第9話『最後の姉妹喧嘩を終えて』
姉さまを倒せるとすれば、あの威圧的な光剣を掻い潜り、何としても銃口から伸ばした氷柱によって刺突する他にない。距離をとられて撃ち合いになってしまうと一方的にこちらが不利だ。勿論、接近して切り結ぶのも不利には変わりないが。私が有利なのは盤外戦ぐらいなものだ。ラフプレーを続けなければ勝目はない。
「なぁ姉さん。そんなに私の記憶が無いということが重要なことなのかい」
「今更なんですか!」
動揺を隠すように振るわれた、勢いに任せた大上段から叩きつけるような一撃を、横にステップして躱す。光剣は魔法の力で眩いばかりの光と熱を伴う熱線を剣状に出力したものだ。叩きつけるような動きは無意味である。重さなどはないのだから。いくら姉さまが見栄っ張りな性質とはいえ、普通はしないだろう。これは姉さまが不安定な証拠だ。
「ここまでして私の記憶を隠し通す必要性がわからない。姉さまたちは何か企んでいる」
「企むなどと、私たちは――」
ぷは、と背後でリータの声が漏れる。沈黙の術が切れたのだ。彼女は堰を切ったように話し出す。よし、これで精神的には2対1だ。いけるぞ。
「ええ、そう。そうよ。この子が初志貫徹するべき、なんてことだけじゃあ足りないわ」
「そうとも、姉さまたちは何か隠している!」
姉さまが一寸、息を呑む。そうしてから、喊声をあげての突進。すんでところで躱し、無防備になった背中に銃床での一撃を与えようとして――姉さまの身体が虚空に浮く。しまった、私以外の姉妹達は気軽に飛行できるのを忘れていた。
「隠してなど、企んでなどいません!」
「図星って反応だな、姉さま」
姉さまがハンドベルをぎゅう、と握る――まずい。叩き落とさなければ何をされるかわかったものじゃない。私は銃口を姉さまに向けて引き金を引く。銃口から伸びる魔法円。銃声が如くの破裂音――放たれた氷の礫は、より細かい霰に分裂して姉さまを叩く。
「そんなもので、止まる、ものですか!」
姉さまは全身に霰を受けてなおハンドベルを手放さない。強く握られたベルから伸びる光剣はその輝きを増していき――心なしか太くなっている。ベルの直径よりも太くなったそれは、最悪なことに長くもなっていたようだった。――まずい、詰んだか?
あれが感情のままに振られてしまえば、跳んでも跳ねても、転がったとしても避けられまい。そしてまともに食えばお陀仏だ。見た目通りに威力も上がっているとすれば、とてもじゃないが魔法で修復できるどうこうといった域では留まらないだろう。文字通り一撃必殺になりかねない。――うーん、リータがショックで成仏しかねない死に方しそう。
「ま、まぁ姉さん。ここまでやっておいて言うのも何だが少し落ち着い――」
「覚悟なさい!」
こちらを見下ろした格好の姉さまが大げさに光剣を振るう。眩い光が雪を溶かし、地を焼いていき――私の足元を掠めて通過する。すわ見誤ったかと、反撃しようと銃口を向ければ、姉さまは光剣を振りかぶり、こちらに振り下ろそうとしていた。いかん。確実に当てる気だ。
「せぇ、のっ!」
「妹殺しめ――悪い魔女を怒らせたな」
こうなっては仕方がない。私は私自身を氷で閉じ込めるべく、地面に銃口を向けて引き金を引いた。ルビーの炎の嵐をただやり過ごしたようなものではなく、なるべく複雑にカットされた氷柱だ。一瞬で構築するには難儀なものであり、ブリリアントカットとまではいかないが――少しでも光を屈折させて、威力を減衰させなければ。正直なところ、これで防御しきれるかどうかはかなり怪しいところだ。しかし、他に術はない。
ついに光剣が振り下ろされる。私を包み込んだ氷柱は光に晒され、光を四方八方に散らしていく。散らされた光は私に届くとも、私を焼くには弱すぎる光となる。しかし、それでも熱が氷を容赦なく溶かしていくが、まともに食うよりはずっとマシだ。氷の内側にいる私は、魔力を氷柱に巡らせ、溶けた氷を再凝固させていく。どんどんと歪になっていく氷柱。歪になればなるほど、光の屈折は複雑なものとなっていく。姉さまがこの光剣を維持できなくなった時が、恐らく最後のチャンスだ。――どうか、耐えてくれ。
「無駄な、あがきを!」
意固地になった姉さまが、何度も光剣を振り上げては氷柱に叩きつける。ずっと刺すようにしていた方が私にとって痛手なのだが、感情的になっている姉さまには自分の振るう光剣と通常の剣の区別があまりついていないらしい。
