864 ▽強者
「だからそれはどういうことだよコラァ!?」
「ぐぶべっ!?」
獣将バリトスは意味不明な報告を続ける部下を怒りに任せて殴り飛ばした。
殴られた鷲頭族は上半身が跡形もなく吹き飛び、緑色の宝石となって転がってしまう。
「ちっ、やっちまった……」
やった後で、獣将はしまったと思った。
獣将に任じられた時に軽率な真似はしないと固く誓ったのに。
生来の荒々しい気性は抑え、戦士達をより良く導ける、良き上役となろうと。
しかし、獣将の怒りは治まらない。
「だいたいアルカシスの野郎はなんなんだよォ! テメエが任せろって言ったから部下を貸してやったのに、何にもできないうちに殺されてんじゃねえよ馬鹿野郎がァ!」
魔王様から総攻撃の命が下った後、前線に戻った獣将は直ちに自ら全軍を率いて、ヒトの国で一番大きな都を攻め落とすつもりだった。
それに待ったを掛けたのが副官アルシカスであった。
副官という地位に特別な意味はない。
単に部下の中でそこそこ使えるやつを置いているだけである。
将来的に次の獣将を任せる気などないし、そもそも彼は今の地位を譲る気などない。
獣将は今回のミドワルト侵攻の間、多くのことで部下に仕事を任せてきた。
それが戦士たちの上に立つ者に必要なことだと信じて。
だが、結果は散々だった。
一年経ってもまともに国ひとつ落とせやしない。
夜将の率いる第二軍はとっくの昔に別の国家を陥落させたというのに。
人類戦士の中には手強いやつもいるのは認めよう。
以前に自ら軍を率いてヒトの都を攻めた時は不覚にも深手を負わされてしまった。
あの件は大いに反省する所であったが、それとこれとは話が別である。
アルシカスは必ずヒト共に奪われた街を奪還すると言った。
それ故に部下の三分の一をつけてやったのである。
総攻撃のタイミングをわざわざ送らせてまで、だ。
その結果がこれでは、怒りを堪えろというのも無理な話だ。
なにせ街を奪還できなかったどころか、まともな交戦すらしていない。
戻ってきた部下たちに何があったかを詳しく聞いても、
「わからない。突然あちこちで爆発が起こった」
とかいう意味不明な報告をするだけだった。
何度も同じことばかりを聞き続けたので、獣将はついにキレた。
そしてついに怒りのままに部下を殴り殺してしまったのであった。
いや、もういい。
いい加減に我慢も限界を越えた。
無能な部下共の面倒なんぞこれ以上は見きれない。
こんな理不尽に耐えるのが上に立つ者の資格なら、良い上役などこちらから願い下げだ。
「総攻撃だァ! 残った戦士をただちに城門前に集めろォ! 逃げ帰ってきたやつらもひとり残らず全員だよォ!」
「は、はいぃ!」
青ざめた顔で震えていた別の部下が一礼して全速力で駆けていく。
こうなったら当初の予定通り自ら残った戦士を率いて出陣するだけだ。
今度こそヒトの都をぶっつぶしてやる。
「うおおおおおおっ!」
獣将は咆哮を上げ、玉座を蹴り潰して破壊した。
次に自分が座る場所はヒトの王が座っていた玉座だ。
もはやここには帰って来ないという決意の表れでもある。
「荒れてるねー、バリトス」
間延びした不快な声が聞こえてきた。
部屋の隅あたりの壁がぐにゃりと妙な形に歪む。
そこから飛び出たのは不定形の生物、黒将ゼロテクスである。
「あぁ? 何の用だゼロテクス。俺はいま気が立ってんだ。用件があるならさっさと済ませろ」
「いやあ、バリトスに謝っておかなきゃ行けないことがあってさあ」
水面から飛び出す魚のように、ぴちゃりぴちゃりと床の上を跳ねながら、黒将ゼロテクスはどこか気まずそうな声で言った。
「きみの所の部下、メチャクチャにやられちゃったでしょ? あれやったのってたぶんお嬢様なんだよね」
「なんだと?」
お嬢様とは、ヒカリヒメのことか。
部下たちからはそんな報告は聞いていないが……
「遠くから爆発の魔法を使って滅多撃ちにされたんだよ。リリティシアの城も同じような攻撃でやられたらしいから、間違いないと思う」
なるほど。
原因不明の爆発の正体は遠距離からの砲撃だったのか。
「なんでそれをお前が知ってんだ?」
「いや、実を言うとぼく、ヒカリお嬢様の抹殺を命令されてたんだけどさ。ちょーっとしくじって取り逃がしちゃってね。こっちのミスで迷惑かけちゃったから、いちおう謝っておこうと思っ……て……わわわっ!?」
獣将は無言で黒将に殴りかかった。
素早く避けられたため後ろの壁が木っ端微塵に粉砕する。
「俺の部下がやられたのはテメエのせいかよクソ野郎が!」
「お、怒らないでよー。ちゃんと謝ったじゃんか。それに悪いのはぼくじゃなくってお嬢様だよ」
「それを抑えるのがテメエの役目だろうが!」
戦力とは基本的に数がものを言う。
一〇〇人の軍と二〇〇人の軍が戦えばどうなるか?
