第8話『閃光の魔女、クォーツ』
――泣かせてしまった。どうしよう。
「い、いやわからないぞ。これは私を油断させる罠かも……」
「魔女ならさもありなんってところね。でも、本当にそうかしら?」
確かに、これが罠ならば魔法の杖たるハンドベルを易々と投げてよこさないはずだ。投げがてら何か魔法を放つことは出来ないわけでもなかったはずである。それよりなにより、どんな罠のつもりにせよ、魔法の杖がないというのはそれだけで痛手だ。許容できるものではない。――こうなってくると、本当に……?
迷っている間にも、姉さまの嗚咽がこの寒空に響く。何かひどいことをしてしまったのではなかろうか。いやしかし、あのままでは間違いなく私がひどいめに合っていたのだろうし、ああすることは仕方がなかった。……とはいえ、少しばかり過剰だっただろうか。
「よ、よし姉さま。私が悪かった。ただ記憶を返してほしかっただけなんだ」
銃口を姉さまから外して、蹲る姉さまに近づく。見下ろすのもあれなので屈んで姿勢を低く合わせてやるが――姉さまからの反応はなく、嗚咽が響くのみ。これは本気で泣いているような気がする。感情が爆発して泣く以外の挙動ができないのだ。……多分。
「……ひどい、ひどい。あんまり、あんまりです。サファイア」
がば、と顔を上げた姉さまは、やはり泣いていた。魔女人形には珍しい大泣きである。気取ったお洒落の眼鏡も凛々しい目元も、冷笑を浮かべる口元も、今はその面影すらない台無しな姿だ。ただの、泣きじゃくった少女がいるばかりだ。……そうしたのは私だが。
「私が、どれだけ、長姉としての威厳を、あなたに、見せようとしたのか! わかって! いるのですか! 綺麗で強くてカッコ良くてでも怖い姉という像を! 私の!」
ぽかぽかと私の胸を叩く姉さま。なんだろう、姉さま。この愛くるしさではそのキャラ付けは無理があると思う。記憶が完全でないのが悔やまれるが、やっぱり、どう考えても、空回りし続けるタイプではないだろうか。ちなみに、胸を叩かれても微塵も痛くない。
「何しろ、姉さまたちに記憶を失くされているから、今の私はとっても悪い魔女なんだ」
「悪い魔女でも! あんなやり方は! しません!」
「ほら、悪いからこそ、徹底的にやるんだ。さぁ姉さま。機嫌を直して、それから記憶を返してもらおうか。そうじゃないと、あっさりやられて、大泣きしたと、他のみんなに全部話してしまうよ。姉さまの姉さまらしい姿はもう全部過去のものにとなってしまうよ」
「ひ、ひどい……ひどすぎます……!」
姉さまは怖いものでも見るような顔で震える。何やら私の心中に昏い歓びが芽生えそうになるが、そこを堪えて、あくまでも優しく姉さまを説得する。こういうのは飴と鞭だろう。姉さまは今、精神的に無防備な状態だ。ショックから抜け出せてない今こそ、効果的な心理的攻撃をしかけることによって私の記憶を譲渡させねばならない。
「大丈夫。大丈夫だよ姉さま。姉さまが何か、私の事で心配だからこそ記憶を奪ったのだと知っている。記憶をなくす前の私は、それはもう取り乱してしまったんだろうね。だからこそ、ひどく心配をかけてしまった。私に対する思いやりなのはわかっている。でも、目が覚めてみて気が付いたんだ。前を向くには、歩き出すには、そのためにも過去の辛いことの記憶が必要なんだと。痛みや辛さも忘れてしまえば、未来を目指すにはあんまりにも無防備だ」
視線を合わせ、優しく、優しく語りかける。姉さまと敵対したいわけじゃないんだと。姉さまたちのことは感謝しているのだと。ただ、今、記憶が必要なのだと。そんな風に、私は説得する。姉さまも嗚咽混じりながら、うん、うん、とうなずいてくれた。説得は相手が不安定な時に限る。効果は絶大じゃないか。
「……わかりました。返す、返します。でも、後悔しませんね」
「もちろん、もちろん。ついでに、何を企んでいてくれたかも教えてくれると――」
――ついに言質を引き出せた。喜ぶべき場面なのだが、リータがこの状況ではしゃいでいない。横目で見ると、何やらぶんぶんと首を振っていた。――喋れないんだ。沈黙の術の効果だろう――ベルがなくても発動できるとは、流石は姉さまだ。でも何でだ。
「……本当に、強かだな。姉さま」
私は飛び上がり、姉さまから距離を取る。先ほど取り上げたハンドベルを気にしてみれば、このベルには舌がない。これでは鳴らない。魔法の杖ではないだろう。さっきは音がしていたのだから――それを考えると、結論は一つで――。
「……バレましたか。もう一歩でしたのに」
