コイヌランドリー
星屑による、星屑のような童話。
お読みいただけると嬉しいです。
一人暮らしの大学生、二十歳の健さんは、ああでもないこうでもないとつぶやきながら、アパートの片隅にある洗濯機を前にして長い時間を過ごしていました。
「困ったなあ……。洗濯物がたまってるのに、これじゃ洗濯ができやしない」
そうなのです。
一年前、「休学してしばらく世界を旅してくる」と突然言い出した大学の先輩からもらったお下がりの洗濯機が、朝からうんともすんとも言わなくなってしまっていたのでした。
スイッチを入れたり切ったり、こちょこちょくすぐったり、横っ腹をがつんと叩いてみたり、甘い声でなだめてみたり……。
結局、何をやっても動きませんでした。
午後も三時になり、ようやくそのことを認める気になった健さん。
遂に洗濯機をあきらめた健さんは、コインランドリーに行くことにしました。新しい洗濯機を買う余裕もありませんし、歩いて10分ほどのところに、先輩から洗濯機をもらう前に通っていたコインランドリーがあることを思い出したからでした。
一週間分のたまりにたまった洗濯物を大きめのデイバッグに詰め込むと、健さんはアパートをあとにしました。
それから、約五分。
コインランドリーへの道のりの半分ぐらい来たところで、今まですごくいい天気だったのが、もこもことした黒い曇で空が急に覆われてしまったのでした。
びゅうと冷たい風も吹き、ぽつぽつと雨まで降り出します。
「ついてないなぁ……最近」
健さんは大学のバスケット部に所属しています。
ですが最近、調子が上がらず、レギュラーから外されそうになっていたのです。そんなこともあってか、思わずため息を漏らしてしまったのでした。
しかしこのままでは、背中の荷物ともどもずぶぬれになってしまいます。
背中のデイバッグを揺らし、健さんが近くの建物の軒下へと走り込みました。すぐにやむだろうと高を括った雨でしたが、一向にやむ気配が見えません。洗濯をしようとする気持ちまでしぼんでしまいました。
――いったん、アパートに戻ろう。
健さんがそう思ったときでした。
向かい側にある建物の壁に、『コインランドリー』と書かれた黄色の看板が掲げられていることに気づいたのです。
――こんなところにコインランドリーが?
それは最近できたらしい、一軒家風のお店でした。
でもその様子が普通とはちょっと違うのです。
まるでスポンジケーキみたいな色をしていて、焼きたてシュークリームのようにふんわりしとした形をしていました。そのもこもこしたおいしそうな様子といったら――本当に食べられるような気がしてくるほどでした。
見た目のあまりのファンシーさに、「もしかしたら女性専用なのかも」と思った健さんは、看板をもう一度よく見てみました。けれど、どこにもそんなことは書いてありません。それに、この雨です。少し恥ずかしい気もしましたが、このご時世、男も女もあるものかと思い切ってその店に飛び込みました。
ガラガラ……。
やわらかな感じの建物にはおよそ似つかわしくないほどの固い音を立てて、アルミサッシのドアが横に開きました。健さんが、おどおどしながらお店の中へと進みます。
中は、増々ファンシーな感じでした。
足元は毛の長い純白のカーペットで覆われていました。歩くたびに、足の裏がくすぐったくなるような気がします。壁はイチゴクリームのようなピンク色をしていて、もうこうなると、おとぎ話に出てくるお菓子の家そのものとしか思えません。
でもひとつだけ困ったことがありました。
入った部屋の中に、普通のコインランドリーにはある、あの大きなドラム式の洗濯機械が見当たらないのです。これではどうやって洗濯すればいいのか判りません。
しかも他にお客さんはいなく、ひとりっぼっちでした。
店員さんもいないので、どうしたらよいかきくこともできません。きょろきょろと店内を見回しながら途方に暮れていると、健さんの背中の方から声がしました。
「ああ、お客さんだね。いらっしゃい!」
どうやらそれは、ここの店員さんのようでした。
ほっとして声の方に振り返った健さんでしたが、思わず「わっ!」と叫んでしまいました。なぜって、目の前に自分の背丈と同じくらいの大きさの赤と白の毛並みのパンダ――紅白パンダが立っていたからです。
「どうしました? なにか変なことでもありました?」
着ぐるみらしき店員さんが、すました感じで言いました。
じろじろと見るのは失礼だなと思いつつも、その着ぐるみのあまりの出来の良さに「チャックはどこにあるのだろう」と探してしまった健さんでしたが、見つかりません。
「いや、変ってわけでもないんですけど、普通そんな恰好でいきなり出てこられたら誰でもびっくりしますよ……。っていうか、ここドラム式の機械とか何もありませんよね。本当に洗濯できるんですか?」
「そんな恰好って……失礼だな、お客さん。私は“パンダ”という名の、れっきとした紅白パンダですよ。ふわふわもこもこが売りのパンダは世界共通の癒しなんですからね、敬意を払ってくださいな……」
「はあ。すみません」
「まあ、そのことはいいです。とにかくここは、ちゃんとした洗濯する場所です。そこは保証しますよ。それにほら、きちんと“洗濯メニュー”も壁に貼ってあるでしょう?」
