604 ▽夜を統べる将
「ほら、きびきび歩け!」
「くっ……」
一人の青年が青い肌の妖魔に急かされながら薄暗い通路を歩いていた。
両腕は後ろで縛られており、逃げ出す事はできそうもない。
「くそっ、とんだドジ踏んじまったぜ……」
青年の名はガナドール。
マール海洋王国のレジスタンスメンバーだ。
輝士団の残党を中心に組織された、王国本土を奪還するための反乱軍の一員である。
今は地下に潜っているが、いつかはエヴィルに対し反撃を仕掛ける時が来る。
その時のためガナドールは密偵として仲間と共に敵の本拠地近くを探っていたのだ。
しかし彼らは不覚にも敵に発見されてしまう。
「マヌケなヒト共め。我々が城の周りをウロチョロするネズミに気付いていないとでも思ったか? この夜将様の居城には十万の兵と千の目、そして十の砲があるのだ。いくらコソコソしようと、キサマらの動きなんぞ手に取るようにお見通しよ」
もちろん死にものぐるいで抵抗したが、力及ばず。
仲間は殺され、ガナドールもこうして捕らわれてしまった。
「テメエらの城じゃねえ、ここは俺たちの城だ……!」
そして彼は敵の本拠地へと連行された。
王国を支配するエヴィルの将。
夜将リリティシアの居城へ。
ここはかつてマール海洋王国首都の王宮だった建物である。
外観はおどろおどろしく変えられ、もはやかつての美しかった姿は見る影もない。
「なぜ、俺を殺さない」
青年は妖魔に問いかけた。
しかし返ってきたのは不気味な含み笑いのみ。
「じきにわかるさ……ククク」
「拷問して仲間の場所を吐かるつもりなら無駄だと言っておくぞ。たとえ殺されようとも、お前らのようなクズ共に教えてやることなんか何一つないからな」
悪態を吐いてみるが、妖魔はもう反応しなかった。
代わりに背中をやや強めに小突かれる。
「いいから黙って歩け」
仲間のことを喋るくらいなら、毒の輝術を使って自害する。
それだけの覚悟をガナドールは持っていた。
だが今はまだその時ではない。
捕らえられたとは言え敵の本拠地の情報を得られた功績は大きい。
上手く情報を持ち帰ることができれば、今後の戦いはかなり有利になるだろう。
城に近づく者すべてを即座に捉える監視塔の『目』。
そして高所に配置された砲塔による、大規模な炎の術による『砲撃』。
これらの防備を知らなければ、どれほどの軍勢を率いて攻め込もうとも、一方的な反撃を受けてたちまち全滅してしまう。
ここで見たすべてが絶対に仲間達に伝えたい情報だ。
とは言え、万が一にもアジトの場所を吐かされることになってはいけない。
生きるか、死ぬか。
タイミングを慎重に見極めなければ。
「ここだ、入れ」
妖魔の足が止まる。
目の前には巨大な扉があった。
「ここに何があるんだ?」
「いいから早く入れ!」
「入れといっても、腕がこうでは扉も開けられないだろう」
「……ちっ」
皮肉のつもりで言ったのだが、妖魔はなんと火の術を使い、ガナドールの腕を縛っていた縄を焼き切ってしまった。
期せずして両腕の自由を取り戻す。
ガナドールは訝しげな目を妖魔に向けた。
「どういうつもりだ……?」
「いいから入れ! 何度も言わせるな!」
何をイライラしているのだろうか。
ガナドールは冷静に状況を分析する。
自由を取り戻した今なら、この妖魔を倒すことも可能だろう。
だが、ここはあくまで敵の本拠地のど真ん中である。
大きく開いた窓から外を眺める。
翼を持つエヴィルが飛んでいるのが見える。
何千何万といる敵を振り切るのはやはり不可能だろう。
ここは言われた通りに従った方がいいか。
ガナドールは扉に手をかけ、奥に向かって押し開けた。
※
室内は不自然に広い空間になっていた。
壁面は黒や紫を基調とした廊下とは違い、白一色。
天上からヒモで吊された黒い革袋がいくつも並んでいる部屋だ。
その奇妙な部屋の中には一人の女がいた。
黒い袖無し衣服を着た、やたら髪の量が多い女だ。
外の妖魔とは違って、見た目だけなら普通の人間に見えるが……
「せいっ!」
女は天上から吊された黒い物体を蹴った。
小気味の良い打撃音が響く。
あの黒い革袋は打撃特訓用の標的なのだろう。
見たところ、かなりの重量がありそうだ。
トレーニング中と言ったところか。
しかし、なぜあの妖魔はこんな所に連れてきたのだ?
「ふう」
しばらく突っ立っていると、やがて女が革袋を叩くのを止めた。
彼女は額に浮かんだ汗を拭いながらガナドールに視線を向ける。
「やっぱり体を動かすのは気持ちいいわね。美容と健康のためにも適度な運動は必須だわ。ねえ、貴方もそう思わない?」
どうやら入室したことには気付いていたらしい。
女は長い髪をかき上げ、こちらに歩いて近づいてくる。
その容貌は美女と言って差し支えない。
薄着の肌には玉の汗が浮かんでおり、妖艶な色気を醸し出している。
だが、こいつがただ者でないということは、流読みを使うまでもなくハッキリわかる。
「お前は何者だ」
「無礼な口の利き方は控えなさい。私はこの地を統べる女王よ」
この地を統べるだと?
