657 休息の終わり
窓から差し込む朝の光が目覚めを促す。
横のベッドを見ると、すでにもぬけの殻だった。
昨晩のうちに枕元に置いておいた服に着替える。
ベラお姉ちゃんに買ってもらった新しい服。
雪のように白いフード付きのローブ。
袖や裾には赤い糸で複雑な文様が描かれている。
前に着ていたのとは違って、可愛いタイプの術師服だ。
着替え終わったら窓を開ける。
「はっ! はっ!」
中庭ではベラお姉ちゃんが剣の素振りをしていた。
……昨日のこと、覚えてるのかな?
「お姉ちゃん!」
「ああ、ルーチェ。おはよう」
さわやかな返事が返ってきた。
私は窓から外に飛び出し、ふわりと浮かんでお姉ちゃんに近づいた。
「おはよう。えっと……」
「ははは、どうしたんだ? そんなに慌てて」
優しく微笑むお姉ちゃん。
私は気遣うように言った。
「その、あの、辛いこととかあったら、なんでも相談してね。お姉ちゃんのためなら私、なんでもするから。だって、お姉ちゃんが悲しむ所なんて見たくないし」
「急にどうした!?」
「本当に辛いなら頑張らなくても良いんだよ。いざとなったら私がお姉ちゃんの分まで戦うから。お姉ちゃんのことは私が絶対に護るからね。いままで無理な理想を押しつけてて、本当にごめんなさい」
「待て、待て待て待て、何を言ってるんだ!」
パニックになるお姉ちゃん。
かわいい。
「私は別に辛くなんてないし、理想を押しつけられた覚えもないぞ。というか、ルーチェを護るのは私の役目だからな」
「お姉ちゃん、そんな気丈に振る舞って……」
「なんで可哀想な目で見るんだ!?」
「何も覚えてないみたいよ、そいつ」
屋敷の玄関側からヴォルさんが歩いてきた。
「あ、おはようございます」
「おはよ」
「ヴォルモーント! 貴様か、ルーチェになにやら妙なことを吹き込んだのは!」
「別に何も吹き込んでないわよ。アンタが昨日、さんざん酔っ払って愚痴をこぼしてたから心配してくれてるだけでしょ」
「私は酔ってなどいない!」
えー……
「本当に何も覚えてないの?」
「酒は飲んでも節度は保つ、そう心がけている。現にこうして昨日の酔いも残っていないではないか」
それはお姉ちゃんがヴォルさんに背負ってもらってお屋敷に帰った後、私が寝ているところに風霊治癒をかけてあげたからです。
まあいいや。
本人が封じた記憶なら、蒸し返す必要もないよね。
それにしても、学校の友だちと飲んでたときも、いつもあんな感じだったのかな?
※
ノイモーントさんが作ってくれた朝ごはんを皆で食べる。
その後は三人で今後の作戦会議だ。
「で、これからどうすんの?」
コーヒーカップを片手に、ヴォルさんがまず切り出した。
予定通り、私たちは心強い仲間を得ることができた。
それでもまだ人数はたったの三人だけ。
できることには限りがある。
「まずは状況を確認しよう。お前も起きたばかりで世の中の情勢には疎いだろう」
これまでずっと最前線で戦っていたベラお姉ちゃんはやっぱり頼りになる。
世界地図を拡げ、その上にいくつかの情報を書き込んでいった。
「新代エインシャント神国の上空に出現した超巨大ウォスゲート。その中から表れた魔王の居城は神都を押し潰し、ビシャスワルトの軍勢……魔王軍は瞬く間にプロスパー島全土を蹂躙した。もはや神国は壊滅状態だと言っていいだろう」
かつて旅の目的地だった新代エインシャント神国。
もう今ではエヴィルに支配された魔の島になってしまった。
「その後、魔王軍は部隊を二つに分けて大陸に侵攻した。夜将率いるマール海洋王国方面軍と、獣将率いるセアンス共和国方面軍だ。将に関してはお前達の方が詳しいだろう?」
「ちらっと見た程度だけどね」
ビシャスワルトでの記憶を思い出したのか、ヴォルさんは苦い顔になった。
「このうち、セアンス戦線は硬直している。国土北部の要所は陥落させられてしまったが、首都近郊は今も連合輝士団が奮戦している」
