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4 グエンの恋心

「ここは………?」

石塀の裂け目から入った庭は、鬱蒼としていたがその少し先に、手入れのされた花々が咲き、離れらしい赤茶の屋根のクリーム色の煉瓦に覆われた、小さな建物が見えた。


馴れた様子でグエンが中に入る。

小じんまりとはしているが、調度品はどれも優雅で手の込んだ美しい飾りを施した物ばかりで、多分恋人と過ごす為の場所として主が手入れをし、気を配っている様子が感じられた。


玄関広間から一室に入ると、優雅で色鮮やかな布の張られた大きな寝椅子があって、グエンはさっさとテテュスの手を引きそこに掛けさせると、まるで自宅に居るように馴れた様子で、素晴らしい装飾のされた海老茶色の建具の、ガラスの戸棚から瓶とグラスと取り出し、グラスに酒を注いで、テテュスに手渡した。

テテュスはそれを、受け取ったもののグエンに呆れて言った。

「…ここは誰の敷地だ?私達は不法侵入者なんだろう?」


グエンはかったるそうに金の髪を五月蠅げに掻き上げて唸った。

「…奥方はとっくに亡くなり、主は思い出の場所をそれは綺麗に、してはいるがここ数年足を踏み入れたりはしていない」

テテュスは隣にすっと、気配を殺して座る、静かなグエンを見つめて囁いた。

「…君の、親戚とか…所縁(ゆかり)の者の屋敷なのか?」

グエンはテテュスに見つめられて肩をすくめた。

「…俺のゆかりは、東領地ギルムダーゼンに限られてる。

こんな気取った都に住み着ける野獣が、いるか?」

あんまりさりげ無くグエンがそう言ってグラスを傾け酒を口に流し込み、ついテテュスも習うようにグラスに口を付け、気づいた。

「……つまりやっぱり、不法侵入と言う事なんじゃ、ないか…………!」

テテュスがグラスを、前にあるテーブルの上に乗せて立ち上がると、グエンの手が彼の、手首を掴んだ。

物言いたげに見つめてくるが、テテュスは構っちゃいなかった。

「…グエン。ここは宿屋じゃないんだぞ?!」

「それが、まずいのか?」

「見つかったら、逮捕される」

「その前に殴って、逃げる」

テテュスは言葉の通じない相手に瞬間、自分を押さえ込んで、耐えた。

そして極力、優しい声で尋ねた。

「グエン。…今まで何度、相手を殴って逃げたんだ?」

「さあ?三度かな?

…まあここ一年俺はこっちに居なくて、奴らもまさかと油断しきってるから、安全だ」

どこにそんな保証があるんだと、テテュスは怒鳴り付けたかったが、相手はまともな思考の持ち主なんかじゃない。


争い事でこの、究極の実力主義はそれは頼りになったが、こういう常識の範囲をグエンは、大幅に超えていた。

「…グエン。私の父は『神聖神殿隊』付き連隊の、長をしている」

グエンは素っ気なく返した。

「アイリスの事は、知っている」

「その息子の私が不法侵入なんかで捕まったら、彼の顔に泥を塗る事になる」

「一度くらいは塗ってやったらどうだ?

だが俺は捕まった試しはないし」

だが、グエンは言ってはっ。と気づいた。

テテュスはもし、屋敷の持ち主が彼らを見つけたら自分のようにトンズラしたりはせず、きっと真面目に出頭するだろうと、思い浮かんだからだった。

「…………………」

グエンが気づいた様子でようやくテテュスは、口開く。

「つまりそんな訳で私はこれ以上ここに、居られない」

そして、ジロリと手首を掴むグエンの手を見たが、グエンが自発的にそれを放すと思えなくて、空いている片手でグエンの手首を取り、引き剥がすように自分の手首からグエンの手を、取り去った。


