621 久しぶりの青空
空を見上げると、一面の青空が拡がっていた。
マール海洋王国の人たちにとっては何ヶ月かぶりになる青空だ。
この国を支配していた夜将リリティシアがいなくなったおかげで、ずっと茜色だった空が元の輝きを取り戻したみたい。
クレアール姫たちは今頃、この空を見て喜んでいるかな?
前の方が涼しくて良かったとか思ってないかな?
……私みたいにさ。
「ひい、ひい……」
私は山道をひいひい言いながら歩いていた。
時期的に冬のはずなのに、やたら熱い。
せめて太陽が陰ってくれたら……
「がんばれー。あとちょっとで町があるんだろー」
ふよふよと私の周りを浮かびながら無責任な声をかけるスーちゃん。
自由に飛べる彼女が心底羨ましい。
「私も飛びたい……」
「我慢しろ。いま下手に飛んだら、また一年近く寝込むかもしれないんだぞ」
わかってる、わかってるけど……
なんで夜将にも勝った私が、こんな苦労を……
輝力がなきゃ、戦うことも、怪我を治療することもできない。
今の状態だとたぶん、マウントウルフ一匹に襲われただけで死ぬ。
現在、私は深刻な輝力不足にあった。
この国でお世話になったみんなに別れを告げ、とりあえずはセアンス王国へ向かおうと決め、張り切って飛び立ったその数時間後。
急激な眠気に襲われ、この山中に墜落した。
クレアール姫の護衛につけた、司令桃蝶弾ちゃんが決定的だった。
あの時点ですでに私の輝力はカツカツ状態だったみたい。
幸いにも流読みは問題なく使える。
エヴィルや凶暴化した獣に襲われる心配はない。
ヤバそうな気配を迂回しつつ、ゆっくり休める町を目指しているところだ。
「で、あと何キロくらいなんだっけ?」
「八キロくらい……」
眠いし、熱いし、足も疲れた。
でも、輝術が使えなきゃ、野宿も厳しい。
あとたった八キロだ。
がんばるぞ。
おー。
……はあ。
※
ようやく辿り着いた町は、この国では輝工都市ブルーサ以外で初めての、エヴィルに支配されていない普通の町だった。
さりげなく結界に隙間を開けて、何気ない顔で侵入する。
町には活気がなく、外を歩いている人も少ない。
宿屋はあったけど営業していなかった。
「どうしよう……」
「最悪、野宿しかないかもな」
このご時世だし、仕方ないかも知れない。
と、宿屋の裏手で水汲みをしているおばさんを発見した。
「疲れてるんですう、泊めてくださいぃ」
「おや、旅の人かい? いいよ。汚れた部屋しかないけど休んでいきな」
ダメ元でお願いしてみたら、あっさり受け入れてくれたよ。
この宿屋のおばさんめっちゃ良い人だ。
「一体どこから来たんだい」
「えっと……西の方からです」
「平野地区から? あの辺りはもうすっかりエヴィルに支配されてるって聞いたけど、向こうはどんな状況なんだ? こっちの方にもいつエヴィルがやって来るかってみんなビクビクしながら暮らしてるよ」
「しばらくは大丈夫だと思いますよ」
おばさんからは周辺のいろんな話を聞いた。
この辺りは山岳地帯、王都の周辺は平野地区と呼ばれている。
両区間の間の交流・流通は、しばらく前から完全に途絶えているらしい。
山岳地帯までエヴィルの侵攻が及んでいないのは、平野地区との堺にある輝工都市ブルーサが持ちこたえていたおかげだ。
ひととおりの話を聞いた後、私はおばさんにこの国を襲ったエヴィルのボスが倒されて、一時的に侵攻が止まったことを伝えた。
もちろん私がやったとは言わないけど。
「そりゃ嬉しい知らせだ! さっそく皆にも伝えてこなくちゃ!」
「あの、宿代は……」
「ただでいいよ。好きな部屋を使っておくれ。あとで食事も運ばせるからね」
せっかくなのでご好意に甘えよう。
裏口から宿屋に入り、二階の客室へ向かう。
鍵も掛かっていなかったけど、やっぱり長いこと使われてないらしく、かなり埃っぽかった。