幾度も幾度も、振り上げては叩きつけ、叩きつけ、私も氷柱を維持する魔力に限界を感じ始めたころ、ついに光剣が段々と薄れていき、ついには消えた。しめた。待っていたぞ。
「――こ、の」
姉さまが何かを言いかけるが、それよりも前に氷柱を解除した私が、姉さまに銃口を向ける方が早かった。今なら、どんな一撃でも防がれることはない。これまでのお返しとばかりに、礫よりも大きな氷塊を発射する。――どん、と胸を揺する轟音。今度ばかりは銃声のような音とはいかない。そう、大砲のような、山も震えるような大きな音だ。熱線も、光剣も使えなくなった姉さまにそれを回避するだけの術はなく――
――姉さまに、氷塊が直撃した。
「――っ、ぁ」
痛みに洩れる小さなうめき声はしかし、氷塊が派手に自壊する音でかき消された。勿論、姉さまの身体が氷塊を破壊するほど硬いわけではない。単に氷塊が脆いのだ。あれで姉さまが潰れてしまえば、いくらなんでも目覚めが悪いと言うもの。あれは見掛け倒しだ。
しかし、見掛け倒しでも、姉さまを叩き落としてくれたのだから、立派に仕事をしたといえる。雪の下に落下した姉さまに、私は銃口を向ける。先ほどの再現だ。先ほどと違うのは、今度は戦争ごっこではないということだ。
「今度こそ、降参してくれるね。姉さん」
「……ええ、私の負けです」
大人しく認めてくれたようなので、私は銃口を外して、姉さまに手を差し伸べる。姉さまは小さく微笑んで、それから手を取って立ち上がった。それから服についた雪を払いつつ、異界化を解きながら、お互いの修復も、これまでのどの姉妹よりも手慣れた手つきでしてみせた。服も怪我も元通りだ。こうなってしまえば、いましがた喧嘩したのが嘘のようだ。
「悪い魔女に負けたのだから、するべきことはわかるね? 姉さまよ」
「記憶を返せというのでしょう……わかっています」
しかし、と姉さまは唇を噛む。まだ何か躊躇するようなことがあるらしい。そこまでして、私の記憶が戻ることが不都合なのだろうか。何かよほど大げさな企みで、それがふいになってしまうことが惜しいとか。そういうことだろうか。
「約束、してください。記憶を取り戻して、どんなに辛くても、あなたは生きると」
「それがどんな辛いことを想い出そうとも、歩みは止めないよ」
「……中で、話しましょう」
姉さまにつられて、私とリータは塔の中に入る。塔の中はごちゃごちゃとしていたが、小難しそうな本の入った本棚が特に目立った。姉さまは、何かを探していた。世界が終わるとやらと関係があるのか。私のこととどう関係しているのか――。
「あなたが考えている通り。あなたの記憶を封じたことは、世界の終焉をその背景にしています。……あなたが恋人を失った夜。あなたの叫びを口実にして、記憶を封じました」
「……ははぁ、やっぱり、あの骸骨さんは。私の」
私の、大事なひとだったというわけか。悪い魔女だって恋をして愛を知ったというのか。いよいよもって、本来の私と、今の私。これは重大な乖離を起こしているらしい。……そう考えると、本当に自分勝手なようだが、本当に記憶を戻してしまってもいいのか。そんな風に考えてしまう。何もかも思い出してしまえば、ここにいる私は消えてしまうのではないだろうか。『私』が消えて、本来の『サファイア』が戻る。そこにいるのは『悪い魔女』などではなく『氷晶の魔女』ということになる。……ううーん、何だか複雑になってきた。
「ねぇ、リータ。悪い魔女と氷晶の魔女、どちらが友達として相応しいと思う?」
「何をおかしなことを。どっちもあなた自身でしょうに」
「いいやわからないよ。本来の私はどんな奴なのか、私にわからないのだから」
「私は、以前のあなたを知っているわ。……でも、今のあなたのように振る舞わないでしょうね。……へんだわ。あなたには、なんとしてでも、あの素敵な記憶の数々を取り戻してもらわなければならないのに。そうしてしまえば、今のあなたはどうなってしまうのかしら」
リータは、初めから私が記憶を取り戻すということに執心していた。ここにきて、私と同じく、疑問を持ち始めた。忘れていていたほうがいいことがある。忘れてはいけないことがある。……思い出さなければならないことがあって、思い出すべきではないことがある。
「……怖く、なりましたか」
姉さまの声に、思わずはっとする。姉さまの声は、先ほどまでと打って変わって、優し気な響きをもっていた。本当は、やっぱり、優しくて素敵な姉さまなのだと思う。少しばかり見栄っ張りなのは、その可愛らしさに免じて目を瞑るべきところだろう。
