第4話『爽風の魔女、エメラルド』【後】
銃声さながらの音を立てて氷の礫が放たれ、エメラルドの胸に深々と突き立った。エメラルドはにたりと笑いつつ、ハーモニカを吹いて見せる――軽やかな音色と共に、鋭い風の刃が私を襲う。風を見て避けることはできるはずもない。私の胸を、肩を、風の刃が切り裂く。
「服を魔法で治すのも手間なんだぞ」
「服より先に自分の身体を心配するべきだと思うけどね」
今度は同時だ。礫と刃が同時に放たれ、互いに衝突しながら、それでもいくつかはお互いの身を傷つけた。順当な魔法対決であると互角に見えるものの――エメラルドの方が若干有利だ。彼女の放つ風の刃は、こちらの氷の礫に対する迎撃に使える。逆はできない。
となると、このまま続ければジリ貧だ。そんな手は使うべきではない。戦いは、相手のいやがることを続けることが鉄則なのだと先ほど理解したばかりなのだから。私がいまするべきは、風で逸らせないような氷の魔法を使うことだ。ルビーがやってみせたような、派手な大技のような。
「エメラルド。君のハーモニカは素晴らしいが、楽器として使ったほうがきっといいよ」
「姉さんの鉄砲は応用性が低そうだものね」
なるべく悪役っぽい言い回しを考えてみたが、エメラルドの軽口であっさりやりこめられる。私は口が回るような悪い魔女ではなさそうだ。要練習だな。
――では、もう少し力強い悪役を演じるとしよう。
「ふふん、その余裕を引き剥がしてやる!」
私は先ほどのルビーとの喧嘩で、かなり魔法のことに関しては勘を取り戻しつつある。これは記憶というよりも、身体に馴染んだものである故だろう。今なら、大技だって使える。
私の握る鉄砲に巡る魔力を強く意識し、思い描くは巨大な氷山だ。私が氷晶で呼ばれる氷の魔女ならば――このぐらいはやってみせる!
「さぁ! これで風は通らないぞエメラルド!」
轟音を立てて、銃口からいくつも展開された魔法円より氷塊が出現する。氷山……とはいかないまでも、私とエメラルドの間にたち、お互いの姿をすっぽり見えなくするような大きくて厚い氷――これを射出すれば、風ではどうにもならない。
「それは確かにこまる、けど……!」
避けようはずもない氷塊に押しつぶされるだけ――そのはずだったエメラルドだが、彼女は鐘室からひょいと飛び降りたようだった。せっかく私が射出した氷塊も、そこまで飛んでいく力はなく、力なく鐘室から真っ逆さまに落下する。対してエメラルドは、ハーモニカを吹いて余裕を見せる。風の魔法で空を飛んでいるわけだ。……そういえば、ルビーも飛んでいた。私は記憶が不十分なせいか、まだ魔法が十全に扱えない。その差だろう。
「でも、飛べるから大丈夫だと思ってるなら、大間違いだ」
――でも、悪者はへこたれないものだ。私は悪い魔女であるので往生際というものが悪い。確かに、彼女達のように気軽にふわりと宙に浮くことはできない。できないけど、それが氷に関係することなら何とかしてみせよう。
私はもう一度引き金を引く。魔法円から放たれた冷気は、宙に浮くエメラルドまで続く氷の飛び石を作り出した。空中にそう長い間固定できるようなものでもないが――。
「近づいてゲンコツするぐらいなら十分!」
駆け出し、一気に迫る私の姿に、エメラルドは初めて狼狽えたような様子を見せた。余裕を引き剥がすことができて何よりだが、焦った彼女は滅茶苦茶にハーモニカを吹く。
魔法として何か具体的なものを望んだものではないことは明らかで、その気の狂いそうな旋律は兎角乱暴な風を吹き荒れさせた――これは、まずい。
私は鉄砲の銃口から伸びるように、咄嗟に鉤を作った。それを――少しばかり可哀想ではあるが――エメラルドの肩めがけ振り下ろし、ひっかける。直後に突風が私の身体を叩き、氷の足場ごと吹き飛ばした。鉤がエメラルドの身体に食い込み、彼女から痛そうなうめき声が漏れる――悪い魔女を本気にさせたのは他ならぬ彼女だ。悪く思わないでほしい。
「め、滅茶苦茶じゃないか姉さん――!」