「メニュー?」
よく見ると、やわらかそうな生地でできたピンク色の壁に、うすっぺらな紙が一枚貼ってありました。そこに黒い文字で何か書かれているのですが、少し小さめな文字だったので、目の悪い健さんは壁の近くまで寄っていきました。
『 コイヌランドリー 洗濯メニュー
①ポメラニアン・コース 800円
②秋田犬コース 1000円
③グレートピレニーズ・コース 1200円 』
「もしかして……ここって、ペットを洗う場所だったんですか?」
「違います。だってここは“コイヌランドリー”ですよ。コース名だって、そういう風になるのは当たり前じゃないですか……。あ、もしかしてお客さん、ここを“コインランドリー”だと勘違いしたんじゃないですか? 最近、そういうお客さんが多くて困るんだよね……」
「コイヌランドリー!? コインランドリー、じゃなくて??」
「だから、そうですってば。ほら、もう一度よくメニュー表を見てくださいな」
確かにメニュー表の一番上には、見慣れた「コインランドリー」ではなく「コイヌランドリー」と書かれていました。
「さあ、どのコースにします? 早く決めてくださいよ」
戸惑ってばかりの健さんに、イライラしはじめたパンダ。
その様子に慌ててしまった健さんが、思わず口走ってしまいます。
「ポ、ポメラニアン・コースで――」
「はい、かしこまりぃ!」
青果店の主のように威勢のよい声をあげ、紅白パンダがぱちんと手を叩きました。
するとそれを合図に部屋の奥の両開きの扉が音もなく開き、それと同時に、恐ろしいほどたくさんの真っ白くてふわふわした毛並みを持つポメラニアンの子犬が、まるで雪崩でも起きたかのように、健さんに向かって突っ走ってきたのです。
「うわあっ」
そのあまりの迫力に、思わず尻もちをついてしまった健さん。
手にした洗濯物の入ったバッグごと、ポメラニアンたちのもこもことした白い波に飲まれてしまいました。
でも、不思議と息苦しくはありませんでした。
そればかりか、顔や手や足、自分のすべてがやわらかな雲の中にいるような感じで、その中心にある“心”が、ぽかぽかと温かくなっていくのがわかったのです。
――こりゃ、いいや。コイヌランドリー、最高!
でも、現実とは切ないものです。
楽しい時間ほど、早く過ぎ去ってしまうのですから。
ぴーっ!
不意に、かん高い笛の音が響き渡りました。もちろん、その笛を吹いたのは店員のパンダです。
すると、今まで元気に部屋を走り回っていた子犬たちが元の場所へと一斉に戻っていってしまいました。健さんにとってそれは、まさに天国から地獄へ突き落されたようなものでした。
ひとり、部屋に取り残され、さびしい気持ちになるばかり。
「はい、お客さん。ポメラニアン・コース、5分が終了しましたよー。精算は現金、もしくはカードでお願いします。ウチ、なんとかペイってやつ、やってないんで……」
「次は秋田犬コースをお願いします!」
自分の財布の中身のことも忘れ、健さんは結局すべてのコースを頼んでしまいました。
現れたのは、どれも白くてもふもふな子犬たち。
雪崩みたいな景色であることはどのコースも変わりませんでしたが、秋田犬コースではもみくちゃにされるだけでなく白い太陽のようなまん丸顔の子犬たちに顔じゅう舐められて幸せでしたし、グレートピレニーズ・コースでは、子犬自体が大きいので、お祭りのおみこしのように担がれながらふわふわと浮く雲に乗った気分で部屋を練り歩くという、とても幸せな時間を過ごせたのでした。
――いやあ、楽しかった。それじゃ、帰ろうか!
財布の中身の大半を使ってお金を払った健さんが、心ウキウキの状態で店をあとにしようとした、そのときでした。
健さんは、大変なことに気づいてしまったのです。
「って、危うくだまされるところだった。やっぱり洗濯できなかったじゃん!」
お金を受け取り、奥の扉の向こう側に行こうとしていた紅白パンダの背中に向かって、健さんが文句を言いました。
しかし、そんな苦情にもパンダは慣れたもの。
振り返ると、平然とした顔でこう言ったのです。
「ええ? 何言ってんすか、お客さん。どう見たって、洗えてるじゃないですか」
「えええ? 何にも洗えてないって」
「いいや、洗えてます。お客さんの“心”がね……。なにせウチは“心の洗濯専門店”、コイヌランドリーですから」
パンダは「またいつでもおいでください」と言いつつ、もこもことした赤と白の毛並みで作られた笑顔を残し、奥へと消えてしまいました。
部屋に残された健さんは、しばらくの間、口をあんぐりと開けたまま立ちすくんでいました。が、
「なあんだ、そういうことだったのか。それなら……いいか」
と言うと、足取りも軽くお店の外へと出たのでした。
見上げれば、いつの間にやら雨もやんでいます。
部活の悩みも吹き飛んだ健さんの気持ちと同じように、空はすっきりとどこまでも晴れわたっていたのでした。
(おわり)
お読みいただき、ありがとうございました。
ちなみに、上のかわいいバナーは石河翠さんからのいただきものです。石河さん、ありがとうございました。
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