546 ▽春と雪
それからのアルディの成長は目覚ましいものであった。
剣の腕前はみるみる上達し、冒険者としてネーヴェが教えた知識も瞬く間に吸収していった。
放蕩王子であるが、頭は悪くない。
本人は嫌々学んできたようだが、これまでに受けてきた英才教育は伊達ではないようだ。
計算の速さや、歴史や世界地理に関する物覚えの良さに関しては、ネーヴェの方が驚かされることもあった。
「さあ、今日は何を教えてくれるんだ?」
思えば、アルディは受動的な勉強が嫌いだっただけなのかも知れない。
王子という立場に生まれ、将来的には民を導く運命を背負った身。
自由な生活の冒険者に憧れるのも当然であったのだろう。
大臣の許可を得て、実地研修という名目で、冒険者ギルドを活用しての野外活動も行った。
エヴィルとの戦闘は認められなかったが、薬草や鉱石の採集などの仕事を受けた。
街の外にも出ることも許されたが、もちろん王宮輝士の監視付きである。
「ネーヴェ、あいつらを撒こう」
「そんなことしたら明日から軟禁されるよ」
制限された自由ではあったが、アルディはこの生活を楽しんでいたみたいである。
ネーヴェは今まで、王族なんてものは偉そうにふんぞり返ってるだけだと思っていた。
だが彼の姿を見ていたら、偉い人間にもそれなりの不満や鬱憤もあるのだなと思い直した。
いつしかネーヴェは、この無邪気な少年に惹かれていく自分に気付いた。
※
そして、あの事件が起きた。
いつものようにギルドで依頼を受注。
依頼人のいる山奥の村を目指していた途中のこと。
アルディが馬車酔いしたので、途中から徒歩で行くことになった。
そこまでは良かったが、森の中を突っ切っていけば速いというアルディの提案を安易に受け入れてしまったのは、ネーヴェの痛恨のミスだった。
山賊上がりの誘拐屋に襲われ、あろう事か策にハマってアルディと分断されてしまった。
幸いにもアルディは独力で無事に逃げられたようでひとまず安心する。
山賊に誘拐されて助かったのは本当に僥倖だ。
そして、この一件でネーヴェは教育係を一時的に解任されることになった。
監督不行き届きで王子の命を危険に晒したのだから当然である。
幸いにもブランドが庇ってくれたため、輝士団からの除名はされずに済んだので、しばらくの間は王宮輝士として雑務をこなすことになった。
それから一月ほど経った、ある日のことである。
「王子の様子がおかしい……ですか?」
「ええ。どうも最近は前にも増して教育に身が入らないご様子で」
東塔の見張り番を終えたネーヴェは、自室に戻ろうとしていたところでヴァーロ大臣に呼び止められ、そんな話を聞かされた。
勉強中は常に上の空。
城を抜け出す回数も以前に増して多くなった。
それどころか、王都の外に出ようと試みたこともあったらしい。
あの事件ではアルディもこっぴどく叱られている。
お忍びで城下に出向く程度ならともかく、街の外へ出ることは許可されなくなった。
もちろん、冒険者ギルドでの任務受注なんてものは一切認められない。
「不満が溜まっているということでしょうか」
少しくらい怖い目にあったからって、冒険者への憧れは消えていないだろう。
以前のように街の外に出たいと思っているのだとネーヴェは思った。
が、大臣の考えは少し違っているようだった。
「いや、殿下のあの様子は……恋煩いではないかと思っている」
「は?」
思わず無礼な聞き返し方をしてしまった。
強烈に睨まれたので、背筋を伸ばし謝罪する。
大臣はため息を吐いた。
「お主と一緒に外に出たあの日にな、とある村娘と出会ったそうなんだが」
「村娘……もしかして」
誘拐屋から逃れた後、とりあえず目的の村に向かったネーヴェたち。
アルディの怪我もあって依頼はキャンセルすることにした。
ネーヴェが村長に約束不履行を謝罪して家から出てきた時、アルディが見知らぬピーチブロンドの少女と会話していたのを見ている。
「心当たりがあるのか?」
「まあ、あると言えばありますが……」
「ならば話は早い。とにかく最近の殿下のご様子はただ事ではなく、このままではまたおかしな行動をしかねない。もし早期に解決できたなら、そなたを今一度教育係に任命してやろう」
アルディの教育係に戻れる。
