636 花売り
長い旅でボロボロの服。
頭には継ぎ接ぎ布のほっかむり。
小さな籠を小脇に抱え、私は消えそうな声で呼びかけた。
「お花ー、お花はいりませんかー……?」
できるだけ儚げに。
できるだけ同情を引くように。
すり切れた指先を伸ばしながら、道行く人に声をかける。
「ふっへへへ。お嬢ちゃん、花売りさんかい?」
すぐに気持ち悪い大男が話しかけてきた。
思わず嫌悪の表情を浮かべそうになるけど、ぐっと我慢する。
「はい……お花、買っていただけますか?」
「いくらだ?」
「一本五〇〇〇エンでいかがでしょう」
「よし、買った」
うわっ、本当に売れた!
スーちゃんの言った通りだったよ。
町の外で摘んできたタダの雑草の横に生えてた花なのに。
「ありがとうございます。それじゃ……」
「それじゃ、ちょっとこっちに来ようか」
「え?」
男は私の腕を掴むと、ぐいぐい引っ張っていく。
乱暴な態度にムッとするけど、お客さんだから怒れない。
もうちょっとだけ我慢すれば簡単にお金が手に入るんだからね。
「よし、ここで良いか」
連れて行かれたのは狭い路地裏だった。
なんだか都市の隔絶街にも似た雰囲気の汚い場所だ。
「あの、なんで……」
こんな所に連れてきたの?
と聞こうとした瞬間、男が私の頬に触れた。
そのまま顔を近づけてきて、強引に唇を奪おうと――
「なにすんの!?」
「おっごばあーっ!?」
私は加速黄兆弾を男にぶつけた。
巨体がものすごい勢いで空に舞い上がっていく。
そのまま近くの建物の壁にめり込んで、奇妙なオブジェになってしまった。
「あーあ、なにやってんだよ」
どこかに隠れていたスーちゃんが姿を現した。
「残り少ない輝力の無駄使いすんなよな」
「だってあいつ、いきなりキスしようとしたんだよ!?」
いたいけな花売りさんを路地裏に連れ込んで不埒なマネをするなんて、絶対に許せないでしょ!
「誘われたから手を出しただけなのに、可哀想に」
「誰が誘った! 私はただスーちゃんに言われたとおりに花を売ろうと」
「なんだ、気付いてなかったのか? 『花を売る』ってのは隠語で体を売るって意味だぞ」
「……ちょっと」
そんなの聞いてないんだけど。
「スーちゃんは私にえっちなことをさせてお金を稼がせようとしたのかな?」
「そうじゃねぇよ。最初にキスして輝力を奪い尽くしちまえば、最後までやらなくても済むだろ? 合法的に輝力を稼ぐ最善の方法だぞ。本当は黒衣の妖将みたく無理やり襲うのが手っ取り早いんだけど、それは嫌なんだろ?」
「どこが最善か!」
最後までしないって言っても、初対面の人とキスとか絶対嫌だし!
「キスくらい別にいいじゃんか。どうせもう一〇人くらいとヤッてるんだし」
「そんなにしてないよ!」
自分からしたのはジュストくんとダイだけだし!
