560 ▽封印結界の向こう側
迷わず戻って来られるように目印を刻む。
準備を終えると、一行は再び空飛ぶ絨毯に乗り込んだ。
しかし。
「あ、あれ?」
「どうした。なぜ飛ばない」
「いえ、それが……」
何故か絨毯はさっきまでのように上手く飛べなくなっていた。
全く浮かないわけではないのだが、少し上昇した辺りで急激に浮力を失ってしまう。
「まさか……?」
グレイロードは風飛翔を使ってみた。
ほんの少し浮いただけで、すぐに落下してしまう。
「輝術が使えないのか?」
だとしたら由々しき事態である。
このメンバーの半分は役に立たなくなってしまう。
グレイロードにしても、輝術が使えなければ、移動や戦闘も満足にできない。
「もしかしたら、森の中だけかもしれませんよ」
部隊の副隊長のルーズが発言する。
才気に溢れる青年で、グレイロードとは輝術学校の同期だ。
ちなみに、年齢は彼の方が三つほど年上である。
グレイロードは他の輝術師たちと協力して状況を確認することにした。
しばしの休憩の後、周りの森を破壊しない程度に様々な輝術を使ってみる。
すると、不思議な結果が判明した。
別にこの場所でも輝術が使えないということはない。
ただ、ある程度の術を使用すると、しばらく何も使えなくなってしまうのだ。
「空気中の輝力が薄いのか……」
一般的に、輝術は輝鋼石から力を引き出して使用するものと思われている。
輝鋼石と契約をした後で輝術が使えるようになるので、ずっと当然のようにそう言われてきた。
だが、最近になって、これが誤りであるとの新説が出ている。
『輝鋼石と行うのはあくまで契約、及びイメージの固定である。実際の輝術の行使は空気中に満ちている輝力に干渉し、それを変化させることで様々な現象を起こしている』
輝鋼石から遠く離れても輝術が使えることに対して説明がつかないとは、大昔から言われていたことであり、これはその疑問に対するひとつの回答である。
この学説が正しいとしても、ミドワルトで空間の輝力が枯渇することはまずあり得ない。
それは桶に張った水を掬ったところで、すぐに平準化されるのと同じ事。
あっという間に他から流れてきた輝力で満ちあふれてしまう。
そのため、仮説は証明のしようがなかったのである。
それは異世界ビシャスワルトでも同じだった。
しかし、この地は違う。
全体的な空気中の輝力量が非常に薄い。
再び満たされるまでに多少の時間が掛かってしまうのだ。
「この件で論文を書けば、博士号間違いなしですね」
ルーズが冗談めかして言った。
正直なところ、あまり面白い状況とは言えない。
なにせ、この地では輝術師が本領を発揮できないのである。
輝術師だけではない。
試しに同行している輝士に輝攻戦士化させてみた。
やはり輝粒子を纏っていられるのは、五分程度が限界である。
ミドワルトとは違う異境の地。
この先に何が待ち受けているかわからない。
可能な限り、厄介事は避けて進む必要がありそうだ。
※
ともかく、一行は出発した。
食料は大量にあるが、輝術が使えない事に対する対策はほとんどしていない。
場合によっては早めの撤退も視野に入れなくてはならなかった。
勝手の違う土地。
思いがけぬ徒歩の旅。
大人数で移動速度も遅い。
知らず知らずのうちに一行の足取りは重くなる。
そうして一時間ほど歩いたところで、唐突に森を抜けた。
小高い丘の上に集落が見える。
簡単な柵に囲まれた小さな村だ。
あまり大勢で訪れて住人を刺激するのはよくない。
グレイロードはルーズを伴って偵察に向かった。
村の入り口に鍬を担いだ農夫が歩いていた。
彼はこちらに気付いて向こうから話しかけてくる。
「おや、どなたですかな?」
共用語だった。
顔つきはシュタール地方の人間と変わらない。
村の建物の建築様式は似ていなくもないが、微妙に異なってもいた。
「新代エインシャント神国の輝術師だ」
「シンダイ……はて、聞いたことのない国ですな」
「あの森の遙か向こうにある」
「なんと、緑のカーテンの向こうから来なすった!?」
農夫は大変驚いていた。
こちら側でも結界の向こうは未知の世界なのだ。
しばし農夫と話をする。
旅人が珍しいらしく饒舌に村のことを語った。
