753 魔導職人
「いや~、まさか娘ちゃんの方だったとはね~。あまりにもハルそっくりだから見間違えちゃったよ~」
「はあ……」
私たちエミルさんの家のダイニングルーム(?)に案内された。
はてなマークが付いたのは、あまりに汚れていて何の部屋だかわからないから。
テーブルも、戸棚の上も、床までもがよくわからないガラクタで埋まって足の踏み場もない。
壊れた人形。
食べかけのパン。
乱雑に散らばる本。
脱ぎっぱなしになった下着。
無造作に積み上げられた袋の山。
……などなど。
控えめに言ってゴミ屋敷だった。
「たまには掃除くらいしたらどうなんだ……」
ドンリィェンさんはそんな室内の惨状に露骨に顔をしかめている。
「ぼくも掃除したいとは思うんだけどね~、なんだかさ、いざ初めようと思うと面倒になっちゃっうじゃん~? 片付けようと思っても収納スペースが足りないしさ~」
「そもそも物が多すぎるんだ。必要のない物はまとめて処分しろ」
「でもさ~、いつか使うかもしれないって思うと、なかなか捨てられないよね~?」
ああ、やっぱりダメなひとだ。
外見年齢だけ見れば私と同じくらい?
本当にこの人がすごい職人さんなんだろうか。
「紅茶しかないけどいい~? ちょっと待ってね、カップを探して洗うから~」
「いらん。それよりも要件を伝えたい」
椅子から立ち上がろうとしたエミルさんを制して、ドンリィェンさんはテーブルの上に例の黒い石を置いた。
「へえ~?」
それを見た瞬間、エミルさんの目つきが鋭くなる。
間延びした喋り方はそのままに、声のトーンがやや低くなった。
「面白いものを持って来たね~。無限石なんて九〇〇年ぶりくらいにみたよ~」
「これでヒカリヒメのための武器を作ってほしい。お前なら可能だろう?」
「ドンリィェンくんは本気で現魔王に反旗を翻す気なんだね~?」
口調は軽いけれども、彼女の表情は真剣だった。
まるで、本当にその覚悟はあるのかと問いかけるように。
「できないのならそうハッキリ言っても良いのだぞ」
「なんでもいいから作れっていうならそりゃできるけど~、魔王を倒せるほどの武器ができるかどうかは正直わからないよ~? 彼は先代魔王ヴゲラ=モ=シロカと比べて可愛げがないからね~」
ドンリィェンさんはそんなエミルさんに挑発するような言葉を返す。
エミルさんはテーブルに頬杖を突き、どこか遠くを見るような目で溜息を吐いた。
「『デモンハンマー』は間違いなくぼくの人生最高傑作だったんだ。あれを使ってヴゲラが魔界を統一して、二代目魔王として世界の秩序を保って、それでぼくの仕事もぜんぶ終わったって思ってた、けど」
「異界からやって来た今の三代目魔王が横からすべてを奪った」
ドンリィェンさんの言葉にエミルさんはこくりと頷いた。
「力のある者が上に立つってのは昔からの理だから仕方ないよ~。けどね、さすがにぼくの作った武器が全く通用しなかったって言われたのはショックだったなあ……」
なんだか昔のビシャスワルトについて語っている。
エミルさんも若く見えるけど、ものすごく長生きしてるみたい。
というか魔王って最初から魔王ってわけじゃなかったんだ。
話を聞いていると今の魔王はビシャスワルトができてから三人目みたい。
「それでも最初の数年間は良かったんだよ~。ヴゲラが構築した秩序は引き続き保たれてたし、ハルやエビルロードもすごくいいやつだったし~。五〇〇年前に今代魔王がいきなり全方位にケンカを売り始めるまでは、何もかもが上手くいってたんだ」
「支配地域から民を集めて魔王軍を組織し、異界への侵略を開始した現魔王は、今やこの世界の秩序の破壊者に他ならない。ならばこそ我々はやつを打倒して新たな魔王を戴くべきではないか?」
「その新しい魔王が、その子だって~?」
エミルさんとドンリィェンさん、二人の視線が私に集まる。
「あ、はい、がんばります……」
「どうも頼りないね~。雰囲気はあんまりハルに似てないし~」
「ヒカリヒメの才はハル様に勝るとも劣らぬ。足りない部分は我らで補えば良いのだ」
「う~ん」
しばらくの間、エミルさんは私の顔をまじまじと眺めていた。
なんだか品定めされてるみたいで居心地が悪い。
「あの……」
「よし、わかった。久しぶりに腕を振るってあげるよ~」
おお。
なんかわからないけどやる気を出してくれたみたい。
「上手くいくかはわからないけど、やってみるよ~。というか今代魔王をどうにかしない限り、ぼくは一生この竜王の谷から出られなさそうだし~」
「感謝する。ではヒカリヒメを頼んだぞ、無限石はここに置いていく」
ドンリィェンさんはそう言って席を立った。
「どこに行くんですか?」
「久しぶりに谷に戻ったので色々と所用があります。不調法で申し訳ありませんが、しばらくはエミルを頼ってください」
「別にとって食べたりはしないから安心して~」
こわい冗談を言いながらぱたぱた手を振るエミルさん。
うん、まあ、悪い人じゃなさそうだよね?
