料理は無理です
授業参観……授業参観かぁ……
俺も体験したことあるぞ、あの教室の後ろに親がずらーっと並ぶダルいイベントだろ? 毎回母親に「来るな!」って言ってたし、日程をわざと教えなかったりしたのに、あいつどこから聞き出したのか必ず参加してやがったっけ。
でもお母さんになった今なら、少しはわかる気がする。自分の息子が学校で何をやってるのか見たい。クラスメイトとどんなやり取りをしているのか、勉強についていけなかったりしないか、いろいろ気になるものだ。
俺もお母さん脳になってきたのかな? それは紗衣さんを演じるにあたって良いような気もするけど……
俺は家に帰って家事をしながら、今週末のことをぼんやりと考えていた。
「……あっ、もうこんな時間!」
時刻は午後の4時半を回っている。そろそろ夕飯の準備を始めないと家族が帰ってきてしまう! ……って手帳に書いてあったぞ。
「あーもう忙しい忙しい……」
お母さんって……やっぱり大変だ。
綺麗に畳めずにストレスの溜まる洗濯物を畳む作業を中断し、俺は台所に立った。
簡単にできるやつ……すき焼きとかどうかな?
冷蔵庫を漁ると幸いなことに肉が出てきた。玉ねぎも糸こんにゃくもあるし、今日はこれにするか……。
「まずは玉ねぎを切って……」
メモ帳を見ながら玉ねぎの皮を剥き、包丁を取り出す。こんなの家庭科の時間にちょっとやったくらいだよ。えっと……確か猫の手だっけ?
――ストン
――ストン
ゆっくり包丁を動かす。なかなか上手く切れない。くそぅ、本物の紗衣さんならトントントンと華麗に刻んでいくんだろうなぁ……よし、俺も頑張って……
「いった……!」
とか考えていたら指を切ってしまった。……それもざっくりと。痛い。くそ……俺はどうしてこうも不器用なんだ……
ざっくりと切れた人差し指からみるみる赤い血が溢れる。……痛い、熱い、……ごめんなさい紗衣さん。紗衣さんにお借りした体を傷つけてしまいました。しかも凡ミスで……。
「……ぐすっ、もう……無理だよこんな……紗衣さん……どうすればいいんだよぉ!」
流しの蛇口から水を流しながら傷口を洗ってみるが、血は次から次へと溢れ出てくる。やばい……どうしよう。
俺は……ダメなやつだ。紗衣さんみたいに家族を守ることなんてできっこない。そんな奴が息子の恋愛が気になるって? 笑わせるな。俺は先程の自分を恥じた。
俺から先程までのウキウキ気分はきれいさっぱり消え去っており、今はただ、溢れ出る血にパニックに陥り、ひたすら空の紗衣さんに謝り続けるしかなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
視界が霞む。そりゃあ涙も出る。そして血も出る。
「……もう、だめだ」
俺が項垂れていると、玄関から物音がした。
「ただいまー! お母さんー?」
俺を探して台所にやってきたのは、茶髪ポニーテールの少女――羽奏だった。
「あれ? お母さん……おか……あぁぁぁぁっ!?」
羽奏は呆然としている俺の様子と、血だらけの手を見て悲鳴を上げた。
「た、たたた大変っ! お母さんしっかりして!」
「……あ、うん……ごめんなさい羽奏」
「ど、どどどどうしたの一体!?」
「私は……私はダメなお母さんなのよ……」
「だからそういうことを聞いてるんじゃなくて!……えーっと、絆創膏はどこだっけ?」
呆然としている俺を後目に、羽奏はテキパキと動いて、俺の指に大きな絆創膏を貼ってくれた。
「だから、家事は私がやるから無理しないでって言ったでしょ……?」
手当を終え、俺をリビングのソファーに座らせた羽奏は、腰に手を当てて少しキツめの口調で言ってきた。うん……返す言葉もないけど……
「そういうわけにもいかないでしょ……? 家族のごはんを作らないと……」
「……あーもう!」
羽奏は少し……というかだいぶイライラしているようだ。……なんかごめん。
「とにかく! 今日はお母さんは家事を一切やっちゃダメ! 洗濯物も途中だし……畳むの下手くそだし……どうしちゃったのよお母さん……」
俺が畳みかけで放置していた洗濯物の山に視線を向けてこぼす羽奏。その口調は次第に心配そうなものに変わっていった。明らかに俺の様子がおかしいことが分かってきたのだろうか。……羽奏ごめん、俺じゃあ紗衣さんの代わりは務まらない。ごはん一つ作ることができない…家族を……守れない。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
俺の視界は再び霞んだ。今度は大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……お母さん」
ごめん……羽奏……ごめん。祐士……大輔さん……
と、その時、羽奏がそっと俺の体に抱きついてきた。……なに? これはどういうシチュエーションですか?
「家事ができなくなっても……お母さんは、私の大切なお母さんだよ?」
……羽奏。お前ってやつはぁぁぁぁっ! 嬉しいことを言ってくれちゃってぇぇぇっ!
「……ありがとう……ありがとう」
俺も両腕でしっかりと羽奏の体を抱きしめて、その体の柔らかさと温かさを感じながら、今度は嬉し涙を流したのだった。