55 青髪の女輝士
「はぁ」
バチバチと爆ぜる火を眺めながら私は大きく息を吐いた。
それが気になったのかビッツさんは申し訳なさそうな顔を向ける。
「すまぬ。このような場所で足止めをさせてしまって……」
「あ、いえ。そういうつもりは全然」
ビッツさんの怪我は思った以上に深かった。
そして怪我以上に無理な輝攻戦士化が彼の体力を奪っているみたい。
とてもじゃないけれど歩ける状態じゃなかった。
彼自身はボロボロでも進もうとしたけど私がは全力で止めた。
目の前で倒れられて心配しないわけがない。
というわけで今夜は野宿することになりました。
獣道から少し離れたところに開けた空間を見つけた。
火を焚いて残り少ない飲料水で彼の傷口を洗い簡単な応急処置をする。
雑に巻かれた包帯も本当はもっと丁寧にやってあげたかった。
この焚き火にしても私は薪を拾ってきただけで、結局火をおこしてくれたのはビッツさんだったし。
それどころか私は彼のジャケットを貸りてしまっている。
確かにこんなハズカシイ格好で男の人の側にいるわけにいかないけど……。
天然輝術師として目覚めたはずなのに自由に輝術も使えない。
おまけに知識も体力もない。
あまりにも役立たずな自分に泣けてくる。
ふと顔を上げてビッツさんを見ると彼はうつらうつら舟をこいでいた。
「休んでてください。見張りなら私がやりますから」
何もできないけどせめてゆっくり休ませてあげなきゃ。
「いや女性に見張らせて自分だけ休むなど」
「大丈夫、私は眠くないし」
結局何もしなかったので体力はあり余ってる。
ビッツさんの方がずっと疲れているはずだし、そんな体で無理して欲しくない。
彼は少し考えてからやがて素直に頷いてくれた。
「では言葉に甘えるとしよう。眠くなったら起こしてくれれば遠慮なく交代する。異変に気付いたらすぐに大声をあげるがよい」
「うん、任せて」
弱気を悟られないよう力強く頷いてみせる。
ビッツさんは木にもたれかかって目を閉じた。
やっぱり疲れていたらしくすぐに寝息を立て始めた。
彼はああ言ったけど私は今日は一晩中見張りをしているつもり。
そのくらいはできなきゃ自分が許せない。
しばらくの間、燃える炎を見つめていた。
時々目を閉じてみるけれどただ炎の残像が見えるだけ。
眠気は襲ってこない。
初めての野宿に緊張しているのかもしれない。
男の人と二人っきりで過ごす夜。
それは夢見たような甘い夜じゃなくって、ゴツゴツの硬い地面に腰を下ろしてひたすら夜の静寂と戦う奇妙な時間。
時々ビッツさんの寝顔を見てしっかりと呼吸をしていることを確認して安心する。
いっぱいお世話になったし迷惑もかけた。
でも彼はずっと優しかった。
本当にいくら感謝してもしきれないよ。
※
長い時間が流れたような、少ししか経っていないような。
どれくらいの時間が過ぎたのかはわからない。
いつしか私は強烈な睡魔に襲われ始めていた。
眠い……
このまま眠りに身を任せたらどれほど心地いいだろう。
……ううんダメダメ!
自分から見張りを引き受けたんだから!
それでも一度やってきた眠気は用意に振り払うことができない。
火に近寄って熱さでごまかしてみるけれど一向に意識は覚醒してくれない。
この暖かさが眠気を誘うんだ。
ちょっと火から離れてみれば……
って離れちゃダメだってば。
火を消しちゃおうか。
今夜はそれほど冷え込むわけでもないし凍えるようなことはないと思う。
ビッツさんが寒くないようにジャケットをかけてあげてから、湿った土の山を抱えて焚き火の上に落とす。
火が消えた。
闇と静寂が訪れた。
しばらく経つと次第に周りが見えるようになってくる。
空が意外と明るいことに気付く。
ふと頭上を見上げてみる。
そこには満天の星空があった。
「わぁ」
思わず感嘆の声がもれる。
空一面の星々。
街中に設置された常夜灯のため、夜でもそれなりに明るいフィリア市ではこんなみごとな夜空は見られない。
少しだけ心が晴れたような気がした。
大きく伸びをして息を吸い込む。
軽くストレッチして頭を振る。
けど眠気はなくならない。
むしろ暗くなった分余計に瞼が重くなってきた気がする。
っていうかこれなら私も眠っちゃって大丈夫じゃないかな?
星明りで数メートル先までは見えるけど道から離れているから山賊とかに見つかる心配はないと思う。
近くの岩に背中を預けて目を閉じてみると、さっきまで見つめていた焚き火の残像が瞼の裏に焼きついていた。
炎が燃える様をありありと思い浮かべた、その時。
低い呻き声が聞こえた。
目を開ける。
ビッツさんが苦しんでいるのかと思ったけれど違った。
なんだろう、この声……
続いて耳に入るのは草木のざわめき。
風に揺れているわけじゃない。
何者かが草を掻き分け移動している。
こっちに向かって。
それが姿を現した。
「ガルルゥ……」
「きゃああああっ!」
闇の中で不気味に光る二つの瞳を見た瞬間、私は叫んでいた。
「どうした!」
声を聞いたビッツさんが飛び起きる。
私は恥もプライドも捨てて彼のそばに駆け寄った。
「あ、あれあれあれ」
闇の中に光る瞳を指差す。
と彼の声に緊張の色が増した。
「マウントウルフか」
「え、エヴィルですか?」
「いや凶暴化した獣だ。異界の魔物ではないがエヴィル同様に人間を襲う獰猛な肉食獣だ」
「そそそ、そんなのがいるんですか?」
「奴らは火を嫌う。炎を絶やさなければ問題はなかったはずだが……」
……つまり火を消したせいで、私たちいきなり大ピンチ?
