第18話 Assemble
ベッドの上で眠っている彼女から手を離した。
「はぁ……」
自然と深いため息が漏れた。膨大な量の記憶を読み取ったことでものすごい疲労感が私を襲った。
どうして私はこんな単純なことに考えが及ばなかったんだろうか……
私がこの時代に跳ばされたということは、あのときあの場所にいたほかの人たちもこの時代に跳ばされていたとしても何ら不思議ではない。全員が同じ時代に跳ばされていなかったとしても、私が跳ばされてきた時代よりももっと前、あるいはこれから先の未来に跳躍した人はいるかもしれない。現に、彼女の記憶によれば、彼女は私が跳ばされてきた時代の約10年後にここに来ている。
「それにしても……」
古井梓の記憶に触れたことで、彼女がなぜリドルになりたいなどと言い出したのか理解した。
――祖父を止めるために、ね……
彼女の名字に関しては事前に知っていた。世の中には同じ名字の人間なんて山ほどいるから気にもとめなかった。よほど珍しい名字であったなら違っていたかもしれないけど……
「そういうことだったのね……」
だからといって慈悲はない。記憶を消してほしいという願いを実行する以上彼女の記憶も当然操作させてもらう。問題は、リドルのゲームに関する記憶を操作するというのが彼女にとってどれほどの範囲の記憶の事を意味するのかということだった。
単純に考えれば彼女の記憶のほとんどがリドルのゲームに紐付いてしまっている。だからといってすべての記憶を封印するなんてことをやったらどんなことになるかわからない。
いっそ、私の“本当の能力”を使ってしまおうか……
いや、それはない。あくまでそれは最終手段。封印がうまくいかなかったときにまた考えればいい。
「骨が折れそうね……まったく……」
これまで経験したことのない膨大な量の記憶操作。果たして成功すだろうか……
…………
古井さんが自分の手に馴染ませるように肘掛けを何度も撫でる。
「どう? マスターの椅子に座る気分は?」
「悪くない……いずれ僕がマスターの座を継ぐつもりだったけど、まさか、その時がこんなに早く訪れるなんて思ってなかったよ」
彼は静かな笑みをたたえていた。
「そうね……」
私にとってこれは予定調和に過ぎない。私の時代ではマスターリドルといえば目の前で座る男――古井翔のことを指す言葉だからだ。最初は本当に驚いた……マスターリドルであるはずの人物が別の男をマスターと呼んでいたのだから。
「ところで、訊いてもいいかな?」
「何かしら?」
「最近、君が何やらコソコソとやっているという報告が上がってきているんだが。身に覚えはあるかい?」
「コソコソ……ね。――別にコソコソしてるつもりなんかないんだけど」
おそらくあのことだ。話してマズいことじゃないので、いい機会だからここで彼に話をすることにした。
「あなたは、本当にこの実験を続けることで特殊な力を使える人間が生まれると思う?」
彼の眉がピクリと動く。
「どういう意味かな?」
自分を否定された……そう思ったのかもしれない。
「別にあなたの考えを否定するつもりはないわ。ただ、なかなか成果が出ていないのは事実でしょう?」
「ふむ。言われてみればそうかも知れないね」
あごに手を当て考える仕草をする。どうやら自覚はあったようだ……
「このままだと本当にただゲームをやらせているだけになるわよ。――それと、とても大事なことだけど予算のことも考えないと」
ゲームの会場の設備費もそうだけど、クリアした人間に叶えてあげている願いの方がかなりの予算を食っている。
「つまり、君がコソコソやってるのは予算周りの調整ってことでいいのかな?」
「違うわよ」
きっぱりと言った。
「なら何を?」
「起爆剤……とでも言うのかしら。ひとつ面白い情報を手に入れたのよ。もしそれを手に入れることができれば、あなたの望み通り特殊な人間が誕生するかもしれないわよ」
「ほほぅ……。で、それって言うのは」
「“クスリ”よ」
――
話は今からひと月ほど前に遡る。拠点を移し、新生リドルが誕生して間もない頃、私のもとにひとりの男性から連絡が入った。彼の名は瓜生辰雄――以前リドルのゲームを勝ち抜いたふくよかな体型の男性だ。
