572 ▽悪夢の夜
ジュストは広場をなんとなく散歩していた。
任務がないからといって、宿舎に閉じこもっていては気が滅入るだけである。
時々すれ違う連合輝士団の人間からは嫌な顔をされるが、人々の笑顔に触れて気持ちを落ち着けることも、時には大事なことだと思う。
特に最近は、心が荒むような事ばかり続いているから……
「おい、そこのお前」
背後から声をかけられた。
女性の声であるが、シルクではない。
軽鎧に身を包んだ金髪ウェーブヘアの女輝士が睨んでいた。
彼女には見覚えがある。
以前、会ったことがある人物だ。
「久しぶりだな。英雄王の息子、ジュスティッツァ」
「あなたは……ベレッツァさん」
ベレッツァ、愛称はベラ。
彼女が姉と慕っていた、偉大なる天輝士の称号を持つ女輝士である。
以前にジュストとはビシャスワルトに向かう侵攻メンバーの座を争った過去がある。
今回の輸送隊に同行していたのだろう。
彼女は険しい表情でこちらに近づいてくる。
ジュストは思わず顔を伏せ、視線を逸らした。
「なあ、約束は覚えているか」
「……ええ」
彼女をよろしく頼む、と
代表を譲ってもらった後、ベラはジュストにそう約束させた。
それをジュストは守れなかった。
自分だけがおめおめと生き残ってしまった。
守ると誓った相手は行方不明で、おそらくはもう――
「アルジェンティオ様から事情は聞いている。お前が決して臆病で逃げ帰ったわけでもないことも、一応はわかっているつもりだ」
言葉は冷静。
しかし、ベラの肩は震えている。
大切な人の仇を見るような目で睨んでくる。
「だが、私はお前を許さない。約束を守らなかったことを、絶対に許さない」
「……はい」
痛いほど真っ直ぐな怨嗟の声。
ジュストは言い訳する言葉を持たなかった。
ベラはジュストに背を向け、やや声のトーンを落として言う。
「輝士としてあるまじき逆恨みだ。私を軽蔑しても構わない……」
ベラも悲しいのだ。
大切な人を失ってしまったことが。
誰かに恨み言をぶつけられずにはいられないほどに。
軽蔑などできるはずがない。
しかし、謝罪をすることもできない。
それは彼女を余計に惨めにさせるだけだから。
ベラの怒りはこの身で受けるしかない。
無論、それで許されるとは思えないけれど。
「邪魔をしたな」
去って行く女輝士の後ろ姿を眺めながら、ジュストはその向こうに、彼女の悲しそうな顔を見た気がした。
※
暗い。
真っ暗闇だ。
自分の手足さえも見えない闇だ。
僕の心は言いしれぬ不安で満たされている。
闇の中にうっすらと誰かの姿が見える。
自分より頭ひとつ半背の低い女の子。
肩で切りそろえた綺麗なチェリーブロンドの髪。
彼女だ。
見慣れた顔。
なのに、どこか違和感がある。
笑っていないのだ。
彼女はいつも僕に笑顔をくれた。
悲しんだり落ち込んだりすることもあったけど。
いつも必ず、最後は自分で立ち直れる、とても強い人だった。
彼女がいなければ僕は何もできなかった。
有り余る才能を持ち、その力で何度も助けてもらった。
本当は戦いなんてしなくてもいい、普通の女の子だったのに。
だから僕は彼女を守ろうと必死に剣を振った。
それでも力及ばずに、傷つけてしまった事もあった。
そんな僕に彼女は、いつも屈託のない笑顔を向けてくれた。
「どうして?」
今の彼女は笑っていない。
悲しそうな、怒りを堪えているような顔だ。
今にも泣き出しそうな表情で、糾弾するように僕を見ている。
「どうして、私たちを置いて帰っちゃったの?」
違う。
そんなつもりはなかった。
あれは全部アルジェンティオが悪いんだ。
言葉が出ない。
彼女に僕の声は届かない。
卑怯は承知で言い訳のひとつもしたいのに。
「酷いよ。辛かったのに、怖かったのに……」
やめてくれ。
そんな風に僕を責めないでくれ。
だって、だってあれは、仕方なかったんだ。
「うそつき」
違う。
そうだ。
仕方なくなんてない。
僕は彼女を守れなかったんだ。
その変えようがない事実があるだけ。
悪いのは僕だ。
「それで?」
認めてどうする。
僕は受け入れているのか。
