第13話 潰える忠義
以前仕えていた主が亡くなったのを機に、わたくしは解雇となりそのお屋敷を追い出されることになった。
わたくしが仕えていた方はその国の王族に当たる方でかなり幅を利かせていた。そのため敵も多く、主に仕えていたものはわたくしを含めた全員がよく思われていなかった。解雇されたわたくしは居場所がなくなり他国へ移ることを余儀なくされた。
以前いた国は争いの絶えない国で、男女問わず必要最低限の戦闘能力を身につけておかなかれば生き抜くことのできない場所だった。そのため、メイドとして雇われていたわたくしは主のボディガードも務めていた。
そんなわたくしの身体能力が、ある日、極東にある国で車に轢かれそうになっている少年を救った。そして少年の両親に大変感謝され、何か礼がしたいとの申し出を受けた。
なのでわたくしは、図々しくも「仕事を紹介していただけませんか」と願い出た。
すると少年の父親は「ならば、わしの家で働かんか?」と言ってきた。
断る理由はない。わたくしは「はい」と即決していた。こうしてわたくしは、花屋敷グループの会長の専属メイドとなった。
…………
「デモに参加するですって!」
わたくしは自分の立場も忘れてつい大声を上げてしまっていた。
「ああ。今SNSでデモの参加を呼びかけている人がいてね、多くの人が参加を表明しているんだ。だから、ぼくも参加しようと思ってね」
訊けば、何者かがSNSを使って無作為にデモへの参加を呼びかけているようだった。
デモがテロの脅威にさらされる危険なものだということには一切触れずに、ただただ人を募る行為。まったくもって無責任であった。
さらに、デモに参加している人たちの中には、サングラスやマスクを着用していて個人の判別ができない者がそれなりにいるとのこと。これでは、敵勢力が紛れ込んでいたとしても見分けはつかない。
「いけません、坊っちゃん! わたくしがいた国では、政治的思想を含むデモは必ずと言っていいほどテロの標的となっていました」
すると坊っちゃんは、はははと笑って、
「トウカ、君はこの国に来てどのくらいになるんだい?」
トウカとはこの国に来てから旦那様につけてもらったわたくしの名前だ。
「今年で7年目ですが」
「この7年間、この国でテロが起きたことはあったかい?」
逡巡する。この7年においてはわたくしの知る限りテロが起きたという話は聞いたことがない。
「いえ」
「だろ? 当然さ。この国は他国に比べて格段に平和だ。テロなんて起きはしないよ」
「しかし――」
「トウカは心配性だな」
食い下がるも、坊っちゃんはわたくしの忠告を受け入れようとはしなかった。
「でしたら、当日はご一緒させてください! そして、坊っちゃんをお守りいたします!」
「デモの当日は父さんの大事な会合の日だよ。トウカはそっちへ付いていかなくちゃならないだろう?」
「旦那様には説明しておきますので」
「駄目だよ。父さんに迷惑はかけられない。――心配いらないさ。危ないと思ったらすぐに帰ってくるよ」
坊っちゃんは頑として譲らなかった。
――こういうところは旦那様によく似ていらっしゃる。
こうなってしまってはもう意見を変えることはない。なので「はい。わかりました」と答えるしかなかった。
…………
会合当日。旦那様に付いて集合場所に着くと、一本の電話が入った。
「なにっ!? わしの店に賊が入っただと!?」
旦那様が携帯電話の相手に怒鳴り声を上げる。
「わかった。今すぐそっちへ向かう」
電話を切ると、わたくしに向かって「そういうことだ」と告げた。
「会合はどのように?」
「わし抜きでも構わんだろ。事情は直接伝える。お前は今日は家に帰ってなさい」
そう言って、旦那様は会合で話をする予定だった方たちに頭を下げながら事情を説明して、慌ててこの場を後にした。
こう言っては何だが、賊の侵入はわたくしにとっては朗報となった。残されたわたくしは家に帰ることをせずに、直接坊っちゃんが参加しているデモの会場へと足を運ぶことにした。