私はそのゲームに直接関わっていたわけではないけれど、彼の『自分の店を大きくしたい』という願いを叶えるために駆り出された際に知り合った。それ以来の付き合い……とは言っても頻繁に連絡をとりあうような仲ではないし、もちろんゲームの目的についても教えていない。あんなゲームに参加させられたのにリドルの関係者である私と交流しようなどと考える稀有な存在だ。
そんな彼からの連絡があるときは決まってお金の話だったりする。そしてそれは今回も同様だった……
瓜生氏の邸宅に呼ばれ、私は応接室のソファに座らされた。辰雄さんの奥さんの未来さんがシルバーのトレイに紅茶を載せて運んでくる。
「それで、話って何かしら?」
私は出された紅茶に口をつけて話題を振った。
「じつはの、先日ある製薬会社から投資の話を持ちかけられたんじゃ。今のところ花屋敷の傘下に製薬会社はなくての、ここで業界の足がかりを作っておくかと興味を抱いて話を聞いておったんじゃが――」お腹を擦りながら笑顔で話をする彼の表情が一転する。「説明していた相手が気になる言葉を口にしたんじゃよ」
「気になる言葉?」
「うむ。相手は確かにこういったんじゃ。――“リドル”とな」
その言葉を聞いて、再度紅茶の入ったカップに伸ばそうとした手をピタリと止める。
――リドル。
その言葉自体は昔から存在している。意味は『ふるい分ける』とか『なぞなぞ』とかいった意味の言葉だ。普段の生活の中で口にする言葉かどうかは置いておくとして、問題は相手がどういう意図でその言葉を口にしたかによる。
「それって、どういう話の流れで出てきたのかしら?」
「それがの……その製薬会社が開発してる新薬の名前だったんじゃよ」
「ああ、そういうこと」
この時代にはもう一つのリドルが存在していた……なんとなく偶然ではないような気がした。私は止めていた手を動かして紅茶を一口のんだ。
「じゃから、もしかしてお前さんたちの会社となにか関係があるのかと思っての」
「私たちとは一切関係ないわ。――で、投資の件は承諾したのかしら?」
そう尋ねると、彼はにっと歯を見せて「もちろんじゃ」と答えた。
「ちなみにそれってどういう薬なの?」
「筋肉増強剤の一種と聞いておる」
その言葉を聞いた瞬間、欠けていたパズルのピースがカチリとはまる感覚があった。
それから私は、彼からその製薬会社に関する情報をいろいろ教えてもらった。守秘義務違反という言葉を知らないのかと思うくらいの饒舌ぶりだった。教えてもらえなかったことは自分で調べるしかなく、拠点に帰ってその試薬会社に関する情報を徹底的に調べることにした。自分では結構な時間を調査に費やしたつもりだけど、結局リドルという名の薬にたどり着くことはできなかった。
「ま、そんなに簡単に開発中のクスリの情報が出てくるわけないわよね……」
当然ながら徹底的に情報規制されているだろうから、外に情報が漏れるなんてあり得ないだろう。完全に行き詰まっていた。だけど、そのクスリは確実に高位生命体誕生の鍵を握っていると思えてならなかった――
――
瓜生氏とのやり取りを古井さんに語った。
「リドルという名の筋肉増強剤か……なるほど。確かに成長させるという意味においては僕らが実現しようとしていることと似ているような気はするね」
彼が納得したようにふむと唸る。
「君は今、なにか予定が入っているのかな?」
「――え? どういう意味?」
「ああ、いや。プライベートを訊いたわけではないよ。仕事の予定はどうなっているかと思ってね。――もし何も予定がないのなら、そのクスリの調査を続けてもらえないかなと思ってね」
言われなくても、最初からそのつもりだった。でも、彼からお墨付きを貰えれば、これからは堂々と調査を続けられる。
「いいわ。やらせてもらうわ」
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
こうして私は、薬の調査を行うことになった。
事件が起きたのはその矢先のことだった――