第7話『最後の姉妹喧嘩を始めよう』
これで氷晶の魔女のサファイアの最後の姉妹喧嘩となります。
姉妹喧嘩が最後ということは、旅の終点ということでもあります。
丘を目指して歩いている内に、不思議と雪が弱まっていることに気がついた。妙だと思って見上げてみれば、丘に近づけば近づくほど、雲が薄くなっているようだった。ある一点だけ雲が切れて陽光が差し込んでいるのを見るに――多分、あれは塔のてっぺんだけ晴れているとか、そういうことなんじゃないかと思う。姉さまの魔法なのだろう。
「わざわざ塔にいる上に、お天道さまにまでワガママを通すとは、どうやら姉さまとは、これはまた、一筋縄ではいかないような筋金入りの厄介者にちがいないよ」
「あなたの姉なのだから、そうでしょうね。あなたは自分の姉も妹も、全員一癖あるみたいだもの。一番上の姉といったら、それはもう相当な厄介者でしょうね」
リータからのお墨付きも得た。こうなってくると、単純に対話でどうにかなるというのは、これまでの例から察せる通りに無理だろう。交渉は最早茶番でしかなく、まず最初に大きなインパクトを与えて武力的な圧力をかけてからでなければ話し合いのテーブルにすらつけないに違いない。相手は塔に篭り籠城しているし、魔女にあらずとも、魔法使いのテリトリーというのはそれだけで一種の城塞となり、防戦している方が有利だ。
「悪い魔女は怪物じゃあない。だからこそ、甘言や狂言回しで詐欺行為を働き最大の利益をあげるのが悪い魔女というものなんだと思うけれど、今回はそもそも相手が聞く耳をもってなさそうときたもんだ。これは、リータ。とっても強引になるしかないよ」
「何だか楽しそうね。悪い魔女さん」
「わかるかい? 多分、私はイタズラ好きだったんだ。面白いイタズラを思いついたよ」
思わず顔がにやけてしまう。リータも、お姉さんぶった口ぶりとは裏腹に楽しそうである。イタズラするときというのは胸がワクワクして仕方がない。それも、恐らく高圧的で恐ろしくておっかないと予測される、まだ見ぬ姉にするものならば最高だ。どうせお澄まし顔でいるに違いないのだから、その冷静ぶった表情を崩させてやりたい。
わくわくとしながら歩き続け、丘を登る前にもう一度空を見上げてみる。そうしてみれば、はっきりと塔が日光に照らされているのを見ることができた。それに、やはり塔周辺は雪が弱く、あまり積もってもいない。氷晶の魔女のサファイアとしては、そんな雪嫌いの姉にとびっきりの雪をプレゼントしてやらなければと思うのだ。そうなれば、丘を登るのだって全然億劫には感じない。記憶を取り戻すという大目標の前に、わかりやすい娯楽があるとやる気が全然違ってくる。世界がどうのよりもよっぽど重要だ。
「それで、一体何をするつもりなのかしら」
「ふふん。リータ。戦争ごっこは好きかな。いや、そうは見えないけどね」
さて、逸る気持ちを抑えてどうにか塔までやってきた。確かに古びて威厳のあるつくりをしているし、堅牢そうな塔だ。これは羽が外れてそのままにされた風車だとか、穀倉だとか、そういうものではないだろう。これは軍事的な目的のために建てられた塔に違いない。監視塔か防御塔か――かつてはそんな役割を担っていたのだろう。今は誰からも見向きもされない、棄てられた塔。おかげで中に怖い魔女が住んでいるときたもんだ。
そんな塔を前に、私のたくらみをニコニコと尋ねるリータに、私はそう質問し返した。そう、戦争ごっこだ。姉さんには妹の、ちょっとした可愛い戦争ごっこに付き合ってもらう。リータにそういう趣味はなさそうだし、なんなら私にもないが、相手が軍事施設に籠っているのだから今やるイタズラで最適なのは戦争ごっこで遊ぶことだろう。幸い、塔のてっぺんは晴れているとはいえ、本当に限られた晴れ間だ。周囲にはうっすらと雪が積もっている。
「戦争ごっこって、何をする気なのかしら」
「さしあたっては、こんな風にだな……」
魔法の力で周囲の雪と氷を弄り、筒とそれに付随する飾りを造る。重要なのは筒なのでそれ以外は大雑把なイメージだ。そう、私は今、氷と雪で大砲を造っている。塔を攻めるのだから火砲ぐらいはなければ説得力に欠けるというものだろう。
