53 魔樹
「ぐあっ……」
振り返ってビッツさんの方を見る。
デンドロンの蔓が彼の右足を引き裂いていた。
四つの蔓が交互に彼の体を襲う。
何とか避けながら接近を試みるけれど果たせず体中の至る所に新しい傷がつけられる。
「やめて、やめてっ!」
このままじゃビッツさんが死んじゃう。
けどいくら叫んでもデンドロンは攻撃を止めてくれない。
「ほらほらどうした。そんな動きじゃラオ=バークの運動にもならないぞ」
クケケケと哄笑をあげるスカラフに呼応しデンドロンが目玉のついた葉を揺らした。
何度目かの攻撃を足に受けてビッツさんが地面に膝を突く。
「ビッツさんっ」
「くっ、やはり敵わぬか……」
息は絶え絶え傷は目に見えて深い。
「せめてあの剣さえ手に入れば輝攻戦士になることさえでれば……」
彼の目が私を見た。
思わず息を呑む。
輝攻戦士になるための輝攻化武具は敵の手にある。
けれど彼の望みを私は叶えてあげることができる。
それは彼に高いリスクを背負わせることになる。
私の軽薄な行動が一人の青年を不幸にさせてしまった過去がある以上、簡単に決断できることじゃない。
けど今のままじゃ私たちは三人ともエヴィルの餌食になってしまう。
それなら一か八か契約をしてみてもいいんじゃないの?
ここは人里離れた山奥。
誰にも見つからなければしらばっくれることもできる。
迷っている暇はない。
覚悟を決めなくっちゃ。
これ以上彼が傷つくよりはいい。
やろう、隷属契約を。
「ビッツさん!」
真正面に彼の顔。
これから行おうとしていることを考えれば顔が赤くなるのをとめられない。
「あの、私が今から――」
「ぐおっ!」
突然、情けない悲鳴が私の耳に届いた。
少年を押さえつけていた男が仰向けに倒れるのが見えた。
拘束を自力で解いた少年はそのまま倒れる男に追い討ちの蹴りを打ち込むと、輝攻化武具ゼファーソードを奪い取った。
「っしゃあ!」
少年の体の周囲を輝攻戦士の証である光の粒が舞う。
それと同時に例の低空飛行で一気にデンドロンに近づいた。
電光石火の一撃でデンドロンの幹を薙ぐ。
羽虫のような絶叫。巨体が揺れる。
少年は止まらない。繰り出される連続攻撃――
「え……?」
違和感に自分のお腹のあたりを見下ろすといつの間にか茶色く節くれだった蔓が巻きついていた。
両腕にも同じように巻きつき内臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいの勢いで引き寄せられる。
「うわああああっ!?」
※
気付けば私はデンドロンの幹に縛り付けられていた。
「クケケケ。どうだ仲間を人質に取られた気分は?」
嫌悪感をもよおす声にぼうっとしていた頭が冴える。
私の正面には剣を構えた少年の姿がある。
どうやら衝撃で一瞬だけ気を失っていたらしい。
全身を包帯のようにぐるぐる巻かれ身動きすることすらできない。
「いやっ! 放してっ!」
軟体動物のように蠢く蔓。
身体を這うそれは例えようもないほど不快な気分になる。
立ったまま身体を蹂躙されているようで、できるなら再び意識をシャットアウトさせてしまいたい。
「剣を捨てろ。人質がどうなってもいいのか?」
「そいつはオレと無関係だ。助けてやる義理はねー」
なんだと!
確かにその通りなんだけどそれはちょっと冷たすぎやしませんか!?
「娘がラオ=バークに犯される姿を鑑賞したいか?」
なっ、いやあっ!
おぞましい言葉に叫び声をあげよう口をあけた瞬間エヴィルの蔓が口内に侵入してくる。
「もごっ」
汚物を突っ込まれたような苦味。
噛み千切ろうにも気持ちの悪い感触が伝わるだけで歯が通らない。
吐き気が込み上げても胃の内容物を吐きだすことさえ叶わない。
代わりに瞳からあふれ出る涙で視界が滲んだ。
少年は動かない。
剣はその手に握られたまま。
「ほれほれ。早くしないと少女の体が取り返しのつかないことになってしまうぞ。人がエヴィルの子を宿すことができるかどうか試してみるか?」
もぞぞ、と体を締め付ける蔓が奇妙な動きを見せる。
特に腰から下を重点的に無数の虫が這いまわっているような感触が絶えず襲ってくる。
「はやく輝攻化武具を捨てよ。本当にどうなっても知らんぞ」
いやあ! 恐い助けて!
叫ぶことさえできない。
全身を締め上げられながら私は必死になって助けを求めた。
木のバケモノになぶり者にされるなんて、絶対に嫌!
「しかたない。ならば望み通りにこの女は……」
「待て、武器は渡す」
そう言って少年は剣を手から落とす。
地面に落ちたゼファーソードをすばやくデンドロンの蔓が掠め取った。
「ふははっ、最初からそうすればよかったのだ」
た、助けてくれた?
いや助かってはいないんだけど私を見殺しにはしないでくれた。
だけど代わりにエヴィルを倒せる武器が……
「ぐっ」
もう一方の蔓が少年の体を激しく吹き飛ばした。
彼は近くの木に背中から叩きつけられ苦しげなうめき声を上げる。
「おやおや。どうやらラオ=バークは許す気がないようだ」
ひ、卑怯者! あの子は言われたとおりに武器を捨てたのに!
睨み付ける私にスカラフは嫌らしい笑みで返した。
「そうかそうか娘を犯したいか。可愛い我が子よ好きにするがいい」
全身を抑える蔓が奇妙に蠕動する。
体が締め付けられ気色の悪い感触が服越しに伝わってくる。
犯される? 木のバケモノに?
いや、いや、いや!
そんなのいやだぁっ!
ぱしっ。
「な、なんだ?」
視界に緑がかかり何かが弾けたような軽い音がした。
体から気持ちの悪い感触が消えうせる。
口内を満たしていた苦味がなくなって心地よい浮遊感に包まれる。
「あたっ」
次の瞬間、私は地面に尻餅をついていた。
お尻が痛いけどあの醜悪な蔓にまとわりつかれるよりは何百倍もマシな気分。
硬い地面がベッドにさえ思えてくる。
「き、貴様! 一体……!」
誰かが助けてくれた?
周囲を見回してみるけれど誰もいない。
目の前ではスカラフが確かに驚愕の表情を浮かべている。
その視線の先は……私?
鈍い音。気がつけばビッツさんが近くにいた。
彼は折れた剣をデンドロンに突き立てる。
エヴィルは大したダメージを受けているようには見えない。
だけどその一瞬の隙をつきビッツさんはゼファーソードを奪い取った。
「はああああっ!」
彼が気合を発すると周囲に輝攻戦士の証である光の粒が舞った。
やった! ビッツさんが輝攻戦士になった!
デンドロンの蔓は残り一本。
人質を取りながらビッツさんの相手をすることは不可能。
形勢逆転だ!
ビッツさんが飛ぶ。
地面を思いっきり蹴ってデンドロンに接近し、
「え?」
その頭上を通り過ぎた。
勢い余って……そんな感じだった。
すれ違い様に剣を振るう間もなくビッツさんは背後の茂みに頭から突っ込んでしまった。




