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弥勒の拳エピソード0  作者: 真桑瓜
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時計台

時計台


                     1



十二月、北海道の冬は厳しい。囲炉裏に薪を沢山焚べても背中の寒さは如何ともし難い。

江戸育ちの舞介には冷気が身に凍みる。

見兼ねた鉄一の妻、操は旧知の吉田茂八に、庶民には高嶺の花だった西洋式ストーブの入手を依頼した。

茂八は鉄一と同様、豊平川の渡し守で川の左岸に住んでいたが、鉄一が渡し守の職を解かれてからも、一人で渡し守を続け、傍ら掘削・建築業を営み財を成した人物である。

茂八は開拓使の役所で不要となったストーブを安価で譲り受け、鉄一の家に持って来てくれた。



「操さん、このストーブどこに据えようか?」茂八は大八車に乗せたストーブを叩きながら操に訊いた。

「まあまあ、ほんにお手数をかけて申し訳ありませんねぇ。台所と反対側の土間の隅ではどうでしょう?」

「それが良かろう、鋳物だから結構重い、板張りでは床が抜ける」茂八は、大八車を引いて来た若い衆にストーブの設置を支持しながら言った。「鉄つぁん、あんたももう歳だ、ここの冬はこたえよう。だがこのストーブがあれば暖かく過ごせるぞ」

