761 ▽海洋王国の反攻
「さあ、ここが国土奪還の総仕上げです! 全軍奮励努力なさい!」
「おおおおおおおおーっ!」
クレアール姫の号令の下、陸戦隊が突撃を敢行する。
海上からは軍艦による絶え間ない艦砲射撃が続いていた。
ここはマール海洋王国における魔王軍の最終拠点。
かつての輝工都市を醜く改造されてしまったエヴィルの街。
今、国を奪われた者たちによる、最後の反撃が始まろうとしていた。
「クレアール姫、前線は危険でございます。どうかこの場は我々に任せてお下がりいただくよう……」
「兵たちはみな命をかけて戦っているのです。わたくしだけが安全な場所に隠れているわけにはいきませんわ」
軍司令を務める将校の進言を、クレアールは首を振って却下した。
そう言われることはわかっていたのか彼も無理に説得をすることはなかった。
クレアールは興味本位で前線に出てきて兵士たちに迷惑をかけるおてんば姫……では決してない。
彼女が戦場に立つからこそ兵たちの指揮は天井知らずに上がる。
そして決起を促されてからほんのわずかな時間でここまでの逆襲が可能となったのだ。
ルーチェの活躍で王都を奪還した後、クレアールは民を率いて王国の島嶼部へと向かった。
そこにはレジスタンスに参加せず捲土重来を志した多くの正規兵力が残っていた。
戦力を整え、反撃の時を待っていた、マール王宮輝士団改め海洋王国軍。
彼らは姫の帰還をきっかけに一斉攻勢に転じた。
巨大な軍艦を複数隻有している海洋王国軍は、攻めに転じた時にこそ、その真価を発揮する。
彼らの勢いはすさまじくエヴィルに支配された地域を次々と奪還。
あとはこの最後の地を残すのみとなっていた。
魔王軍の予期せぬ奇襲によって、本来持つ力を十全に振るうことなく敗退した哀れな兵たちの姿は、もはやどこにも残っていない。
マール王国を攻撃していた魔王軍の将が倒されたことで敵が勢いを失っていたこともあるが、短期間にここまでの戦果を得られたのは、ひとえにクレアール姫の存在が大きかったと言っていいだろう。
それは決して士気の面だけではなく……
「ほっ、報告!」
「どうした!?」
陸戦隊の斥候兵が騎馬を駆って飛び込んでくる。
転がるように馬から降りながら彼は軍司令に報告した。
「都市正門前に一〇〇〇を超えるエヴィルが終結! 陸戦隊は進軍を停止しています!」
「なんだと!? 事前の調査で得た情報と違うではないか!」
「敵も戦力を温存していたのでしょう」
クレアール姫がふたりの会話に割って入る。
斥候兵は直立不動で敬礼し、軍司令は俯きがちに眉根を寄せた。
軍の話に姫が口を挟んだことが不快なのではなく、お手を煩わせてしまう申し訳なさにだ。
「……お力をお貸しいただけますか?」
「兵を無駄に消耗するわけにはいきません。ここはわたくしたちにお任せください」
どこか楽しそうな笑みを浮かべるクレアール姫。
その肩には一匹のピンク色の蝶がとまっていた。
※
街の正門前には木と粘土で作られた柵が立ち並んでいる。
そこではエヴィルの兵士たちが不格好な隊列を組んで防御に当たっていた。
攻めきれずに睨み合っている兵士たちの頭上を飛翔術を使ったクレアールが通り過ぎる。
「みなさん、ここはわたくしに任せてお下がりください!」
「おおっ! 姫様のご助力だ!」
当然、敵も目立つ位置にいるクレアールを狙う。
飛行能力や投擲能力のあるエヴィルが彼女に襲い掛かる。
「撃ち落とせ! 絶対に姫様に近寄らせるな!」
兵たちは最優先でそれらの迎撃に当たった。
矢と攻撃輝術が飛び交う戦場の空でクレアールは命じる。
「さあローゼオさん! 敵を蹴散らしてくださいな!」
肩にとまった桃色の蝶が敵陣のど真ん中に降り立つ。
そして、自らの分身のような真っ白い蝶を無数に生み出した。
「な――ぎゃあっ!」
白い蝶は閃熱の光となって敵エヴィルたちを撃ち貫いていく。
その戦闘力は圧倒的で敵の軍勢は見る見るうちに数を減らしていった。
