109.
あたしは、チッチィと呼ばれた少女を馬車の御者席の隣に座らせて案内をさせている。
来た道を思い出しながらなので、当然速度は抑えめだが、この子の案内には頭を抱えていた。
通り過ぎてから、「さっきの所を曲がるんだけどお」
なにも言わないから、このまま真っ直ぐでいいのかと思って「このまま真っ直ぐでいいのよね?」と聞くと、「ここ、しらなーい」
で、何度も行ったり来たりだった。
おまけに、集中力が切れたのか、持っていたお人形で遊び始める始末。もう、お手上げだった。
どうしようかと思案していると、アドラーが何かに反応した。目をつぶって瞑想している様だった。
「アド?どうしたの?」
「何かが聞こえます。争っている様な声です」
「方向は?」
「そうですね、左前方・・・かな」
助かったぁ。アドラーの瞑想で迷走から脱却できそうだ。
「ポーリン、先に行って!」
「はいな」
ポーリンは単騎で駆けて行き、あたしも馬車でその後を追った。
不安そうに前方を凝視するチッチィの肩に手を置き、そっと引き寄せた。
いったい何が起きているのか、あたしも不安だったが、考えている暇も無く直ぐに現場に到着した、、、のだろう、前方にポーリンの走竜が停止して居るのが見えて来た。
暗くて良く見えないが、どうやらポーリンは路上に降りている様だ。
壁に身を隠しつつ、何人かの男性と話をしているみたいだった。
あたしは、ポーリン達から少し距離をおいて馬車を(正確には竜車なのだが・・・)止めてみんなの所に歩いて行った。
ポーリンと話して居たのは、九十は過ぎているだろうと思われる爺様だった。
付近にも数人の人影が見えたが、誰もがみな同じ位か若干若い位の年齢の様で、服装からして、どこにでも居る普通のお年寄りにしか見えなかった。
「状況は?」
周りに素早く目をやり、ポーリン達に近づきながらそう問うた。
「なんじゃ、おまいさんは?ここは女子供の来る所じゃないぞ。さっさと帰れっ!」
すぐに不機嫌そうな声が返って来た。
「お爺ちゃんがいじめられているから、助けてって依頼を受けて来たんだけどお?あたしらが女子供だったら、あんただってヨボヨボの爺いじゃないの?」
売り言葉に買い言葉だった。あたしも感情に任せて言い返してしまった。
「チッ、あの聖騎士団のキツネ爺いめ、よりにもよってこんな役にも立たねえ娘っ子なんぞを寄越しやがって」
「言うに事欠いて、役にも立たない娘っ子ですってえ?悪いけど、あんたらヨボヨボ爺いより何倍も役に立つわよっ!」
ホント、むかつくぅ~。何なの、この悪態爺いはっ!
その時、竜車からチッチィが飛び出して来て、叫びながらこちらに走って来た。
「お爺いちゃぁ~ん!」
その声にハッとして振り向くやいなや、悪態爺いの顔はみるみる好々爺へと変貌していった。
「おうおう、チッチィや、どこに行っておったんじゃ。爺ちゃん心配したぞ」
一体何なの、この変わり様は。二重人格者か?とても同一人物とは思えないわ。
あっけに取られて、呆然と二人を眺めているうちに、わらわらと人が集まって来た。
なんだろう、みんな老人なのはいいとしても、みんな小ぶりなのはいいとしても、みんな、ずんぐりしている。
そんなに太って居るとは思えないのだけど、みんなぽっこりとお腹が出ている。
次々と集まって来た小太り老人達を見ていると、チッチィを抱きしめていた頑固爺いがおもむろに立ち上がった。
周りを取り囲む小太り爺さん達。瘤取り爺さんではない。念の為。
すると全員があたしの方に向き直った。
そして、チッチィを隣に置いた頑固爺い、おそらく彼がイタマなのだろう、おもむろに口を開いた。
「せっかく来てもらって悪いんじゃが、ここはチッチィを連れて退避してくれんか。ここはワシらだけで十分じゃきに」
「待って待って待って、十分って、ご老人だけで正規軍相手に十分な訳ないでしょうっ!」
あたしは慌てて声を荒げてしまった。
急なあたしの大声に、チッチィがビクっと身を震わせたのがわかった。だが、あたしの口は止まらなかった。
「相手は軍人、それにみんな若くて力があるのよ?こんな小太りの老人で太刀打ち出来る訳がないでしょうに、誰が見たって相手にならないってわかりそうだと思うんだけど?」
だが、なんだろうこの老人達のこの余裕のある微笑みは。みんな穏やかな顔で微笑んでいる?