「あら、剣呑、剣呑。こんな大砲でどうする気かしら」
「ふふふ、もちろん砲兵は敵施設に対し速やかに砲撃を行い、沈黙させねばなるまい」
「まぁ、怖い。それなら、先に降伏勧告ぐらいしないと条約違反ね」
「そうともそうとも。姉に抵抗が無意味であることをはっきりと伝えなければ」
雪と氷でできた大砲に、しこたま雪玉をつめ――底の方に、尖った氷柱を仕込む。それから、両手でメガホンをつくり、声を張り上げる。降伏勧告だ。
「塔を占拠する魔女に告げる! 私は氷晶の魔女のサファイアである! 速やかに武装解除し、投降せよ! 従わなければ、砲弾の洗礼が貴君にあるものと思え! 繰り返す、私は氷晶の魔女のサファイアである! 速やかに武装解除し、投降せよ!」
私の叫び声は、雪雲の切れ間に吸い込まれるようにして響いていった。僅かな残響を残して数秒たち、返事のようにして、小さく鐘の音が響く。エメラルドが鐘楼から鳴らしていたような大きな鐘ではない。これは、多分ハンドベルだ。
――鐘の音によって周囲は異界化し、もう一度鳴り響いた鐘の音は私の足元に、眩い熱線を届けてくれた。発射点は塔のてっぺんであり――これはつまり、『徹底抗戦』という返事である。どうやら姉さまもこの戦争ごっこにつきあってくれるらしい。
「よーし。てぇーい!」
てぇーい、などと言っても撃つのは私なのだが、こういうのは気分だ。姉さまも詰めが甘い。足元などを撃って警告するよりも、大砲を無力化させたほうが私は困っただろうに。記憶を失う前の私がどうだったか、未だにはっきりとはしないまでも、今の私は以前より大分愉快なことになっているらしいというのは、これまでの姉妹達とのやり取りで判明している。つまり、姉さまは私のこの変化に気が付いていないのだ。以前の私ならば、足元への一撃で十分だったのだろう――だから、その思い込みが命取りだ!
雪と氷で出来た大砲に魔力を流し――筒にしこたま詰められた雪玉を、軽快な音を立てて発射する。音は大砲さながらにするのは少しばかりおっかなさが過ぎると思ってあえて大きくしていないが、その飛距離は十分だ。わざわざ雪雲に切れ間を作ってまで日光を欲し、雪を拒んだ姉さまにはうんと雪をプレゼントせねばならない。
「ちゃくだーん!」
なんせやりすぎかと思うぐらいにわんさかと雪玉をつめたものだから、一部は逸れたり外れたりするものの、大多数は概ね姉さまがいるであろう塔のてっぺんに到着した。具体的にどの位置にいるのかということまでは勿論知らないが、あの小さなスペースにいるならばどこにいようとも同じことだろう。今頃雪濡れになっているに違いない。
「今頃面食らっているでしょうね」
「大物ぶって、長姉として振舞おうだなんて猪口才な真似を、悪い魔女は許さないのさ」
雪玉を発射してから、私とリータはイタズラをしてやったぜと誇らしく、楽し気に笑っていたのだが、すぐにでも怒った姉さまが飛び出てくるだろうという私たちの予測とは裏腹に、塔は沈黙を守っていた。――おや、これは考えていなかったぞ。
「まさか、雪に押しつぶされてしまってはいないでしょうね」
「仮にも私たち魔女人形の長姉であるのなら、そんなことは……流石に……」
大体、雪玉は雪玉なのだし。仮に頭に直撃したって大したことはない。少しばかり速度がついているので痛いかもしれないが、人間ならばともかく人形である私たちにはさしたるダメージにもならない。……となれば、この沈黙は何かを企んでいる沈黙である。
「……こんな暮らしづらそうなところにいる偏屈姉だし、多分重度のカッコつけたがりだと思う。私が悪い魔女だ悪い魔女だと公言するようなもんじゃあなくて、何かこう、大人ぶって、年上ぶって、長姉としての威厳とか、魔女としてのカッコ良さとか、そういうのを気にしていそうだと思うんだ。だから妹の前で怖く振る舞うし、喧嘩の強さを見せつけて尊敬させようとしているんじゃないか。多分、私たち姉妹で一番大人っぽくて姉さまらしいのはトパーズ姉さまなんじゃないかとすら……」