デモの会場に近づくに連れて周囲が慌ただしい雰囲気に包まれていく。
嫌な予感がした。こういうときのわたくしの感は得てして外れることはない。
たどり着いた場所は、つい先程事件が起こった、そんな状態だった。
プラカードやのぼりをはじめとする、デモで使われていたであろう道具がそこかしこに散乱し踏み荒らされていた。その惨状が、かつていた国を思い起こさせた。
手当をしている人や現場に駆けつけた警官の邪魔にならないように、坊っちゃんの姿を捜す……しかし、坊っちゃんの姿はどこにも見当たらなかった。
もしかすると坊っちゃん自身に大した被害はなく別の場所に避難しているのだろうか……
そんなことを思っていると、ひとりの男性がわたくしに「何者だ?」と声を掛けてきた。
わたくしが貴方こそ誰なのかと問い返そうとすると、男性は胸ポケットから警察手帳を取り出して見せてきた。
「もしかして、デモに参加してた人? だったら少し話を聞かせてもらいたいんだけど」
男性は値踏みするようにつま先から頭頂までをなめる。
黒を基調としたエプロンドレス姿のわたくしを怪しく思ったのかもしれない。わたくしは男性に事情を説明し、ここで何があったのかと、坊っちゃんを見ていないかを訊ねた。
「こちらもまだ全容がつかめていなくてね。どうやらここで爆発があって、かなりの人が巻き込まれたらしい。話せるのはこのくらいかな……。あと、君の捜している人に関してだが、もしかするとすでに病院に運ばれているかもしれない。その場合、身元がわかっていれば自宅に連絡が行くはずだ」
警察の言うとおり病院に運ばれているという可能性は十分に考えられた。わたくしは警察に頭を下げてその場を後にした。
…………
結論から言うと、坊っちゃんは本当に病院に運ばれていた。命に別状はないとのことだったが、全治2週間の怪我を負っていた。
わたくしが病院に駆けつけると、そこにはすでに旦那様と奥様がいて、旦那様から罵詈雑言を浴びせられ最終的にクビを言い渡された。
坊っちゃんや奥様が擁護してくれると、旦那様は落ち着きを取り戻してこう言った。
「うぅむ。お前たちがそう言うなら……ではこうしようじゃないか。わしの息子に怪我を負わせた者をわしのところに連れてくるんじゃ。そうしたらクビはなしだ。――犯人め、許さんからな!」
説明しながら再度ボルテージが上がっていく。今朝の出来事も相まって怒りが収まらない様子だった。
わたくしは旦那様の提案を素直に受け入れ犯人探しをすることになった。
――――
犯人探しを始めてからなんの手がかりもなく途方に暮れる日々を送っていた。リドルと名乗る者がわたくしに接触してきたのはそんなときだった。
リドルは開口一番に坊っちゃんに怪我を負わせた人物を教える代わりにゲームに参加して欲しいと提案してきた。
正直言って言って怪しさしかなかった。
犯人の居場所を知っているなら、ゲームに参加する前に直接こいつの口を割らせるほうが速いと思い、背後に周り腕を締め上げ持っていた短刀を喉元に突きつけた。
リドルは焦った様子もなく何事かを話し出す。
ずいぶんと余裕なその態度を怪訝に思うと、リドルの話している内容がわたくしの戦慄を誘う。
締め上げた腕を離し距離を取る。
「な、ぜ……?」
リドルが話していた内容は、わたくししか知らないはずのことだった。
このわたくしが殺気も出せないような人間に恐怖していた。……実力的には確実にわたくしの方が上のはず。にもかかわらずわたくしは恐怖していた。精神的悪寒――
リドルは振り返り何事もなかったかのように「ゲームに参加しないか?」と同じ言葉を繰り返した。
一度恐怖を覚えるともう断れなかった……わたくしはその申し出を受けることにした。
リドルの言うゲームが、まさか人殺しのゲームだとはそのときのわたくしは思いもしなかった……
でもそれは、わたくしにとっては日常の延長線上の出来事でしかない。
…………
偶然通りかかった扉の奥に明らかな人の気配を感じた。
――ひとり……ふたり……?