「ふふふ、確かにな。一対一で格闘戦をやるんじゃったら、おそらくひとたまりも無いじゃろう。その位のことはこの老いぼれた頭でもわかるさね。じゃがな、そもそもワシらはそんな力技をするつもりはないしする必要もないんじゃ」
「どういう事?」
「ワシらの先祖はの、リンデ様の片腕じゃったのじゃ」
「えっ?それって・・・」
「我が祖先はずっとリンデ様のお世話をして来たのじゃ。リンデ様が身罷られた後、リンデ様の姫様を政治利用したい貴族共に力で奪われてしまったが、力で対抗出来なかった先祖は、リンデ様の遺言を受け継ぎ連綿と守り続けて来たのじゃ」
「遺言?」
「そうじゃ。姫様は奪われてしまったが、もし、姫様に何事か不幸が訪れた際には頼むと・・・」
「それが、、、今だと」
「そうじゃ。何百年もの間、我が一族は只それだけの為に生きて来た。リンデ様の洞と姫様の子孫を守る、その為にな」
「でも、一介の領民にそんな事出来る訳が・・・」
「ワシらには出来るのじゃ。ワシらにはリンデ様から授かった『破滅の円盤』がある」
「破滅の・・・?」
「失われた技術だそうじゃ。先祖代々長老家である我がイタマ家に一子相伝でその製造方法が伝わって来ておるのじゃ」
「なんなの?その円盤って・・・」
「中にはの、プードルと呼ばれる粉が詰まっておってな、紐を引くと周囲の物を跡形も無く吹き飛ばすのじゃよ」
「そんな物があるなんて聞いた事も無いわよ!」
「だから、失われた技術じゃと言っとろうが。これ以上はリンクシュタットの娘だろうが秘密じゃ」
「・・・!知って居たの?あたしの事」
「ふぉふぉふぉ、当然じゃ。年寄りを舐めるでない。知識量はお前さんの比ではないわ」
ううう・・・確かに。
「そ それは置いておいて、そんな何百年も前の物が使える訳が・・・」
「だから、年寄りを舐めるで無いと言っておろうが。円盤はな、特別の地下倉庫に管理されておるのじゃよ。一年を通して同じ温度で、倉庫の周囲はなにやら白い石で囲まれていて湿度も低く保たれておるのじゃ」
「すごい・・・」
「ああ、常に新しく製作して古い物と交換するのは長老の大事な務めのひとつでな、古い物などひとつもありゃせんわ」
なんか、話しを聞いて居るとおとぎ話を聞いて居るみたいで、まったく現実味が無く感じらなかった。
「信じられんか?そうじゃろうなぁ、じゃがこれは事実での。今までただ無駄に生きて来ただけじゃったが、やっとお役に立てる時が来たのじゃ。こんな嬉しい事はない」
「敵兵は続々と出て来るのよ。年寄りだけでどうやってその円盤を仕掛けて侵入口を塞ごうっていうの?無理だわ」
それでもなぜか長老のゆとりのある表情は変わらなかった。
「この日の為に何百年もの間準備をして備えて来たのじゃ。見よっ!」
長老の掛け声と共に、集まっていた老人達は上着の前をがばっと開いて見せて来た。
「なっ!!」
あたしは目を疑った。なんと、老人達の腹にはなにやら丸い円盤状のものが腹帯で括り付けられていたのだ。
「えっ!?まさか、それって・・・」
「ここに集まっているのは皆我が一族でな。すでにバラキ家とンマ家、イガタ家は遠方の抜け道潰しに向かっておる。ここに居るのは総本家である我がイタマ家と従家であるナガワ家とマグチ家の突撃要員、つまり無駄飯食いばかりじゃ。居なくなっても誰も悲しまん」
