転生しました
――いってぇ
クソ、頭を打ったのか、頭部が割れるように痛い。目の前が真っ暗で何が起きているのかわからない。俺は必死に両手両足を動かそうとしたが、特に何も起こらなかった。
そうか、俺は川に落ちて……生きてるのか、死んでるのか……。母親のことを散々罵って家を飛び出したからその罰が当たったとかか?
少し、ほんの少しだが反省している。だから――
――家に帰りたい
そう思った時、不意に目の前が明るくなった。
「――?」
目を開けると、視線の先にあったのは見慣れない天井だ。少なくとも俺の部屋の天井ではない。あと背中の感触が柔らかい。というか、身体中を柔らかいもので包まれているような感覚……。あぁそうか、布団で寝てる感覚だこれは。
てことは、俺は川に落ちた後、誰かに助けられてここに寝かされているということだろうか。
俺は寝たまま周囲を見回した。
四畳半ほどの小さな洋室は、持ち主が几帳面な性格なのか、整然としていて家具やその上に配置されている小物まで全て綺麗に整頓されている。テレビはないが鏡台があるから女子の部屋かな? ぬいぐるみとかオシャレな家具とか所謂女の子チックなアイテムは少ないが。……つまりは俺は
――女子の部屋にいるのか
いやまじか。女の子に助けられて部屋で寝かされているとかいうシチュエーションは、それだけでラブコメに発展しそうな気配しかない。部屋の中にいる人物は俺だけのようで、肝心の彼女の姿が見えないが、早く会ってみたいなその命の恩人に。
それにしても窓から射し込む朝日が心地よい。ピヨピヨという小鳥のさえずり。いつも朝起きたらすぐに飯を食べて出かける俺にはあまりじっくりと感じたことはなかった。
……ていうか今何時だ?
なんとなく壁にかかっていた時計に目をやった俺。……なんだ、まだ朝の五時半じゃねぇか。普段ならまだまだグースカ寝てる時間だ。この部屋の彼女には悪いがもう少し休ませてもらおう。本人の姿もないわけだしお礼も言えない。勝手に人の家を捜索するのも無粋だろうしな。というわけでおやすみなさい。
俺は二度寝をすることに決め、まぶたを閉じた。
――リリリリリリリリン!
――リリリリリリリリン!
なんだようるせえな。目覚まし時計か? どこだ?
目覚まし時計というものはだいたい寝てる状態で手が届く場所に配置する。そう踏んだ俺は寝ぼけ眼でまた周囲を見回した。……あった。枕元に置かれていた白いスマートフォン。そいつがリンリンと主を呼んでいる。だが部屋の主の姿は依然として見えないので、仕方なく俺はスマートフォンを拾い上げた。
どうやら電話ではなくアラームらしい。人騒がせな。というかまだ六時じゃん、こんな朝早くに起きてるのか? やばいな。
俺は普段使い慣れていない機種の操作に手間取りながらも、アラームの解除に成功した。ついでに、俺の脳裏を良からぬ考えがよぎった。
――中を覗きたい
言い訳をさせてくれ。俺は全国の男子の代表として、女子のスマートフォンの中という未知の空間を暴くべく……いや、言い訳になってないな。
いけないのは分かっているがものすごく気になる。幸い部屋の主は戻ってくる気配がないし、少しだけ……見つかったらアラームの解除に手間取っていたと言い訳すればいいだろう。
結局俺は好奇心に負けてスマートフォンの中身を覗こうとしたのだが。
チッ、ロックがかかっているか。
まあ当たり前の話だ。スマートフォンにロックかけないやつはセキュリティー感覚が欠如している(俺は開けるたびにいちいち解除するのがめんどくさいし、見られてもなんともないためかけていないのだが)。アラームだけはロックを解除しなくても止められる仕様だったということだろうか。
スマートフォンを覗き損ねた俺は、なにかを覗きたくて仕方がなくなってきた。とんだ変態だ。そんな気持ちを紛らわせるように床に敷かれていた布団から出て、窓に近寄って外を見る。……これくらいなら全然覗きではない。
うわ、やはりというか住宅街だ。古びた一軒家が立ち並び、たまにマンションとかアパートとかもポツポツと建っている。が、この景色に俺は見覚えがなかった。目印となりそうな建物もない。随分遠くまで来てしまったようだ。
あ、そうだ。怪我は?
頭を打ったはずだ。血とか出てないかな?
触ってみた感じでは特になんともなさそうだったが、身体がおかしい。自分のようで自分でないような。部活で鍛え抜いた身体を操っている気がしない。もう少しヤワで……ヤワヤワな……?
うーん、どういうことだろうと、なんとなく鏡台の鏡を覗いてみる。
「――っ!?」
俺は驚愕して、慌てて後ろを振り向いた。が、誰もいない。いや、今確かに鏡に女の子……というか女の人の顔が写ったような気がしたんだが! 主が帰ってきたのかと思ったら誰もいないとか怖すぎる。心霊現象? 呪われた屋敷ってか? 冗談じゃない。
それ以上鏡を見るのが怖くなった俺は、かといって屋敷から脱出する気にもなれず(部屋から出たらどうなってしまうのか怖かったので)、ひとまずの安全地帯である布団に戻って寝ようとした。そう、これは夢だ。夢に違いない。覚めればきっといつもの日常が……
しかしなかなか眠れない。悶々としていると、突如として部屋のドアが開いた。
小さく開いたドアからひょこっと顔を覗かせているのは、恐らく中学三年生から高校一年生くらいの女の子。なんで分かるかって? 妹と同じくらいの見た目だからだよ。はぁ、全くクソ生意気な妹を思い出してしまったじゃないか。
ドアの隙間からこちらをじっと見つめる女の子は、茶色い髪をポニーテールに結んで、心配そうな顔でこちらを凝視している。くりくりとした瞳が可愛らしいが、じーっと見つめられるのは少し怖いな。……この子が部屋の主だろうか。
「お母さん大丈夫……?」
お母さん? 俺は慌てて周囲を見渡したが、部屋には俺とポニーテール少女以外はいない。当たり前だ。なんだ? 寝ぼけてるのかな? それとも常人には見えないものが見えちゃう系? やはりここは呪われた屋敷……?
「いつもの時間に起きてこないから心配になって……ぼーっとしてどうしたの? 風邪? 顔色は悪そうじゃないけど」
待てこいつもしかして、もしかしなくても俺に話しかけてるのか? いや、俺がこの子のお母さんなんてそんな馬鹿な話が……
「ま、まさか……」
途端に少女の顔が絶望に歪んだ。え、なに? どうしちゃったんだよ?
「お母さんっ! 私だよ! 羽奏だよ! わかる? おーい!」
と、ズサーっと膝で滑りながら、布団の上の俺にすがりついてくる少女! おいおい、いきなりラブコメ的展開だが、状況が謎すぎるぞ誰か説明してくれ!
ギューッと羽奏と名乗る少女に抱きしめられて、俺は少しずつだが状況を理解できた。
違和感その1、俺の身体がヤワヤワな気がする件。そして違和感その2、鏡に映った謎の美人さん。違和感その3、羽奏という少女が発した「お母さん」という呼称。それを総合的に考えると……。
――俺は羽奏のお母さんに転生したということだ!