わたくしはゆっくりと鉄の扉開いた。
するとそこには、こちらに向かって身構えている背の高い男がいた。そして、その足元には血を流しているもうひとりの男……
――なるほど。
瞬時に理解した。
背の高い男がたった今人を殺したところなのだろうと。つまり、この男は条件的にわたくしを殺すことはできない。
「みぃつけた……フフ――っ」
両手で構え直したチェーンソーを振り上げる。そして目の前の男の肩口目がけて袈裟に押し込む。腕に力を込めると、ガリガリと音を立てて、血しぶきを上げながら男の体に刃がめり込んでいく。
「うぐがっ――ゴッ……」
男は口から濁った空気を吐きながら体を震わせる。返り血を浴びながらさらに力を込める。
――わたくしはなんとしてもこのゲームをクリアしなければならない。そして、坊っちゃんのもとへ帰らなければ――
「――っ!」
左腕に痛みを感じ視線を移すと、男がわたくしの左上腕部にナイフを突き刺していた。それは、刃渡り20センチほどの果物ナイフで、数センチほどしか刺さっておらず、わたくしにとっては、蚊に刺された程度ものでしかない。
最後の力を振り絞って……というやつだろうか……
右足でチェンソーから引き剥がすように男の体を蹴り飛ばす。その反動で、わたくしの腕に浅く刺さっていたナイフが床に落ちた。
袈裟斬りの要領で肉を抉られた男は、床を転がって止まる。当然ながら絶命していた。
チェーンソーの回転を止める。
ここに来る前に、チェーンソーが異物を噛んで刃の調子がおかしくなるというアクシデントがあった。そのこともあり、刃はボロボロで、血塗れの刃をメンテナンスするのも一苦労だと判断して、チェーンソーを捨てて行くことにした。
わたくしが殺した男の数字が『12』だったことから、今の首輪の数字は『13』になっているはずだ。そのことを確認するために、ポケットにしまっていた鏡を取り出して数字を確認する。
――間違いない。
ついでに、わたくしはその場で左腕の応急処置を行う。それが終わると、チェーンソーの代わりなる武器はないかと、目ぼしい物を探す。
最初に思ったのは男が使っていたナイフ。床に落ちた果物ナイフを拾い上げる。
――こんなものでもないよりはましだ。
刃に付着した血を丁寧に拭う。ほかに何かないかと思い男のカバンをあさる。中にあったのは飲食物だけだった。ついでに、すでにこの部屋で死んでいた男のカバンも確認するが結果は同じだった。
「あら?」
血を流して死んでいる男が右手に何かを持っていることに気がづきそれを確認する。それは携帯ゲーム機のような形をしたもので、画面の中央で赤い点が1つだけ点滅していた。
昔、戦場でこれとよく似たものを使っていたのを思い出す。
「探知機……」
探知機はターゲットの位置を確認するもので、大半のものが画面の中央が自分の場所を示す仕様になっている。となると、この赤い点はこの男の場所を示しているということになる。
ならばこの探知機は何を探すためのものだったのだろうか……?
「まあ、どうでもいいですわね」
最後に、部屋の隅にある木箱の中身を確認しようと近づいて行く。
「くっ……」
唐突に左腕に違和感が訪れる。さっき応急処置を行った場所。だけど、傷は浅く腕に異常が出るような怪我ではないはずだ。しかし、わたくしの思いに反して腕の違和感は明確な痺れに変わり、徐々にそれが全身にまわってゆく。
痺れ薬あるいは麻酔薬を打たれたような感覚に似ていた。考えられるのは1つだけ、あの男の果物ナイフに薬が塗布されていたのだろう。痺れが全身にまわると、ついにわたくしはその場に膝をついて体を横たえるしかできなくなっていた。全身の毛穴から汗が吹き出てくる。
「ぐっ……うぅ……ぅ」
完全に動けなくなっていた。
そのとき、部屋の隅で物音がした。物音がした方――部屋の隅に置かれている木箱に無理やり顔を向けると、そこから見知らぬ女が顔をのぞかせていた。
――そうか、部屋に入る前に感じた2人の気配は……
迂闊だった……まさかそんなところに人がいたとは……
当然ながら、今のわたくしにできることは何もなかった。




