652 風邪を引いた一番星
ちょき、ちょき。
現在、散髪中です。
頭からケープを被り、日の当たる窓際で髪を切ってもらってる。
十一ヶ月も寝ていたせいで伸びきって、いい加減にうっとうしかったからね。
「うふふ。やっぱりプリマヴェーラに似て、綺麗な髪ねえ」
理容師さんをやってくれてるのは、なんとノイモーントさん。
あの伝説の五英雄に髪を切ってもらっちゃってるよ。
ちなみに、散髪に使っているのはノイモーントさん自身の指。
指先に輝力を集めてハサミ代わりにしているみたい。
さすがと言うかなんというか。
「ほら、どうかしら?」
くるりと椅子が回転する。
鏡に向き合った私は思わず……
「え、もっと短くていいんですけど」
あまり代わり映えのしない自分の姿に文句を言ってしまった。
確かにぼさぼさしてた毛先は揃ってるけど、長さはほとんど元のまま。
私としては以前みたく肩先で切りそろえるくらいにして欲しかったんだけど。
「だーめよ。せっかく綺麗なピーチブロンドなんだから、ロングが一番似合うの」
「はあ……」
洗風があるから髪を洗うのは別に大変じゃないけど、慣れないロングヘアだと、やっぱりちょっと違和感があるんだよね。
まあ、せっかく親切で切ってくれたんだし、これでいいか。
「ありがとうございました」
「お礼を言うのはこっちの方よ。うちの馬鹿娘をようやく立ち直らせてくれたんだもの」
「そんなたいしたことはしてないですけどね」
「ただいま戻りました。……おお、綺麗になったなあ!」
ベラお姉ちゃんが荷物を手に帰ってきた。
ノイモーントさんに頼まれて朝から買い出しに行っていたらしい。
「そ、そうかな?」
「ああ、とても綺麗だ。本当にプリマヴェーラ様にそっくりだよ」
「ありがと。ところでお姉ちゃんもその髪型、可愛いね」
「よ、よせ。私の事はどうでもいいだろう」
褒められるのは慣れていないみたいで、赤くなって照れるお姉ちゃん。
今日は髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。
イメチェンかな。
かわいい。
「ベレッツァちゃん買い物ありがとう」
「この程度の雑用ならいつでも申しつけてください」
買い物かごをノイモーントさんに渡すお姉ちゃん。
「ところで、ヴォルモーントの様子はどうですか?」
「まだ寝込んでるわ。良かったら見に行ってやってちょうだい」
「あ、私も行きます」
ヴォルさんの体をむしばむ邪悪な輝力は消え、無事に立ち直ることができた。
けれど、塞ぎ込んでいたのが治ったと思ったら、今度は熱を出して寝込んでしまった。
一昨日の夜に不調を訴えてから、ずっと自室のベッドで休んでいる。
もしかしたら私が輝力を吸い取りすぎたのも原因かも知れない。
これからまた多くのエヴィルと戦うことになる。
ヴォルさんの力はこれからの私たちにとって絶対に必要だ。
なので、彼女の熱が下がるまで、この家に泊まらせてもらってるのです。
「暖かい飲み物を用意してくるから先に行っててくれ」
「はーい」
お姉ちゃんにそう言われ、私は階段を上ってヴォルさんの自室へと向かった。
※
こんこんこん。
ノックをするけど、返事はない。
「失礼しまーす……」
小声で言って勝手にドアを開ける。
鍵は掛かっていなかった。
「はぁ、はぁ……ううっ」
「ヴォルさん? 大丈夫ですか?」
「え……ああ……ルーちゃん……?」
ヴォルさんは顔の半分まで毛布を被って、頭に濡れたタオルを乗せている。
頬は腫れたように真っ赤で、瞳は泣いているみたいに潤んでいる。
彼女はらしくない弱々しい声で私の名前を呟いた。
「熱、下がらないんですか?」
「うん……」
気弱な瞳で上目遣いに見上げてくるヴォルさん。
その姿はエヴィルの大群相手に大暴れするような人とは思えない。
かわいい。
「私にできることがあったら、なんでも言ってくださいね」
「ん……じゃあ、さ……」