「考えたんだ。『悪い魔女』はどんな辛い思い出にだって耐えるだろう。でも、記憶を取り戻した瞬間に『悪い魔女』はどこかに消え失せて、強いのか弱いのかもわからない『氷晶の魔女』になってしまう。『氷晶の魔女』がどんな判断をするのか、わからない」
「確かに元々調子に乗りやすい性質でこそありましたが、今と大分違いますね。もしも悪い魔女でい続けたいのならば、記憶は諦めてはどうですか?」
最後の言葉は無視するにしても、私が調子に乗りやすいのは変わらずと。基本となるところは変わらないということだろう。問題はどう過ごしたか、という点か。サファイアとして、私は長くを生きてきた。恋人ができて、長い月日を過ごして、そして死別するほどの時間が経っている。今の私は、まだ、今日だけしか生きていないのだ。そりゃあ、違って見えるのは当然だろう。
「ねぇ、でも。あなた、今言ったばかりじゃない。歩みを止める気はないのでしょう?」
「おやおやリータ。悪い魔女がいなくなってしまってもいいのかい? 寂しいねえ」
私は少し意地悪く言って笑ってみると、リータは呆れたように肩を竦めた。どんな時でも、お姉さんぶる態度は止める気がないということらしい。それとも、以前の私と会いたいというのが、先ほどの若干の躊躇を吹き飛ばしたか。そうなると、自分自身に少し妬けるね。
「別にこの記憶を取り戻すために姉も妹も伸してきた旅を忘れるわけではないでしょう」
「そこだけ抽出すると、とんだ人でなしだな、私」
「私を散々脅迫しておいて、今更人でなしではないとでも?」
「これでも私は恋人がいたらしいんだよ? こんな可愛らしい乙女に何てことを」
クォーツ姉さまにまで呆れられてしまった。わかったわかった、悪い魔女ごっこはつまり、姉さまに対して喧嘩に勝った時点でそろそろおしまいにするべきだと、そういうことだろう。記憶があろうとなかろうと、結局のところ私は私であるのだし、そろそろ『氷晶の魔女』としての姿を取り戻す時がきた。――そういうのだろう。
「それじゃあ、私自身を取り戻すとしよう。姉さま、頼むよ」
「今でも気は進みませんけどね」
――姉さまの手が、そっと私の額に触れる。
――どこかで、何か液体が波打つような音がした。
▽
――沈んでいく、沈んでいく、沈んでいく。
――意識は曖昧だ。自我は曖昧だ。記憶は曖昧だ。
――乳白色の、薄明るい液体の中を、どこまでも、沈んでいく。
――どこまでも、どこまでも。深く、深く、深く。
――ああ、でも、どうして私は沈んでいくのだろうか。
▽
ぱちり、と閃光が迸る。それと同時に、曖昧だった私の意識は鮮明になり、改めて私が液体の中をゆっくりと下降していることを認識した。私は、ゆっくりと沈んでいる。
乳白色の液体は薄明るく、半透明で、しかし果てを見通せない。そして、他にある色は、それは私だけであり、魔女たる黒い衣服と、私であることを示すサファイアの首飾りのみ。
そうして、気づく。私が一体何に沈んでいるのか。この液体は何なのか。
――この液体は、記憶だ。取り戻した膨大な記憶を処理できず、私の意識は己の内面、精神世界にて目覚めたのだろう。これまで取り戻してきた断片的な記憶の数々も、再び選別され、繋がりを取り戻し、より記憶として鮮明な状態になろうとしていく。私のこころが妙に穏やかなのは、記憶を読み取って一々感情を動かしていては、壊れてしまいかねないからだ。
私は、とても幸せな記憶と、とても悲しい記憶をもっている。それを一度に叩きつけられてしまっては、どうなってしまうかはわからない。こころは脆いものだから、きっと、嬉しさや喜びよりも、痛みや悲しみを大きく感じ取ってしまう。
「……現実に戻るのに、もう少し手間が必要そうだね、これは」
私の遥か下方に、沈んでいるものが見えた。
――私自身だ。泣いて、泣いて、絶望しきった様子の、私自身。
――姉とも妹とも喧嘩して、最後の最後に、今度は泣いている私自身だ。
悪い魔女としてだろうが、氷晶の魔女としてだろうが、これら記憶をきちんと持ち帰り、意識を現実に戻すには、あそこで泣いている私をどうにかしなければならない。これはきっとそういうことだ。根拠もないし、このままぼーっと沈むに任せていれば、その内帰れるかもしれない。でも、目の前で自分が泣いているのは鬱陶しいものだし、悲しいものだ。
――それじゃあ、自分のご機嫌を取りに行くとしようか。