754 深層世界
そして次の瞬間。
私は全く違う場所にいた。
「ここは……?」
どこかの部屋の中。
天蓋のある豪奢なベッドの上に私は寝ている。
知らない場所のはずなのに、なぜか懐かしいような雰囲気があった。
『きみの覚えている最初の記憶だよ~』
隣には猫のエミルさんがいた。
あれ、なんかさっきより大きくなってない?
というか全体的に、この部屋の家具とかもやけに巨大に見える。
……違う。
これは、私が小さくなってる?
ということはもしかして。
過去の景色……なの?
『厳密に言えばきみの記憶の中の記録だけどね~』
記憶の中の記録?
『そう。だから細部が正確とは限らないし、はっきり覚えていないものはよく見えないよ。夢の中にいる感じに近いって言えばわかるかな?』
言われてみれば、なんか現実感がない。
視界の一点に意識を集中することができない。
見えているんだけど、その直後に忘れてしまう感じ。
でも、なんでいきなりこんな状態に?
「あらあら」
どこかで女の人の声が聞こえた。
私は周囲を見回……そうとして、首が動かないことに気付く。
「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
私の体がひょいと抱き上げられた。
「ママはいつもヒカリちゃんのそばにいるから悲しいことは何もないのよ」
ゆさゆさと体が揺すられる。
暖かい手で背中をさすられる。
やさしい言葉であやしてもらう。
とてもきれいな桃色の髪の女性。
ただし、その顔は霞がかかったようにぼんやりしている。
この人は、もしかして……
※
意識が覚醒する。
私はまた真っ暗闇の世界に立っていた。
「あっ」
体が動く。
自分の両手を見る。
、いつも通りの私の体だ
「あれ、私いま……」
赤ちゃんになって女の人に抱かれていた。
一瞬前のことなのに、すごく遠い昔のように感じる。
『おかえり~。体に異常はない~?』
足元には猫のエミルさんがいた。
彼女はしっぽに無限石を持ったまま、私の周りをぐるぐる回ってる。
「何が起こったの?」
『別になにも起こってないよ~。きみはずっとそこに立ってたよ』
「いやでも、確かにプリマヴェーラが……」
『ここは深層世界。きみ自身の記憶を呼び起こす場所さ。だから時々、今みたいなフラッシュバックが起こるのさ。きみにとってはすべて知っていることなんだけどね~』
やっぱりあれは昔の私なんだ。
覚えてないことを思い出すのって、なんだか少し怖い。
『小さい頃ほど記憶は曖昧なものだし。覚えていることも少ないから、気にすることはないよ。さあ、次に行ってみよう』
エミルさんがくるりと背中を向ける。
それと同時に、またも視界が暗転した。
※
「【cold sleep】に入れですって?」
女の人の声が言う。
とてもやさしくあたたかな声。
けれど、その声色は緊張に張りつめている。
「魔界の戦乱はこれから益々激化するだろう。この城も安全とは限らない。お前たち、特に【HIKARI】には平和な時代を生きて欲しいのだ……幼少の記憶が戦に彩られるのはあまりに不憫だろう」
男の人の声が言う。
どこか怖い感じの響きを持つ声。
けれど、深い悲しみをぐっと堪えているようにも聞こえる。
「そもそも、なぜ戦など起こしたの!? 貴方が何もしなければ平穏は続いたでしょう!」
「必要なことなのだ。一〇〇〇年……いや、五〇〇年あれば良い。その間に俺は必ず魔界のすべてを掌握する。名ばかりの魔王ではなく、真の支配者となって、【◆▽〇▲□】にも負けぬ軍勢を作るのだ」
「……っ! 貴方はまだ、【◆▽〇ー□】への恨みを……」
「忘れられるわけがないだろう!」
大声でケンカを続ける男女。
私の視界に映るのは真っ白な壁だけ。
「ただ恨みだけで言っているのではない。【◆ル〇▲□】が存在している限り、俺たちに真の平穏は絶対に訪れないのだぞ」
「私たちの寿命が尽きるまで平和が続けばいいじゃない。なぜわざわざ争おうとするの」
「決まってる。あいつは俺の大切な――」
そして世界が暗転する。
※
「えっと……なに、いまの」
まったく覚えがないけど、これも私の記憶なの?
