752 竜王の谷
無数の口を開ける洞窟の中、一番大きい横穴に入っていく。
その入り口はドラゴンが羽を広げたままでも問題なく通れるくらいに広かった。
「オーライ、こっちだ!」
お?
なんか人がいるよ。
手に光る棒を持って誘導してくれてる。
「ドンリィェンさん、あの人は?」
「竜族の者です」
どう見ても人間にしか見えないんだけど……
あれ、でもそういえば、ドンリィェンさんもドラゴンじゃないよね。
とか思っていると、私たちを乗せたドラゴンが着陸する。
私はふわりと浮いてドラゴンの背中から降りた。
「運んでくれてありがとう」
「どういたしまして」
……
え?
いま、喋った?
びっくりしてる私の目の前で、ドラゴンの姿が光に包まれる。
それは次第に小さくなって一か所に収束。
人間の姿になった。
「ヒカリヒメのお役に立て、私も光栄で……」
「かわいい!」
とりあえず目の前に現れた小さな女の子を抱きしめたよ。
「わ、わわわわっ、わっ!? ヒカリヒメ、なにを……」
「こら。見境なく抱き着くのはやめろ」
スーちゃんに怒られたので、私はしかたなく腕の中の女の子を離した。
「ごめんね。あなたはだあれ?」
「わ、私はラグと申します」
「さっきまでお前を乗せてたドラゴンだよ」
「え、ドラゴン? この子が?」
「純粋な竜族の民は己の姿を人型に変えることができるのです」
へー、そうなんだ。
あんな大きくて強そうだったのに。
本当はこんなかわいい女の子だったんだね。
「ちなみにミドワルトでは『竜族』も『竜獣』もまとめてドラゴンと呼ばれていますが、実際にはヒトとサルほども違う生き物なので、できれば個別の名前で呼んで頂けると嬉しく思います」
「わかりました」
ドンリィェンさんが丁寧に説明をする。
賢くて人間になれるのが竜族ね、そういう違いがあるんだ。
「では集落の中を案内いたしましょう」
※
「えっ、ハル様……!?」
「違う! あのお方はハル様のご息女、ヒカリヒメだ!」
「竜王の谷にようこそお越しくださいました、ヒカリヒメ!」
「ヒカリヒメ、どうかごゆっくりなさってください!」
「ど、どうも」
いくつもの入り口があった洞窟は奥で全部繋がって一つの大きな空洞になっていた。
以前にどこかで見たことあるのと同じく洞窟の壁自体が淡く光っている。
そこでは人の姿をした大勢の竜族のひとたちが生活をしていた。
といっても、何をやっているわけでもなく座ったりぼーっとしてるだけ。
それが私の姿を見ると、急に立ち上がって遠くから声をかけてくる。
「騒がしくて申し訳ありません。みな貴女に会えてうれしいのです」
「いえ。こんな風に歓迎されると思っていなかったので、ちょっとびっくりしただけです」
プリマヴェーラは本当にこの人たちから好かれてたんだなあって実感するよ。
「プリ……ハルさんは、どうして竜族のひとたちからあんなに慕われてるんですか?」
「今より七百年ほど前のことになります。私を含む若い衆が所用で離れていた時、この竜王の谷がはぐれ覇帝獣に襲われ、危うく全滅しかけたことがありました。その時に身を挺して守って下さったのが偶然近くを通りがかったハル様だったのです」
ほうほう。
故郷の恩人ってわけだね。
「って、七百年前!? プリマヴェーラってそんな長生きなの!?」
「少なくとも千年以上は生きておられるはずです。ビシャスワルトが紅武凰国の手から離れたのが、ちょうど千年ほど前なので」
へえー。
なんか、伝説どころか本当に神話の中の人って感じだなあ。
十八年しか生きてない私でも人生長いって思ってるのに、千年も生きるとか想像もつかないよ。
「ちなみにだけどな」
「なに、スーちゃん?」
「お前の本当の年齢は五〇〇歳以上だぞ」
「まって、なにその唐突な情報!?」
私はまだ高等学生の未成年ですよ!?