ま、またやっちゃった。
迷惑かけないって誓ったばかりなのに最悪だあ!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いや言っておかなかった私も悪かった。そなたも眠かったのだろう」
五、六対の目が森の中で光っている。
聞こえる声はそれ以上だ。
気がつけばすっかり周りを囲まれていた。
「下がっているがいい。私が何とかして――ぐっ」
立ち上がって一歩を踏み出した直後、ビッツさんは膝を突いてしまった。
折れた剣で何とか体を支えるけどもう一度立ち上がることはできなかった。
「ビッツさん!」
「ちぃっ……」
体力が全然回復していない。
倒れないだけで精一杯じゃ戦う事なんて無理に決まってる。
その間にもマウントウルフは油断無くこちらを窺っていた。
いつ襲い掛かってくるかわからない飢えた獣に睨まれる恐怖。
二匹のマウントウルフが同時に茂みから飛び出した。
暗闇の中では真っ黒な塊にしか見えなかった二体の肉食獣。
姿を現したそれが真っ直ぐ私たちに向かって飛び掛かって来る。
「いやっ!」
思わす目を瞑って頭を庇う。
閉じた瞼に裏に僅かな残像が残っていた。
憶えのある感覚。
体の奥、意識の奥に確かに見える。
――そうだ、やれ。
掌が熱を帯びていることに気がつく。
「ひっ」
噛まれた?
そう思って目を開けたけど違った。
なんと私の手が赤く発光している。
――ぶつけてやれ。
私は何のためらいもなく熱を帯びた右手を獣に向けて突き出した。
掌から拳大の火球が飛び出す。
それは襲い掛かってきた獣の一体の頭を焼いた。
「キャオオオォォォーン!」
獣は潰れた蛙のような悲鳴を上げて地面を転がった。
やがて動かなくなる。
それを見た後続の獣たちは足を止めた。
「や、やった、できた!」
フィリア市を脱出する時に一度使えただけの火の輝術。
この土壇場でなぜかまた使うことができた。
ひょっとしてコツを掴んだのかもしれない。
これならやれる!
ううん、ビッツさんが動けない以上、私がやらなくちゃ!
……と思った直後。
「キャン!」
「ギャヒン!」
打撃音。
続いて響く獣の声。
な、何?
何が起こっているの?
草むらから何かが飛び出してきた。
それは蹲っていたマウントウルフに飛びかかると頭に思いきり足を振り下ろした。
頭蓋骨を砕かれたマウントウルフが一瞬にして物言わぬ骸となる。
突然の乱入者が人間だと気づいたのは長く綺麗な髪を振り乱していたから。
いきなり現れてマウントウルフをあっけなく全滅させたその人は、懐から何か道具を取り出して消えた焚き火の後にしゃがみ込んだ。
周囲が明るさを取り戻す。
輝術?
どうやったのかわからないけれど、その人は枝木の山に火をつけて……
「あーっ!」
明かりに照らされたその顔が見覚えのあることに気がつく。
「昨日のっ!」
「やっ、おひさ」
青い髪のポニーテールの長身の女性。
ノルドの町で私の荷物を持ち逃げした人!
「あ、あなた、よくもおめおめとっ」
この人の所為で私はとんでもない苦労したんだ!
人を騙して荷物を盗んで!
そのお陰でダイからバカにされるわビッツさんに迷惑をかけるわ!
こうして山賊やエヴィルや狼に襲われるわ!
「いやぁ。焦ったわよ。トイレに行ってる間にいなくなっちゃうんだもの」
その責任はぜんぶこの人が……って、はい?
「荷物も預けたままどこいっちゃったのよ。とりあえず返すわね、はい」
彼女は肩にかけたバックを放り投げる。
慌ててキャッチして中身を調べたところ何も取られてはいないみたい。
サイフの中身も減ってない。
「あ、あの」
「ひょっとして私が持ち逃げしたとでも思った? 黙っていなくなった私も悪いんだけど、ちょっとくらい信じて待ってくれてもよかったんじゃないの?」
えーと、つまり何?
この人がいなくなったって言うのは早とちりで、むしろ自分から荷物を放り出していなくなっちゃったと。
あは、あははは、はは。
……笑えないし。
「ご、ごめんなさい」
「悪い人に気をつけろって言ったのは私だし、考えれば疑われてもしかたなかったわ。けど次はもう少しよく周りを見ましょうね」
「は、はい。ありがとうございます」
ふと振り返るとビッツさんが彼女を訝しげな目で見ていた。
いけない、いきなり敵意むき出しにしちゃったから誤解しているのかもしれない。
「あ、こちらのお姉さんノルドの町で知り合った……えーと」
そういえば名前も聞いてないや。
「ファースよ、ルーチェさん」
「え……」
まだ名乗っていないはずなのにどうして私の名前を?
戸惑う私に彼女は左手を差し出した。
「改めて自己紹介するわ。私はファース。ファーゼブル王国の輝士よ」
ファーゼブルの……輝士!?
「それと……」
反射的に手をひっこめたことを気にする事もなく彼女はビッツさんに視線を向けた。
心なしか睨んでいるように見える。
「偶然とはいえとんでもない人物に会っちゃったわね」
私に向けた友好的な声色とは打って変わって低い調子でそう言う。
「あの、それってどういう……」
「あなたみたいな人がこんな所にいるのかしら?」
私の疑問は彼女が続けた信じられない言葉によって晴らされた。
「ねえ、クイント王国第一王位継承者アンビッツ王子さん」




