家族って難しい
結局、お言葉に甘えてその日の家事は羽奏に全てお任せしてしまった。
彼女はテキパキと俺のあとを引き継いですき焼きを作り、洗濯物を畳んで棚にしまった。俺はその姿をじっと観察して、自分でやる時の参考にしようとしていた。いつまでも羽奏に任せておくわけにはいかないし。
すると彼女は「何みてるの!?」と少し恥ずかしそうにしていた。恐らく、普段の紗衣さんは羽奏よりも断然上手く家事をこなしていたのだろう。だから紗衣さんの姿をした俺に見られるのが恥ずかしいんだと思う。今は俺よりも羽奏のほうが何千倍も上手く家事をやっているのにな。
そうこうしているうちに、「ただいまー」とやる気のなさそうな声がして、件のハーレム息子の祐士が帰ってきた。グレーのブレザーに身を包んだその姿は、身長が高いわけでも低いわけでもなく、太っているわけでも痩せているわけでもなく、イケメンでもブサイクでもなく、少しボサボサになった黒髪と、少し目つきの悪い目元のみが特徴という、何の変哲もない男子高校生だった。
へぇー、こいつがモテモテのハーレム王ねぇ……とてもじゃないがそうは見えないけれど、ラブコメというのは得てしてそういうところがある。特徴のない主人公のほうが感情移入しやすいからだと思う。
「どうしたんだよ母さん?」
リビングに入ってきた祐士(ハーレム王)は、俺の視線を感じるや否や、こちらを睨みつけてきた。――いや、目つきが悪いからそう見えるだけで、単にこちらを見つめただけだろう。
「べっつにー?」
「ニヤニヤしやがって、気持ち悪いな。そろそろ頭の病院に行った方が――」
「はいはい、お兄ちゃん! そろそろごはんの時間だよ! うがいと手洗いを忘れずにね!」
母親に対する発言にしてはだいぶキツい言葉を投げてきた祐士に、すかさず羽奏のカットインが入った。助かった……というか俺、そんなニヤニヤしてたのかな?
兄を洗面所に向かわせた羽奏は、俺にそっと耳打ちをしてきた。
「お兄ちゃんは反抗期だから、私が夕飯作ったって言ったらまたうるさくなるかも……家事は全部お母さんがやったことにしていいよ」
「えっ……いや、それじゃあ……」
羽奏さん……? いや、さすがに俺も他人の手柄を横取りするのはちょっと……。
「お父さんも心配するしね。……といっても、私はお母さんよりも下手くそだから、多分バレちゃうかもしれないけど」
なおも渋る俺を後目に、羽奏は手早くダイニングテーブルに配膳を開始したので、俺も手伝うことにした。
「……本当にいいの?」
「いいっていいって! お母さんにはいつもやってもらってるから恩返しさせてよ!」
「ありがとう羽奏……」
ううっ、また目の前が霞んでくるっ。
「……そのかわり」
と、先程までとは声のトーンを一転させて羽奏は呟いた。と同時に、彼女の表情からすっと笑みが消える。えっ、なにちょっと怖い。
例えるなら本性を現したヤンデレキャラみたいな。そんなオーラを一瞬羽奏が纏ったのだ。
「――あっ、お兄ちゃん! ごはんできてるよ! 座って座って!今日は お母さんが作ってくれたすき焼きだよ!」
先程とは打って変わって、再び元気のいい声を出す羽奏。……いったいどうしたんだろう?
「……またすき焼きかぁ」
「贅沢言わないのっ! せっかくお母さんが作ってくれたんだから」
振り返ると、俺の後ろのドアから祐士が顔を出していた。そして、ごはんを俺が作ったことにする計画は絶賛進行中らしい。今の羽奏はニコニコ笑顔の天使だが、先程のことがどうも気にかかる。
「……羽奏、あの、『そのかわり』って……」
俺は勇気を出して、小声で羽奏に尋ねてみた。すると羽奏は笑顔のままでこう答えた。
「ううん、なんでもないよ」
なんでもないわけないだろっ! めっちゃ怖かったぞ!