「いまから五〇〇年と少し前。魔王が先代から代替わりして数年、ハルがお前を生んでから二年くらい経った頃の話だ。お前たち母娘は二人で魔術的冷凍睡眠に入った。ハルは少し早く目を覚ましたが、お前が起きたのは十六年前、魔動乱の終盤のことだな」
「えっと、つまり私は二歳の頃から、五〇〇年も眠っていたってこと?」
「そうだ」
物心つく前だし、当然何も覚えてないけど、地味にショックだよ。
「眠りから覚めたハルは魔王の乱心を知り、お前を連れて逃げようとしたが、失敗して単身ミドワルトへと逃れた。その際に一時的に記憶を失って……」
「聖少女プリマヴェーラになったんだね」
ビシャスワルトを追われた魔王の妻。
彼女はミドワルトに逃れた後、人間の英雄としてこの世界に戻ってきた。
おかしくなってしまった魔王の下に残された私を助けるために……
「今度は私がプリマヴェーラを救い出さないとね」
「頼むぞ」
今はどこにいるかもわからない私の本当のお母さん。
絶対に探し出して、いろんなことをお話ししたい。
「まもなくエミルの館に到着します」
気を使ってふたりだけで話しをさせてくれていたのか、少し離れて歩いていたドンリィェンさんがそう言った。
※
洞窟の奥に進むと、急に外に出た。
そこは高い岩山に囲まれた場所。
小さな森みたいになっていて、中には簡素な小屋があった。
「なんか、特別な感じ?」
「竜族の者は本能的に岩場の方が落ち着くのですが、エミルはこのような窮屈な人造巣を好んでいるようです」
まあ、普通の人はちゃんとした家に住みたいよね。
そのエミルさんって人が何の種族なのか知らないけど。
「エミル、居るか?」
ドンリィェンさんが小屋の扉をノックする。
けれど中からの応答はない。
「留守なんでしょうか?」
「いや、あのぐうたら猫が外出をするとは思いません。たぶんまだ眠っているのでしょう」
空がマーブル模様なビシャスワルトはいつが昼なのかわかりづらいけど、ミドワルトからやって来た時の時間を考えれば、今は夕方くらいだと思う。
今たしか「もう」じゃなくて「まだ」寝てるって言ったよね。
ドンリィェンさんは大きく息を吸い込むと、大声を張り上げながらドアを叩いた。
「エミル! 返事がないなら入るぞ――あっ」
ドアが思いっきり派手に吹っ飛んだよ。
魔王の次くらいに強い人が力を入れて叩いたんだから、そりゃそうなるよね。
「やりすぎたか……」
「えっと、大丈夫なんですか?」
「構いません。呼んでも起きないエミルが悪いのです」
この竜将さん、もしかしてちょっとお茶目な人なんじゃないかな?
周りの柵ごと木っ端微塵になったドアを眺めていると、奥から気だるげな声が聞こえてきた。
「な~に~、朝っぱらから、うるさいにゃあ~」
間延びした声と共に、ぶかぶかの白衣に身を包んだ女の人が姿を現した。
「あれ~、ドアがないよ~?」
「手入れを怠っているから朽ちたのだろう。それより今はもう夕方だ」
ぼさぼさのままの髪は、私よりも濃いピンク色のショートヘア。
頭の上には猫みたいな耳がぴょこぴょこ揺れている。
どう見ても竜族の人じゃないね。
猫族とかそんな感じなのかな。
この人が伝説の職人さん?
「お前に仕事を持ってきた。ひとつ頼まれてもらいたい」
「ん~、働くのめんどくさい~」
「無駄飯食らいで住まわせてやっているんだから少しは恩を返せ」
猫耳さんは白衣の袖で半開きの目を擦る。
ぱちくりと何度か瞬きをした後、私と目が合った。
「……ハル?」
「えっと、違います。その娘のルーチェで」
「やっぱりハルかあ! 生きてたんだにゃあ! よかったあ、ずっと心配してたんだよ~!」
見た目通りの素早い身のこなしで私の首筋に抱き着いてくるエミルさん。
どうしよう、ひとの話を全く聞かないタイプのひとだ……