そんなのは単なる格好つけだ。
彼女は死んだんだ。
僕のせいで。
「そうだよ。とっても痛かったんだからね」
ごめん。
謝りたいのに。
言葉がなにも出てこない。
「絶対にゆるさないから」
そんな風に睨まないでくれ。
見たくないのに、目を逸らすことができない。
「ジュストくんなんて、だいっきらい」
もうやめてくれ。
聞きたくないのに、耳を塞ぐことすらできない。
彼女は僕を責める。
恨みのこもった目で怨嗟の言葉を吐く。
ずっと、ずっと、僕の精神がすり切れるまで、ずっと。
まるでそれが見殺しにされたことへの復讐だと言わんばかりに。
永遠とも思える時の中、暗闇の中の彼女は、永遠に僕を責め続けていた。
※
ジュストは布団を撥ねのけた。
「はぁ、はぁ……」
呼吸を荒げ、胸を押さえる。
混乱した頭で夢と現実の境を探す。
視界は暗いが、何も見えない真っ暗闇ではない。
窓から月明かりが差し込み、仄かに室内を照らしている。
全身が嫌な汗でべとべとに濡れていた。
……また、あの夢だ。
彼女に何度も糾弾される悪夢。
よほど深い眠りに陥っている時でもなければ、いつも見てしまう。
そのたびにジュストは強烈な自己嫌悪と後悔に苛まれ、魘されながら起きる。
この後はきっと、明け方まで何度も繰り返し同じ夢を見るだろう。
もう眠りたくない。
けれど明日は見回りの任務がある。
少しでも眠って体力をつけなければいけない。
混乱する頭でなんとかそう判断したジュストは、布団を被ってまた目を閉じた。
何も考えない。
薄情だと責められても、今は眠りたい。
長い時間が経った。
何時間も過ぎた気がする。
数分も経っていない気もする。
ようやく眠気が訪れた。
頭の中で破裂音が鳴り響く。
強い耳鳴りと落ちていく感覚。
いつのまにか目の前に彼女が立っている。
もう休ませてくれと懇願する。
声が出ない。
夢だと気付く。
起き上がろうとする。
体が動かない。
彼女が睨んでいる。
助けてくれと叫ぼうとする。
声がでない。
彼女が糾弾する。
夢よ目覚めてくれと願う。
もうここから逃げ出したい。
ノックの音がする。
助けてくれと叫ぼうとする。
低いうなり声しか出てこない。
誰かの声がする。
体が軽くなる。
立ち上がってドアまで走る。
鍵を外す。
「あっ……」
目の前に立っていたのは、ピーチブロンドの少女。
ジュストはその場で膝を突いて頭を垂れた。
「ごめん、ルー、ごめん……」
ようやく声を出すことができた。
ジュストの言葉に彼女が応える。
「えっ、あの、顔を上げてください! どうしたんですか!?」
しかし、その声は彼女のものではなかった。
気付けばジュストはベッドから降りてドアの前にいた。
部屋の中に太陽の光が差し込んでいる。
跪く彼の前には不安そうな顔のシルクが立っていた。
「あっ……」
いつの間にか夜は明けていた。
夢と混同し、シルクを彼女と間違えてしまったらしい。
ジュストは顔を赤くしながら、すぐに立ち上がって姿勢を正し、謝罪した。
「も、申し訳ありません。起きたばかりで少し混乱してて……というか、なぜあなたがここに?」
連合輝士団の宿舎に寝泊まりしているのは、基本的に男ばかりである。
もちろん王女様相手に狼藉を働く不埒な輝士などいないはず。
とはいえ、女性が気軽に来るべき所ではない。
「お加減が優れないと聞いたので、何かお力になれるかと思って伺いました。ご迷惑でしょうか?」
「迷惑ではありませんが、わざわざ僕なんかのために……」
「ジュストさんは私の命の恩人です。できることがあれば、なんなりとお申しつけください」
ジュストはうろたえた。
一介の輝士ごときが他国の姫君に気遣われるなど、分不相応にも程がある。
しかも女中の真似事をさせたとあっては、気まずいを通り越して、不安さえ覚えてしまう。
「や、やめてください。僕は大丈夫ですから、どうかお気になさらず」
「しかし、ひどく魘されていました」
思わず言葉に詰まる。
うなされていたのは事実だろう。
現実との境がつかなくなるほどの悪夢を一晩中見ていたのだ。
廊下にまで声が届いていたとしても不思議ではない。