「なあに、長年この土地に住んで寒さには慣れた。じゃが東京者の舞介殿には厳しかろう、礼を言う」鉄一が茂八に頭を下げた。

「水臭い、あんたと俺の仲じゃないか。遠慮は無しだ」そう言って茂八は舞介を見た。「あんたが舞介さんかい?」

「はい、お初にお目にかかります。伊藤舞介と申します」舞介は茂八にお辞儀をした。

「学生さんかい?」又、茂八が尋ねる。

「いえ、まだ。来年札幌農学校の募集に応募しようと思っています」

「そうかい、頑張りな。俺も役人には顔が利く、色々と情報を仕入れてやるよ」

「有難うございます、何せ初めての土地で要領を得ません、どうぞよろしくお願い致します」

「ああ、任せときな」

茂八は、ストーブを据え付けると、若い衆と一緒に帰って行った。



茂八が帰ると、操は早速薪をストーブに焚べた。やがて、部屋全体がほんのりと暖かくなった。

「ほんに暖かいねぇ。春のようじゃ」操が目を細めて溜息をついた。

「う〜む、ストーブがこれ程の物とは・・・」鉄一も唸る。

「これで舞介さんの勉強も進みましょう、しっかりおやりなさい」操が舞介を見てにっこり微笑んだ。

「はい、有難う御座います。きっとお二人のご期待に添うよう頑張ります」



一週間後、茂八が一人で鉄一の家にやって来た。

「操さん、ストーブの調子はどうかね?」

「まあ、茂八さん。まるで天国にいるみたいに暖かですよ」

「そうか、そりゃ良かった・・・」茂八の表情が冴えない。

「茂八さん、どうかしたのかい?顔色が冴えないけど・・・」

「うむ、実は・・・」

「実は?」

「悪い知らせを持って来た」

「悪い知らせ?」

「ああ、舞介さんはいるかい?」

「今、うちの人と裏で剣術の稽古をしているよ。呼んでくるから待ってて」

操は玄関から飛び出して行った。

暫くして、鉄一と舞介が木剣をたずさえて戻って来た。後ろから操もついて来る。

「茂八、悪い知らせとは何だ?」鉄一が訊いた。

「うむ、舞介さんに関わる事だ。農学校の募集についてだが・・・」

「何かあったのですか?」舞介は気負い込んで訊いた。

「来年は官費学生の募集を行わないそうだ」茂八は申し訳なさそうに言った。

「えっ・・・」

「新政府の親玉と開拓使の首席判官が大喧嘩をしたらしい。それで予算が出ない」

舞介は絶句した。鉄一と操も言葉を失った。

「まぁ、そういう事だ。気を落とすなと言う方が無理だろうが、何か他の道を探すんだな。何ならうちで雇ってやってもいいが・・・」茂八が鉄一を見た。

「今はまだ、すぐには心が定まらんだろう。茂八、よう報せてくれた。また改めて返事をするでな、今日の所は帰ってくれ」鉄一が、舞介の気持ちを代弁した。

「分かった、できる限り力になる。何でも言ってくれ」そう言い残して、茂八は帰って言った。

「う〜む、舞介殿、困ったことになったなぁ?」鉄一が唸った。

「まだ、何も考えられません。ですが、こうなった以上ここにこれ以上厄介になる訳には参りません」

「と言うてもなぁ。取り敢えず雪が溶けるまでここにいろ。その間に良い考えが浮かぶやもしれん」

「はあ・・少し休ませてください・・・」舞介は、肩を落として奥の部屋に引っ込んでしまった。



                     2



年が明けた、明治十二年。失意の舞介は札幌の街に出た。諦めきれず、札幌農学校の敷地内をふらふらと彷徨さまよう。竹刀の音が聞こえる。「撃剣の稽古をやっているんだなぁ」舞介は引き寄せられるように音のする方向に歩いて行った。