それはネーヴェにとって願ってもないことである。
普段の退屈な輝士業務に比べれば、王子と課外授業でも行っていた方がずっと楽しい。
「了解致しました。その任務、拝命いたします」
ネーヴェが敬礼すると、大臣は「頼んだぞ」と肩を叩いた。
どうやら王子の現状にはよほど手を焼いているようだ。
※
教育係に戻るため、ネーヴェは王子の想い人を調査しに例の村へと向かった。
名目上は近隣の治安維持のため、王宮輝士による地方巡回である。
同僚の輝士二人と共に周囲を見回りつつ村に寝泊まりした。
「輝士様、いつもご苦労様です」
「ああ。こんにちは」
いつものように見回りから戻ってきたネーヴェを、例の少女が出迎える。
ピーチブロンドの少女はプリマヴェーラといった。
村では『聖女』と呼ばれる有名人だ。
曰く、彼女が触れれば傷がたちまち治るとか。
枯れた土地も彼女が足を踏み入れると即座に花畑に変わるとか。
嘘か誠かわからないが、どうにも村の老人たちからは異常な崇敬を受けているようだ。
元からこの村に住んでいたわけではなく、ある日突然迷い込むように現れて、そのままここに居ついたという。
謎の多い少女だった。
「裏山でたくさんリンゴが採れたんですよ。よかったら、おひとつどうぞ」
「ありがとう」
そんな得体の知れない評判とは裏腹に、話してみればプリマヴェーラは普通の少女であった。
王宮輝士として来ているネーヴェにも物怖じせず、気がつけば友人と呼べるほど気軽に話し合える関係になっていた。
どこか浮き世離れした雰囲気はある。
けど、おかしな人間ではない。
笑顔がとても可愛らしく、アルディが一目惚れした理由もわからなくはない。
これならお忍びで会わせるくらいは問題ないかもしれないな……
と考え、なぜか胸が締め付けられる感覚に戸惑った。
※
ところがある日、ネーヴェは彼女の秘密を知ってしまう。
「天然輝術師? プリマヴェーラが?」
「近隣に現れたエヴィルを彼女が炎の矢を使って退治したって、村人たちが噂をしていましたよ」
「ばかばかしい」
同行者である輝士が聞いたという噂話を、ネーヴェはくだらないと一蹴した。
輝鋼石の洗礼も受けずに生まれつき輝術が使える天然輝術師。
そんなのはおとぎ話の中だけの存在だ。
頭では否定しながらも、ネーヴェは念のため、本人に直接聞いてみることにした。
「……という噂が流れているのだが」
「ええ、本当ですよ。ご覧になりますか?」
冗談半分で聞いたネーヴェの前で、プリマヴェーラは指先に火を灯して見せた。
「こんなこともできますよ」
ただ火を起こしただけではない。
まるで一枚の絵画のように、色とりどりの炎で宙空に模様を描いて見せた。
輝言も唱えず、触媒すら使うことなく、王宮輝術師でも行使できないような輝術を使う。
「君は、いったいどこでそんな術を覚えた?」
「わかりません」
驚きと共に問いかけたネーヴェに、プリマヴェーラは首を横に振ることで答えた。
「一年以上前の記憶がないんです。実は本当の自分の名前もわからなくて、プリマヴェーラっていうのも村長さんがつけてくれた名前なんですよ」
「そ、そうなのか……」
これは由々しき事態である。
生まれつき輝術が使える人間なんて存在してはならない。
特にファーゼブル王国においては、古来よりエヴィルと同一視する風潮さえある。
「もし君の存在が王宮にバレれば、拘束、尋問……最悪の場合は処刑される可能性もある」
ネーヴェはそれを彼女にハッキリと伝えた。
「二度とその力を人前で使うんじゃない。いいな?」
「ええ……」
「君のためなんだぞ」
彼女が罰せられないための善意の忠告だったが、プリマヴェーラには受け入れ難いようだ。
他人から見れば奇跡のような術であっても、彼女にとっては当然のこと。
呼吸をするのと同じくらい自然なことであると言う。
「君にはまず、この国のルールと、世間の常識を教える必要がありそうだな」
丸一日かけてようやく納得させた。
村人たちにも箝口令を敷いたので情報が漏れるのは防げそうだ。
輝士としては王宮に報告する義務があるが、すでに彼女とは友人関係にある。
最悪の事態になるのは避けたいと思い、ネーヴェはこの件を大臣には黙っていることにした。