「テテュス!」

グエンは叫んでいたが、テテュスはさっさと部屋を後にした。

グエンが、駆けつけて来るのが解ったが、テテュスも殆ど走るくらいの早さで鬱蒼とした庭を駆け抜け、石塀の裂け目を、見つけて潜ろうとした時だった。

グエンが追いついて、その腕を、引く。

テテュスが途端、少し態度を硬くして、グエンに振り返る。

その、真っ直ぐな視線を咄嗟に受けて、グエンはつい、次の動作を止めた。

テテュスの腕を掴んだまま、彼の視線を、受け止め見つめ返す。


…いつもならここで引き寄せて抱きしめ、そのまま口づけをして、でもって後は体毎絡め取って自分の意思を通し、テテュスを離れに、連れ戻る予定だった。

少なくとも、テテュス、以外の相手ならそのテは通用しただろう。

テテュスときたらいつも大らかでそれはゆったりして見える癖に、相変わらず隙が、無い。

彼の濃紺の瞳に見つめられ、固まったのはグエンの方だった。


「…グエン。ともかく、ここを出て話をしないか?」

相手の動作を押しとどめる視線を向けている癖にしかし、テテュスの声音は穏やかそのものだった。

グエンは彼の父親、アイリスを思い出した。

あまり教練でハデに、テテュスをそれは気に入ってると噂が立ったのか。

それとも二級上の、北領地[シェンダー・ラーデン]大公子息で、アイリスの肝入りで剣の講師を数ケ月受け持ったマリーエルが注進したのか。

ともかく、彼はアイリスに呼び出された。

東領地ギルムダーゼンですら、アイリスの事は噂になっていた。

とても優雅でどう見てもケダモノとは程遠いが、どんな獰猛な男よりも、敵に回すと恐ろしいと言われている軍の実力者だった。

腕が立つばかりでなく、肝が座り頭もいい。

身分も大貴族で、誰も彼に、立ち向かう事は無理だろうと言われる程で、馬鹿な誇りだけ高い大貴族とは違い、ヘンなプライドに固執したりはしなかったから、どんな罵声を浴びせてもその微笑が消える事が無い程冷静で、時には平気で、卑怯な脅しですら、とても優雅にやってのけたりするものだから、東領地ギルムダーゼンの野獣達にこぞって(アイリス)は、嫌われていた。


が、グエンは呼び出したアイリスを見、顔立ちは確かに親子だが、印象はまるで違うなと、思った。

その、優雅そのものの微笑を浮かべ、とても気品溢れる態度の、姿も男らしく美しい、完璧な騎士に見える恐ろしい男を目前にずっと、テテュスと彼とを、比べていたように思う。

テテュスはもっと、初々しく、テテュスはもっと、真っ直ぐで、テテュスはもっと…素直そうだ、と。


…今思えば、比較対照は確かに、まず過ぎた。

そんな海千山千の相手と比べたら、殆どの相手は例えどんな性悪でも純情に見えたに違いない。

だが間違いなくテテュスはあの、アイリスの息子だった。

ゆったりと大貴族然とした、気品ある様子に騙されると、その優雅さを崩す事無く容赦無い反撃を喰らう。


この俺が…視線だけで行動を、縛られるだなんて。

グエンは、馬鹿が嫌いだった。足手まといも。弱虫も。

いっそまるっきり弱ければ同情も、少しは沸くものだが。

だがテテュスは一切そんな物を必要と、しなかった。

隙無くぬかりの無い筈の、彼。

だが彼が、困っている時力になれるのは、本当にわくわくした。

大抵は、ファントレイユの事だったが。

ファントレイユの姿が見えないと、毎度テテュスはそれは、心配していた。

確かに彼のいとこ、ファントレイユは男ばかりの教練に居るには、華々し過ぎる、それは綺麗な美貌の持ち主だった。

まだ一年で初々しく、線の細く、それは華奢な感じすらする、人形のように綺麗なテテュスのそのいとこは、その外見に惹かれる乱暴者の上級生に、ひっきり無しにちょっかいかけられ、時には絡まれ、毎度テテュスはそれはファントレイユの身を案じていた。


だがそう言う事はグエンは大抵お手の物で、相手が誰だとどこへ連れ込みそうかだとか、どのテで相手を黙らせるかとかは、熟知していたから、テテュスに毎度、それは頼られていた。

だが、卒業から一年が、経っていた。

テテュスは以前よりもっと、アイリスに似てきていた。

「…………………………」

グエンは心の中でため息を付くと、テテュスの腕を掴んだまま一緒に、石塀を潜って外へと、出た。

全くの、敗北だったがグエンはテテュスの掴んだ腕の温もりが、ただ嬉しかったりしたから、もうやっぱり、自分は完全に彼にイカれてるなとは、感じていた。


外に出たと言うのにグエンに腕を離す様子が、無いのにテテュスは気づいていた。

そしてファントレイユがしつこく、あいつは野獣で隙を見つけて君を喰う気でいるのを絶対忘れるな。と言っていたのを思い出してつい、グエンを見つめた。


全くどうかしていたが、テテュスにそんな風に見つめられるとグエンは、胸が高鳴った。

だがテテュスは、同情をこめたような視線を向けて囁く。

「…グエン。

もしかして、東領地ギルムダーゼンで随分、不自由をしてるのか?」

グエンは、意味が解らず首を捻った。

「…だって教練時代は毎晩君の寝室は誰かで、埋まっていたんだろう?」

だがまだ、グエンは彼が何を言いたいのか、解らなかった。

テテュスは下を向いて一つため息を付き

「東領地ギルムダーゼンで、あんまり遊べないから、私迄口説きたくなったのかと思って」

グエンの、喉が詰まった。

「……………つまり、俺が欲求不満で切羽詰まってるからお前を連れ込もうとしたと、思ってんのか?