異様な建物がそこにあった。モダンな白い二階建洋風建築だが、てっぺんに時計台が付いている。

「札幌農学校・・・演武場?道場なのかここは・・・」

舞介は、窓からそっと中の様子を窺った。撃剣の防具をつけた学生達が、激しく撃ち合っている。

「へ〜、農学校にも道場があるんだ」舞介は、学生達の稽古を見て微笑んだ。

その時、後ろから声がした。「何が可笑しい!」

振り返ると一人の学生が、怖い顔をして立っている。

「いえ、何も。ただ平和だなぁ、と思って・・・」舞介は、学生に向かって答えた。

「平和?俺たちの稽古を平和と抜かしたか、許せぬ!」学生は異様な剣幕で舞介に詰め寄った。

舞介は戸惑った。さっき言った言葉に嘘はない。ただ、西南戦争で本物の斬り合いを経験した舞介にとって、学生の撃剣などは、いかにも平和そのものに見えたのだ。

「気に障ったのなら謝る、どうすれば良い」

「道場で皆に土下座をしてもらいたい」

「それはできぬ。これでも元は幕臣の端くれだ」

「なに!それなら尚更のこと。新政府に楯突くことは許されん、土下座をせい!」

「断る!」舞介も、つい語気荒く応えてしまった。

その時、建物のドアが開いて稽古着を着た学生達がわらわらと出てきた。「池田、どうしたんだ?」

「こいつが、稽古を見て笑った」池田と呼ばれた男が答える。

「なにっ!」一番躰の大きな男が言った。「道場に連れて行け、制裁を加えてやる!」

舞介は、学生達に囲まれるようにして道場に入った。


「なぜ笑った?」巨漢が舞介に質した。

「仕方がない・・・」舞介は落ち着いている。

「なにが仕方がないのだ!」

「では、はっきりと言おう。あれでは人は斬れん」

「言いおったな!我々の剣道を馬鹿にしおって、袋叩きにしてくれる!」巨漢が竹刀を振り上げた。

「待て、後藤。素手の相手をいたぶったとあっては、後が面倒だ。得物を持たせよう」

「良いだろう、何がいい?」後藤が舞介に訊いた。

「ならば、真剣を・・・」

「なにっ!」後藤が一歩退く。

「・・と言いたいところだが、木剣を貰おうか」

「おい、持って来てやれ」後藤が息を吐き、歳下らしい学生に命じる。

舞介は、木剣を受け取ると二、三度軽く振ってから袴の紐に落とし差しにした。両手はだらりと下げている。

「構えないのか?」後藤が訊いた。

「これでいい」舞介が答える。

「ならば、行くぞっ!」後藤がいきなり突いて来た。

舞介は後方に尻餅をついた。いや、傍目にはそう見えたろう。

その時は既に、後藤の手から竹刀が無くなっていた。平抜き。鉄一と太刀合った時に寸前で止めた技を、今度は容赦なく後藤の右手首に決めた。

「ギャッ!」後藤は咄嗟に左手で自分の右手を抑えた。手首があらぬ方向に曲がっている。

舞介は、いつの間にか最初の態勢に戻っていた。

「居合か?」

「手強いぞ!」

「油断するな!」

学生達は口々に言って間合いを切った。皆、腰が引けている。舞介を遠巻きにしたまま誰も動かなくなった。

「ヤメナサイ!」その時、入り口の方から声がした。

「あっ!教頭先生』学生の一人が叫んだ。札幌農学校二代教頭ウィリアム・ホイーラーであった。

「クラーク先生ハ、ナント言イマシタカ?『紳士デアレ』言イマシタ、違イマスカ?」ホイーラーは舞介を包囲した輪に近づきながら言う。学生達は皆、項垂うなだれてしまった。

「私ノ建テタ建物ノ中デ、乱暴ハ許シマセン」ホイーラーは学生達を見回した。「コノ若者ハ、私ガ連レテイキマス、イイデスネ?」

学生達は、不承不承頷いた。

「アナタ、私ト一緒ニオイデナサイ」ホイーラーが舞介に言った。

「はい。ですが、どこへ?」

「ツイテ来レバワカリマス」

ホイーラーは、そう言ってさっさと歩き出した。舞介は慌てて後を追った、ここにいても良いことはない。

演武場を出ると、ホイーラーは札幌農学校の敷地を、東に向かって歩いた。

広い敷地を歩いてゆくと、平屋や二階建ての校舎と思しき建物が点在していた。そこからさらに奥に入った所に、煉瓦造りの立派な洋館が見えてきた。ホイーラーはその建物の中に入って行き、あるドアの前で立ち止まった。

「入リナサイ」舞介を促す。「ココハ私ノ執務室です」

中へ入ると、分厚い絨毯が敷いてあった。手前に応接セット、正面奥には執務机、壁の本棚には洋書がぎっしりと並んでいる、いずれも何かの専門書であろう。

「ソコニ掛ケナサイ」ホイーラーは舞介に、黒革の二人掛けソファーを勧めた。

「失礼します」舞介が腰を下ろすとホイーラーは舞介の正面に座った。

「私ハ、本学ノ教頭、ウィリアム・ホイーラ。貴方ハ?」

「伊藤舞介と申します」

「アノ技ハナンデスカ?」ホイーラーは舞介の目を見つめて、真っ直ぐに訊いた。

「居合です」

「イ・ア・イ・・・トハ?」

「刀を抜かずに勝負を決する技です。なので別名”鞘の内”とも呼ばれます」

「ホ〜、紳士ノ武術デスネ。アナタハソノ技ヲ誰カラ学バレタ?」

「父からです。父は幕臣でした」

「オー、サムライ!私、新政府ノ役人ハ嫌イデス、紳士デハナイ」ホイーラーは暫く考える風をした。「トコロデ、アナタハ何故アソコニ居タノデスカ?」

舞介は、西南戦争で戦った事、母が死んで故郷を出た事、札幌農学校に入る為に知人を頼ってこの地に来た事などを掻い摘んでホイーラーに話した。

「ところが、今年は官費生の募集はないと聞きました。ですがどうしても諦められず、フラフラと出て来てしまったのです。あの学生さんには、気の毒なことを致しました」

「彼ハ、自業自得デス。少シハ懲リタデショウ」ホイーラーは後藤が負傷した事など、少しも意に介していない様子だった。「アナタ、コノ学校ノ用務員ニナル気ハ有リマセンカ?」突然ホイーラーが言った。

