573 ▽亡国の王女
「大丈夫です。少し夢見が悪かっただけですから……」
「ルーチェさんのことを気に病んでるのですか?」
ジュストは思わず息を飲んだ。
他人の口からその名を聞くのは本当に久しぶりである。
「……そうです」
正直に頷いた。
「彼女も、他のみんなも、僕が見殺しにしたも同然です。大賢者様だって……」
「あの、すみませんが、中に入れてもらってもいいですか?」
「え?」
「実は先ほどから他の方々の視線が痛くてですね」
王女様が廊下で立ち話をしているのだ。
しかも、今はちょうど起床時間。
そりゃ注目も集めるだろう。
「あ、いえ、僕はこれから任務があるので」
「ご心配なく。本日、ジュストさんはお休みになりました。英雄王様からの指令状も持ってきましたよ、ほら」
なんだと、聞いてないぞ?
「本当だ……」
シルクが提示した書類には、確かに「本日は休息日とする」との命令と英雄王の署名がある。
と言うことは、シルクをここに寄越したのはアルジェンティオか。
あいつは一体何を考えているんだ。
というか、特例で休みをもらって王女様と自室で二人きりなんて。
ますます他の団員たちからの非難の目が厳しくなるのは確実だ。
「ほらほら。お茶を入れてくださいなんて言いませんから、中に入ってお話ししましょ」
「ちょ、あの」
ニコニコしながらジュストを部屋の奥へと押しやるシルク。
意外と強引な人である。
「はあ、わかりましたよ……」
ジュストは諦めてベッドに腰掛けた。
ところで、椅子は硬い木製のものしかない。
王女様にはどこに座っていただくべきだろうか?
寝汗をかいたままシーツも取り替えていないし。
そういえば、自分はまだ寝間着のままだ。
さすがにこれは無礼だろう。
「汗をかいているので着替えたいのですが……」
「いいですって、そのままで」
シルクはなんと隣に座ってきた。
「あの、ちょっと近すぎじゃないでしょうか」
なんだ、この状況は。
彼女はなにがしたいんだ。
そんな事を考えながら、隣を見る。
シルクは真っ直ぐにジュストの目を覗き込んでいた。
「お話をするなら近い方がいいですよ」
髪から漂う甘やかな香りに、思わずドキリとする。
こうして見ると、シルクはすごい美人だ。
整った容姿はもちろん、王女としての気品がある。
強さと優しさを備えた翡翠色の瞳は吸い込まれそうに深い。
根元まで染め直したピーチブロンドの髪も彼女によく似合っていた。
いや、何を考えてるんだ僕は。
だめだだめだ、相手は王女様だぞ。
邪な目で見るなんて不敬きわまりない。
「改めてお礼を言わせてください。先日は本当にありがとうございました」
「いえ、輝士として命令に従い当然のことをしただけです」
シルクはベッドに腰掛けた体を斜めに向け、ぺこりとお辞儀する。
軽い感じではあるが、王女様相手に頭を下げられてはむしろ恐縮である。
「それで、ですね。何かお礼をしたいと思っているのですが、残念ながら今の私には、あなたに差し上げられるようなものはなにも持っておりません」
「お礼なんて……そのお言葉をいただけただけで十分です」
遠慮などではない。
自国の姫君ではないが、相手は一国を統べる王族だ。
そのような言葉をもらえただけで、輝士として冥利に尽きると言っていいだろう。
シルクは最近、街中で人々を元気づけるための演説を行っていると聞く。
本当はこんな所に来てる暇なんかないくらいに忙しいはずだ。
冒険者として活動していたからだろうか?
本当に律儀な方である。
貴重な時間を自分なんかのために取らせるのは申し訳ない。
感謝の気持ちはハッキリ伝わっていると申し上げよう。
そして、これ以上の礼など必要はないと伝えよう。
そう思っていたジュストだったが、
「お礼になるかはわかりませんが、私などいかがでしょう?」
予想外過ぎる言葉に思わず目が点になった。
「……えっと、それはどういう意味で?」
言っていることが理解できない。
もちろん、言葉通りの意味などではないはずだ。
ジュストは自分にそう言い聞かせて、彼女の真意を問い質した。
シルクは顔をうつむけ、頬をほんのり染めながら答える。
「言葉通りに。私のカラダをジュストさんに差し上げようかと思っています。具体的に言うなら、私といやらしいことしませんか?」
「いやいやいや、まずいでしょうそれは!」
何言ってるんだこの人は。
もしかして頭でも打ったのか。
まて、落ち着け、これは冗談だ。
じゃなけりゃ何者かの罠だ。
そうに決まっている。
「戯れが過ぎますよ。王女様が言っていいことではありません」
「新代エインシャント神国は滅びました。私はもう王女ではないですよ」
「これから再興するんでしょう。醜聞の種になるようなことをしてはいけません」
「再興なんてできません。新代エインシャント神国の大輝鋼石は、すでに失われたのですから」
シルクはいつの間にか真剣な目でジュストを見つめている。
「大国の正当性を示すのは大輝鋼石。それはミドワルトの常識です。王家の血筋など、輝鋼石が失われてしまえば飾りにもなりません」
「……ですが」
彼女の言う通りである。
ミドワルトの歴史は大輝鋼石を巡る歴史と言っていい。
歴史の始まりと同時に、この地に与えられた、六つの大輝鋼石。
それを有してる国が常に地域の覇権を握ってきた。
現代の五大国がまさにそうである。
帝国の時代に破壊された六つ目の大輝鋼石があった土地に、今はもう国はない。
元々が岩と砂漠の荒れた土地であったことも原因のひとつだろうが、かつて栄華を誇った国家があったその地は現在、少数民族の集落が点在しているだけの不毛の土地になっている。
輝鋼石がなくなったことで、人々にとって価値ある場所ではなくなってしまったのだ。
そして今、魔王軍によって新代エインシャント神国の大輝鋼石も失われた。
多くのエヴィルに蹂躙された国土。
以前の栄光を取り戻せるかと問えば、絶対に無理だ。
それは千年の歴史を持っていた新代エインシャント神国でも変わりはない。
「……!」
そこまで考えて、ジュストは気がついた。
違う。
大輝鋼石がなくとも、領土支配に正当性を持たせる方法はある。
別の大輝鋼石を持つ他の大国と血縁関係を持ち、分地として支配すればいいのだ。
なるほど。
そういうことか。
王家の血筋だけでは民の納得を得られない。
しかし、それが別の大国の分家という形であったら?