私が全てを言い切る前に、熱線が飛んできた。狙いはばっちり私の胸であり、あの塔の上からでもこっちのことは見えているし、聞こえているらしい。――そうだろうと予測していたので、私はそれを難なくと躱してみせ、それから思い切り舌を出してやった。あっかんべー、だ。悔しかったら出てくるがいい、長姉め。
「姉さまが怒ったぞ。知っていたかな、リータ。図星をさされるとひとは逆上するらしい」
「あなた、記憶を取り戻すたびに意地悪になっていくわねぇ」
「元々の私が意地悪だったんじゃないか。悪い魔女が心優しいわけもない」
塔のてっぺんから、何かが落ちる。……それは滑るようにしてこちらに向かってきており、その輪郭を眩い光で縁取っていた。それは人型をしており、女性のような姿であり、もう少し近づいて姿がはっきりすると、それは褐色の肌に、美しい金髪で赤い瞳の少女であることがわかる。目元を彩る眼鏡がとってもお洒落だ。人形が眼鏡をかける必要があるわけもなく、それは疑いようもなくファッションであり、何か威厳があるように見せたいという見栄だろう。つまり、間違いなく姉さまだ。
「怒ってる、怒ってる――じゃあ、てぇっ」
――塔というホームを棄て、怒り心頭な様子でこちらに、しかしあえてゆっくりとやってきたのはやはり見栄なのだろうが、私はそれに付き合ってやる必要を感じない。それに、この周囲を自ら異界化したのは誰あろう姉さまである。――なので、私は大砲を撃つ。先ほど撃ったのは雪玉だけだ。本命の、氷柱はまだ撃っていない。
すぽん、とややコミカルな音をたてて氷柱を発射すると、姉さまはその端正な顔を崩して、少し大げさに驚いたような様子だった。高度を下げるか上げるかしようとしてグズつき、結局お腹の辺りに直撃――踏みとどまればよかったのだが、痛かったらしく、ふらついて、高度が維持できず、そのまま墜落した。――下が雪なのがまだ幸いか。
「流石は悪い魔女ね」
「姉さまはいろいろと空回りするタイプとみた」
勝った。文句なしに勝った。姉さまの喧嘩の強さとは喧嘩が強いのではなく、決闘なら強いということだろう。ふふん、戦争に卑怯も汚いもないものだ。私が姉さまに決闘で挑むのではなく、戦争ごっこで挑んだ段階で勝敗は自ずと決していたといえよう。優れた戦士が優れた兵士というわけではないのだ。まぁ、そもそも、私たちは魔女なんだけど。
「……ところで、動かないのだけれど。やりすぎではないかしら」
「リータは優しいなぁ。私はさっきお腹に風穴が空いていたんだよ」
確かに、墜落し、蹲ってしまった姉さまは最早威厳なんて欠片もない風情ではあるが、再起不能のダメージというわけではまさかないだろう。何か企んでいるのだ。あの偉そうな毛皮のコートと、輝く金髪の持ち主がこのままストレート負けを認めるわけもない。
しかし、姉さまが優れた戦士であるのならば、戦うわけにはいかない。偽投降なんて真似を許すわけにはいかないのだ。だから、私はまだまだ戦争ごっこを継続する。私が戦士ではなく兵士としての戦い方を真似っこすれば、姉さまにはとても相性が良いようだから。
故に、私は鉄砲を強く握りしめ、銃口を蹲る姉様に向けて声を張り上げる。
「武器を棄てろ! 魔法の杖、そのハンドベルだ! 棄てろ! 大人しく従え!」
ちょっとばかし口調が荒くなってしまうが、これは戦争ごっこなのだから仕方ない。姉さまはといえば、蹲った姿勢のままびくりと震え、手にしたハンドベルを投げた。私はゆっくりとそれに近づき、姉さまから銃口を外さないようにしつつハンドベルを回収する。
「……なんか、あっさり反撃手段も封じてしまった。杖がないから何も魔法ができないと言うわけではないにしても、それでも喧嘩するには不利なはずなんだけど」
「本当に降参しているんじゃないのかしら」
本当だろうか。私にはとても信じられない。これまで妹にも姉にも辛酸を舐めさせられていただけに、長姉たる姉さまがこの程度なわけがないと思っているのだが――。
――微かにひっく、ひっく、と嗚咽が聞こえた。
「名前も聞かないうちに……泣かせたわね」
「泣かせちゃったか」
姉さま相手に警戒しすぎて、まさか、やりすぎた……?
姉さま、名前も出ないまま圧倒されてしまいました。
しかし、勿論、魔女人形の長姉はただの泣き虫ではないでしょう。