「わかりました。じゃあ、ここでお世話になります」
「何か御用があれば谷の者の誰にでも気軽に命じて下さい。竜族はみな貴女の味方です」
王様に対する輝士みたいに恭しく頭を下げてドンリィェンさんは退室する。
ビシャスワルトでは魔王の次くらいに強い人なのに、すごく丁寧で紳士なひとだなあ。
「さて、それじゃ」
エミルさんも席を立つ。
「ぼくの仕事部屋に行こうか~」
※
武器を作るような職人さんの仕事場っていうから、てっきり大きなハンマーの置かれた台とか、素材を溶かす高熱の炉とかがあるのかと思ってたけど……
「えっと、ここで武器を作るんですか?」
「そうだよ~」
「なんかイメージと違うっていうか」
そこは単なる広い部屋だった。
窓はなく、調度品の類もなにもない。
ただ、床に大きな五芒星柄の絨毯が敷かれているだけ。
家の中の他の部屋と違って、乱雑な雰囲気は一切ないシンプルな部屋だった。
「ぼくは鍛冶師じゃなくて魔導職人だよ~。使い手と道具を魂で紐づけして、その相手に一番合った形を作るのさ~」
「えっと……」
「説明するより実際にやった方が早いよ~。こっちにおいで~」
エミルさんに手を引かれて、私は部屋の真ん中にある五芒星の中心に立った。
彼女のもう片方の手には真っ黒な無限石が握られている。
それを顔の高さに持ち上げた。
「この石越しにぼくの目を見て~」
私の視線とエミルさんの視線が交差する。
二人の間には真っ黒な無限石。
「何をするん――」
ですか、と聞こうとした瞬間、視界が真っ暗になった。
しかも急に空を飛んでいるような浮遊感に包まれる。
瞬間移動?
いや、これは……
『大丈夫だよ』
エミルさんの声が頭の中に直接響くように聞こえてきた。
彼女の姿を探して視線を彷徨わせるとと、足元にいたのは一匹の……
「猫?」
しっぽをぴんと立てた猫が私の目を見ていた。
『ぼくだよ~』
「変身したんですか?」
『変身というか、深層世界での姿だよ~。ぼくは仙猫族っていう種族でね、他の生き物の精神に感応する能力を持ってるんだ~』
よくわからないけど、これが本当の姿ってことなのかな?
耳もあったし猫っぽい人だとは思ってたけど、まさか本物の猫だったとは。
『さあ、これから一緒にきみの深層世界を廻っていくよ~』
「待って。そもそも深層世界って何なんですか?」
『頭の中にある自己世界とでも言えばわかりやすいかな? ぼくはいま、きみの中に入ってきみの内側にいるきみ自身に話しかけてるんだよ~』
どうしよう、さっぱりわからない。
「それが武器づくりと関係あるの?」
『もちろん~。深層世界に入り込むのは仙猫族の種族能力だけど、ぼくの場合はちょっと特殊なんだ~。深層世界に現実の物質を持ち込むことができるんだよ~』
エミルさん(猫)は、しっぽで器用に真っ黒な石を掴んでいる。
ゆらゆらと左右に動くその石を眺めていると、なんだか頭がぼーっとしてきた。
『それじゃ、はじめるよ~』




