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青葉奉納  作者: 昨日の風
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その後の始末

 遠くで早くも退き鐘が聞こえてきた。熊谷が素早く周囲の状況を探ると、この戦は源氏方の大勝利、残敵は捕縛したか海へ逃れたか、とにかく付近には手柄首はほとんど残っていないらしい。熊谷は武運拙く侍首を一つだけであった、というべきなのか、武運があったから生き残ったというべきか、とにかく搦め手の集合場所に急ぐことにした。そうなると突然、少数精鋭をもって崖を駆け降りて攪乱すると言い出した源義経の安否も気になるところになった。


 集合場所に着いたのは、熊谷が最後であった。おそらく最も危険であったはずの源義経が涼しい顔で床几に腰かけていた。流石に熊谷が帰っていないためであろう、武将の参加する勝利の宴はまだ始まっていなかった。

「して、首はとれたか」

 無粋で不躾な物言いをしたのは、同じく搦め手を率いた土肥実平であった。さぞかし手柄首も多かったのだろうが、熊谷は別段手柄争いをするつもりもないから、腹も立たなかった。

「一つだ」

 そう言って首を置く三方の上に侍首を置いた。その顔を見て、その場の武将の誰かが言った。

「平敦盛だ……」

 未だ平氏は不案内なものが多い、説明せよ、との源義経の言葉に、土肥実平がかくかくと説明した。


 説明を聞きながら、熊谷は目の前が暗くなるのを感じていた。この後、勝利の祝宴どころの騒ぎではない。年齢は我が子直家と同じながらその武ははるかな高みにいた。学問にも明るく、のみならず歌物語などにも通じており、更に笛の名手だったそうだ。熊谷は思わず鎧の下に隠してきた笛、銘を青葉といったか、それを渡すまいと思った。そして酒宴が始まる前に厠と称して席を立ち、闇に紛れて陣を抜けた。


======


 なかなか帰ってこない熊谷に、酒宴をはじめられない諸将は不満を募らせていた。すぐに帰ってくるだろうと既に酒の入った瓶子は諸将の前に配られていたためもあった。そこへ報告が入った。

「報告します、陣中に熊谷直実殿はいらっしゃいません。また熊谷家の荷駄からいくらかの銭と食料を引き出したとのこと。外側の宴の兵で見たものがいるという事、以上を総合しますと陣を抜けたかと」

 さすがに細作はよく調べていた。


 その場には熊谷直実の嫡男直家がいた。一番槍をしたものの矢傷が元でそれ以上の手柄はなかったが罪もなかった。熊谷直実には追っ手をかけるかどうか、そしてこの熊谷直家を罪に問うかどうか、これを源義経は決める必要があった。

 衆議はなかなか決しなかった。特に土肥実平は強硬に追っ手をかけるべき、罪に問うべしと主張していた。そんな中、源義経は決断した。

「熊谷直実は平敦盛を討つという大功を挙げた。熊谷直家は一番槍の大功を挙げた。その功のゆえに熊谷直実の陣抜けは許す」


 そして最前の細作を呼び、熊谷直実が味方と無用に衝突しないよう手を回せ、と命じた。


======


 一の谷の合戦は源氏の勝利に終わった。平氏にとっては瀬戸内で力を蓄え福島の地を抑え、都を奪還する、それを目前にした大敗北であった。しかも有力武将も兵も多数失い、資材も失った。源氏に寝返るものも出てくるはずであり、天下の天秤は源氏に有利に傾いていた。安徳天皇陛下と三種の神器、特に他に代えがたい三種の神器を筆頭にまだ天秤は傾ききってはいなかったが。

 そのために天下の乱れは、ここでは終わらなかった。

  屋島攻略

  壇ノ浦

 この二つの戦が終わり、ようやく源平の天秤は源氏に傾ききった。表向きは。

 内情? 家臣団に、それも重臣に平氏の人間がどれだけいると思っている? ま、それは良い。


 天下を掌握した源頼朝はそれを奪われまいとした。そのために自分より強い自分の兄弟、例えば源義経に冤罪をかけて殺害した。そして従属国ではあるけれども、日本(当時は北海道や沖縄はまだ日本ではありません)にある最後の「異国」である奥州藤原氏をも攻め滅ぼした。



天下は、決して平和ではなかった。


======


 そんな中、熊谷直実は何をしていたのか。武士となって名を成していたのだろうか。

 いいや。

 高野山の麓の一寺の片隅に一庵を結び、世間の動きに背を向け、保元の乱、平治の乱、義仲の暴乱、一の谷の戦、その他諸々の人々、特に敦盛の菩提を弔いながら過ごしていた。庵を出るのは托鉢の時と寺の書庫に仏典を借りに行くときだけであった。

 だが常に付きまとうのは、これで良いのかという思い、そして敦盛の最後の顔であった。なぜこの一庵で、とは思わなかったが、この一庵で出来るのは精々自己満足ではないのか、という想念にかられ、逃れるために何日も座禅をして過ごした。

 そんな熊谷を見かねて、住職が一枚の懐紙をそっと差し入れた。



月影の至らぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ   法然


 懐紙を何度も読み返し読み返し、やがて何かを悟ったのだろう、熊谷はこれまで絶対に手放そうとはしなかった錦の袋を取り出した。中身は、無論青葉の笛である。これを住職に、笛はお山への奉納品として預け、錦の袋はこれまでの礼として差し出した。

「これからどうなさるおつもりですかな」

「日本全国を托鉢しながらこの目で見てみる」

 熊谷の返事に二度と戻らぬつもりであると見た住職は引き留めようとしたが、ただの僧である住職には往年の武人である熊谷の捕らえられるはずもない、熊谷は闇の中へと溶けていった。


 熊谷の行く先は誰も知らない。


 お気付きの方も多いかと思いますが、本編は平安末期が主な舞台となっております。しかしながら完全に史実に沿った構成にはなっておりません(たとえば大蔵の合戦は保元の乱よりも前に起こった事件です)。また終盤は大きく史実を無視した形になっております。

 様々なご指摘は甘んじて受けますが、「史実と違う」「本来の**と違う」というご指摘だけは、ご容赦いただければありがたく願います。

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