この桃色の蝶はルーチェの残した司令桃蝶弾である。
本人と同様に六色の蝶を生み出し、簡単な命令に従って戦う自律した輝術だ。
元々の術者であるルーチェの命令に従い、桃色の蝶は『クレアールの命令通りに』戦ってくれる。
本当はクレアールが島嶼部に到着するまでの護衛のつもりで作ってくれたのだろうが……
「ローゼオさんを下がらせます! みなさん、あとはよろしく頼みましたわよ!」
七割くらいの敵を壊滅させたところで、クレアールは司令桃蝶弾を呼び戻した。
代わりに兵士たちがほぼ壊滅状態になった敵陣に向かって進撃を開始する。
「よしよし、おいで。おいで」
桃色の蝶が指先にとまる。
クレアールは肩に下げたショートポーチから光る石を取り出した。
淡い燐光を放つ、小輝鋼石である。
「ほら、たんとお食べ」
手のひらに小輝鋼石をのせて差し出すと、桃色の蝶はその上にとまって輝力を吸収し始めた。
この蝶は生き物ではない。
あくまでルーチェの作り出した輝術だ。
だから本来なら輝力を使い切り次第消滅するはずの使い捨てなのだが。
「よしよし、いい子ですわ」
クレアールは惜しみなく輝力をつぎ込むことで、この強力な味方を延命させた。
小輝鋼石はそれひとつで都市の一区画が買えるほど高価な品だ。
そんな貴重品をエサとして使うことに躊躇はない。
この子のおかげで国が取り戻せるのなら、これくらいまったく安いものだ。
もっとも、エヴィルに支配された地域の大・中輝鋼石はすでに破壊されており、何もかもこれまで通りとはいかないのだが。
※
前線から後方の野営地に戻ったクレアールは、落ち着きなく歩き回りながら戦局の推移を見守った。
「姫、少しはお休みにならないと……」
「勝利が確定た後でいくらでも休みますわ」
ローゼオによる攻撃で表に出ていた敵軍は半壊状態になった。
陸戦隊は野戦に勝利し、都市内に攻め入ってからもう二時間が過ぎている。
海からの砲撃は未だ継続しており、都市内の至るところから火の手が上がっていた。
だが、敵が何らかの策を隠し持っていないとも限らない。
まだ見ぬ強力なエヴィルが待ち構えていないとも限らない。
場合によってはもう一度クレアールが出陣することもある。
勝敗が決するまでは決して気が抜ける状況ではないのだ。
そして。
「輝動二輪がこちらに戻ってきます!」
マール海洋王国では希少な輝動二輪だ。
それに乗る者はかなり位の高い輝士である。
土煙を巻き上げ全速力で飛び込んできたのは、元王宮輝士団二番隊副隊長。
現在は陸戦隊の第一突撃部隊隊長を務めるアヴィラだった。
「アヴィラさん、ご無事で!」
「姫様! 報告いたします!」
舞い上がる砂塵を振り払おうともせず、クレアールは機体を急停止させたアグィラに駆け寄った。
隊長である彼が戻ってくるということは部隊が全滅したか、あるいは――
「敵都市に巣くうエヴィルの全滅を確認! 捕らえられていた国民の保護にも成功しました!」
彼の報告と同時に、街門の上にマール海洋王国の旗が上がる。
「おお!」
「ついに……!」
勝利が確定した。
背後の高官たちが感嘆の声を漏らす。
そんな中、クレアールは落ち着いた声色でアグィラに声をかける。
「よくやりました。最後まで気を抜かず、負傷者の看護は手厚く行ってください」
「はっ! ありがとうございます!」
アグィラは弾んだ声で敬礼をすると、輝動二輪を反転させて再び都市へと戻っていった。
単身で戻ってきたのは彼らしくない行動ではあるが、それだけ早く勝利を伝えたかったのだろう。
「ほんとうに、よくやってくれました……」
その後ろ姿を眺めながら、クレアールもまた、胸に熱いものがこみあげてくるのを感じていた。
これでエヴィルに支配されたすべての輝工都市を奪還できた。
しかし、国内には依然としてエヴィルの残党が多く残っている。
後回しにした復興作業を考えると本当に大変なのはこれからである。
それでも、今だけは。
勝利の喜びに涙を流しても許されるだろう。