そうか、コイツが……
「夜将リリティシアか!」
「うふふ。その通りよ、坊や」
マール海洋王国を襲撃した魔王軍の西部方面軍。
その頂点に立つ、魔王配下五将のひとり。
こうして目にするのは初めてだが、ここまで人間と変わらない外見をしているとは。
人と異なる部分があるとすれば、蝙蝠の羽のような耳くらいである。
ガナドールにとってはいささか予想外であった。
「この土地はエヴィルのものではない、我らマール海洋王国の民のものだ! 輝士団の誇りに賭けて、必ず貴様らを駆逐してやるぞ!」
「あらあら、私たちの攻撃に一日も耐えられずに壊滅した、弱小輝士団がなんですって?」
「くっ……」
敵の圧倒的な侵攻に対して輝士団はまともな戦闘すらできなかった。
彼らがわずか一日で壊滅、敗走したのは紛れもない事実である。
その日の悔しさを胸に、ガナドールは今日まで生きてきた。
そして今、予想外の状況とは言え、敵の首領をこうして目の前にしている。
「何の為に俺をここに呼んだ」
ガナドールは右腕を背中に回した。
会話をしつつ、二重発声で輝言を唱える。
「レジスタンスの情報を吐かせるためか。だったら残念だったな、俺は決して仲間を売らん! ……そして!」
足に輝力を込め、一足飛びで夜将の元へ飛び込む。
隠していた右腕を前に突き出し、相手の顔面に叩きつける。
「閃熱掌!」
射程は短いが、鋼鉄すら溶かす高威力の輝術だ。
相手が高位エヴィルだろうと、顔面に食らえばタダでは済むまい。
不意打ちの奇襲を成功させたと確信したガナドールは、うっすらと勝利の笑みを浮かべた。
しかし。
「レジスタンス?」
その声はガナドールの掌の先から聞こえてくる。
抑揚はしっかりしており、声色からは怒りも苦痛も感じられない。
「そんなものに興味ないわ。どうせ、いつかはあぶり出せるんだし……」
ガナドールは恐る恐る腕を引く。
ゼロ距離からの閃熱でも、倒す事ができなかった。
いや、それどころか、夜将の顔には煤汚れひとつ残っていない。
「アタシは、ただね」
「や、やめろ」
今度は逆に夜将が手を伸ばす。
ガナドールは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
首筋を掴まれる。
信じられない力で持ち上げられ、足が地面から離れる。
さっきの意趣返しとばかりに、もう片方の手がガナドールの顔面を包んだ。
「ぐ、げ……」
「運動後のデザートが欲しいだけよ!」
一切の抵抗も許されなかった。
ガナドールの頭部は無残に粉砕された。
※
「フフ。あー、美味し」
夜将リリティシアは殺害したヒトの肉を喰らいながら、彼が死に際に残した絶望を舐めるように味わった。
住処を奪った怨敵と相見えた時に感じた怒り。
不意に見せた大敵の油断に湧いた希望。
攻撃が通用しなかったことの驚愕。
そして、圧倒的な力を持つ敵に為す術もなく殺される絶望。
ヒトの出す負の感情。
彼女たちにとってそれは、この上ない美食である。
舌ではなく、体内に納められた命の石で味わう、極上の甘露。
ヒトの死は運動後の栄養補給にはもってこいのデザートなのである。
死肉自体はさほど美味いものではないが、絶望の残滓と思えば多少の添え物として味わえる。
「失礼します」
リリティシアが食事を終えたタイミングを見計らい、一体の妖魔がトレーニングルームに入ってきた。
「何かしら」
「先日お耳に入れた牛面族壊滅の件なのですが……」
「どうせレジスタンスとかいうやつらの仕業でしょ?」
牛面族が支配している南東部の街が一夜で壊滅したという報告はすでに受けている。
隠れ潜んでいたヒトの残党軍がいよいよ反攻に移ったのだろう。
脆弱な戦士達にできることなど高が知れている。
ヒトごときにやられるような部族など滅んでも構わない。
どうせこの『夜将の城』までは攻めては来られないのだから。
来たら来たで、やつらの絶望を余すところなく吸い尽くしてやる。
「いえ、それがどうやら――」
妖魔は報告を続けた。
「……なんですって?」
「えっ、待っ……あっ、ぐぎゃっ」
その内容を聞いたリリティシアの口元に笑みが浮かんだ。
高揚感が沸き上がり、衝動的に目の前の妖魔をねじり殺してしまう。
転がった黄色いエヴィルストーンを拾い上げ、リリティシアは独り言を呟いた。
「そう、やはり生きていたのね」
リリティシアは妖艶に笑う。
手の中でエヴィルストーンが軋みを上げる。
「私の所にも来てくれるのかしら、お嬢様。楽しみだわ……」
リリティシアの手の中で宝石が砕け散った。
彼女は肩越しに振り返り、そこに居る人物に語りかける。
「ねえ、アナタも楽しみでしょう?」
部屋の隅。
壊れた人形のように四肢を投げ出して座っている少女。
真っ黒な衣服を纏ったその少女は、リリティシアの言葉に何の反応も示さなかった。




