにゴーレムと戦っている敵兵が減って来た感じがする。
まだ感じる程度なのだが、詳細に観察をしていると、馬に乗ってイルクートから遠ざかって行く兵士が見受けられた。
それも、一人二人の話しではない、かなりの数の兵士がまとまって戦線を離脱しているのが確認出来た。
「ねぇ、あれって指揮官がいなくなったからぁ?」
ミリーが誰にと言うでもなく呑気に疑問を口にした。
「そうかもね。大きな振動の後、辺り一面に水がしみ出して来て、どうしたらいいか判らない時に自分達の指揮官が爆死したんだもの、そりゃあ不安になるでしょうね」
アドラーは冷静に状況を分析してミリーに言い聞かせて、と言うか自分にも言い聞かせる様につぶやいた。
「これはチャンスよ。あたし達に運が向いて来たんだわ」
あたしは興奮してそう叫んだ。
「ふむ、悪くはない状況ですな。このままゆっくりと沈んでくれるのでしたら」
教授は難しい顔のままだ。
そう楽観視出来る状況ではない事位、いくら能天気なあたしでも分って居る。分って居るが、悲観ばかりしていてもしょうがない。みんなを鼓舞しなきゃあ。
空には、禍々しい黒雲が立ち込め始めているし、揺れも間隔が狭く大きくなってきている。みんな不安なんだ。
そんな事を考えていると、あたし達を呼ぶ声がする。城内を見下ろして居た爺ちゃん兵だった。
「おうい、用意が出来たようじゃぞ」
ハッとして声のする方に駆け寄り、下を覗き込むと城壁の下に船が集まって来ている。
だが・・・
あたしは咄嗟に教授の方に向き直り、叫んだ。
「教授っ!あれでいいの?あれが船なの?あれで脱出するの?ま・・・間違いよね?本当はちゃんとした船があるのよね?あたしを驚かそうとしているのでしょ?」
だが、教授の表情は先程迄の柔和なものではなく、能面の様に感情が無くなっていた。
「あれで間違いありません。所詮、食料調達や近場への移動用ですからの。そもそもの使用目的が違うのですよ。急場の凌ぎですので贅沢は言えません」
「ううううう・・・・・」
「とにかく時間がありません。移乗をはじめましょう」
教授は周りに声を掛けながら階段を降りて行く。
ここに取り残されても困るので、あたし達も教授の後を追った。
しかし、あんな船でどうしろって言うのよ。あんな、、、十メートトル(地球で十メートル相当)も無い小舟でさ。
確かに、数はそれなりにあるみたいだけどさ。所詮は小舟よ、小舟。大波が来ればひっくり返るのが目に見えてるわよ。
だけど、文句を言っても住方が無い。これしか逃げる方法はないんだから。
しかし、何この数。集まりも集まったり、ササの葉みたいに細長い船が広場を埋め尽くしていた。
水位はまだ大人の胸位だった。城外よりも水位が高いのはこの街が閉鎖空間だからなのだろう。
「ねぇ、姐さん。あの子達どうするの?」
不意にクレアに声を掛けられた。
「あの子達?ああ、走竜達ね」
見ると、三頭の走竜達は楽しそうにじゃばじゃば走り回っている。
「ねぇ、アド。あの子達って、泳げたっけ?」
あたしは走竜の生態に詳しくなかったので、知識量の豊富なアドラーに聞いてみた。
「ええ、大丈夫ですよ。彼らは泳ぐのが上手ですから、連れて行けます。でもどうせでしたら、彼らに船を曳いてもらったらいかがです?」
これは意外過ぎる申し出だった。曳くだって?そんな事はまったく考えた事もなかった。
「そうかぁ、曳いてもらえばいいのかぁ。それ、いいアイデアだわ。思いつかなかったわ」
その後三頭の走竜にはそれぞれ一艘の船を繋いで、あたし達は二人づつ分乗して脱出に備えていた。
気が付くと集まって来た船の数は百?いや二百は超えているのではないだろうか。
イルクートの南門前の広場は避難する為の老兵を満載した細長い船でひしめき合っていた。