「連合輝士団って何?」
「ファーゼブル王国とシュタール帝国の一部が合同して設立された戦時特別部隊のことだ」
「え。うちの国とそっちの国って、そんなに仲良かったっけ?」
「……まあ、上の方ではいろいろ合ったんだよ」
そのせいで星輝士から恨みを買っているらしいお姉ちゃんは、ヴォルさんの疑問に言葉を濁して答えた。
「セアンス戦線では少し前に首都に向けての大攻勢があった。連合輝士団は獣将と一戦を交え、辛くもこれを撃退することに成功。おかげで敵の進軍の勢いは弱まったが、未だ反撃に転じられるほどではない」
「だから硬直状態ってわけね」
「それと、マール海洋王国戦線の方だが……」
ベラお姉ちゃんがちらりと私の方を見た。
ヴォルさんはそれに気づかず自分の意見を言う。
「さすがに連合輝士団もそっちにまでは手が回らないでしょう。マール王国だけで敵の攻撃を受けてるとすると、かなりひどいことになってるんじゃない?」
「あ、ああ。早い段階で首都が陥落して、本土の多くはエヴィルに支配されてしまった。難を逃れた者の多くは島嶼部に逃れるか、少数が本土でレジスタンス活動を行っていたそうだが……」
「私が夜将をやっつけたから平和になったよ!」
手を上げて発言したよ。
ヴォルさんはしばらく無表情で地図を眺めてから、
「は?」
「えっと、私が夜将をやっつけたから、マール海洋王国を攻めてたエヴィルはもう撤退したんだよ」
顔を上げて「何言ってんだこいつ」って感じの目で私を見る。
「夜将ってのはちらっと見た程度だけど、あの筋肉野郎と同じくらい強いんでしょ?」
筋肉野郎っていうのはビシャスワルトで戦ったエビルロードのことかな?
「うん。あいつが四番目で、夜将が三番目に強いって言ってた」
「しかも大規模な軍勢を率いてたんでしょ?」
「たくさんのエヴィルがいたね」
「どうやって倒したのよ!?」
私たちがビシャスワルトの魔王城に潜入した時は、余計な戦いをできる限り避けるよう、姿が透明になる輝術を使ってこっそり奥まで入り込んだ。
いざエビルロードとの戦闘になった時も、五人がかりで何とか互角に戦えたくらい。
少しでもしくじったら即座にやられるようなギリギリの戦いだった。
それくらいエヴィルの将は桁違いに強い。
だからヴォルさんが信じられない気持ちはわかるけど……
「これは実際に見せた方がいいな」
ぽうっ、と私の口から光が漏れる。
光は形を変え、あっという間に小さな人間の形になった。
「あ、スーちゃん」
「なんだこれは!?」
ベラお姉ちゃんは剣を取って椅子から立ち上がる。
ヴォルさんも座ったまま鋭い目つきでスーちゃんを睨んでいた。
「落ち着け。私は別に怪しい存在じゃない」
「十分怪しい!」
「スーちゃんは私の友だちの妖精さんだよ」
とりあえず、興奮してるお姉ちゃんを宥めるため説明する。
ずっと前から声が聞こえてたこととか、マール海洋王国で目覚めた後にいろいろ助けてもらったこととか、私の頭の中に辞書とか古代の映像記録とかを写せることとか。
「プリマヴェーラ様がルーチェのために残した精霊……という認識でいいのだろうか?」
「そんなところだ。精霊じゃないけどな」
お姉ちゃんは説明に納得してくれたようで、剣を鞘に納めて元の席に戻った。
「神話の記録とやらに興味があるのだが……」
「お前たちには見せないぞ」
「いや、いい。それよりさっきの話の続きだ。私たちに何を見せたいと言うのだ?」
「こいつの力だよ。どんなもんか知っておいた方が今後の対策も立てやすいだろ」
スーちゃんが私の顔を見上げる。
「貯めておいた輝力に余裕はあるんだろ?」
「うん。夜将と戦ったときほどじゃないけどね」
「仲間がいるなら次はあんな無駄な戦い方をしないで済むさ」
と、言うわけで。
ここじゃ無理なので、街の外に移動。
ふたりに今の私を見てもらうことになりました。