「そう怒らないでくれ。そもそも、あんな風にしなければよかったんだ」
鉄砲にぶら下がる姿勢ではいくらなんでもエメラルドが可哀想であるので、なるべく彼女に負担にならない方法はといえば、鉤を外してやり、彼女に強くハグをする形で捕まるしかない。であるので、私は空中で決死の曲芸じみた挙動をしてどうにかそんな恰好までもっていった。エメラルドは不満げに声をあげるが、私は悪い魔女であるので、諦めてほしい。
「ほら、捕まえた。この喧嘩は私の勝ちだろう? 妹ちゃん」
「やれやれ。滅茶苦茶なところは記憶がなかろうが変わらないんだね、姉さん」
エメラルドは呆れたようにそう言って小さく微笑み、負けたよと呟いた。私たちは抱き合ったまま鐘室に戻り、リータの何やら微笑ましいものを見る目を浴びながらようやく抱擁を終えた。同じ人形であるエメラルドに体温はないが、それでも暖かく感じたのは心があるからこそそう思わせるのであろう。
「やれやれ。姉さん、記憶を取り戻すのはこの際いいけど、思い出に潰されないでよ」
「それなら、その時は一緒にいてくれると嬉しい。前の私は、きっと私は一人ぼっちだと思い込んでいたんだろう。仲の良い姉も妹もいたのにね。それに今は、リータもいるさ」
「ええ、そうね。そうよ。今度は大丈夫。思い出に潰されずに、きっと前を向けるわ」
エメラルドは、だといいけど、と憎まれ口を叩いてから記憶を返してくれた。エメラルドが私の額に手を触れて――ひゅう、と風の吹く音がした。
――その風は『声』と『香り』を運んできた。気分の落ち着く、いれたての紅茶の香りと共に、男の人の優しい声を――。これは、あの骸骨さんの声なのか。
その声の記憶は、確かに『ニーナ』と誰かを呼んでいた。その名前は、ひどく懐かしいものに感じる。私の名前が『サファイア』だとさっきエメラルドに教えてもらったばかりなのだから、その『ニーナ』というのは、私にとっても、骸骨さんにとっても、大事な人なのかもしれない。取り戻した声の記憶は、こういう優しい声の男の人がいたというような事しか思い出せず、具体的な発言はいまいち思い出せない。唯一はっきり思い出せるのが『ニーナ』と呼ぶ声だけだ。――きっと、他の記憶を取り戻していく内に、はっきり思い出すのだろう。
「紅茶の香りについては、私か骸骨さんが好きだったのかな……」
記憶の中でも鮮明に残るほど紅茶の香りを楽しんでいたのだろう。となると、毎朝飲んでいただけというわけではなさそうだ。お酒でもコーヒーでもなく、とにかく紅茶党だったといえる。もう少し思い出していけば、私のお気に入りの銘柄だとかもわかるだろうか。
「ただねぇ、姉さん。ボクやルビーが止めているのは、上の姉さまに怒られなくて済むようにという、ボク達なりの善意という点も大きいんだよ」
「……私の姉さま二人は、こわいのか?」
「一番道具が偉そうなサファイア姉さんとルビーなんかよりも、ずっと喧嘩が強いと言えば理解できるかな。鉄砲も剣もいらないや」
「それは……なるほど、覚悟が必要そうだ」
考えてみれば、エメラルドの魔法の杖はハーモニカだった。随分可愛らしいと思っていたが、私やルビーが特殊なだけで、姉さま二人はもう少し穏当な杖なのだろう。
それで、喧嘩――いや、喧嘩すると考えたくはないが――をするに、とっても強いとあれば、なんというか。あれか。君臨するタイプの姉か。『こらっ!』なんてかわいく叱ってくれるような姉の存在は都市伝説だと、そういうことか。考えてみれば私も姉だ。記憶が戻ったところで、エメラルドやルビーにそんな幻想の姉のような素振りを少しでも見せるだろうか? 絵にかいたような優しさあふれる振る舞いをするだろうか? そんな自信はない。
「じゃあ、早速そのお姉さまに会いにいかないと。次はどこにいけばいいのかしら」
「それなら二番目の姉さんだね。一番上の姉さんは最後にするといい。二番目の姉さんは、市壁から出て、延々と続く農場にいるよ。あそこの誰かの家にいる。行って、農場の誰かに聞いてみればいいさ。うん。きっとすぐわかる」