かつてその地を支配していた王家の血は、支配権の代理に正当性を与えるだろう。
ジュストは現在のファーゼブル国王から見て甥にあたる。
分地を任せるには適当な人材だ。
シルクはここに来る前にアルジェンティオと話している。
ならば、これはあいつに言わされているに違いない。
自らの力で国が再興できないのなら、せめてその地の支配者の后になれ。
決して悪い話ではないだろう……と。
甘い言葉を囁かれたのだ。
英雄王め。
セアンスの議会を掌握するだけでは飽き足らないか。
次に彼女はこう言うだろう。
新代エインシャント神国の領土が欲しくはありませんか、と。
「いりません」
「えっ」
ジュストが強く拒絶すると、シルクはショックを受けたような顔になった。
彼女はそれが領地を守る唯一の方法だと思っているのだろう。
断られてしまえばショックに思うのは当然だろう。
望みに答えられないのは心苦しく思う。
だが、自らの野望のため亡国の姫すら利用するなんて。
そんなアルジェンティオの思い通りにだけは、絶対にさせたくない。
「僕はファーゼブル王家に入るつもりはありません。戦争が終わったら、一介の輝士として生きていくつもりです。ですから、あなたの支配の正当性を保証するような人間にはなれないでしょう」
「あの、えっと……いったい何を仰っているのでしょうか?」
「みなまで語る必要はありませんよ。あなたが神国を復興しようと思うなら、微力ながらひとりの輝士として手を貸しましょう。あんなやつの言葉に惑わされないでください。自暴自棄になる必要はないんです」
この件はおそらく、ジュストが後にファーゼブル王家に入ることを拒絶しないための先回りも兼ねているのだろう。
早い内に既成事実を作って逃げ場を塞いでしまうつもりなのだ。
シルクのような美少女に迫られれば、そりゃ誰だってグラッときてしまう。
仮にジュストがもう少し短絡的ならば、欲望のまま彼女を抱いていたかもしれない。
英雄王への反抗心と輝士としてのプライドが、後一歩のところで誘惑に溺れることを拒んだ。
「あ、あのですね、ジュストさん。きっと勘違いがあると思うのですよ。いえ、私の言い方も悪かったかもしれませんが」
「大丈夫です、わかっています。シルフィード王女殿下のお気持ちはありがたく受け取らせていただきました。このジュスティッツァ、あなたの言葉を末代までの誉れといたします」
礼節を尽くして拒否の意を示しつつ、彼女の体面も保つ。
そのままお帰り願おうと恭しく跪いて跪いた、その瞬間。
けたたましい鐘の音が鳴った。
「なんだ!?」
ジュストは窓を開け放って、外の状況を確認する。
緊急事態を知らせる時計塔の鐘だった。
それも一度や二度ではない。
鐘は何度も何度もガンガンと叩かれている。
時計番の人間の焦りが伝わるようだ。
どう考えてもただ事ではない。
「待機中の連合輝士団員は、すぐに北門前に集合しろーっ!」
宿舎の正門前で老年の輝士が叫んでいる。
団員招集命令はいいとして、北門前だって?
集まるとしたら普通は中庭か両国の宿舎の中間に位置する広場だ。
わざわざ広いスペースすら存在しない北門前に集合ということは、つまり――
「シルフィード王女殿下、緊急事態です」
「は、はい!」
「申し訳ありませんが、話の続きは後ほどに。早く避難してください」
「あ……わ、わかりました」
シルクは何か言いたそうな感じだったが、やがて神妙に頷いた。
なまじ冒険者の心得があるため、変なことを言い出すんじゃないかと心配だったが……
さすがにお姫さまだけあって、正式な輝士の作戦行動に横槍を入れるほど、世間知らずではないようだ。
ジュストは鞘に収めた聖剣を腰に吊し、シルク王女に一礼して、窓から飛び降りた。