………もしかして」

テテュスは顔を上げて返答した。

「そう言ったつもりなんだが」


グエンはもう、どうしていいか解らない程腹が立った。

それを言ったテテュスになのか、そう勘違いされる自分に対してなのか良く、解らなかったが。

で、つい不機嫌そのものの顔になって低く唸った。

「…全然不自由なんて、してないぞ!」

テテュスはほっとしたように笑った。

「……そうか……それでその………」

テテュスが今だグエンに掴まれたままの腕を見るのでつい、怒鳴った。

「以前ファントレイユの目を盗んで口づけしたって、お前は逃げなかったじゃないか!」

テテュスはグエンがどうして怒っているのか、解らないようだった。

「君の口づけは挨拶代わりだと、評判だったし。

気に入った相手には大抵するんだろう?

ファントレイユですら、君にされた事があると言っていた。

別に私が特別なんかじゃ、無いじゃないか」


グエンは自分の不摂生さのせいで、自分の気持ちがテテュスにまるで通じて無いのをひしひしと感じた。

途端、絶望的な気分に襲われ、吐き気がした。

今の今まで絶望なんて、一度だってした事が無かったせいだろう。

つい、テテュスの腕を掴んだまま、もう片手を口に当てる。


「…気分が悪いんなら、私が手綱を取ろうか?」

テテュスに気遣われて、グエンはもうこの場で、押し倒してやろうかと思った。

が、やっぱり間違いなく欲求不満で誰彼なしに襲いかかったと勘違いされる。

それは確かに、凄く、まずい。

する相手は眼鏡に叶えば誰でも良かったが、今回はそういうんじゃ、ない。

それをどうやってテテュスに伝えていいのか、グエンには全く、解らなかった。

「…テテュス。

俺がお前の事をもの凄く、気に入ってるって知ってるな?」

テテュスは途端、微笑んだ。

無邪気に見える程で、グエンは彼の微笑みが自分に向けられ、胸がどきどきするのを感じた。

……なんて、可愛いんだ。


「君に気に入られて、とても嬉しいよ。

だって君はいつも、とても親切で頼りになる上級生だ」

グエンはだが、言った。

「そんな事はとっくに知っている。俺が言いたいのは………」

テテュスが彼を、凝視した。

そしてグエンからしたら薔薇色に見えるその唇を、開いた。

「君がとてもモテるのは知っている。

そういう連中と私を一緒にしないので、とても、ほっとしている」


思い切り釘を刺され、グエンは確信犯なのかどうか、テテュスの微笑を凝視した。

何と言っても彼はあの、アイリスの息子だ。

だがグエンは一年の間、地方領主の野獣どもと渡りあい、最高に横暴でケダモノの主のような自分の親父の、息子使いの荒さに猛烈に腹を立てまくっていたし、その間、テテュスに会えないで、どんな相手と寝たって不毛の砂漠に居て口の中がからからに乾いてじゃりじゃりとした砂の感触がする気分を、思い出した。

テテュスはまるで、オアシスだった。

姿を見つけた途端潤い、心が暖かくなる。

そういう事に、なった事なんかないし、自分でも彼が気に入ってるとしか、表現のしようが無いが、寝る相手がテテュスだったりしたら自分は幸福で気が狂いそうになるかもと思って、今までそれが怖くて手が出せなかっただなんて、とても言えそうに無かった。


だが『光の塔』なんかに行かれ、また会えない日々が続くと思うと、どうしたって今、彼が欲しいと思ったが、やっぱり別の意味で、確かに自分は欲求不満だとは思った。

が不自由している欲求不満と思われるだなんて、それだけは絶対に、嫌だ。

「…俺は一年お前に会えなくて、とても寂しかった」

グエンが言うと、テテュスも途端、気を落としたように寂しげな表情をし、呟く。

「私もだ。

君みたいにとても爽やかで軽やかで、一緒に居るだけでとても安心出来る相手はいない。

私達は二年に成って今度は私が、君にしてもらった事を下級生に、する番だったし」

グエンはまた、ため息を漏らしそうだった。

どうしてだか解らなかったが、テテュスにとっては信頼溢れる上級生に、自分は見えている。

自慢じゃないが、そんな風に相手に信頼を寄せられた事は一度たりとも無い。


グエンはまだ、ぐらぐらする感情に、地震が起きてないかといぶかう程、足元が揺れてる気が、した。

欲望を優先させるか、この一度も無い“信頼”を大切にすべきなのか、もう全然、解らなかった。

「…好きだ。テテュス」

とうとう、口から突いて出たが、テテュスは直ぐに返してきた。

「私もとても君の事が、好きだ」

テテュスの、その言葉の意味は全然グエンの意図する物とは違ってはいたが、グエンは彼に素直にそう告げられて、自分でも予想外な程心がうきうきしてしまったりしたから、もう処置無しだった。


そしてとうとう、グエンは一度も上げた事の無い白旗を振って、テテュスの腕を放し、その腕を背に回して言った。

「腹が、減ってないか?」







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