ただ悲しい事に乗って居る兵達は皆聖騎士団所属の老兵達だけで、この街の自警団の爺様達は・・・いなかった。みんな敵兵と刺し違えてしまったのだろう。
引き上げて来た兵達の表情が暗いのは、自分達の為に散って行った爺様達の事が頭から離れないからだろう。
やがて南門の上の城壁で敵兵を見張っていた見張りの兵が叫んだ。
「敵兵がわれ先にと王都方面に引き上げ始めました。門の周囲の敵兵はほぼ居なくなりましたぁ。出るなら、今ですっ!」
すかさず教授は船上で立ち上がり勢いよく右手を高々と振り上げた。
「あたたたた、ご 五十肩が・・・」
そのまましゃがみ込んでしまった。
「年甲斐も無く無理するから・・・」
ミリーがぼそりと呟いた。
門を固定していた閂が外された。
城内の方が遥かに水位が高かった為、門は勢いよく開き怒涛の水流と共に兵士達を満載した小舟を次々と吐き出していった。
兵士達は船縁にしがみつき、頭を下げた低い姿勢で船が落ち着くまで耐えていた。
兵達は鎧兜に盾を捨て重量を軽くしていた。持って行く物は相当量の水と干し肉に限定していた。
武器も一艘に剣と槍が一本ずつだけに制限して、その分少しでも多くの水の携行に工夫をこらしていた。
船の動揺が収まった船から南に向かって漕ぎだして行った。
あたし達の走竜が曳く船は一番最後に門を出た。
みんなの船が出るのを待って居る間に、あたし達は、自分達の乗った船に更にもう二艘づつ船を繋いだ。
走竜の体力を考えると余裕がありそうだったからだ。
新たに繋いだ二艘の船には積めるだけの水と干し肉を詰め込んだ。
南の新大陸までどれだけかかるかわからなかったからだ。ゆとりは多い方がいいのだ。
さあ、あたし達の順番が来た。水位はすっかり下がってもう膝よりも低くなっていた。
「さあ、お願いね」
声を掛けると、走竜達はゆっくりと歩き出した。繋がった三艘の船は軽々と曳かれて行く。
あたしの船にはあたしと教授、アドラー、情報部のアセット氏と聖騎士団の老兵が四人。ポーリンの船にはメイと聖騎士団の老兵が六人。クレアの船にはクレアと聖騎士団の老兵が八人が乗り込んだ。
あたし達走竜が曳く船には水と肉が豊富に積まれているので、ばらばらに行動する事になっている。他の船の間を進み、水の足りなくなった船に補給をするのだ。
まだ水位が浅い為、走竜は泳ぐと言うよりもその強靭な足で大地を蹴って走って行くので、大変力強かったが、他の船は人力なので遅々として進まない。
少し漕ぐとすぐに疲れてしまい交代をしている。見ているとイライラしてしまうのだが、こればっかりはどうしようもなかった。
海に出るまで後何日かかるのやら、先が思いやられる。
ここはまだ内陸なので周りの水は地下から湧き出して来た淡水なので、周りの水を飲む事で携帯の水を温存出来た。
水質は・・・今は考えないでおこう。腹を壊しても、干からびて死ぬよりはましだろうからだ。
ただ、最低限の対策はした。用を足す時間を限定したのだ。
用足しの時間がきたら、みんな水に飛び込んで水の中で用を足して、その間は周りの水は飲まない。
用足しが終わってある程度進んでから水飲みを解禁するといった、まあ今出来る事を徹底した。
遅々と進まない航海だが、それでも夕方にはイルクートの外壁が小さく見える所までやって来た。
この小舟の船団をポーリンとクレアに任せて、あたしの船は途中から単独で『ムラ』にある転移門に向かった。
エレノア様の安否だけは確認しなくてはならないからだ。
焦る気持ちとは裏腹に周囲は確実に暗くなってきている。まずい、もっと急がないと。
暗くなってしまっては周囲に敵対勢力が居た場合、襲撃される危険が出て来る。
走竜を急がせたのだが、『ムラ』の近くに到着した時には既に周囲は真っ暗だった。
さて、どうしようか。『ムラ』は既にすっかり闇に沈んでしまっていて様子はまったく伺えない。
思い切って突っ込むか?