「そんな、命に重い軽いなんて無いわ!どれひとつとっても神聖なものだわ」
「ふぉふぉふぉふぉ、綺麗ごとじゃな。じゃが、まあいい。ワシらは誰一人として悲しんでなどおらん。なぁ、皆の衆。この大事な時に聖女様のお役に立てるのじゃ、惰性でだらだら生きながらえておるよりもよっぽど有意義な人生じゃ」
「そうじゃ!」「そうじゃ!」とみんなから賛同の声が上がった。
「これはワシらの夢にまで見た、最初で最後の晴れ舞台なんじゃ。見事勤めを果たそうじゃあないか」
その時だった、少し離れた所で大きな爆発音がした。
「な なに?」
「ほう、あれは公会堂の方ですな。担当はイガタ家の分家のシカワ家とマガタ家でしたかの」
「うむ、一番乗りを取られてしまったか。ワシらも負けてはおれんぞ」
「大丈夫でさね。目の前の農機具牽引車工場にはマグチ家とナガワ家の生きの良い連中が向かっておりますれば」
「おお、そうであったな。あいつらなら大丈夫だ。まだ七十になったばかりの若い連中だからなんとかしてくれるじゃろう」
七十で若いだって?いったいどんな感覚しているのよお。
再び別の方角から地響きと共に激しい爆発音を感じた。その方角を見ると夜空を染め上げた真っ赤な炎ともうもうと立ち上がる黒煙が確認出来た。
みんなして嬉しそうに黒煙を見上げている。
「もう少し、もう少しじゃ」
「長老さんや、円盤の引継ぎは終わって居るのかの?」
ずっと長老の脇に居た、顔面を真っ白な髭で覆われた腹心と思える長身の老人がそう訊ねた。
「ふぉふぉふぉ、心配には及ばんよ。もう長男に全て引き渡した。あ奴はワシよりも先が見える。ワシよりも賢い。きっとみんなを導いてくれるわ」
「ほほほ、それはなによりだのう。今回の事は、早よう次世代に引き継げよっていう天の啓示なのかもしれんのう」
「ほんに、そのようじゃのう。ふぉふぉふぉ」
な なんなのお?目の前で命のやり取りをしてるっていうのに、このまったりした空気はなんなの?おかしくない?
目の前に見える農機具牽引車工場は、イルクート内でも有数の巨大な石造りの三階建て建造物で、丈夫な事この上なかった。
つまり、それは立て籠もられると厄介である事を示唆していた。
現在は、地下通路を使って侵入して来たカーンの兵が占拠していて、その周囲を聖騎士団老人部隊と地元老人会の面々が取り囲んで膠着状態となっていた。
時折、矢が飛び交っているみたいだが、散発的に過ぎなかった。おそらく連中は兵力が溜まるのを待って居るのだろう。
時をおけば、敵は打って出て来る事は明らかだった。そうなると、もうこの老人部隊では押さえられないだろう、早く何か手を打たねばイルクートは内部から崩壊してしまう。引き際を誤っては犠牲が増えるばかりだ。
どうする?一旦戻って、教授と相談するか?
そんな時だった。
目の前の農機具牽引車工場の巨大な建物の内部でくぐもった轟音が響いた。少し置いて二度、三度と轟音と地響きが伝わって来た。
何事かと凝視していると窓や扉の隙間からちょろちょろと水がしみ出して来たのが見えた。
やがて、一階の窓を突き破って大量の水が噴き出して来て辺りは洪水の様相を呈してきた。
窓は、大量の水と共に敵の兵士も押し流して来たので、周りで待機して居た聖騎士団の兵士達に囲まれていともたやすく討ち取られている。
いったいこれは・・・
長老を見ると、満面の笑みだった。