第5話『豊穣の魔女、トパーズ』【前】
今回も長くなりそうなので分割しました。
――教会を出た私たちは、ぶらぶらと歩いて市壁を越えて、真っ白になった農場を見渡した。どこまでがどう境目になっていたのかさっぱりわからないが、農夫たちの家と思しき建物がぽつぽつと遠くに並んでいるのを見るに、市壁を越えてしばらくの一帯は恐らく全部農場なのだろう。……あまりに広くて探しようがなさそうにも見える。
「行けばどうにかなるなんて、少しばかり楽観が過ぎただろうか」
「手伝ってもらったほうがよかったかもしれないわね」
しんしんと降る雪を眺めながら、少し途方にくれていると、運のいいことに、街から帰るところらしい老いた農夫を見つけることができた。彼に駆け寄り、声をかける。
「もし。私は魔女を探しているのですが、何か知りませんか」
農夫は訝しげにしながら振り向き、それから私の姿を見て穏やかに微笑んだ。わかりやすい魔女の格好は、私の子供らしさというものを増強させるらしい。不本意ではあるが、今はそれに救われたと思うことにしよう。
「魔女様は我らの救い主だ。お嬢ちゃん、君は彼女の家族か何かかね。尋ねていけばきっと喜んでもらえるだろう。彼女は我々のために、本当によくやってくれている」
「私の姉さまなんです。案内してもらえますか」
「もちろんだとも。お嬢ちゃん。さぁこっちに」
農夫は人のよさそうな笑みを浮かべて案内してくれた。歩きながら、彼の口から洩れるのは、安堵したような呟きだ。「良かった」「彼女は孤独ではなかった」大体そのような内容のことを、彼は私に聞かせるためでもなく、呟きながら歩く。
「本当に、魔女様には助けられているんだよ。お嬢ちゃん。魔女様がどうにか豊かさを繋いでくれている。ろうそくの火が消える前に輝くように。終わるそのときまで、土地は枯れも痩せもしないのだから――故に、その時が来るまで、我らに飢えも寒さもないんだよ」
魔女が住んでいるのだという小さな家に案内され、農夫は手を合わせながらそう言う。それから、姉妹の再開を楽しむといい、と言って去っていった。終わるとはどういう意味なのか、結局私は尋ねることができなかった。リータも不思議そうな顔をしている。
街がなくなるとか、そういう線では考えづらくなってきた。そういえば、あの司祭様の語るエメラルドは『終わる』ことに関してはこう言っていた。――世界が終わるときまで、ここから鐘を鳴らす――と。そうだ。私はあの時、エメラルドに会うことで頭がいっぱいだったが――これは、重大なことだ。終わるのは街じゃなくて世界だ。
……でも、そうなると、何故、都会にいけば助かるのだろう? 都会にいけば回避できることだから、みんなこの街を棄てて都会に行った、そういう風な言い方で兵隊さんは語っていた。終わるのは、この雪の降る地方の世界だとか、そういう話なのだろうか。
「――疑問は、あなたの姉に尋ねては如何かしら?」
「たしかに、それもそうだね。リータ」
確かに、この寒い中立ち尽くして考え事をする必要はないはずだ。私は帽子に積もった雪を払いつつ、ドアをノックする。はぁい、と可愛らしい声が響き、ドアが開けられる。
迎えてくれたのは、私よりもやや小さい、小柄な茶髪の少女であった。いや、子供っぽさで言えば彼女の方が僅かに上か。彼女はその髪を頭の左右で結んでいる。ツインテールだ。
彼女は驚きつつ、私たちを中に招いてくれた。それから、腰に手をやって、なんだか悪戯娘を叱るような態度をとる。……家出娘が帰ってきたような気まずさだ。
「ルビーにもエメラルドにも止められたんでしょう? それなのに来たのね」
「止められたから、止めるような性格だったのかな。私は」
「……それもそうねぇ。ルビーもエメラルドも、飄々として男勝りなくせに、結局お姉ちゃんには敵わないんだから、困ったものね。あの子達らしいといえばそうだけれど」
彼女は嘆息し、首をゆるゆると振った。なんというか、やはり彼女も怒っているし呆れているようだ。いやしかし、まだもう少し優しげにも見える。まだチャンスはある。姉と喧嘩して勝てるのかどうか自信がない。ルビーとエメラルドに関しては私が姉だったからどうにかなったという可能性も捨てきれない。何とか喧嘩だけは回避したい。
