幽鬼的恋愛事情
どう投稿するのか、投稿したらどうなるかの習作です
「どうぞ、上がってくださいっ」
通された玄関はすでに、女子の住居特有のいい匂いが漂っていた。
それと悟られぬよう芳香で肺を満たしていると、悠里は俺の袖口を引っ張り前進を促した。
靴を脱ぎ、用意されたスリッパを履く。……廊下にもホコリひとつない。家事が好きだとは言っていたが、なるほどこれは筋金入りだ。
「ささ、どうぞどうぞ!」
言いながら悠里は、二足の靴先を扉に向けなおす。スリッパをパタパタ鳴らしながら再び俺の袖を掴むと、そのままリビングに連れていかれた。
「ここ! ここに座ってください、先輩! ほら!」
「……あぁ、ありがとう……」
尻込みするような勢いで勧められた。
流されるまま席に着くと、悠里は対面に座り、こちらを見たままニコニコしはじめる。
「…………」
「むふ、むふふふふ……」
犬以外でこれほど歓喜を露わにする動物を、俺は知らない。実は耳とか尻尾とかが生えているのではないだろうか。
事の発端は今日の放課後、校門前で悠里に待ち伏せされていたところまで遡る。
元々殺人ギルドの家系である《幽玄坂》、その傍系にある幽城家の一人娘の幽城悠里の監視・抑止力として学園に潜入していた俺は、ここにきて先手を打たれてしまった。
今日に至るまでの半年間、それとなく悠里に近づき、仮初めの交友を深め、偽りの友情の水面下で彼女もまた殺人鬼なのか否かを見定めてきた。そろそろ攻め時、明確な証拠の一つでも……と思っていた矢先だ。
「先輩、今日、うちに寄って行きませんか?」
いつもの屈託のない表情とは打って変わって悩ましげな色を浮かべ、後輩は誘ってきた。
……これまで悠里とは悪くない関係を築けてきたと思っている。悠里にとってもそうなのか、『事情を知ってしまったからには殺したくなくても殺さなくてはならない』といった顔色だ。
『お前を確実に仕留める』と言われたような俺は、覚悟とともに息を呑み、これに応えた次第だ。
「やった! じゃ、一緒に帰りましょうっ!」
あー、緊張しましたよー、などと肩の力を抜きながら呟く悠里は、いつもの調子に戻っていた。だが、時折俺と自分のスクールバッグ……その中にあるもの……を交互に見比べていたのを俺は見逃さなかった。
「あっ、いけない!」
ばたん、と立ち上がった悠里は、
「先輩、喉乾きましたよねっ? 今お茶を淹れてきます!」
小走りでキッチンの方へと駆けていった。
「…………」
キッチンはリビングから玄関への廊下への途中だ。玄関を通って脱出しようにも捕まってしまうだろう。
それにこの席。リビングの入り口から一番遠い上座なのだ。俺のことを敬うふりをしつつ、これもまた玄関への牽制に違いない。対面の悠里の席の傍らには彼女のスクールバッグ、その後ろにはソファの後ろには置かれたマガジンラック。ソファの奥にはテーブルと中央にガラス製の高級そうな灰皿……吸い殻と灰は多くも少なくもなく、喫煙者は一人だろう……二日ほど放置されているようだ。最後に、出口に繋がる壁にテレビが置かれている。
……どう考えても玄関は鬼門だ。
幸いなのは、俺の左手側にある庭に降りるための大窓だ。しかしこれは鍵がかかっており、背の低い木が植えられている上コンクリート塀もある。これを乗り越えるまでに背後から襲われないとも限らないーー。
薫ってくるお茶の匂いを嗅ぎながら、俺は殺し屋としての悠里の評価を下す。
「……完璧だ」
「ふぇ⁉︎」
「!」
考え事をしていたとはいえ、またお茶の香りを楽しんでいたとはいえ、気配を悟られることなく俺に接近するとは!
「あっ、あっ、あのあのあの! あのですね、先輩!」
「いや待て待て待て待て、穏便に行こう!」
九十九パーセントクロだが、残り一パーセント残る『悠里は殺し屋ではない』という可能性に賭けたい俺は、決定的な瞬間まで善良な先輩でいたいのだ。この場を取り繕わなければ。
「その、お茶を淹れるだけで褒めて頂けるなんて……光栄ですっ!」
「……………………、ああ、お茶ね、お茶! すごくいい香りだから、つい!」
「よかったぁ……。ちゃんとカップも温めて、濃さも調節したんです! 茶葉の蒸らし方もお湯の温度も勉強したんですから。ささ、先輩、冷めない内に味の方も確かめてください」
ずずい、と更に差し出された湯呑みを受け取る。
「いただきます」
少し息を吹きかけて表面を冷まし、一口啜る。ほうじ茶の香ばしさが口と鼻腔を撫で付け、心地よい温度が喉を滑り落ちていく。一瞬遅れた味覚は……味覚……しまった。
「悠里……これ、ただのほうじ茶じゃあないだろう」
「バレました?」
てへ、と舌先を出し自分の頭を小突く悠里。何かを……例えば仕込んだ毒薬によるターゲットの殺害成功を……確信した顔だ。
「えっと、その、愛情! 籠めましたっ」
「……………………」
毒ではなかったのか? いや、むしろ毒といえば毒なのだが。
「やっぱり伝わってくれましたね。いやー、よかったー」
少し強張っていた肩の力を抜き、悠里もまたほうじ茶を飲み始める。自分で淹れておいて結構なお点前と小さく呟くのはどうかと思うが、今俺はそれどころじゃない。
愛情。愛情だと?
