580 目覚めの刻
「ん……」
まぶたの裏に映る光が眩しい。
体をゆっくり動かして寝返りを打つ。
なんだかやたらと体が重い。
しかも顔に何かが絡みついてる。
私はそれを手で払うと、ベッド上部に手を伸ばした。
そこにあるはずの目覚まし時計はなく、手が壁にぶつかった。
「んあーっ?」
あれ、私いまどこで寝てるんだろ。
たぶん自分の部屋じゃないよね。
寝る前の記憶、きおく……
考えるより起きた方が早いよね。
こういうのって目を開ければすぐ思い出すし。
まだちょっとだけ眠いけど、私は覚悟を決めて目を開いた。
その瞬間。
「ぎゃーっ!」
まぶしい!
なにこれ、すっごい眩しい!
あれ、もうお昼!?
っていうか、学校は!?
「……あれ?」
だんだんと光に目が慣れてくる。
最初に見えたのは、知らない天井だった。
ぜったいに自分の家じゃない。
ナータやジルさんの家……でもないよね?
えっと。
どこだっけ、ここ。
力を入れて上体を起こす。
うう、なんかすごく体が重いよ。
そんな疲れるようなことしてたっけ?
「あれーっ?」
なんとか起き上がってみたけど、やっぱり知らない場所だった。
空の戸棚が一つと、小さなテーブルが置いてあるだけのシンプルな部屋。
私は窓のすぐ傍にあるベッドで寝ていた。
昼間かと思ったけど差し込む日差しはオレンジ色。
なんであんなにまぶしいと思ったんだろ。
っていうか夕方まで寝てたの?
がちゃり。
部屋のドアが開き、私はそっちに視線を向ける。
男の子が立っていた。
誰だろう、見覚えのない子。
手には水の入ったボウルを抱えている
「お、おはよう」
とりあえず挨拶してみよう。
男の子はこっちを見たまま無反応。
あの、なんとか言って欲しいんだけどな……
がっしゃーん。
びっちゃーっ。
男の子がボウルを落とした。
足下に水とタオルが飛び散る。
「ああ、大変!」
私は慌ててベッドから飛び起き……
「おわわっ!?」
ようとしたけど、ぜんぜん体が言うこときいてくれない。
前のめりになってベッドから落っこちそうになった。
「み……みんなーっ!」
とつぜん男の子が大声を出した。
何事!?
かと思うと、そのままドタドタと足音を鳴らして部屋の外へ行ってしまう。
「えっ、どうしたの……?」
「シスネー! 眠れる聖女さまが目を覚ましたー!」
なんなの、一体。
それよりこぼれた水を拭かなきゃ。
うわあーっ、なんで体がこんなに重いのよぅ。
特に頭なんて、ものすごく……
「ひやっ!?」
いきなり視界がピンク色になった!
なにこれ、頭の上に何かが乗ってるの!?
すごく長い、髪の毛みたいなものがまとわりついてる!
私はそれを振り払おうとしたけど、上手くいかない。
何回手で払っても顔の方に戻ってきちゃう。
なにこれ! なにこれ!
そうだ、鏡!
部屋の中を見回してみる。
隅に小さめの姿見があるのを発見。
私はベッドの端っこへ移動して、そこに自分の姿を映し――
え?
だれ、これ……
鏡に映っていたのは、ものすごく髪の長い女の人。
いや、女の人って、私なんだけど。
でも私じゃなくて。
まず髪が異様に長い。
それはもう、ものすごく。
前髪が顎の辺りまでだらりとしてる。
試しに引っ張ってみる。
痛……くはないけど、抜けない。
もちろん、別の人が見えてるとかでもない。
私の動きと同じように鏡の中の私も自分の髪を掴んでいる。
なんなの、これ。
私、いったいどうしちゃったの……?
「眠れる聖女さま!」
「おねーさん、起きたの!?」
ひゃっ!?
さっきの男の子が小さな女の子を引き連れて戻ってきた。
男の子はたぶん、十歳かそのくらいの年齢。
女の子はもうちょっと年下かな?
かわいい。
……じゃなくて!
一体何なの、この状況?
ここはどこで、私は誰……
私はルーチェ!
南フィリア学園二年生です!