「えっ!おっしゃっていることの意味がわかりませんが・・・」

「コノ辺ハ、夜ニナルト実習用ノ家畜ヲ狙ッテ、野生ノ獣ガ現レマス、時ニハ人モオソワレマス。ソノ警備ヲシテ欲シイノデス」

「しかし・・・」

「ソノ代ワリ、講義ハ自由ニ聴イテ構ワナイ、実習モ時間ノ許ス限リ出レバ良イ。ツマリ、特別聴講生ネ!」

「なんと・・・」

「ドウデスカ?私ノ提案受ケル気ハ有リマスカ?」

舞介は迷った。用務員では資格は取れない。だが資格を取るだけが勉強じゃない。資格など無い方が自由に動ける事もある。ここで技術を学べば、必ず開拓民の役に立つ。舞介はホイーラーの提案を受ける事にした。「宜しく、お願い致します」そう言って頭を下げた。

ホイーラーはニッコリ笑って頷いた。「デハ、一週間後ココニ来ナサイ。全テヲ用意シテ待ッテイマス」



                     3




豊平川の鉄一のところに戻った舞介は、二人にこの事を報告した。

鉄一も操も、我が事のように喜んでくれた。

「なんと、このような事が本当にあるのじゃな」鉄一が唸った。

「私も、まだ信じられません」舞介が言う。

「ほんに。きっと亡きお母様のお導きですよ」操も頷いた。

「操、前祝いじゃ。酒と肴をあがのうてきておくれ」

「はいはい、今夜はご馳走を作りましょうぞ」

操は、対岸にある購買所に橋を渡って出かけて行った。



「これも神仏のご加護と思って、しっかり勤めるのじゃぞ」

「はい、誓って」

鉄一は、つと立って奥の座敷に入って行った。戻って来た時には手に脇差を持っていた。

「これは儂が信州で宮使えをしていた頃に拝領したものじゃ、持って行くが良い」

「このような大事な物を・・・」

「良い。儂もそう長くはない、貰ってくれた方が嬉しい」

「しかし・・・」

「きっと、何かの役に立とうぞ」

舞介は、鉄一の差し出す脇差を、両手で押し頂いた。「有難う御座います。大切にいたします」

その夜、鉄一と操は、本当の息子のように舞介の幸運を喜び、別れを惜しんだ。


一週間後、舞介は新天地へと旅立った。荷物は二本の刀と、操が縫ってくれた綿入れの着物、それからわずかな書物だけであった。



                     4



札幌農学校に着いた時、ホイーラーは不在だった。だが秘書が全てを託されて、舞介を待っていた。

「永田です、お待ちしておりました。では用務員室にご案内いたします」洋服を西洋人のように着こなし、銀縁の眼鏡をかけた男が慇懃に言った。

舞介の部屋は、家畜舎の並ぶ一角の実習棟の中にあった。生活に必要なものは全て揃っている。

「給金は、月に二円五十銭です。決して高くはありませんがご辛抱ください」永田は申し訳なさそうに舞介を見た。

「いえ、私には過分に過ぎます」実際、舞介にはそう思えた。

「講義は、自由に聴講して構いません。但しあまり目立たないように」

「はい、心得ております」

「夜の見回りは一時間に一度。寝れるときに十分に仮眠をとっておいて下さい」

「はい」

「野生の動物は油断なりません、お気をつけて」

「わかりました」

「では、不明な点はいつでもお尋ねください。私はホイーラー教頭と同じ管理棟に居ます」

そう言って、永田は実習棟を出て行った。


舞介は、六畳一間に台所のついたその部屋を見回し、豊平川の方角に向かって手を合わせた。

「きっと、ご期待に添うよう精進致します」鉄一夫妻に心で呟く。

舞介は、大小の刀を押入れに仕舞い、布団を敷いた。

「さ、夜の見回りに備えて寝ておこう」





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