100.
象の様にのろのろとしたエレノア様の隊列から離れたあたし達は、一定の距離を置いて遊弋していた。
こうしてのんびりと馬車に揺られていると、自分の生活している王国がまもなく消えてなくなる瀬戸際とは思えなかった。
王都から進発したと報告のあった伯爵の追撃軍もいっこうに姿を見せなかった。
どうやら、お頭の報告の通りみたいだった。蹴散らそうと思ったが、お頭の姿を見たとたん、追撃軍の兵士達は一目散に逃げ出したのだそうだ。
迎撃に出掛けたお頭はすぐに戻って来て「すげーつまらんかったぞ!」とぶつくさ言っていたっけ。
今は、あたしの馬車の横で居眠りしながら馬に乗っている。器用なもんだ。
この平和がイルクートまで続くと最高なのだが、そうはいかないのが現実だった。
けっしてあたしが不幸体質だとかそう言う訳では無い。そう、お頭のせいだ、きっとそうに決まっている。うん。
そんな時だった。不意に声を掛けられた。
「何をのんびりしておるんぢゃ?もう時間がありゃせんぞ」
「・・・!! ぢゃ?」
反射的に立ち上がり、屋根の上を見上げると、そこには・・・・帰って行ったはずの、子供竜王様が胡坐をかいて座って居た。
気のせいか、顔色が悪く見えた。
「竜王様、どうなさったのですか?」
「どうもこうも、避難が進んでおらんから、わざわざ見に来てやったんぢゃないか。いったい何をしておるんぢゃ」
呆れた様に言われてしまった。
「そうは言われますが、エレノア様の頭が堅くて・・・その、なかなかこちらの言う事を聞き入れて頂けなくてですね・・・」
「ふん、そんな事ぢゃないかと思っておったわ。時間が無いでな、聖女の元に行くぞ。ワシが直接真実を話して進ぜよう。さあさっさと聖女の元へ行くがよい」
あたし達の会話を聞いていたポーリンが走竜に話しかけると、馬車は軋みながら加速しエレノア様の隊列に急接近して行った。
走竜は知能が高いので簡単な意思の疎通が出来るので、こういう時はとても楽だった。
そんなあたし達の馬車に気が付いた聖騎士の数騎が槍を構えて物々しく、だがゆっくりと接近して来た。
うーん、なんなんだ?あの中途半端な対応は・・・
槍を構えている所を見ると警戒しているっぽいのだが、それならもっと数を出して一刻も早く相手が敵か味方か判別しなきゃならないんじゃないの?もし敵だったらどうするのよ。
平和ボケした軍隊ってこんなもんなのか?エリートであるはずの聖騎士がこんなでいいの?
やがて声の届く距離まで聖騎士は接近して来た。のんびりと・・・。
「おい、貧民。この車列は聖女様のご一行である。痛い目を見ない内にただちにここから立ち去れ!いいな」
をいをい、あたし達が誰か連絡と言うか、報告受けていないのか?報・連・相はどうなってる?
「あたし達はエレノア様の護衛として来ているのよ。報告受けていないの?」
あたしは、呆れてそう質した。
だが、帰って来た答えは、半分予想通りだった。
「護衛だあぁ?そんなものは我らが居るから必要ないし誰が下賤の者にそんな重要な役目をさせるかよっ!戯言は寝て言えっ!そもそも護衛をしなくてはならない様な相手がどこに居るというのだ!」
こいつら、カーン伯爵の事を聞かされていないのか?