「はい?」
「はだかになってアタシをあっためて」
どうやら熱で頭がばかになってるみたいだね。
「そーれ!」
布団剥ぎ攻撃がばーっ。
「ぎにゃあああああ! さむいさむい!」
「頭、冷えました? 窓も開けた方がいい?」
「冗談だから! 謝るからはやく毛布かえして!」
やっぱり弱気なフリは演技だったか……
ま、冗談が言えるくらいなら大丈夫でしょう。
「つまらないことやってないで、早く風邪を治しちゃってくださいね」
「ううう、ルーちゃんのいじわる! 鬼! 悪魔!」
「魔王の娘らしいですよ」
「何をやってるんだ、お前たちは……」
ベラお姉ちゃんがお盆にのせたホットミルクを持ってきた。
カップの一つをヴォルさんに渡す。
「ほら飲め」
「ありがと」
ヴォルさんは普通に受け取ってカップで唇を湿らせる。
この二人、なんだかんだで仲は悪くないみたい。
「で、実際の所はどうなんだ? 治る見込みはあるのか」
「だいぶ良くなってきてるわ。明後日までには完治させるつもりよ」
「頼むぞ。いつまでもここで足止めを食ってるわけにいかないんだからな」
「悪かったわよ……熱っ」
ヴォルさんはカップをベッドの脇に置くと、大きく息を吐いて、
「ようやくやる気も出てきたことだし、これ以上足を引っ張ってられないわよね」
ぎゅっと握りしめた拳に視線を落として力強く微笑んだ。
「そういえば今さらなんだが、お前は私たちと一緒に来れるのか?」
「そのつもりだけど、なんで?」
「ほら、星帝十三輝士に復帰した方がいいんじゃないか」
ヴォルさんは現在、星帝十三輝士一番星の地位をはく奪されている。
戦いから離れて寝込んでいる間に資格なしと見なされてしまったらしい。
とはいえ、実力は間違いなく世界最強クラス。
戦えるようになったなら一番星に復帰するのが筋だと思う。
天輝士の権限で私と一緒にいてくれるベラお姉ちゃんとは立場が違う。
ところが。
「あー、いいのいいの。せっかく自由の身になれたんだし、好きなようにやらせてもらうわ。最前線にはゾンネがいるしね。アタシは国のためじゃなく、世界のためでもなく、恩人であるルーちゃんのために戦うんだから」
「ヴォルさん……」
「はやく元気になるから、そしたらいっぱいえっちなことしましょうね!」
「しない」
ちょっとだけ感動したけど、やっぱりヴォルさんはヴォルさんだったよ。
「そういうことなら期待させてもらう。……だが、一つだけ言っておかなくてはならないことがある」
「な、何よ」
ベラお姉ちゃんの声が心持ち低くなる。
何か、とても重要なことを言おうとしてるみたい。
その真剣な雰囲気に、ヴォルさんもまじめな表情になって、
「ルーチェは私のものだ。お前のような変態には渡さん」
「いやいやいや、何言ってんのお姉ちゃん!?」
「ふん……実力でものにしてみせるわ」
「ヴォルさんも対抗しないで!」
なんで二人で張り合ってるの!?
私は誰ものでもありません!
「と言うわけで、ルーチェ」
「はい」
「ヴォルモーントの病気が治るまでの時間つぶしだ。今から外でデートしよう」
「どうしよう、お姉ちゃんまでヴォルさんの病気がうつってるよ……」
「私は正常だぞ」
優しくてかっこいい私のお姉ちゃんはどこに行っちゃったんだろうね。
「冗談はともかく。これから戦いが本格化すると考えれば、これが最後の休息になるかもしれない。今のうちに羽を伸ばしておくのも悪いことではないと思うぞ」
「まあ、そういうことなら」
お姉ちゃんもこの一年間、ずっと大変な戦いを続けてたんだもんね。
どっちにしてもヴォルさんが治るまではここを動けないし。
たまにはお姉ちゃんと一緒に遊ぶのもいいかな。
「じゃあ行ってくる。お前は頑張って風邪を治すんだな、ふふふ」
「ぐぬぬ……」
「お、お大事に」
悔しそうな顔のヴォルさんに手を振って、私はお姉ちゃんと一緒に帝都アイゼンの繁華街へと繰り出した。