ビッツさんとは敵だった時に無理やりされただけ。
カーディは輝力を吸われただけだからノーカウント。
ヴォルさんは……まあ、事故だと思って忘れることにしてるから。
「そうか? ジュスティッツァ、大五郎、アンビッツ、黒衣の妖将、ヴォルモーント、フレス、インヴェルナータ、ベレッツァ、パロマ、グバッチョモヘルダ……ほら、ちょうど一〇人だ。」
「待って。ヴォルさんから後ろの人とした記憶ない。っていうか最後の人は聞いたことすらないんだけど誰!?」
「まあ、ほとんどは寝てる最中にされてたからな」
「どういうこと!? 私、知らない間にそんなに襲われてるの!? ナータとかベラお姉ちゃんとかパロマくんとか、かなりショックなんだけど!?」
「あ、あと二人忘れてた。アルディって偽名でお前を育ててた英雄王アルジェンティオと、ビシャスワルトの邪将エビルロード」
「もう聞きたくない! 余計な情報で私を汚さないで!」
私はしばしその場で蹲って、やっぱり人類は滅ぼすべきかどうかを考えていた。
「安心しろ。最後の二人は物心つくより幼い頃に、お前の方からふざけてやっただけだ」
「安心するにはぜんぜんフォローが足りないよ……」
間一髪の所で人類の敵になるのはやめた。
けど、もう心が折れて戦えなくなりそうだよ。
事実だとしても黙っていてくれれば良かったのに。
「スーちゃんなんて嫌いだよう」
「それはちょうど良かった。私はもう消えるから、あとはひとりで頑張ってくれ」
しばらくの空白。
私は地面に向けていた視線を上げる。
ふよふよと漂う空飛ぶ妖精さんは、いつものようにニヤニヤ笑っていた。
「……え?」
「エネルギー切れだ。しばらくまたお前の中で眠る」
スーちゃんは普通の生き物じゃない。
古代人の作った、なんとかっていう意識があるけど実体のない存在。
私が二歳の時からずーっと私の身体の中で一緒に暮らしてきたらしいんだけど……
「す、すぐにまた出てきてくれるんだよね?」
「残念ながら無理だ。私は元々、独立して動くように作られてない。本来なら専用ディスプレイの中でしか鋳きられない存在なんだよ。ぶっちゃけ言うと、ここしばらくかなり無理してた」
そんな!
いくらなんでも急すぎる!
っていうか、いまスーちゃんがいなくなったら、私ひとりになっちゃうよ!?
「嫌いなんて嘘だよ。行かないで欲しいよ」
「悪いけど、マジで限界なんだ。まあ、私はお前を信じてる。あとは適当に頑張ってやってくれ。じゃあな」
その言葉を最後に、スーちゃんは輝く光の欠片になって、私の口の中に吸い込まれるように消えていってしまった。
口の中に指を突っ込んでみても何も触れない。
吐きそうになってしばらく無意味にえずいた。
「スーちゃあん……」
思いもよらず、とつぜん一人ぼっちになってしまった私なのでした。
※
とぼとぼと、町の中を歩く。
実は少し前からセアンス共和国に入っている。
今のセアンス共和国は、マール海洋王国と並ぶ最前線。
ここは端っこの小さな港町だからまだ戦火には巻き込まれていないみたいだけど。
これから輝力を溜めて、首都に向かって、エヴィルと戦ってる人たちの手伝いをするつもりだったのに……
なんでこのタイミングでいなくなっちゃうかなあ。
そう言えば、完全に一人っきりになるのって、初めてな気がする。
仲間がバラバラになっても、いつも誰かが側にいてくれたのに。
今は完全にひとりぼっち。
寂しいよう。
「スーちゃーん! 返事してよーっ!」
頭の中にいるはずのスーちゃんに呼びかけてみる。
寝てる時のことも知ってるくらいだから、聞こえてないはずはない。
それなのに、消えてしまったもう、スーちゃんはうんともすんとも言ってくれない。
「寂しいよう……」
意気消沈してとぼとぼ歩く。
すると。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
「あ、はい!」
知らないおばさんに声をかけられた。
彼女は籠に入ったパンを差し出してくる。
「こんなもんしかないけど、よかったら食べておくれ」
「えっ? あ、ありがとうございます」
つい受け取っちゃったけど、なんで?
「辛いだろうけど、挫けちゃダメだよ。きっとお友達は主神の御許で幸せにしてるからさ」
「あ、はい」
どうしよう、可哀想な子だと思われちゃったよ。
まあ、せっかくなのでいただいておきます。
もらったパンをもふもふかじって幸せ分を補給しながら、今後のことを考える。
とにかくセアンス共和国の首都を目指そう。
辺境でよくわからない冒険をしてても仕方ない。
私の力を役立てるとしたら、対エヴィルの最前線だ。
それに最前線に行けば、知っている人に会えるかもしれない。
かつての仲間達も無事ならきっと人類のために戦ってるはず。
十分な輝力がないのは不安だけど、まずは思い切って行動してみよう!