いい加減頭に来た。
「あんたら・・・」
だが、あたしの叫び声は不意に遮られた。
「痛い目だって?痛い目ってどんな目だい?面白いから後学の為に見せてくれよ、聖騎士の兄さんよ」
うーん、まともな顔になっても、お頭が言うとなんか変だ。
当然、言われた聖騎士も心中穏やかではないだろう、真っ赤な顔をして槍を構えて来た。
「おい、俺はこいつらと遊んでいるから、やることやっちゃえよ」
お頭は聖騎士達を見ながら、ぼそぼそとそう呟いた。
「うん、宜しく。ポーリン?」
名前を呼んだだけで理解した彼女は馬車を走らせた。
馬車と言っても、走竜が牽いて居るので性格には竜車なのだが・・・。
「あっ、こらっ!」
慌てた聖騎士だったが、「おっと、お前達の相手は俺だぜよ。さあ遊ぼうぜ」
そう言ったお頭に行く手を遮られた聖騎士達はあたし達を追う事も出来ず焦っていた。
あたし達は、構わずエレノア様の車列に向かった。問題はあの豪華な三両の馬車のどれにエレノア様がおわすのかだが・・・
「ふっ、真ん中の奴ぢゃよ。くだらん目くらましぢゃな」
また、考えを読んだな・・・
更に接近すると、又数基の聖騎士が駆け寄って来た。
また同じ説明せにゃならんのか?と思って居ると、先頭の騎士が手を振りながら走り寄って来た。
「ん?」
みんな同じ鎧だから誰だかわからん。それに自慢じゃないが、あたしは人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
「ロッテ殿っ、ロッテ殿ではないですかあぁ!」
ん?だれだ?分らん。だが、向こうはあたしを知っているみたいだな、ここは大人の対応をしておくか。
「そうねえっ、こんな所で会うなんて奇遇ねぇ。ははは」
もう目の前まで接近してきたが、全然わからん。
「以前、ロッテ殿のお宅で聖騎士団初任者訓練をさせていただいたジアルジア少尉であります。その節はお世話になりました」
ああ、家に来ていた見習いの一人だったかぁ。はははは。
「お元気そうで良かったわ、少尉さん」
「有難う御座います。して、今日はいかがいたしましたか?この車列は聖女様の車列ですぞ」
「なんにも連絡はなかったの?あたしはエレノア様をイルクート迄護衛する為に来たのよ。エレノア様と話があるので通してもらうわよ」
「この事は、騎士団長閣下もご存じの事なのですね?」
真剣な眼差しで聞いて来るが、あたしは嘘はついていないんだからしょうがないわね。
「そうよ。父上の勅命よ」
暫く難しい顔で考えていたみたいだったが、不意に笑顔になった。
「わかりました。お通り下さい」
こうして、あたし達はエレノア様の元に到達した。
だが、そこにはラスボスが待ち構えていた。
そう、眉間に深ーい、深ーい皺を寄せたばばあ いや、女官長だ。歩く石頭と言ってもいいだろう。
女官長は馬車の出入り口の所で仁王立ち&鬼の形相で我々を出迎えてくれた。
「下賤の者が性懲りも無く何をしに来やった。ここはお前達の様な者が来て良い場所では無い。さっさと去りなさい!」
相変わらずの物言いだった。
そっちがそう言う態度なら、あたしも容赦しないわよ。時間もないし。
「今までは職務に忠実なのだなと思えばこそ、こちらも強くは出ませんでしたが、あなたがそこまで身分うんぬんを前面に持ち出して来るのなら、あたしも遠慮はしないわ」
こいつ、気がふれたか?ってな顔をして見て来るが、もうそんなの関係ない。あたしは突っ走るのみ。
ひと際声を大きくして話を続けた。
「たかが女官長程度の下賤の者が口を出して来るんじゃあない!あたしはリンクシュタット侯爵家息女シャルロッテ・フォン・リンクシュタットである。加えて言えば、当然護衛に当たっているの聖騎士団は聖騎士団長である父の配下となる。これ以上しゃしゃり出て来るつもりであるのなら、聖騎士団に命じてお前を排除するのみ!よろしいか?」
多少は自分の置かれている状況が理解出来たのだろうか?顔面を蒼白にして手足もがたがたと震え出したようだ。
「最後の警告よ!おとなしく・・・・」
そこまで言った所で御簾をたくし上げてエレノア様が顔を出して来た。
「お話しは聞いて居りました。お前はお下がりなさい。シャリロッテ様・・でしたか、どうぞ中へ・・・」
そう言うと車箱と呼ばれる人が乗る部分に引っ込んで行った。
「おっ、お待ちくださいっご主人様っ・・・」
「くどいわ。お通しして下さいな」
結構びしっと言われるんだ、知らなかった・・・でも、人の名前は覚えないのね。あたし、シャリじゃないのになぁ。