とりあえずこれ以上聞いても絶対答えてくれなさそうだったので、俺は黙って配膳を続けるしかなかった。
その後、続けて帰宅してきたスーツ姿の大柄な男性――恐らく彼が俺の『夫』にあたる、涌井 大輔という人物だろうが――彼と共に四人で食卓を囲んだ。
羽奏が作ったすき焼きはすごく美味しかった。俺のリアル母親が作ったものよりも美味いかもしれない。寡黙な様子の大輔さんも一言「美味い」と言っていた。
が
「いつにも増して不味い。手抜いただろ? 味付けがおかしい」
すき焼きを紗衣さん(俺)が作ったと思っている祐士は相変わらず辛辣だった。
「手抜いてないもんっ!」
「なんで羽奏が言い返すんだよ?」
「あっ……」
反射的に言い返した羽奏は、こともあろうに墓穴を掘ってしまったようだ。慌てて口を押えるが後の祭り。仕方ないので助け舟を出す。
「羽奏に手伝ってもらったのよ」
「なんだ、そうなのか」
すると、祐士はそれ以上何も言わなくなった。どうやら妹には甘いらしい。さすがはハーレム王だな。
そんな様子を見ているのか見ていないのかわからないが、大輔さんも特にコメントせず、その後は気まずい雰囲気が流れたまま、無言で食事が続いた。
やがて、食事を終えた祐士と大輔さんが自室に引き揚げ、羽奏が片付けを買って出た(俺がやろうとしたら阻止された)ので、俺も部屋に戻ることにした。まだまだメモ帳を読み込まないといけない。明日からは……羽奏に代わって俺がやらないと……先程の件も気になるし、ずっと羽奏にやらせるのはどう考えても悪手だ。
あ、そうだ。手帳に書いてないかな? 羽奏ヤンデレ疑惑について……。と、メモ帳の羽奏のプロフィールページを開いてじっくりと読んでみる。
名前︰涌井 羽奏
年齢︰16歳(高校一年生)
私の呼び方︰羽奏
身長︰158cm(計測時点)
体重︰日によって変わります
スリーサイズ︰測ってるはずだけど教えてくれません(泣)
好きなもの︰お兄ちゃん(のはずです)
嫌いなもの︰ない(はずです)
これは……まさにラブコメチックなキャラクター紹介だな。そして、要所要所に紗衣さんの可愛さが現れている。しかも、このプロフィールはそれだけには留まらず、嫌いなものの下に長々と説明書きがなされており、羽奏との思い出や、ここが可愛い、ここが素敵みたいなひたすら褒めちぎる文言が所狭しと記載されていた。
もちろん、羽奏はヤンデレですなんて文言は書いていない。うーん、やはり俺の思い違いだったのかな?
とか考えていると……。
―――トントントン
と部屋の扉がノックされる音がした。誰だろう? 噂をすればなんとやらで羽奏だろうか?
「はーい?」
返事をすると、扉の向こうから「入るぞ」という低い声が聞こえた。と同時に大柄の体が扉の向こうから姿を現す。あっ、大輔さんだ。何の用だろう? もしかして、大輔さんも実はすき焼きの味付けがお気に召さなかったのでは? いやまさかそんな……ね?
「……あら、大輔さん。何でしょう?」
紗衣さんの手帳によると、紗衣さんは大輔さんのことをさん付けで呼び、ママ友同様に敬語で話していたようだ。これは別に大輔さんに言われたからではなく、自ら尊敬の念を込めているんだとか。つくづく甲斐甲斐しいお母さんだなぁ紗衣さんは。
「紗衣……大丈夫か?」
大輔さんは祐士とは正反対の優しげな視線を俺に向けながら言葉少なに口にする。
「……大丈夫ですけど」
「そうか……そうならいいんだが」
なにか気になることがあるようだ。気恥かしいのか俺と目を合わせてくれない大輔さんはしきりに視線を泳がせている。
「……?」
「祐士も言っていたが、料理の味付けが変わったなと思って。俺、そういうのすぐ気づくんだよ。あれは紗衣の味付けじゃないな?」
あー、やっぱりそうでしたか。
「えぇ、言ったでしょ? 羽奏に手伝ってもらったって。あの子に味付けは任せたのよ?」
「そうか……でも」
「ふぐっ――!?」
突然の事だった。大輔さんが両手を広げて俺の体を抱きしめたのだ。男特有の力強さに、手に持っていたメモ帳を落として、思わず声が漏れてしまう。
しかし大輔さん、いい体してますね。空手やってる俺ならわかるけど、筋肉がしっかりついている。プロフィールには会社員って書いてあったけどいったいどんな仕事しているんだろう。
「紗衣……なにか悩み事があるんじゃないか?」
鋭いお父さんだ。でもそろそろ苦しいし、残念ながら男に抱きつかれてもあまり嬉しくない。でも、紗衣さんを演じるなら喜ばないといけないのかな? 複雑な気持ちだ。
「……いえ、大丈夫です」
「……そうか、すまなかった」
大輔さんはあっさり俺を解放すると、部屋から出ていってしまった。嫌がっていると思われたのかな? うーん、やっぱりお母さんは難しい……。
再び一人になった部屋で、俺はしばらくぼーっと考えていた。




