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弥勒の拳エピソード0  作者: 真桑瓜
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梅雨

梅雨



                     1



「師匠、また雨の降ってきましたばい、洗濯もんば取り込んどきまっしょか?」

妙心館みょうしんかん居候いそうろう前田行蔵まえだぎょうぞうは、館長の無門平助むもんへいすけに尋ねた。

「おお、熊さん済まんな。道場にロープを張って部屋干しにしようか」

ふんどし手拭てぬぐいは乾いちょりもすが、稽古着はさすがに駄目んごたるです」

「であろうな、毎年この時期は苦労する」

「じゃっどん、洗濯もんもよかばってん、道場の雨漏りばどげんかせんといかんとじゃなかろか?」

「バケツを置いておけば良かろう」

「そげな訳にはいきまっせん。こんままほっときゃ、道場の天井と床が腐りますたい。よか、雨の止んだらおいが屋根に上がって修理しまっしょ」

「そうか、儂はもう歳だでな高い所は苦手じゃ。熊さんよろしく頼む」平助は熊さんに頭を下げた。


妙心館は木造平屋入母屋造り、民家を道場に改築した建物で空襲で焼け残ったのを平助が買い取ったのである。

表向きは空手の道場となっているが、これは近頃の空手ブームに乗ったもので内実は武術全般を教授する総合武術道場だ。と言っても、平助の空手は沖縄の名人の元で修行した本格的なものである。