でも、そんな些細な所に拘っている場合じゃない事は重々分って居る。
だから、大人しく招待を受ける事にした。
馬車には、あたしと子供竜王様の二人で乗り込んで話し合いをする事にした。
中に入ると、まぁなんて広くて豪華なんだろう。大の大人が余裕で十人以上は入れる感じだった。
調度品も、パレスと見劣りしない物ばかりだった。
驚いて周りをきょろきょろと見回していると、エレノア様は恥ずかしそうに俯きながら
「粗末な物ばかりで恥ずかしい限りですわ」
どこが?何を言っているんだ?この壺ひとつ売っただけで、いったい何百人の飢えた子供が食にありつけると思っているんだ?世間知らずとは恐ろしいものだ。
だが、今はそんな事を言っている時ではない。
「エレノア様、この度は強引な真似をしてしまい、大変申し訳ございません。ですが、緊急時と言う事でご容赦願います」
あたしは、片膝を付き深く頭を下げた。
「まあまあ、今はその様な堅苦しい事は無しに致しましょう。それで?何か重要なお話しをして頂けるのですよね?」
顔を上げると、エレノア様はご自分専用の豪奢な椅子にゆったりとお座りになって、ニコニコとあたしを見ておられた。
「はい、まずはご紹介を致します。ここにおわすお方は・・・」
「ああ、よいよい。自己紹介は自分でするでの」
そう言うと子供竜王様は一歩前に出た。
「まずは、長い事我に代わって民を見守って来てくれた事に感謝しよう」
そう言うとちょこんと頭を下げた。
エレノア様は、きょとんとしたお顔をされていた。まあ、いきなりそんな事を言われても理解が追い付かないだろう。
「その昔そなたの先祖に力を与えたのはワシなのぢゃよ」
「あのぉ、それはいったい・・・」
「ふぉっふぉっふぉっ、そうぢゃろうな。ワシの正体はベルクヴェルクの山奥に住む老いぼれた竜なのぢゃよ。信じられんか?」
「ええっと、この様な時にはどの様な顔をしたら良いのでしょうか?」
「素直に驚けば良いのじゃよ。まあ時間も無いので多少端折るが、ひとつ教えて置いてやろう。そもそも聖女などと言うものは時の為政者が政治をし易くする為にでっち上げた存在なのぢゃよ。マルティシオン教などと言うものも為政者がでっち上げたものぢゃ」
「そんな・・・それじゃあ、わたくしのこの力はなんなのでしょう?この力こそ聖女の証なのでは?」
「ああ、その力な。それはその昔そなたの祖先にワシの力を少し授けたその名残りぢゃ。まさか子孫にまで継承されるとはワシも想定外ぢゃったがな」
「そうなのですね」
意外とエレノア様はすっきりしたお顔をなされていた。
「ほう、そなた素直に信じるのぢゃな」
「はい、こんな嘘をついても誰も得はしないと思うのです。聖女が便宜的に仕立てられたものであるのなら、これでわたくしも聖女という重荷からはお役御免と言う訳でございますね」
そこまで話すと子供竜王様が視線を送って来た。
あたしはおもむろに一歩前に出て静かに話し始めた。
「まだですよ、エレノア様。これからの事が一番大事で、エレノア様でないと出来ない大切なお役目が残されているのです」
「まぁ、わたくしに出来る事がまだ有るのでしょうか?」
「はい、エレノア様にしか出来ない事があるのです。その為にイルクートに向かって居るのです」
「そうなのですね」
「ええ、時間が無いのです。実はこの大地が海の底に沈んでしまうのです。人も建物も一切合切」
「まぁ・・・」
「そこで、民を安全な地に避難させる為の門を設置して避難を進めていたのですが、どうやら我も我もと避難する者達で門の前が大混乱なのです」
「なるほど。そうなのですね。わたくしはその混乱を鎮め民の避難を促せば宜しいのですね」
「はい、大変申し訳ないのですが、お願い出来ますでしょうか?」
本来であれば、とても頼めるような案件ではなかったのだが、エレノア様は・・・
「ええ、ええ、喜んで。こんなわたくしがお役に立つのであれば、何でもやらせて頂きましょう」
まあやってくれるだろうと期待はしていたのだが、いざこうもすんなりと二つ返事で了承をされてしまうと、肩透かしをくらった様な気がした。
でも、これで一安心、思ったよりも簡単に任務が終了しそうだと楽観視していたのだが・・・。
そこはこの世界の事である。手抜かりなどあろうはずも無かった。ちゃんと不幸体質であるお頭のスキルが満を持して発動されるのだった。
もう疲れたからと、子供竜王様が本体のあるベルクヴェルクのお山に帰った後に・・・。