ここは相当な辺境の地らしく、あまり村の外のことはわからないらしい。
よそ者に食料を売るほどの余裕はなさそうだが、貧乏な村というわけではない。
とはいえ、流石に一〇〇人の大所帯で泊まることはできないだろう。
「この辺りで一番大きな町はどこか?」
情報を集めるならより人の集まる所の方が良い。
「結構歩くけど、町なら山を三つ越えた先にあるよ」
「わかった、礼を言う。それから……」
最後に、自分たちがここに来たことは口外しないよう頼んで村を通り過ぎる。
さすがに通貨は異なるので、口止め料としてエヴィルストーンを渡してやった。
「こ、こんな立派な宝石、頂いちゃって良いんですかい!?」
農夫は目を丸くしていた。
エヴィルストーンのことは知らないようだ。
とは言え、どんな土地でも綺麗な宝石は貴重品なのである。
二人は森の入り口に待機させていた部隊の元へ戻る。
グレイロードたちは先ほど得た情報について語り合った。
「田舎ではありますが、未開の土地という感じではないですね」
「封印結界の向こうは別世界。単に我々が知らなかっただけなのだな」
「一体何故、封印結界など存在していたのでしょう?」
「何かしら理由があってそういう風に作ったんだろうさ。古代人がな」
「隊長、それは異端の考えですよ」
教会の聖典には『千年ほど前に神々の時代が終わり、一組の神の遣いが地上に降り立って、泥の文明しか持っていなかった人類の祖先に知恵と叡智を与えた』と記されている。
所詮は後の時代に作られた神話である。
だから、その内容には懐疑的な者も多く存在する。
歴史家や機械研究者には、超古代に別の文明が存在していたと考える者も多い。
ただ、そういった考えは教会に強く否定されている。
特に新代エインシャント神国においては即座に異端と見なされてしまう。
敬虔な教会の信徒であるルーズにとっては、この考えは到底受け入れられない説だろう。
だが、これで逆に伝説の勇者とやらの信憑性は高くなった。
作られた神話の人物ではない。
過去、本当に魔王を倒した何者か。
それがこの地のどこかに居るかもしれない。
グレイロードは不思議と期待に胸が高鳴っていた。
まるで、あいつらと一緒に初めて神都を飛び出した時のように。
※
探索隊は一〇組に分けることにした。
ここは未開の土地ではない。
多くの人が暮らしている異文明圏だ。
あまり大所帯では原住民に刺激を与えるだろう。
最低限の連絡だけは取れるようにして、それぞれの隊が別々に行動を開始することにした。
そして、グレイロード隊は最初の町に辿り着いた。
ミドワルトで言えば小国の首都くらいの規模の町である。
人口は概算で五〇〇人ほど。
それなりに大きな町である。
しばらくはここを拠点にこちら側のことを調べよう。
まずはエヴィルストーンを買い取って換金してくれる店を探す。
この地域の通貨を手に入れて、本や道具、できれば地図も買っておきたい。
※
アルジェンティオにもらった地図と、こちら側で売ってる地図。
両者を見比べて見れば、ほとんど同じだった。
違う点といえば、地図の右側にある大陸が存在していないこと。
そして、ミドワルトに当たる部分が黒く塗りつぶされていることだ。
それ以外の地域はいくつかの地方に別れており、それぞれ別の文化圏を持っていることがわかった。
この辺りはルシ地方。
ハランという小国に属しているようだ。
ミドワルトのように、文明圏全体を指す言葉は存在しない。
自分たちの都合で名付けるならミドワルト外世界……
あるいは正しい意味での『東国』か。
どうやら東国にエヴィルは存在していないようだ。
危険な猛獣の類いはいるが、凶暴化した獣も存在しない。
輝鋼石もない。
輝術を使える人間も輝攻戦士もいない。
もちろん、輝工都市なんてものも存在していない。
だが、機械はあった。
輝流の代わりに蒸気を利用して動力を作っているようだ。
この町の中でも四輪で動く乗物や、大きな紡績機のある工場なんかを見かけた。
一週間ほど町に滞在した後、一行は再び出発する。
ハランの首都を経由して、ルシ地方の大国であるキリル帝国に向かう。
西の方の町並はシュタール帝国に似た感じだったが、東に行くに従って、独特の感じに変わっていく。