「……そういえば、サファイアは何も覚えていないのだものね。姉妹のことも、何もかも。私は豊穣のトパーズ。あなたの姉。サファイア、大切な、私の妹」
トパーズと名乗った彼女は、僅かに目を潤ませて、そうして私を強くハグした。体格は彼女の方が小さいのにも関わらず、とても大きく暖かなものに包まれているような気分になる。これが母性というものであるのか。だとすれば彼女は姉さまというよりも母さま……。
「ねえ幽霊さん。あなたが、この子に記憶を取り戻すよう言ったのでしょう」
「ええ。そうよ。その子は素敵な記憶をたくさんもっていた。思い出を奪うなんてあんまりよ。泣きそうになるぐらい再会が嬉しいのに、何故記憶を返してはくれないの」
トパーズは、さらにぎゅうと私を抱きしめた。喧嘩になる前にハグで私を封じ、このまま私の記憶を再度奪ってしまおうと思えばできてしまうだろう。なんてことだ。この優し気なハグがそんな狡猾な罠だとは。悪い魔女を手玉にとるだなんて、これが母の力なのか。
「あなたの気持ちもわかるのよ。幽霊さん。それでも、記憶は返せない。それがこの子のためであるのよ。幸せな、素敵な思い出があればあるほどに、この子にとって邪魔になる」
「それは、世界が終わるっていうことと何か関係があるのかしら」
「ええ。そうね――世界が終わる。その時に、捨て去るにはあまりにも惜しい思い出があっては――終焉を受け入れるなんて出来そうにないもの」
「終わる、終わるって。一体何なのかしら」
トパーズは私を抱きしめたままだ。おかげで口もはさめないが、やはり『終わる』というのは世界そのものであるらしい。こうなってくると、ずいぶん事態は剣呑であるらしい。どうしてそんなことになってしまうのか。世界が終わるなら、逃げることに何か意味があるのか。――そのあたりも、トパーズは語る。
「もう、魔法も奇跡も存在を保てないのよ。都会の人たちの紡いだ新たな法は、私たちの世界から急速に神秘を霧散させてきたわ。だから、私たちのいるこの世界は終わりを迎えるのよ。神秘を失えば、魔女であろうと幽霊だろうと、みんなみんないなくなるわ」
「……それは、確かに世界が終わるような大問題だけれど、街の人達まで終わる、終わると言っていたわ。彼らも消えてしまうの? ただのヒトなのに?」
「消えはしないでしょうね。でも、同一存在とも言い難いわ」
事態はどうやらかなり深刻らしい。それで私の記憶を封じることが私にとってどれだけいいことなのかさっぱりわからないし、私がソレを望んだというのは口実というか、自棄になった私から言質をとっただけなんじゃないかとか、そういう疑惑がむくむく起き上がる。
善意で動いている人が、優しさをもつ人が、善い事を成すとは限らない。私を強く抱きしめるトパーズは間違いなく妹想いの良い姉さまだし、ルビーもエメラルドも、姉想いの良い妹だと言える。でも、それがただのありがた迷惑なおせっかいだとしたら、どうだろう。
「魔法も奇跡も存在を保てないなんて、そんな窮屈な世界に人が納得するわけがない。姉さまよ。――私たちが魔女人形であるというなら、私たちの創造主は一体ぜんたい、なんだって魔女人形だなんて寂しいモノを造ってしまったんだい。魔法や奇跡を欲したからだ。いのちとこころのある隣人が欲しかったから造ったに違いない。そうだろう」
私はトパーズの胸から脱する。そして――こんなに優しい姉に向けるのは、少しばかり心が痛むけれど――銃口を向けた。喧嘩の回避は、もう諦めた。
「ええ、そうね。そう。そうよ、あなた達は諦めているだけだわ。魔法も奇跡も、本当に消えてしまうなら、探しましょうよ。神秘にあふれる世界を。みんなでいることが一番の幸せなのではなくて? この子の記憶を封じて何を企んでいるか知らないけれど、あなた達自身を犠牲にしたり、この子だけをどうにかするなんてことは、結局この子の不幸なのよ」
「そうだとも。みんなで幸せになるのが一番だ。二番手は、みんなでご破算になることかな」
そうであるので、今このときのちょっとした激突は、姉妹間の絆を強めるための一時的な雨というソレでどうにか理解していただきたい。姉様はこんな見た目に似合わず喧嘩が強いとエメラルドから聞いていた。そして戦いの鉄則とは相手の嫌がることをすることである。喧嘩が強い相手に行うべき最適な戦術とは即ち――
――不意打ちである!