――私には、偽物を渡していた。そう考えるのが自然だろう。偽降伏なんて卑怯だとは言わない。ただ、そんなことをすれば戦争ごっこにも適用しておきたい各人道的な条約による保護だってフイにするということになる。わかった、わかったぞ姉さま、その気なんだな。
「――失敗したのなら大人しく諦めるんだね姉さま。さもなくば恥ずかしい目にあってもらう。とてもじゃないがお子様には言えないような破廉恥な目にだ!」
私が銃口を向けるのと、姉さまが本物のハンドベルを取り出すのはほぼ同時。姉様はまだ立ち上がれてもいないが、そこはあまりハンデにもなってないだろう。まずい、姉さまはさっき、熱線を発射していた。その速度は私が氷を放ったり、トパーズ姉さまが水晶塊を発射するよりも速く、エメラルドの風よりも、ルビーの炎よりも威力がありそうだ。つまり、お互いに武器をつきつけているように見えても、これは私が一方的に不利だ。
「そんな三下みたいな下品な脅迫、みっともない。いよいよもっておしおきしないと」
「やられたフリと偽降伏での奇襲を狙っていた姉さまが言えたことか」
引き金を引いたのと、ベルの音がしたのは同時。ただし、眩い熱線が私の胸を貫いたのも、音が響いたのとほぼ同時であった。――痛い、熱い。膝を折ってしまいたくなるような痛苦だが――まさか、一撃でやられてやるわけにもいくまい。
「……こっちのは、そりゃ当たらないか」
私の放った氷の礫は、響いた二度目のベルの音によって砕かれた。あの熱線はルビーの炎よりも余程強力に、氷を溶かしてしまうようだ。それこそ一瞬で――。ルビーにしたように、降ってくる雪をどうこうして攻撃するのも難しいだろう。何しろ、この周囲はそもそも姉さまがお天道様に我儘を言って雪雲を薄くしているのだから。
「理解しましたか? あなたでは、私には勝てません。私は魔女人形の長姉、閃光のクォーツなのですから。思い出したのならば、あなたこそ降伏するのですね」
「せっかくだがやめとくよ。姉さま、そんなに強いのなら、偽降伏だので奇襲を狙う必要はなかった。塔のてっぺんから熱線を乱射すれば事は済んでいた。でもそうはしてない。姉さまの魔法には必ず何か穴がある――例えば、非常識な連打はできない、とかね」
一瞬、姉さまの表情が曇った。私は何か考えるよりも先に、殆ど反射的に引き金を引いた。――ベルの音が響いたのは、数拍遅れた後。殆ど勘だったが、ある程度は図星だったらしい。姉さまの魔法は、一撃が強力な分ラッシュには向いていない。言うなれば大砲だ。トパーズ姉さまよりも、よほど極端なタイプだろう。
「よし、なら今度こそ本当に姉としての威厳を剥奪し、演技などではなく心から号泣させてやるとしよう。姉さま、長姉としての何もかもが今日全て失墜すると知るがいい。悪い魔女を本気にさせたことを悔やむんだね、さあ、鍋を用意したまえよ!」
よし、よし。一撃はもらったが、見えた。見えたとも。相手の嫌がることをし続ければ喧嘩は勝てる。姉さまが嫌がることは、とにかく手数で押すことだ。姉さまが熱線を盾として用いる限り、私には攻撃できない。……が、隠し玉のひとつふたつは覚悟するべきか。
あるかないかもわからないものを警戒していても仕方がない。あるいは手数で押すのが有効ということすら姉さまに誘導された思考かもしれない。でも今は飛びつくしかないのだ。どのみち、他に手段はないのだから。
であるので、とにかく私は引き金を引く。威力よりも発射数を優先し、とにかく撃つ。銃声というよりは連続した爆竹の破裂音に似た音を響かせ、とにかく礫を放つのだ。
「――調子に、乗るんじゃあ、ありません!」
次々と放った氷の礫を、姉さまは複数の熱線を発射することで叩き落とした。熱に弱く、そして数のために大きさも小さくして放った礫はとても溶けやすい。姉さまも熱線の威力を落として拡散するように放てば殆どを無力化できるというわけだ。でもでも、まだまだ。それに対応できたぐらいで、悪い魔女が調子づくのを止められはしない。
「いいや、姉さま。もう鍋に放り込んでやったも同然さ」
――トパーズ姉さまのときもそうだったが、一手が強力で撃ち合いではこちらにつけ入る隙がないような相手の場合、白兵戦に持ち込むしかない。いつだって頼れるのは腕力というわけだ。筋肉などというもどかしいものはそもそも備わっていない人形の身でこそあるが、その場合でも喧嘩をするなら一番は近づいてゲンコツだ。私の場合は銃剣ならぬ銃氷柱で一突き。トパーズ姉さまのときは寸止めしてやったが、クォーツ姉さまにするなら実際に突いてやる必要があるだろう。姉としての何もかもを剥奪してやるのだ。