「それじゃ、伝わったついでにですね……」
おもむろにスクールバッグを漁る16歳。俺が放課後から最も警戒しているそれに手を伸ばされ、蕩けかけていた意識がいつもの屹立した岩肌のように鋭く激しいものに切り替わっていく。
「これ、受け取ってください!」
テーブルに何かを叩きつけた悠里は、一拍おいて顔を紅潮させて廊下へと走り去っていった。音から判断するに、二階に登っていったのだろう。続いてドアを開け閉めする音もしたので、自室にこもったのか。
置き去りにされたのは、すこしくしゃくしゃになった封筒だ。ずっとカバンの中にあったとして、これは……四半年前のものか。四半年前といえば悠里の懐柔に目処が立ったころだったはず。
「なんだこれ……」
手にとって確認しようとした矢先、俺は本能的に距離をとった。
もし仮にこれが罠だったら? 例えば発信機などが付いていて、悠里は二階から俺を狙っているのか?
それとなく周囲を見渡してみる。……よし、狙撃できるポイントはないみたいだ。
おそるおそる少し汚れて角の折れた白い封筒に手を伸ばす。裏側には封印として……どことなく悠里と似た雰囲気の……犬のシールか貼られていた。端から丁寧に剥がし、中の手紙を取り出す。
なんの変哲もない、内容が見えないよう三つ折りにされた紙だ。
「…………」
緊張をほぐすため、ほうじ茶を一口。
しっかりとした素材の紙をにらみ、そこに書かれた内容を想像する。
脅迫文か? 俺の弱みを羅列し、脅すつもりなのか。
通信か? 俺の正体に気づき、逆に利用するための取引か。
告白か? 俺の追跡を知り、許しを乞うための吐露か。
告白……もしやただのラブレターではないだろうか?
「…………」
そう思うと手が震えてきた。
お茶に愛情を込めたことも合わせて考えるなら恋文である可能性が高くなる。
いや、待て、しかし、しかし。
確かに悠里は可愛い後輩だ。許されるのならば嫁にほしいくらいできた女性だ。それでも彼女は幽玄坂に連なる幽城の一人娘。まかり間違ってもそういった対象に見ることはできない。
迷っていても仕方がない。
危険な薬品を扱うような手つきで、俺は折りたたまれた紙を開く。
余白、余白、余白……。正確には女子らしいハートの模様があしらわれた紙を使用しているので余『白』ではないが、それは置いておく。
贅沢な使い方をされた紙の真ん中に、たった4文字だけが横書きで記されていた。
『好きです』
ラブレターだった。
疑いようのない、これ以上ないくらい純粋なラブレターだった。
これがもし『すきです』ならば『隙です』などと読み違えていたかもしれないが、いや、ちょっと……ちょっと……。
「どうしてこうなった」
悠里に近づくにあたり、世に言う"いい人"であることを心がけていたはずだ。友人以上ではあるが恋愛対象には決してなり得ないような、そんないまひとつパッとしないポジションに収まっていたはずだ。惚れられる要素などあるまいに!
呆然としていると、唸り声を上げながら一歩一歩ゆっくりと降りてくる足音が聞こえた。
「せんぱーい…………」
再び現れた悠里は、制服をシワだらけにしながら枕を抱いていた。ベッドの中で羞恥に耐えきれず悶え暴れ、落ち着いたのだろう。目から下を枕に埋めて降りてきた。
「読んで、くれました?」
読むと言う量ではなかったと思うが。
「読むというか見た、だな」
「……………………」
「…………」
なんの沈黙だ。
俯いて耳まで真っ赤に染めた悠里は、次第にふへへ、と気持ち悪い笑い声を上げるようになる。
「読んだんですね?」
にや、と目元と口元を悪戯な角度な曲げて、悠里は問う。
お手上げだ。
これまでの調査の結果、幽城悠里は『シロ』。彼女は人を殺すような人間ではないと判断した。
それから、秒針が一周するまでに俺と悠里は恋仲になった。
季節が変わる頃には、お互い初めての口づけを交わした。
学年が変わる頃には、俺は悠里のために人を一人殺すことになった。
殺し屋・幽城家とは、なるほど、こういう殺し方なのかーーと、俺は後戻りできなくなって初めて気がついた。