私は万感の思いを込めて引き金を引いた。何というか、私の行使する魔法はとっても剣呑だ。ルビーのような剣であればまだ言い訳のしようがあったのではないかと思うが、鉄砲では殺意マシマシである。あるが、今この時気にしても仕方ない。
銃声さながらの轟音を立てた私の鉄砲は、銃口からいくつもの魔法円を形成し、氷の礫をこれでもかとトパーズ姉様に殺到させた。この距離の不意打ちで、姉様がどれだけ喧嘩に強かろうとも、きっとひとたまりもあるまい。
ひとたまりもない、はずなのであるが。響いたのは連続した、金属を叩く高音である。それはつまり、不意をついたにも関わらず防がれたということであり――一体何を使って防いだのかと言えば――彼女は、どこからか取り出した平鍋で氷の礫を全て弾いてみせたのである。あのお鍋はただのお鍋などではなく、魔力が満ちていくということはつまり魔法の杖であり――そうなってくると――。
「外に出なさい――そんな風に、私たちは育てた記憶なんてないのよ」
「これはちょっとまずいかもしれない」
トパーズ姉さまは、にっこり微笑んだままだ。ただ、あれはものすごく怒っているような気がする。魔法の杖が平鍋というのがなんとも可愛らしいがそうとも言っていられない。彼女はさらに木べらを取り出した。なるほどあれは対になっているらしい。
かん、と木べらで平鍋を叩く軽快な音と共に周囲が異界化し――もう一度響くのを聞く前に、私は外に飛び出した。直後、槍のように尖った水晶が私の肩を掠め、雪の積もった畑に突き立つ。まずい、姉様の魔法はとんでもなく破壊力が高そうだ。
「リータ。まずい、これはまずいよ。ルビーもエメラルドも怒ってはいたみたいだけれどこんな風ではなかった。トパーズ姉様はこれはまずい、大変なことになった」
「悪い魔女が窮地に陥るのはいつものことでしょう? 私じゃ何もできないもの。どうか頑張って。応援だけはしているから」
「まぁ確かに、悪い魔女としてはここからが機転の見せどころ……とはいっても」
ちょっとばかり悪手を打ちすぎたような感じはある。もう少し対話による解決を模索してみるべきだったか。あるいは防がれさえしなければ私の目論見は達成したと思うのだが。喧嘩が強いとは、反応速度も優れているということに他ならないのだなあ。
などと感慨に耽っている場合ではない。その反応速度に優れた姉さまが一撃で済ませるわけがない。私は咄嗟に自身を防ぐ氷の壁を張った。あの音が聞こえてからでは――
――直後、構築途中の氷壁を貫いて、尖った水晶が私の帽子を貫いて飛んで行った。
「……殺意高い……殺意高くないか姉さま……今の頭狙い……え……こわ」
「大丈夫よ。直撃は狙っていないもの。ただ、怖がってもらわないとおしおきにならいでしょう。記憶を失ったから少し怖いもの知らずになっているみたいだから、せめて姉の威厳だけでも思い出させてあげる。それから眠りましょう。子守歌もつけてあげるから――」
さしもの魔女人形といえど、頭を抜かれたら流石に死んでしまう……はずだ。記憶が不完全である故に確証はもてないが、直せるとしても大ダメージはまず間違いない。ともすれば、私の記憶を封じるよりよほど単純な記憶の処理法ということも考えられる。手元が狂って直撃しても、まぁしかたないねですませることができるかもしれない。
……その場合、姉さまは口ぶりより、コントロールが正確ではないかもしれない。
「――うーん、でも、悪い魔女としては怯えるわけにもいかない。姉さまがその可愛らしさなら魔女を退治する役どころであるとしても、たまにはおとぎ話から外れて、魔女がまんまと子供たちを鍋で煮てしまってもいいはずだ。さあ姉さん、魔女鍋を用意したまえよ」
こうなってしまっては開き直る他にない。その方が気持ちも浮つかない。ただ少し、姉さまが怖いぐらいがなんだ。私は悪い魔女で、鉄砲だってもっている。そうとも私は強盗だ。マスクは忘れたし帽子だって飛ばされてしまったが、鉄砲をもってモノを要求しているのだからそれはもう悪党だ。悪党なら悪党らしくしなければならない。
――悪党の戦い方、とくと御覧じろ!