よほどのことが無い限りは後者の軍が勝つに決まっている。
だが個々の戦闘力に大きな差がある場合はその限りではない。
例えば将がひとたび戦場に出れば、数の優位は容易く覆るだろう。
ヒトの軍勢が一〇〇人いようが一〇〇〇人いようが、物の数ではない。
そういった一騎当千の戦士をビシャスワルトでは『強者』と呼ぶ。
それでも強者が一人で成せることには限りがある。
雑魚を相手に消耗し、疲労したところを別の強者にやられては目も当てられない。
ヒトにも人類戦士と言う名の強敵がいる。
獣将が迂闊に自ら攻め込まないのは、そのせいでもあった。
そしてヒカリヒメは人類側についたとびきりの『強者』である。
夜将リリティシアが部下もろとも倒され支配地域を奪還されるほどの、だ。
強者には強者を当てるしかない。
その役目を任じられたのが黒将ゼロテクス。
最低でもこちらの総攻撃中の足留めくらいしておかなければならなかった。
こいつはその役目を果たせず、雑兵を強者に蹂躙されるという、最もやってはいけないミスをやらかしてしまったのだ。
「いいじゃんいいじゃん。兵なんていくらでも代わりはいるんだしさあ」
「テメエんところの影の兵隊とは違うんだよボケが!」
こいつには上に立つ者の自覚がまるでない。
それ故に魔王様から部下すら与えられてすらいない。
魔王様の側を守る将は各地の強者から選ばれるのだが、こいつの場合は出世だとか、次の魔王の座を目指すとか、そういった野心は欠片も持っていないらしい。
自覚と言えば、自分の所の部族しか使わない竜将の野郎もだ。
どいつもこいつも将としての責務を果たさない勝手な野郎ばっかりだ。
ムカつくぜ。
「ところでさ、ちょーっとお願いがあるんだけど、冷静になって聞いてくれる?」
「勝手なこと言ってんじゃねえぞコラ」
「いや聞いてよ。お嬢様の周りに『ザンキ使い』っていう危ないやつがいるんだけどさ、そいつってぼくとの相性がすごく悪いんだよね」
ザンキ使い……聞いたことがある。
たしか、十六年前にも存在していたヒトの強者のことだ。
あらゆる魔力を斬り裂き、攻撃も防御も無効化する危険な使い手だったはず。
身体能力はさほどではないが、非常に厄介な相手だったと、エビルロードの爺さんも言っていた。
「きみのところにさ、そういうのを相手にするのに相応しい部下がいるでしょ? そいつ、今はお嬢様と別々に行動してるっぽいから、このチャンスにやっちゃってくれる?」
放っておけば驚異になるのは間違いないだろう。
こちらにとってもそのような強者の情報は有益である。
「テメエはどうするんだ?」
「今のうちにお嬢様を始末してくるよ。なんでか知らないけど、仲間達と離れてひとりでいるっぽいんだよね。あ、依頼の見返りは今の情報提供で相殺ってことでよろしく」
「いいだろう。今度はしくじるんじゃねえぞ」
「大丈夫。ザンキ使いさえいなきゃ、ぼくはお嬢様ごときに負けやしないから。そんじゃ頼んだよー。あ、ザンキ使いの側にはそこそこ手強い人類戦士もいるから、そっちへの備えも忘れずにね。じゃあまたー」
自分の要求だけを伝えると、黒将ゼロテクスはどこかへ行ってしまった。
「ちっ、勝手な野郎だ……」
さて。
とりあえず、やることは変わらない。
対ザンキ使い用の部隊を編成し、それ以外の全軍で今度こそ総攻撃だ。




