587 この力は誰のために
あー、そっか。
わかったわかった。
なるほど、そういうことね。
「スーちゃんさ、私に嘘ついたでしょ?」
「……何がだよ」
「ずっと前に、私がよくわからなくなって、フレスさんを攻撃しちゃった時さ」
先生の修行が途中で中止になった後のこと。
私はフレスさんの体を乗っ取った悪の輝術師と闘った。
全力で闘おうとするあまり、途中でわけがわからなくなって……
意識が完全に何かに乗っ取られ、気付いたら辺り一面が焼け野原で、腕の中には傷ついた友だちがいて……
あの時は、もう一つの魂だかなんだか、よくわからないものに乗っ取られたんだと思ってた。
スーちゃんのことを知ってからは、彼女がやったんだと思った。
けど違った。
「別に誰も私のこと操ってなんかいなかったんだね」
「……」
「むしろスーちゃんは、護ってくれてたんだよね」
あの時なにがあったのか。
今ならわかる、はっきりと。
私はたった今、二体のビシャスワルト人をころした。
それなのに、心はちっとも乱れてない。
だって……
私が自分の意志でやったんだもの。
ころそうと思って、ころしたんだから。
あの日もそう。
私の意識を塗り潰したもの。
スーちゃんじゃなく、もう一つの魂でもなく、もっと別のもの。
それはきっと、私の中の凶暴性。
もっと具体的に言うなら、
「魔王の血から、さ」
私は十七歳までフィリア市で平和に暮らしてきた。
そんなただの学生には理解できず、ただずっと翻弄されてきた。
たくさんの冒険をして、力を手に入れて、自分自身でようやく納得できた。
目を逸らし続けてきたもの。
私の中に潜んでいる恐ろしいもの。
あの時の私も。
さっきの私も。
全部が、私。
「私は、お前が魔王の力に飲まれるのを防ぎたかった。それがお前の母親との約束だったからだ」
やっぱりね。
「それじゃ、今になって姿を現した本当の理由は?」
「お前の中の魔王の力が強くなりすぎて、これ以上はもう無理だと思ったからだ」
魔王に会ったのが原因なのか。
ビシャスワルトの空気に触れたのが悪かったのか。
私はどうやら、今までよりもずっと強い力に目覚めてしまったみたい。
「そっか」
私は異界の人間。
エヴィルの王の血を引くもの。
本来の定義とは違うけど、人類の言うところの――
ケイオス。
「ふふっ……」
思わず笑いがこぼれる。
そっか、私、人間じゃないんだ。
だからあんなこともできるし、こんなことも――
私は西の空を見上げた。
二体のビシャスワルト人が飛んできた方向だ。
感覚を広げ、意識を飛ばして、遙か遠くにある『それ』を感知する。
「あっちにたくさんのビシャスワルト人がいるね」
多数の輝力を感じる。
強いのから、弱いのまで。
「わかるのか?」
「うん。この先、十二キロの地点にビシャスワルト人が五十八体と、獣人型エヴィルが三〇体、動物型エヴィルが一五体、それと人間が八人いる。アグィラさんの言ってたエヴィルの町ってやつかな?」
「間違いないか」
「間違いないよ」
「そうか、そこまで……」
流読みで得た情報は、私の頭の中にすんなり入ってくる。
それは実際に見るよりも、ずっと正確に数と位置を数えてくれる。
いやあ、すごいね私。
「それで、どうするつもりだ?」
「とりあえず、ちょっと行ってこようと思うよ」
「行ってどうする」
「行ってから考える」
私がビシャスワルト人なら。
すべきことは、そこで見つかるはず。
素早く飛んでいくため、私は炎の翅を広げ――ようとして、またまた新しい術を思いついたよ。
「閃熱翼飛翔!」
私の背中から真っ白な翼が生える。
それは両手を広げたよりも、三倍から四倍も大きな翼。
見た目はまるで天使の羽のだけど、触れればすべてを溶かす閃熱の翼だ。
さあ、エヴィルの町へ向かおう。
私は閃熱の翼を羽ばたかせ、大空へと飛び立った。
※
その町の前には二本の柱が立っていた。
柱は地上四メートルの地点で十字になっている。
そこには両手と腋下を縛られた女の子が磔にされていた。