その時だった。
「おかしいですな。『ムラ』から人の気配がありませんね。周囲にも人の気配が全くありません」
さっきまで静かだった情報部のアセット氏が静かに呟いた。
「全員無事転移出来たって事なの?それなら問題無いんだけど・・・」
「ここで考えていても埒が明きません。夜が明けるのを待つか、危険ではありますが今直ぐに突入するか、判断をお願いします」
さらっとすまし顔で大事な決断を押し付けてくるあたり、教授の人生経験の多さを物語っているわけか・・・。
「あたしが決めるの?」
ささやかな抵抗を試みるが、ニコニコと押し付けて来る。
「はい、お願いします」
暗くて表情は見えないのだが、絶対に、間違いなく、ひゃくぱーニコニコしているに決まって居る。断言出来る。
抵抗は無駄の様だった。
あたしは大きく息をはいてから、真っ暗な前方を見つめハッキリと言い放った。
「わかった。行こう」
すかさずアドラーが言葉を繋いだ。
「危険ではあるますが、松明で周囲を照らしながら行きましょう」
「危なくない?」
「どのみち危ないのは変わらないわ。同じ危ないのなら、暗闇で襲われるよりは、襲う相手が見えた方が対処が出来るのでは?」
「確かにアドの言う通りかも・・・」
「うん、逃げ損ねた人が居ても、見付けられるしね」
そんなこんなで『ムラ』に強行突入する事に決まった。
どこに隠し持っていたのか、人数分の松明を用意した情報部のアセット氏の手際の良さに、怖さを覚えたのは内緒だ。
周囲を松明で明々と照らしながら『ムラ』に入って行くが、静まり返っていて、走竜が立てる水の音だけが暗闇に響いていて不気味だった。
やがて、前方に広場が見えて来た。広場の中央には祭壇があり、その中には転移門があるはずだった。
さらに進んで行くと祭壇が見えてきたが、その状況に思わず息を呑んだ。
真っ暗闇の中、松明に照らされた祭壇は、あたしの目には小さな小島の様に映った。
小島の中央部にその祭壇があり、その奥に転移門がぽっかりと口を開けているはずだったのだが・・・。
松明の灯りを反射して色鮮やかに光る水面が、あたし達の船べりから祭壇まで続いていて・・・。
その色鮮やかな輝きが転移門の中にまで続いているではないか。
どういう事?転移門の中まで?
「姐さん、転移門・・・半分水没していますね。あれでは、もう既に機能していないのでは?」
「うむ、機能していたとしても、中は水で一杯ですから入って行くのは難しいのでは?」
うーむ、教授はいつも冷静っていうか、冷めた目で物を見ているのね。
「さて、シャルロッテ殿、水浸しになった転移門に入ろうとする者がいるのかって事ですな」
「それって・・・」
「入れないのなら、歩いて南を目指すと考えるのが妥当じゃないかな。まだ、水深はそれほど深くないみたいですし」
だな、アドラーの言う事には説得力があるわね。
「もしくは、高台を目指すのでは?蛮族の国との国境を越えてしばらく行くと高くはありませんが丘陵地帯があるはずです」
ほんと、情報部員の知識は賢者クラスなの?たいしたもんだわ。
「それはどうでしょうか?果たして一介の領民に蛮族に関する知識があるのでしょうか?」
アドラーの知識量にも驚愕だわ。
「いやあ、迂闊でした。お嬢さんの見識の深さには脱帽ですね。確かに蛮族の国土についての情報など、我々くらいしか持ち合わせていないのでした。一介の領民が持ちえないと思う方が正しいでしょう」
賢者がふたりで、神々の会話をしているわ・・・。
「それじゃあ、このままここを離れて・・」
そこ迄言ったあたしの言葉をアセット氏が緊張を持った鋭い声で遮った。
「しっ!黙って!!」
そう言うとアセット氏は持っていた松明を祭壇の方に向けて厳しい目をしている。
いつの間に左手には短剣を握りしめていた。
「なにやつっ!」
アセット氏の鋭い声が暗闇に響き渡った。
老兵達も各々が武器を手に・・・と言っても、一本の剣と一本の槍しかないので、後は各自が護身の為に持っていた短剣だけだった。
あたしも短剣を手に身構えた。
しばらく睨み合いが続いたのだが、やがて暗闇からのかすれた一声で事態が動いた。
「南じゃ・・・」