『本人が忘れていることでも、強く印象に残ったことはしっかりと深層記憶に刻まれているんだよ。曖昧な記憶を構築しなおしたものだから、一〇〇パーセント真実だとは言い切れないけどね』
言われてみれば、ところどころ言葉が聞き取れなかった。
こうしている間も見たばかりの映像の記憶がどんどんと失われていく。
まるで本当に夢の中の出来事だったみたいな気がしてくる。
女の人の声はたぶんプリマヴェーラだと思う。
男の人はあれって、やっぱり……
『さて、次に行ってみようか』
※
「戻るんだ、【HARU】!」
「嫌です! この子だけは何があろうと絶対に貴方には渡しません!」
また男女の声が聞こえる。
私の視界は何かに覆われ真っ暗だ。
「止むを得ん、撃て」
「し、しかし、王妃様を……」
「魔王の命令だぞ」
別の人の声が混じる。
その直後、激しい爆音が響いた。
「きゃああああああああ!」
女の人の声が遠くなっていく。
私の体が宙を舞い、視界にマーブル模様の空が映る。
誰かが私の体を抱き留めて、ごつごつした腕の中に抱かれた。
「申し訳ありませんが取り逃がしました。どうやら【HARU】様は次元の裂け目に落ちた模様です」
「あの程度で死ぬ女ではない。いずれ【HIKARI】を取り戻しに戻ってくるだろう」
「……くっ」
「不服か、エビルロード」
「いえ、そういう訳では……」
「俺とて何も感じていないわけではない。だが、今は家族の情よりも優先すべきことがあるのだ」
「それは無論、理解しております」
「ならば貴様も迷いを捨てろ。甘い気持ちで理想を成し遂げることはできん」
「わかりました。地上侵攻の先兵の選別に戻ります。【HIKARI】様は……」
「もう一度【cold sleep】に……いや、俺がやろう」
抱かれていた私の体が別の人に渡される。
「すまんな、【HIKARI】……」
その腕はとても温かく、けれど悲しみに満ちていると、なぜか私はそう感じた。
※
夢から覚めるように、暗い空間に戻ってくる。
「これ、あと何回くらい繰り返すんですか?」
『さあね~。一〇〇回かもしれないし、一〇〇〇回かもしれないよ』
「せん……っ?」
『あんまり古い記憶は深層記憶にもほとんど残ってないけど、現在に近づくほど鮮明になっていくからね~。量的にはものすごいことになるはずだよ~』
「それ、とんでもなく時間がかかりますよね……?」
『そうだね~。ハッキリ言ってとても退屈な時間が続くと思うよ~』
見ている間は夢の中にいるみたいに頭が正常に働いてくれないし、視界も自由に動かせないから、ハッキリ言ってあまり面白いものでもない。
「本当にこれが武器づくりに必要なことなんですか?」
『必要だよ~。その人に合った武具を作るためには、その人のことを良く知らなきゃいけないからね。ぼくみたいな魔導職人はただ素材を加工するだけじゃないんだ~』
「はあ……」
『もし退屈だったら本当に寝ちゃってもいいよ。もう一度言うけど、見てて面白いようなものじゃないからね。何かいろいろ企んでるドンリィェンや地上に残してきたきみの仲間たちの方が気になるんじゃないかな?』
「? 誰に話しかけてるの?」
『きみ以外に誰かいるの~?』
それはその通り。
なんでそんなこと思ったんだろ?
あ、そういえばスーちゃんはついてきてないんだね。
はぁ。
まあ、せっかく私のためにやってくれてるんだし。
もう少しだけ真面目に付き合っておこうかな……退屈だけど。




