竹〜終章
竹
舞介が無門家の居候になってから、もうじき一年が経とうとしている。
ある日、舞介は仏間で弁千代と向き合っていた。
「伊藤、一年間待たせたな。漸く目処がたった」
「お手数をお掛け致しました」舞介は畳に手をついた。
「博多におる儂の武術仲間が、職業武術家を廃業して田舎に引っ込むことになった。ついては道場を居抜きで誰かに譲りたいと言っておる」
「はい、もったいないお話ですが私にはお金をお支払いする術がございません。やはり山奥の村に行って・・・」
「まあ待て、慌てるでない」弁千代は舞介の話を手で遮った。「そこで儂は考えた。福岡県警の本部長に推薦状を書く。県警の武術指南になれば良い。月々の給金の中からいくばくかの金を返していくのじゃ」
「なんと、そこまで・・・」
「儂は、お前さんの技を惜しむ。もっと大勢の人に伝えるべきじゃ」
「ありがたい事でございます。私のようなものにそこまでのご厚情、なんとお礼を申し上げて良いやら・・・」
「それはこちらの台詞、平助の為にお主を一年間独占した。こちらこそ礼を言わねばならん」
「何をおっしゃいます。ご恩はこの伊藤舞介、一生忘れるものではありません」
「そうと決まれば、善は急げじゃ。いつ発つ?」
「できれば明後日には」
「よし、明日中に推薦状を書いておく。明日は門出の宴じゃ、家内に馳走を作らせようぞ」
「有難き幸せ」
「平助、これが最後の稽古じゃ」翌日舞介は、平助を裏の竹林に連れ出した。
「据え物を斬るのは、さして難しい事では無い。今日は走りながら竹を斬ってみよ」
「はい!」平助は駆け出した。十本の竹を斬って竹林を抜けた。
「それでは、動作が大き過ぎる。一本の竹を斬るのにいちいち立ち止まるやつがあるか。実戦でそんなに時間をかけとる暇は無いぞ」そう言って舞介は帯に刀を差した。「見ておれ!」
舞介が走り出すと左右の竹が次々と斬り倒されてゆく。しかも驚いた事に舞介の走る速度が変わらない。刀を振りかぶる事も無く、ただ左右に返しているだけである。
舞介はあっという間に竹林を抜けた。
「平助、斬り口を見よ」舞介が命じた。「どうじゃ?」
「俺のは斜めに斬れているが、先生のは水平だ」平助が答えた。
竹を斜めに斬るのは容易い、しかし水平に斬るのは至難の技だ。
「そうじゃ」
平助は、ワッと舞介に縋り付いた。「先生、行かないでくれよ。俺はまだ何も出来ないんだ。もっと教えてください・・・」
舞介は、平助の頭を撫でた。「お前にはもう、教えることは何も無い。精進せよ・・・平助」
終章
「師匠、師匠。起きてくだっせ。師匠・・・」
平助はハッと目を覚ました。「おお、熊さんか。儂は・・寝ておったのじゃな?」
「なんか訳のわからんことば口走っておいなさったが?」
平助は、しばらくぼんやりしていたが突然言った。「熊さん、分かったぞ。あの、刀の持ち主が!」
「えっ!ほんなこつでごわすか?」熊さんも驚いて叫んだ。
「うむ、この道場も・・・」平助は感極まった顔をしていた。「不思議よのう、こんな事が本当にあるのじゃな・・・」
それ以上平助は何も言わなかった。
熊さんは、黙って平助の様子を見ているしかなかった。