ルーちゃんだよ。
それは忘れてないよ。
で、私はなんでこんな所で寝てるのでしょう。
この知らない子どもたちはどなた?
「えっと、あの、その」
頭の中はまさに大混乱。
あたふたする私。
すると。
「あれー? なんか、聖女さまのイメージと違う……」
はっ。
女の子が何故かガッカリしたような目で私を見てる。
どうやらこの子たちは、私を『眠れる聖女様』だと思っているらしい。
よくわからないけど、このままじゃいけないような気がする!
夢を壊さないようにちゃんと聖女様っぽくしないと!
こほん。
あー、あー。
「すみません。思わず取り乱してしまいましたワ」
聖女様っていうのがどんなものかよくわからないけど。
とにかく期待を裏切っちゃいけない。
言葉遣いはお上品に。
お淑やかに。
「あなたたちが眠っている私を看病してくださったのですワね?」
「はっ、はいっ」
二人はビシッと直立する。
まあ、礼儀正しい子たちですね。
女の子はキラキラした目で私を見てるよ。
よし、掴みはおっけー。
ついでにいろいろ聞いてみよう。
「ありがとうございますワ。それで、ひとつおたずねしたいことがあるのですワ。ここは一体どこなのでしょうワ?」
「ここはマール海洋王国です、聖女さま!」
「セルカの町の近くの、『まおうのつめあと』の中です!」
マール海洋王国?
それってたしか、五大国のひとつだよね。
旅の間も一回も立ち寄ったことない、よく知らない国だ。
ん、旅?
旅ってなんだっけ。
ともかく、私はマール海洋王国にやって来た覚えはない。
セルカの町なんてもちろん聞いたこともない。
なんで私、こんな所にいるんだろう?
あと魔王の爪痕って何?
「私はいったいどれくらい眠っていたのですワ?」
「ぼくが崖に引っかかってた聖女さまを見つけてからだから、十一ヶ月くらいです!」
「そうですか、十一ヶ月……」
十一ヶ月!?
いや、寝過ぎでしょ私!
そりゃ髪もこれだけ伸びますワ!
あと崖に引っかかってたってどういうこと!?
あれ、そういえば前にもこんなことがあったような気がする。
なんか知らないけどやたら長い間ずっと眠ってて。
起きたら夏休みが終わってて。
……本当に、何があったんだろう。
うわー、ぜんぜん思い出せない。
痛くないけど頭がいたいよう。
「そんな長い間……えっと、面倒を見てくれて、本当にありがとうございますワ」
「いいえ、聖女さまが無事に目覚めてくださって本当によかったです」
男の子は顔を赤くして照れてる。
かわいいよう。
十一ヶ月も見知らぬ人間の面倒を見てくれるとか、ここの家は余裕のあるお金持ちなのかな?
言っちゃ悪いけど、あんまりそんな風には見えないけど……
「聖女様は、やっぱり輝術師なんですか?」
「えっ? あ、はい。一応そうですワ」
「わー、やっぱりそうなんだ!」
「な、ぼくの言ったとおりだろ!」
お、なんか喜んでくれてる?
よければお姉ちゃん輝術を使って見せちゃうワよ。
ん、輝術?
あれ、私って輝術とか使えるんだっけ?
ちょっとやってみよう。
人差し指を立て、意識を集中。
頭の中に自然とイメージが描かれる。
輝言は……いらない。
ぼっ。
指先に炎が灯る。
それは蝶の形になって、ヒラヒラと部屋の中を飛ぶ。
「すっげー! 本当に輝術だ!」
「炎の蝶なんて、こんなの見たことないよ!」
「おお。本当にできた……」
「あれー? なんで聖女さまも驚いてるの?」
「驚いたフリをしてるだけですワ」
「そっかー」
そうか、私は輝術師だったのか……
ところでこれ、なんて術?
えーっと。
――火蝶弾だろ。
そうそう、それ。
火蝶弾だよ火蝶弾。
エヴィルとかこれでいっぱいやっつけたよね。
「それより聖女さま、お腹すいてないですか?」
「いえ、そんなことは……」
ぐー。
「……少しだけしか空いてませんワ」
「じゃあ、わたしご飯を作ってきます!」
「聖女様の復活パーティだ! わーい!」
来たときと同じように、二人はドタドタと騒がしく部屋から出て行った。