「土いじりが好きそうな姉さんか……。わかった。ありがとう、エメラルド」
エメラルドにお礼を言うと、エメラルドは苦笑しつつぱたぱたと手を振った。どうも、その二番目の姉さんの大目玉で私は諦めるものと思っているような気がする。だが私は諦めない、諦めないぞ。すでに二人の妹と喧嘩をしているんだから今更ご破算にもできない。そんなことになったらルビーに結局怒られてしまいそうな気がする。深みにはまったギャンブルというのはきっとこんな感覚なのだろうか。
「まぁ、頑張りなよ。どうにか喧嘩しないで済む方法を探すことだね」
「聞く耳をもってくれるといいんだけどなぁ……。まぁ、ほら。私は悪い魔女であるので、欲しいものは力ずくというわけさ。それが自分の記憶であるなら猶更だ」
「……姉さん、そのキャラ、記憶を取り戻したら後悔するからね」
「なに、私は悪い魔女じゃなかったのか」
エメラルドは苦笑のまま首をゆるゆる振り、呆れたような溜息と一緒に異界化を解除した。いやまさか、こんな分かりやすい恰好をしているのに、悪い魔女じゃないなんていう話はないだろう。全身黒ずくめで、剣呑な鉄砲までもっているんだぞ。熊だの鹿だのを撃つための散弾銃じゃなくてしっかりした小銃じゃないか。多分、魔法の杖になる前は半自動の。
「いいえ。あなたがそう思うなら、きっと悪い魔女よ。おとぎ話に出るようなね」
「リータもそう思うか。そうだろう。自信を無くすところだった。なあに、記憶を取り戻して、枕に顔をうずめたくなったとしても、そのときはそのときだ。それにもしその通りなら、悪い魔女の気分でいられるのは今だけなのだから。楽しまないとね」
「……君たち、これは善意だけど。その開き直りの仕方はあまり愉快な結果にならないよ」
「そこはほら。悪い魔女は結末に退治されてしまうが、途中で改心なんかしないからね」
「こりゃだめだ」
エメラルドもやはり優しい子だった。悪い魔女の姉をこんなに心配してくれるのだから、男の子のような見た目をして、少しばかり皮肉っぽいが、それでもいい子だ。悪い魔女にして悪い姉には少しばかり勿体ないような妹であるといえる。
「それじゃあ、行きましょうか。農場ね。雪に包まれて、どこからどこまでそうなのかわからないけれど。行ってみれば誰かに会えるでしょう」
「そういえば、雪がやまないんだものなぁ」
これは、氷晶の魔女たる私が外に出てきたことに空が応えているということなのだろうか。私は外出するだけで外気を下げるような魔女なのだろうか。悪っぽさが増す。
「一日降っているなんてこの辺りじゃ珍しくもないよ。ほら、行った行った」
「そんな追い出すようにしなくても……わかったよ。それじゃあね」
鐘室から追い出されてしまった私たちは、司祭様にお礼を行ってから教会を後にした。おいてきたあの車のことが少しばかり気になるが、取りに戻ったところで動かせないのだから取りに戻っても仕方ない。であるので、大人しくまたぶらぶらと歩いて農場を目指すことにした。壁を抜ければ、とりあえずわかるだろうという楽観すぎる目標だ。
「次こそ、喧嘩にならなければいいわね」
「努力はしてみよう。話せばわかってくれるかもしれない」
――とはいうものの、穏やかそうに見えたエメラルドとさえ喧嘩になったのだから、姉相手はもうダメなんじゃないかなぁと私は若干諦めている。
しかし、記憶を取り戻すことまでは諦められないので、気合を入れていくしかない。私は自分の姉二人と喧嘩してでも、記憶を取り戻さなければならないのだから。
「――あなたの思い出は、それだけの価値があるのよ。絶対ね」
「それを信じているよ。あの紅茶好きの骸骨さんと、『ニーナ』もきっとそれを望んでる」
記憶を取り戻したのなら、骸骨さんをちゃんと埋葬してやり、まだ見ぬ『ニーナ』を探してみなければならない。うん。やることはいっぱいだ――だから、急がないと。