――裂帛の気合を込め、喊声をあげて姉さまの懐に飛び込む。生半可な気持ちや思い上がった手加減などで姉さまをどうこうできるわけはない。であるので、私は本当に、姉様の喉を串刺しにするつもりで鉄砲を槍のように握って突き出した。――はず、だった。
「――なるほど、そもそも大した弱点じゃなかったってわけか」
姉さまはハンドベルから熱線をまるで剣のようにして伸ばし、銃口から伸びる氷柱を切り落としてみせたのだ。姉さまの元々の得手は熱線を発射することではなく、剣のようにして振り回すのが本来のスタイルだったのだろう。……いや、これはまずい。
「これでは、手加減も難しいのですが。――おしおきにはちょうどいいかもしれません」
「ちぇ、見栄っ張りなところは演技ばかりというわけでもないみたいだね」
これで、撃ち合いでも白兵戦でも私が非常に不利なことがわかってしまった。姉さまはとんだオールラウンダーだったというわけだ。隠し玉のひとつふたつは覚悟するといったって、ここまでほぼ詰みにもっていかれてしまうとは、姉さまを少し甘く見ていたか。
「何とでも言いなさい。今なら降参すれば痛い目を見ずに――」
「――っせい!」
剣のようにしたハンドベルを手に威張り散らす姉様の胸に、思い切り銃床を叩きつける。降伏勧告を気持ちよく告げているところに奇襲なんて小物もいいところな自覚はあるが、悪い魔女というのは恥も外聞もなく手段を選ばないことこそが美徳である。たぶん。
「痛い目を見たいようですね!」
「何分記憶がないから、何事も実践主義なんだ!」
怒った姉さまが大振りで熱線剣――語呂が悪いので光剣と呼称しよう。これを袈裟に切りかかる。ルビーのように何かしっかりした元の武術があるというわけではなく、姉さまは剣の威力に頼った棒振りのようであったが、何かを参考にはしているらしく、ところどころで大仰な仕草が混ざっていた。何を見たんだろう――私が寝ている間に軍のパレードか何かの催し物で、剣舞でもやっていたりしたんだろうか?
何でもいいが、ルビーの時より遥かに避けやすいのは現状で最も喜ばしいことだ。これでルビーのように剣も達者であれば戦いようがなかった。一撃でももらえば厳しい威力であるとはいえ、撃ち合いよりかはまだ望みがある。かなりか細い、勝算とも言えないようなものであったとしても、私はそれに縋るしかないのだ。
「姉さん、私は勿論負けられない戦いであるために全力だが、姉さんこそ気張りたまえよ。姉さまは今悪い魔女を相手にしているのだから、負ければ何もかも失うよ」
「ここにきてそんな安い脅迫、を!」
ぶん、と薙ぎ払われる光剣を、軽く屈んで避ける。今の一撃は完全に首狙いだった。斬首までされては頑丈な魔女人形もひとたまりもないのだが、先ほどの奇襲がよほど腹に据えかねているのか、姉さまの薄い冷静な仮面は崩壊寸前のようだ。……うん、いや、本当に。殺し合いになりかけているのだが、気づいているだろうか。これはちょっとまずいかもしれない。考えてみれば、私が喉元を狙ったのも逆効果だったか。私もあまり冷静になどなれていないようだが、今更どうにもならない。やってやるしかない。さしあたっては、姉様の冷静さを完膚無きまでに崩してやろう。姉さまから戦術だのなんだのを考えさせる余地をなくす。純粋な白兵戦を続けていては私がジリ貧だ。
「ほら、今なんて私の首を狙ったろう。悪い魔女を退治するなら妥当だけれど、こんなでも姉さんの妹なんだよ。妹殺しを目論む姉に対してなら、私だってうんとひどいことをするよ。そこのリータには目を瞑っていていてはもらわなければならないようなことをね」
「――っ!」
姉さまの目に一瞬迷いが起こる。おかげで突き出した光剣に勢いはなく、軽く後ろに跳ねて避け――再び銃口から氷柱を伸ばして突き出す。――が、まだ無防備というわけではないらしく、先ほどの再現が如く、氷柱は音を立てて切り落とされてしまう。
「本当に、あなたという人は! そんな、そんな品の無い脅迫や挑発ばかり。そんな子ではなかったはずですよ! 記憶がないにしてもあんまりです!」
「何しろ悪い魔女として目覚めてしまったからね。悪者は何だってやるのさ」
背後から、リータがはらはらとした様子で様子を見ているのがわかる。沈黙の術で黙らされてしまっているが、こうして姉さまを揺さぶり続けていけば、姉さまも魔法をかけなおすことを忘れて、効果も切れるだろう。そうなったらリータも一緒になって盤外戦に参加してもらおう。ラフプレーなんのその。正々堂々なんて知ったことじゃないのさ。
――さぁ、今度こそ姉さまを倒してやろうじゃないか!