尤も平助は、武術と言うものは同じ身体運用の原理が様々に変化したものであり、剣術・柔術などの名称はその種目を表しているに過ぎないと言っている。

昔の武術の在り方は、むしろその様なものであったのかも知れない。


翌日は快晴、梅雨の貴重な晴れ間となった。平助は、朝から釣りに出かけている。

熊さんは、小屋から梯子を持ち出して道場の中から天井裏に登った。

「ああ、あげなとこから光の漏れとる。あそこん板が破れて雨が漏れちょるとばいね」

今度は外に回って、屋根に登った。見当をつけていたあたりの瓦を剥がし、野地板のじいたを見た。

「ここじゃ、こん板が腐っちょる」

熊さんは畔切あぜきり鋸で腐った板を大き目に切り取った。「なんか、鼠小僧になった気分たい」

穴が広がると光が入って、天井裏の全貌が明らかになった。

「ん、なんじゃ、ありゃ?」

よく見ると、はりの陰に隠れるようにして長方形の木の箱が置いてある。熊さんは、天井が抜けないようにけたの上を移動して箱に近付いた。


その箱には、小さな南京錠が掛かっていた。熊さんは取り敢えず屋根に開けた穴からその箱を取り出し地上に下ろした。

「師匠が帰って来なはったら、開けてんよかか聞いてみったい」

熊さんは、開けた穴に新しい野地板を貼り、瓦を元の位置に戻し修理を終わった。



                    2




「師匠、天井裏からこげなもんが見つかりましたばい」

平助が帰ってくると、開口一番熊さんが言った。

「ん?なんじゃそれは。儂は見た事もないが?」平助は、いぶかしげに熊さんの差し出した木箱を手に取った。

「屋根の修理ばしよったら、梁の下に隠すように置いてあったとです。開けて見てよかじゃろか?」

平助は、しばらく思案してから熊さんに言った。「開けてみよ」

熊さんは、南京錠の付け根のネジを外し、そっと蓋を開けてみた。

中には、毛布で丁寧にくるまれた物体があった。

その毛布を剥がすと、油紙で幾重にも包まれた細長いものが出てきた。

「師匠、これは刀ですばい」

「そのようじゃな」

熊さんが、油紙をそっと開くと、一振りの刀が姿を現した。

こしらえには、なんの飾り気もない。

さやは黒、柄巻つかまきと下げ緒も黒である。

つばは無骨な四角の鉄鍔、柄頭つかがしらにも飾りはない。

目貫は蜻蛉とんぼ。蜻蛉は決して後退しないことから勝ちむしと呼ばれている。武士の縁起担ぎであろう。

「抜いてみよ」平助が言った。

熊さんは鯉口を切った。金のはばきが目についた。ゆっくりと刀身が現れる。

刃文は互の目丁字、反りは浅く鎬地しのぎじにはが入っている。

切先は、鋩子ぼうしが長く二尺五寸を超える刀身をすっきりと見せている。

永く放置されていたであろう刀は、しかし一点の曇りもなく輝いていた。

平助はその刀に、何か懐かしいものを感じたが、その理由までは思い出せなかった。

平助は目釘を抜いてなかごを見て呟いた。「生茎うぶなかごめいは無いな・・・」

「無銘でごわすか?」熊さんは少しがっかりしたように言った。

「無銘を侮っちゃいかん、名刀には無銘が多いのじゃから」

「なしてでごわすか?」

「考えても見よ、殿様のお抱え鍛治が自分の名を彫って主君に献上するか?」

「そういやぁ・・・」

「しかも、その際一本だけを打つのではない。数本の刀を打って一番出来の良いのを差し出すのじゃ。よって良い刀には銘が無い、残りの刀には銘を切るがな」

「そげんかこつかぁ・・・」

「そしてな、良い刀を見分けるには茎を見るほうが良い、刀身を見ると刃文の派手さに騙されるでな」

「そうでごわすな」

「見るのは、目釘の穴と茎の尻じゃ。刀工は自信作が出来ると見えない所までも完璧に作ろうとする。人の心理とはそういうものじゃよ。この茎には、刀工の誠実さが現れておるな」

平助は、刀身と茎を暫く交互に眺めていた。

においを絞ったの目丁字、はて、どこかでみたような・・・」平助は何かを思い出そうとしていた。「源清麿みなもとのきよまろ・・・」

「えっ!あん幕末の天才鍛治っち言われた・・・」

「いや、作風は初期のものに似ているが本人ではない」

「じゃっどん・・・」

「思い出したぞ、清麿の弟子の清人きよとじゃ」

「清人・・・?」

「幕末の凡工じゃ」

「へ〜、そん人の打った刀がどげんしてこげんか所にあっとじゃろう?」

「清人は凡工じゃが誠実の人じゃった。師匠の残した借金を返済しようと死ぬまで刀を打ち続けたのじゃ」

「そん刀ば、師匠の前の道場主が手に入れたっちゅうこっでごわすか」

「どういう経路で手に入れたかは分からぬが、そういう事じゃろうな」

「じゃっどん、何でまた屋根裏なんぞに・・・」

「終戦後、占領軍が刀狩りを行なったのじゃな。豊臣秀吉以来のことじゃ。マッカーサーは白兵戦の恐怖が忘れられんかったのじゃろう」

「おいも、聞いたこつがありもす、貴重な名刀が赤羽で焼かれたっちゅうこっでごわした」

「そうじゃ、儂の前の主は、何とかこの刀を助けようとして天井裏に隠したのじゃろう」

「命懸けの事やったろうな・・・」

「うむ、見つかればタダでは済まなかったであろう」

「そうして見っとこん刀、なんか愛おしかばい」

熊さんは、刀身を光にすかして、めつすがめつ眺めていた。

「おや?」熊さんは息を止めて、刀身に顔を近づけた。「師匠、こん傷はなんじゃろう?」

よく見ると、刀身の中央にうっすらとした傷が、表裏に同じようについている。

「う〜む、人を斬った傷では無い。儂も初めて見る傷じゃ」平助も首を傾げた。

「そうじゃ、その刀は熊さんが持つのが良かろう」突然平助が言った。

「えっ、師匠、なんち言わはった!」

「屋根裏で熊さんが見つけたのも何かの縁じゃ」

「ばってん、そんお人が命をかけて守ろうとした刀ばい・・・」

「なぁに、この刀も熊さんに持って貰えば本望じゃろう」

「じゃっどん・・・」

「明日、警察に届け出よ。そして委細を話して登録証を発行して貰え」

「本当によかとですか、師匠・・・」

「良い!」

「あいがたか、ほんにあいがたか・・・」熊さんは両手で刀を目の上に掲げて目を瞑った。





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