まあ、このくらいなら、ちょちょいのちょいだけどね。
「洗風!」
洗浄の輝術をベッドにかける。
積もっていた埃が綺麗に部屋の隅に積まれる。
シーツも洗い立てみたいにぴっかぴか状態になった。
よし、次は床を――
「はうっ」
急に眠気が襲ってきた。
私はその場でへたり込んでしまう。
しまった、輝力がほとんどないのを忘れてた……
「お前、馬鹿なのか?」
「ばかじゃない……ふわあ……」
まさか洗風一回分すら持たないとは。
仕方ないので、そのままマントだけ外してベッドに横になる。
「おい、寝るな!」
「ごめんスーちゃん。ほんともう無……理……」
どうか次に起きたら、十一ヶ月後とかじゃありませんように……
※
目が覚めたら、窓から見える外の景色は真っ暗だった。
がばっと飛び起きた私のすぐ側に、スーちゃんが浮かんでいる。
「……私、どれくらい寝てた?」
「三日半だ。女将を誤魔化すのに苦労したぞ」
うーん……そんなに寝ちゃったと焦るべきか、たったそれだけで済んでよかったと安心するべきか。
「本当に気をつけろよ。マジで焦ったんだからな」
「ごめんなさい」
しかし、眠くなるまで限界がわからないのは怖いなあ。
少しでも無理だと感じたら注意して節約するようにしないと。
今は三日間も眠ったおかげである程度は回復してる。
けど、もうあんまり無茶なことはできない。
※
「おや、お目覚めかい輝術師様。もう体は大丈夫なのかい?」
下の階に降りると、宿屋のおばさんが優しい笑顔で出迎えてくれた。
「あの、ご迷惑おかけしました」
「迷惑なもんかい。そっちの妖精さんから聞いたよ。あんた、王宮奪還のためにファーゼブル王国からわざわざ助力しに来て下さった、偉い輝術師様なんだってね。そんなボロボロになるまでよく頑張ってくれたよ」
「いえ、そんな……」
ファーゼブルから来たわけじゃないし、王宮を奪還したわけでもないんだけどね。
どうやらスーちゃんが疑われないようなギリギリの説明をしてくれたらしい。
「腹減ってるだろ。ここは町の食堂も兼ねてるんで、よかったら何か作ってやるよ。もちろんお代はとらないからね」
「じゃあ、お願いします」
「なにか希望は?」
「おすすめで」
おばさんは腕まくりして厨房に入っていく。
テーブルで食事を待ちながら、私はスーちゃんと今後のことを話し合った。
「セアンス共和国に行ったところで、このままじゃ役に立たないよね」
「まず辿り着けるかどうかも疑問だな。ちょっとこれを見てみろ」
スーちゃんが私に指先を向ける。
頭の中に映像が浮かび上がった。
これは、どうやら地図みたいだ。
「この辺りからセアンス共和国に渡るルートは大きく二つある。一つはこのまま山を越えていくルート」
スーちゃんの説明に合わせて、映像の中の地図に矢印が引かれていく。
「もう一つはこっちの、海を越えて飛んでいくルートだ」
「これだと、もし途中で輝力が尽きたら……」
「海のど真ん中で墜落だな」
それは却下!
「山を越えるにしても、ずっと歩いて行くのはかなり無茶だぞ」
「ちょくちょく休憩を挟みながら飛んでいくのがいいかもね」
「どれくらい輝力が回復してるのかわかるか?」
「たぶん、それほど回復してないと思う」
普通に飛ぶだけなら問題ないだろうけど、閃熱の翼とか使ったら速攻で尽きそう。
閃熱白蝶弾なら、数十発撃てるかどうかって感じかな。
ほんと、我ながら燃費悪すぎだよ……
「輝力が簡単に手に入るいい手段ってないかなあ」
「また輝工都市でも襲って輝鋼石を奪うか?」
襲うとか奪うとか言うな!
確かに、輝力を大量に得る手段としてはそれが一番手っ取り早い。
でもそうすると輝工都市の人たちの生活がめちゃくちゃになっちゃうから。
ブルーサの人たちのこと思うと、今も罪悪感がヤバい。