「ゆるして……もう、ゆるし……」
「うるせえんだよッ!」
牛のような頭をしたビシャスワルト人が足元に落ちている石を拾い上げる。
腕を振りかぶり、石を磔にされている少女の腹めがけて投げつけた。
「ぐえっ」
潰れた蛙のような声が少女の口から漏れる。
それを聞いた牛頭のビシャスワルト人はおかしそうに笑った。
「くっはははっ! 地上のヒトどもはほんとマヌケで笑えるぜェ!」
「何をしてるの?」
「見りゃわかんだろ! 射的ゲームだよ射的ゲーム!」
牛頭はさらに別の石を拾って投げる。
その石はわずかに狙いを逸れ、少女の顔の横を通り過ぎていった。
あとほんの僅かにズレていたら……
少女の顔がたちまち青ざめる。
「もう止めて! 止めて下さいぃっ!」
「止めねえよバーカ! こんな楽しい遊びを誰が止めるか!」
「誰かっ、誰か助けてーっ! ママーっ!」
ぎゃはは、と笑いながら牛頭は三発目の石を投げる。
石は少女の腕に当たって嫌な音を響かせた。
「ぎゃああああっ!」
「もう忘れたのかアホが! お前のママはすでに俺が殺してやっただろうが!」
「なんでころしたの?」
「決まってんだろ! 遊び潰したんだよ! こんな風にな!」
「許してっ、許してくらさいっ!」
「ぎゃはは! 呂律が回ってねえよこのオモチャ!」
「あの子はオモチャなの?」
「オモチャなんだよ! 生き残ったヒトの扱いは部隊ごとに自由にして良いことになってるからなァ! 中には家畜として行使してる所もあるらしいが、やっぱヒトはオモチャにして遊ぶのが一番だろ!?」
「でも、あのままじゃあの子、死んじゃうよ?」
「代わりはまだ倉庫ん中にいるし、いざとなれば狩ってくりゃいいんだよ! 普段からエサも与えてやってんだから、むしろ生かしてやってることに感謝して欲しいくらいだぜ! 運良く今日壊れずに済めばまた一巡するまで生きられるしな!」
「そうなんだあ」
「そうなんだよォ! ……って、さっきからなんだ、テメーは?」
牛頭がようやく私の方を見た。
私は答えず、白い光の翼をぱたぱたと羽ばたかせた。
「翼人族か? それにしちゃ耳が丸っこいが、うちの部隊のモンじゃねーよな?」
「最後にひとつ質問です。さっき『生き残った人は自由にしていいことになってる』って言ってたけど、そのルールは誰が決めてるの?」
「んなの決まってんだろ。この地方の総監である夜将リリティシア様だよ」
夜将……
ああ、あの魔王の側近のひとりか。
そっか、あいつが、こんなことをさせてるのかあ。
「わかりました」
「こっちの質問に答えろよ。テメーはどこの誰だ?」
「答えるつもりはありません。私はもう別に知りたいこともないし」
「あ? ……おい、なんだこの白いヒラヒラしたやつらは」
「私はあなたの敵なので。それじゃ、しんでね?」
三十三の白蝶が一斉に閃熱の光に変わり、牛頭の上半身を跡形もなく消し飛ばす。
ついでにトドメの一発で転がった緑色のエヴィルストーンも蒸発させる。
おまえが生きてた痕跡なんて一つも残さないよ。
私は目を丸くしている磔の女の子の下まで行くと、閃熱の翼で丸太の根元を焼き切って、落ちてくる女の子を風で支えて受け止めた。
「あ、あなたは……?」
「助けるのが遅れてごめんね。いま治すからジッとしてて」
風霊治癒で女の子の傷を癒やしつつ、私は後ろでふよふよと浮いているスーちゃんに話しかけた。
「ねえ、スーちゃん」
「おう」
「さっきのやつだけどさ、見ててすごく気分悪かった」
「そうだな」
「それと、この子を守れて良かったと思う」
女の子の年齢はたぶん私とほとんど同じくらい。
戦う力も持っていないから、侵略者には逆らえない。
私はどうやらビシャスワルト人らしい。
けど、人間として生きて、人間として育った。
あの牛頭がたまたま悪人だっただけかもしれない。
この一例だけを見て、ビシャスワルト人すべてが悪だとは決めつけられないかもしれない。
それでも、私は。
「私は人間の味方だよ」
この力を、ビシャスワルト人と戦うために使う。




